報酬は人の目を変える

 近付くな、か。


 私の心にその警告がズシンとのし掛かった。


 あそこには近付くな。あれには触れるな。誰もが一度は聞いたことがあるだろう。私も小さい頃、親や近所のおばさん達によく聞かされていた。工事現場の傍や誰も使われなくなった廃ビル。そういった場所は危険が多いのだから当然だ。


 しかし、子供にとってそういった『するな』という項目は逆に興味を掻き立てるものだ。なぜダメなのか、そこには何があるのか。そんな思いが沸々と汲み上げ、気付けば友達と内緒で足を運び、慣れてしまえば頻繁に訪れる。


 これは致し方ないのだろう。なぜなら、実際に危険が訪れていないのだから。自分には何も降りかからず、何も起こらないのに禁止される道理はない。禁止禁止と言われても所詮は他人事。自分は大丈夫だという根拠のない確信を持ち、それが子供の心理だと私は解釈しているし、だから私は何度も友達とその場所で遊んだりした。


 だが、今回は違う。近付くなと言われている場所は自分が毎日通う学園だ。そして、被害者は同じ学園の生徒。他人の身に起きたこととはいえ『他人事』と処理するのは難しい。


「ふ~む。これは生半可な覚悟じゃ取り組めないわね」


 伊賀先輩が深刻そうに腕を組んで唸る。それほどこの依頼の内容は困難だということだ。


「七瀬さん。この依頼を申し出たということは、誰かがその呪いを受けたということよね? それは七瀬さん自身?」

「あっ、いえ。私だけじゃなくて、あと二人います。先輩なんですけど」

「何でその先輩達はここにいないの?」

「実は、先輩の一人が呪いに怯えちゃって学校を休んでいて、もう一人が様子を見に行っているんです」


 話を聞くと、呪いを受けたのは七瀬さんと同じテニス部の先輩二人。何でも、部活帰り中部室に忘れ物をしたと気付いた先輩が学校へ取りに戻ると言ったそうだ。それを聞いたもう一人の先輩と七瀬さんは付き添い、学校へと向かった。


 部室で物を見つけ帰ろうとした時、一人の先輩が七不思議の一つ、体育館の不思議を思い出したらしく、三人で体育館へと興味本位で足を運んだそうだ。その時刻は二十時を回っていたという。


 三人で体育館に着くとドアを開けようとした。当然だが、生徒は皆帰っているので明かりは消えており、鍵が掛かり開くわけもなく、耳を立てるも中から何も音は聞こえない。七瀬さん達は笑って安心したようにその場を後にしようとした。すると……。


 ……バン……バン……バン……。


 今まで何も聞こえなかったはずの体育館からボールの弾む音が響いた。七瀬さん達は恐ろしくなり急いでその場を後にしたという。


 私は自分で体験していないにも関わらず、その話に鳥肌が立ってしまった。


「えっと、受けてくれるんですよね?」

「ダメだな」


 心配そうに七瀬さんがお願いしてきたが、そこに拒否の言葉が返ってきた。発言主は当然あいつだ。


「何でよ、祐一。断ったら七瀬さん可哀想じゃない」

「可哀想、ってなんだ。同情で依頼を受ける方がよっぽど可哀想だろ」

「同情はたしかにあるけど、この依頼はそれだけで済まされないでしょ。私達の学園の問題なんだから無視もできないじゃない」


 伊賀先輩の言う通りだ。これは学園内の問題だ。そこの生徒である私達が無関係とは言い難い。


「依頼が来たんだから受けるのが筋でしょ」

「断る」

「部長の私が受けると決めたんだから従いなさい」

「嫌だね」


 蜷川は頑なに依頼を拒否する。何をそんなに嫌がるのだろうか。


 もしかして、こいつ……。


 ふと、私は思い付いた理由にニヤニヤと顔を歪めながら蜷川に問い詰めた。


「もしかして蜷川、あんた怖いんじゃないの?」

「お前と一緒にするな。死ね」


 死ね!? こいつ死ね、って言ったぞ!?


「蜷川君、何でそんなに嫌なの?」

「あのな~。受けるならまず大事なことがあるだろうが」


 怒りに震える私を無視し、明里の質問に蜷川が溜め息交じりで答える。


「大事なこと?」

「そうだ。セイタン部に依頼をしたいなら、その七瀬ってヤツはやるべきことがある」

「何をするのさ」

「報酬に決まってるだろうが」


 蜷川がコーヒーを一口飲み終えてからそう言った。


「報酬なんかなくていいじゃない」

「ダメだ。セイタン部は慈善事業じゃない。きちんとそれなりの対価を払ってもらう」

「私達の学園の一大事よ? 今回は報酬無しでもいいじゃない」

「ダメに決まってるだろ。この世は等価交換。何かを得るにはそれ相応の対価が必要だ。鋼の錬金術師のエドだって言ってる」

「アニメの台詞をいちいち出すな。アホらしい」

「アニメをバカにするなよ? アニメだって心に刻むべき大事な台詞を言っているんだ。今のエドの台詞だって正論だぞ」


 言わんとしてることは分かるが、アニメを出されるとなんかその台詞の格が落ちるのよ。


「たしかに、祐一の言うことも一理あるわね」


 意外にも、伊賀先輩が蜷川に賛同する言葉を吐いた。


「伊賀先輩まで……」

「別に間違ってないでしょ? 由衣ちゃんの時だって報酬もらったんだし」


 そうですが、私の場合は今もその報酬を支払い続けているんですがね。七瀬さんにも同じ思いはしてもらいたくないんですよ。


「というわけで、七瀬さんにも何か報酬を提示してもらうわ。あっ、別にお金とかそういうのじゃないからね」

「となると、例えば脱ぐとかですか?」

「そうそう、脱いで下着姿を披露――って!?」

「うそん!?」

「マジ!?」

「……っ!?」


 七瀬さんの思いもよらない報酬に私達は愕然。りっちゃんに至っては顔が真っ赤になり、空のジュースをストローでズズズッ、と音を立てて吸い続ける。


「いやいやいや! 七瀬さん、それはまずいって!」

「大丈夫。私、下着には自信があるから」

「そういうことじゃなくて!」

「そうだよ! こんな公の場じゃなくて、せめて公園のトイレとか人目の付かない所じゃないと!」


 そういうことでもねぇよ、明里!


「七瀬さんがそんな大胆な性格だったとは。今の子はアグレッシブね」

「伊賀先輩! 感心してないで止めてください!」

「そうは言っても、本人が言ってるんだから止めようが」

「七瀬さん、はやまらないで!」

「高校生の男子なら喜びそうだけど?」

「蜷川ぁぁぁ!」

「俺は何も言ってないだろうが」


 蜷川の胸蔵を掴み、鬼の形相で睨み付ける。


「まあ、冗談だけどね」

「冗談!?」

「当たり前でしょ。何で脱がなきゃいけないのよ」

「よ、よかった~」

「堀田さんって思ってるより天然?」

「ド天然だよ~」


 あんたに言われたくないわ、明里!


「報酬はちゃんと別に用意してるわよ。峰岸さんに聞いたら、これなら間違いなく蜷川君は受けてくれる、って」

「ほほう。言っちゃ悪いが、俺はそう簡単に依頼は受けんぞ。報酬もそれなりのを出さないとな」


 本当に言っちゃいけない台詞だな。それだと誰からも依頼されないだろ。


 七瀬さんは自分のバックを開くと、中から茶色い封筒を取り出し蜷川に渡した。


「これが私からの報酬」

「どれどれ……んなっ!?」


 七瀬さんから受け取った蜷川は中身を確認。すると、目を目一杯広げて固まっていた。


「何? どんな報酬?」

「み、みみみみみみみみみみみみななななななななななななななななっ!」


 壊れたプレイヤーみたいに、蜷川は延々と一文字をリピートし続け、封筒を掴む腕もブルブルと震え始める。


「いや、分かんないから。報酬はなんなのよ」

「こ、これはみ……なの……ト」

「何? 聞こえないんだけど」

「……水樹奈々のライブチケットだぁぁぁ!」


 ファミレスにいながら蜷川は大きな声を上げ、優勝カップさながらにその封筒を高々に掲げた。


「水樹奈々?」

「声優であり歌手としても活動してる名声優だね」


 ああ、なるほど。蜷川が狂うわけだ。


「お前! これをどうやって手に入れた!?」

「これ? 私の兄貴からもらったの」

「七瀬さんのお兄さん?」

「うん。兄貴は今大学生で、彼女と行く予定だったんだけど、そのライブの日に急に別の予定が入ったみたいでね。彼女も二人で行けないなら要らないって言ったみたいで、捨てるのももったいないから、って私にくれたの」

「おまっ! このライブに行かないのか!?」

「行こうと思ったけど、私もその日は部活があって行けないのよ。それを峰岸さんに話したら報酬にもってこいだ、って」

「峰岸ぃぃぃ! お前は素晴らしいぞぉぉぉ!」

「えへへ~。それほどでも~」


 照れる明里に蜷川が頭を激しく撫でる。乱れまくりになりながらも、明里は満面の笑みだ。


「……ずるい」


 ボソッ、とりっちゃんが口ずさむ。明里を羨ましそうに見つめ、ジュースを飲まずに頬を膨らませてストローを咥えていた。


「おお、奈々様……すぐにあなたの傍に!」

「んで、祐一。依頼はどうする?」

「受けるに決まってる! いや、是非受けさせてくださいお願いします!」


 通路に出た蜷川は七瀬さんに向かって土下座。あれほど拒否していたはずが、一転して懇願へと変わる。


 何はともあれ、セイタン部は久し振りに探偵らしい依頼が舞い込んだのだった。

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