セイタン部の日常

夢なら覚めてほしい

 仄かな冷気を含んだ空気が私の頬を撫でた。


 時は十一月の半ば。時刻は十六時を過ぎた辺り。場所は私のクラスである一年六組の教室。


 窓から入り込んだ風が白の薄手のカーテンを靡かせて私の体へと向かい、ひんやりとした冷たさが撫でるように触れてくる。顔、首、手といった肌が見えている部位はより敏感に感じ取れ、無意識に体が縮こまる。もう冬が近付いてきているのだと体が教えてくれていた。


 そろそろ手袋やマフラーといった防寒具を用意した方が良さそうだ、等と考えながら窓の外を見ると、十六時でありながら空は鮮やかな茜色に染まっていた。


 私は一日でこの空が一番好きだ。この色合いを見ると心が落ち着くから。濃いわけでもなくかつ薄過ぎず、程好い鮮やかさを滲ませ、ずっと眺めていると身体の奥深くに安心さが浸透していくような、そんな感覚を覚える。もちろん青空が嫌いなわけではないが、清々しい青よりも茜色の方が私の心を魅了しているのだ。


 だが、今はその茜色の空を満喫している余裕はなく、私――堀田由衣は落ち着くどころか窮地に貶められていた。


「もう。ほんっっと私のバカ犬ったら、女の子を見るとすぐにデレるのよ。ヒドイと思わない?」


 少し怒りを含んだ口調で口を開いたのはりっちゃんこと針宮理恵。オカッパ頭の小さな女の子で、私と同学年の一年生だ。

 

「そうですわね。わたくしもアピールしているのですが、肝心の彼は全然気付いてくれませんのよ」


 続けて話したのは学年が一つ上でポニーテール姿をした伊賀先輩。引き締まったスタイルにきめ細やかな肌の持ち主で、同性の私から見ても憧れるような容姿をしている。


「男って、ちょっと可愛いな女の子を見ると何でああやってフラフラするのかしら?」

「男は皆オオカミでスケベな性格をお持ちと言いますからね。それは致し方ない事だと思います」

「目の前に私という可愛い女の子がいるのよ!?」

「それも致し方ない事ですわ。その慎ましい胸では魅力が存分に発揮されませんから」

「ちょっとあんた、今何て言った!?」

「男性を虜にするにはやはり美しく豊満な胸を持ち合わせなければいけませんわ。このわたくしのようにね! オホホホホ!」

「ムキィィィ!」


 手の甲を口元に添え、胸を張りながら高笑いをする伊賀先輩。それに地団駄を踏むりっちゃん。


「ケ、ケンカはヨくないのデす~」


 私も二人の会話に参加するが、思い通りに言葉が発っせない。


「ふん! あんたはいいわよね。自分の権力振りかざせば何でも思い通りに出来るんだから」

「け、権力って……」

「あら、あなたも貴族という立場ではなくて?」

「そうよ。でもあのバカ犬ったら、ちっとも敬意を表さないのよ」

「それはいけませんわね。わたくしも名家の出ですから、そういった態度は見過ごせませんわ」

「でしょ? 今日帰ったらこの鞭でおしおきしなくちゃ」

「あら、それは楽しそうですわね。わたくしもご一緒させてもよろしくて?」

「ぼ、暴力ハいけないノでス~」


 二人は意気揚々と会話を続けるが、私だけはどうも合わせることができない。


「あんたの所はいいわよね。一途に守ってくれる勇者を全うしてくれているんだから」

「は、はイ。とテもやさシクて、たのシいひビヲすごしテイマす」

「羨ましいですわ。わたくしもあの方とデ、デ、デートをしてみたいものです」

「さ、サソってみてはドウデすか?」

「そ、それはできませんわ! そもそも、声を掛けるのは殿方の役目のはずですわ!」

「本音ハ?」

「は、恥ずかしいじゃありませんか……」


 徐々に縮こまって俯き、モジモジし始めた伊賀先輩。


「何言ってるの。今は女から誘う時代よ。受け身になってちゃダメ。自分から攻めるのよ。狩りに行きなさい」

「そんな! 男と女の恋愛は白馬の王子様が迎えに来るという形から始まるのでしょ!」

「あんたいつの時代の女!?」


 普段からは想像できないくらい声を張り上げて答えるりっちゃん。


 はぁ~、私は一体何をやっているのだろうか。


 女子なら誰もが盛り上がる恋人話。一つ挙がればファミレスで何時間も話ができるし、可能なら朝から晩まで続けられるだろう。私だって高校生の女の子。その手の話には俄然興味がある。しかし、今の私にとっては早くこの場から抜け出したい一心だ。


「聞いたわよ。あんたライバルがいるんじゃないの? そんなんで勝てると思うの?」

「分かっていますわ。でも、心の準備というものがあるじゃありませんか」

「そう言っていつまで準備をしてるの? その間にライバルに先を越されたら? 準備がどうこうじゃない、誘うか誘わないか。このどちらかよ」

「うぅ……」

「私だって最初はそういう気持ちを持ったことはあるわ。でも、あのバカ犬の周りには私の他に好意を寄せている女が何人もいた。そんなこと言ってられない、って気付いたの」

「な、なるほど」

「恋は先手必勝! 体当たり精神! 背水の陣よ!」


 熱く恋のアドバイスを語るりっちゃんだが、内心はその真逆なのだろう。顔が傍目から見ても恥ずかしさで真っ赤に染まっている。


「あなたはどうでして? よく二人だけで出掛けているそうですが、コツとかありますの?」

「いえ、たダふつうニさんポにいきまショウ、と」

「その誘うのが難しいのですが……どうすれば自然と誘えますの?」

「そ、そレは……」


 伊賀先輩が懇願の目を向けながら私ににじり寄ってくる。


「わたくしはあのメスゴリラに負けたくないのです! どうか自然に誘え克つ成功させるコツを!」

「コ、こつトいわれてモ……」

「お願いします! 是非ご教授を!」


 ついには肩を掴み、私の顔の数センチまで寄せてきた。


「さあ! わたくしを助けると思って!」

「……いや、伊賀先輩ちょっと近――」


「――はい、カァァァァァット!」


 そこでパンッ、という叩く音が鳴り、一人の男子の大きな声が教室に響き渡った。


「堀田~。また呼び方間違えたぞ」

「あっ。ご、ごめん」

「ったく。もっと真剣にやれよな」


 教壇の一番近くの椅子に座り腕を組んでいた男子生徒が叱責した。


 彼の名前は蜷川佑一みながわゆういち。私と同じ一年生で、この部活動のメンバーの一員だ。


 蜷川は机の上に置いてある黒い物体に手を伸ばす。レコーダーだ。そのレコーダーの録音の停止ボタンを押し、それからふ~、と深い溜め息をついて脱力する。


「これで五回目だぞ。何回やれば気が済むんだ。それに、台詞も全くなっちゃいない。もっと流暢に話せないのか。真面目にやれタコ助」


 説教と罵りを私に向かって言い放つ蜷川。その物言いにイラッ、と来たが、彼の言う通り五回目も失敗しているので何も言い返せない。


「あのさ、もう一度聞くけど。これは何をやってるの?」

「もう忘れたのか? これはドラマCD。それも、この世に二つとない夢のコラボレーションドラマCDだ!」

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