Episode.03 Regarding Vampire

 ――なにを言っているのだろうか、この不審者は。


 ちはるは先ほどまで感じていた言い知れぬ恐怖感を忘却ぼうきゃく彼方かなたに捨て去り、いぶかしむように自称吸血鬼とやらを睨んだ。

 対する自称吸血鬼は、彼女の睨みなどものともしないらしい。余裕ある視線を返し、挑戦的な態度を面白がるように、小さく声を漏らして笑った。

 その姿がかんさわる。ちはるの視線はさらに不機嫌さを帯びた。


「ほらほら、肩の力抜きな。あまり警戒しないでいい。むしろ腹出してイビキかいて寝ちまうくらいでちょうどいいさ」


 おちゃらけた雰囲気でかわされてしまうのは、もうお約束に近いのかもしれない。

 思わず無言になったちはるを彼はニヤニヤと笑いながら見つめ、黒い手袋をめた自身の人差し指を、そっと彼女の顎にかけた。


「もう飯は食ったからな。腹はいっぱいなんだ」


 ――ゾクリ。ちはるはまた言い知れぬ悪寒を感じる。

 「腹はいっぱい」と言ったことに対してか、それとも彼のかもし出す空気にか。明確な対象はわからなかったが、確かに背筋が凍ったような気がした。


 反射的に首を振り、彼の人差し指を退ける。

 恐怖? 嫌悪? ――そんなものでなく。

 何かが突き上げてくるような、それはまるで体内からの上昇気流のような。そんなものに運ばれて、何かがちはるに警鐘音をかき鳴らしていた。


 吸血鬼。

 バイト先でも話題にあがっていた、ファンタジーの題材としてよく扱われる伝説的存在のこと。

 様々な説はあるが、夜に墓場から蘇る死者の霊であり、人間の血を吸って力を得る化け物、というのがポピュラーだろう。

 また、「吸血鬼に咬まれた人間は、死んで吸血鬼になる」というのも、多くの設定に付属しているものだ。どの作品も言い伝えも、大体はその設定を利用している。


 とは言え、何度も言うがそれらはただのファンタジーかつ伝説であり、現実としては考えられないわけで。


「……ふざけてるの」

「こんな性格なものでね」

 そう捉えられがちだが、言っていることは本当さ。


 ワザとらしくも肩をすくめてみせたその男。

 ちはるはやはり「うさんくさい」という感情をあらわにした、いぶかしげな視線を投げつけた。


 口調も雰囲気も、どこか言葉遊びを楽しんでいるだけのよう。

 そんな男の言うこと――それもあまりに非現実な内容を、素直に「はいそうですか」と信じることなど不可能に近い。


 ちはるの感情を読み取ったらしい男が、残念そうな表情かおをする。

 その姿が挑発的で、ちはるは心底嫌そうな顔で彼を睨みつけるのだった。彼に良い印象など、ちりほどにも抱けない。


「なぁ、俺の目、見てみろよ」


 そう言われると、視線を上げておもわず見てしまう。その行動の素直さに自己嫌悪したが、釣られてしまったものは仕方ない。

 そうして映った血のような赤色に、また、言いしれぬ奇妙さと恐怖を覚えてしまった。


「吸血鬼ってのは、お分かりの通り赤い目をしているのさ」


 顔を近づけてきた自称吸血鬼から逃げるように顔を背ける。

 彼の手がちはるの逃げ道を塞いでしまっており、そう簡単には身体ごとその包囲から抜け出すことはできそうになかった。

 そのため顔を背けたのは、せめてもの抵抗である。


「俗説では、血を吸うから瞳まで赤に染まった、なんて言われているがな。ぶっちゃけ俺たち吸血鬼も、自分たちの体の仕組みについてはあまり詳しくねぇ」

「……意外と不真面目なのね」

「なに、人間おまえらだって、自分たちの身体の仕組みについて、全員が全員詳しいわけでもないだろう? すべてが解明されているわけでもない。そりゃ吸血鬼だって一緒さ」


 吸血鬼と言われはしても、信じられないというのが本音だった。

 吸血鬼がただの寓話ぐうわ上の存在であることもそうだが、それ以上に、彼の挑発的な性格が感じ取れたからである。からかいだと捉えるほうが自然だ。

 そんな疑念を嘲笑うかのように、さも当然の口調でもっともらしいことを言う彼。

 その口調は軽いが、自分が吸血鬼であることは決定事項とでもいうような物言いだった。


 己が吸血鬼であるということが明らかな事実であり紛れもない現実なのだと、彼のなんということもない言い草が、まるでであるかのような気にさせる。

 最初ほど危機感を感じさせないのは、この飄々ひょうひょうとした態度が理由か。黙って見つめられると恐怖に似た感情が沸き上がるが、こうしてずっと話していると、途端にそれは消えていく。


「ま、お嬢さんがなんと思おうと、俺という存在が吸血鬼であることにちがいはねぇ。よろしくな、お嬢さん」

「……そんなに簡単に吸血鬼だなんてバラしていいの」

「バラしてアンタが言いふらしたところで、誰も信じやしないぜ」


 彼がクツクツと喉で笑う。

 彼が吸血鬼であることを信じたわけではない。が、そうなのではないかと思い始めている鈍った脳があった。


 ワインレッドのカーテンが窓から入り込む強い風に抱かれ、彼の後ろで無造作に舞った。のぞく半月はどこか不気味だ。


「……じゃあ、」


 踏み込むな。どこかで誰かの声がした。


「吸血鬼の伝説はどれが本当なの」


 関わるな。どこかで誰かが引きとめた。


 それでも、ぶら下げられてしまっては好奇心が騒ぐ。そこまで本当であるかのような態度を見せられては、どうしようもない。


 知りたかった。嘘か真か。ただ、それだけを。


「例えばどういう伝説のことだ」

「そう言われるとすぐ出てこないけど……」


 相手が吸血鬼だったとして――そうでなかったとして――どこまで踏み込んで良いものか、図りかねている。

 一方、ぶら下げられた好奇心を野放しにさせるしか、今の彼女に選択肢はない。


「……そうね、聞き方にとても違和感があるけど、吸血鬼ってどんな生き物なの」


 ちはるが言えば、彼は口元に弧を描いた。良い質問だとでも言うように。


「そんなオープンクエスチョンを初対面でかますようじゃあ、お嬢さんのコミュニケーション能力はお粗末だな」

「なっ」


 からかいやすい良い質問だった、ということだったようだが。


「まぁ落ち着け、話をしようじゃねぇか。吸血鬼ってのはアンタたち人間の中じゃ様々な説があるだろ? 逆にアンタは何を知ってんだ」


 文学部であるちはるは、好きな小説が吸血鬼に関わるものであったことから、それの存在、ルーツについて調べたことがあった。

 しかし、それを安易に答えて良いものか、なんだかどうしようもない心地の悪さを感じてしまう。


 結局自分の知識は「ホンモノ」ではないのだ。

 その曖昧な、知識とも言えない単なる情報をもって、吸血鬼を名乗る存在にまさにその性質を語るなど、これほど馬鹿げたことがあるだろうか。


 言おうとしては口を閉じ、呑み込んでしまう彼女に気づいてか、男は小さく笑い、言ってみろ、とうながした。

 そうして躊躇ためらいがちに震えた唇が、ようやく開く。


「私の知っている吸血鬼はあくまで言い伝えだけど、簡単に言うと、死者が墓場から生前の姿を持ったまま夜に生き返る者、とされているの。だから、生と死を超えた者、生と死の狭間はざまに存在する者、不死者、とされ、人間の生き血を喰らうとして怪物と言われている」


 そして、人間の血を喰らうため、色んな姿に変身できるというのも有名な説だ。

 様々な姿に変身して化けることにより、人間をおびき出すというものである。

 その一種として、吸血鬼が美形に描かれていると言われることもある。


「でも、吸血鬼はあくまで医学の発達していなかった時期に語られたもの。今からそう遠くない昔、原因不明の流行はややまいの謎を究明するべく、埋葬まいそうされた死体を掘り起こす動きが人々の間で活発化した。その時、掘り起こしたが、生きているように見えた。現代の医学では当然、その状態が化物じゃないってわかるけど、当時の無知な人間が未知なるものに抱いた恐怖を具現化させ、不死者としてを創り出したとされているわ」

「なるほど、医学という視点で吸血鬼説をぶった斬るってのが人間の見解か。じゃあ、ここで答え合わせだ。それらの言い伝えの中に、誤解がいくつもある」


 おもわず、勢いよく男を見た。

 信じていないはずなのに、あまりに言い切るから本気にしてしまう。そんな自分に気がついたちはるは、馬鹿じゃないのと自身をののしった。

 その様子に気がついたのか。男は喉で笑う。


「吸血鬼には『純血種じゅんけつしゅ』、つまり吸血鬼として生まれてきた生粋きっすいのヤツがいる。医学的視点とはかけ離れた、本物のさ」


 皮肉った調子でそう明かした男を見ながら、信じていないはずなのに、背筋に悪寒が走ったのを感じた。

 ぶるり、震えた肩が、よけいに恐怖を煽る。


「俺たち吸血鬼にも伝承──いや、伝説に近い言い伝えってのがある。それが、神に逆らった天使が罰を受けて地獄に幽閉され、そこで神を憎んで憎んで憎みまくったそいつが、神が愛したという『人間』を殺すために化けモンになった、てな。それがまぁ、吸血鬼ってわけさ。ひでー話だな。自分らをバケモン扱いして鼻高々に語り継いでんだからよ。が、生まれは定かじゃねぇから、そこはよく分かんねーんだけどな。始祖と呼ばれる吸血鬼の始まりがいることは確かさ」


 聞き慣れない言葉の数々を脳内でリピート。難しい言葉は適当に咀嚼そしゃくし、なんとか自分の中で消化していく。

 まとめていけば、吸血鬼には始祖というものがおり、混じり気のない純血のそれが存在しているということだろう。


「純血種はやっぱり不死、なの?」

「死ぬよ。一応はな」

「一応は……」

「だが、それと同時に不死でもある」

「どういう意味」


 意味がわからない。ちはるが不思議そうに眉を寄せて、睨みつけるかのように男を見た。

 それもそうだろう。死ぬのに不死だと言われ、相反する言葉を並べ立てられてしまえば、そんな表情になるのも無理はない。


「やっぱりふざけてるの」

「おっと、可愛い顔が台無しだぜ、お嬢さん。ここらへんは複雑なんだ」


 吸血鬼が不死であることは確かだが、成長しないわけではないため、吸血鬼は人間と同じく老いて死ぬ。人間より長くは生きるが、ただ単に、不死を手に入れることはできないのだ。

 ――ではなぜ不死か。

 それは、特殊なものを施すことによって得られる、死してなお生き長らえるという究極の術が一因していた。

 背中に成長を止める刺青を血文字で描くというもので、血化粧の指す年齢で成長が終わり、不死を手に入れると言われている。


「だから、単純な不死ってわけじゃねぇってこと」

「血化粧で成長を止めなければ老いて死ぬってことは、つまり血化粧が止めているのは成長っていうより寿命っていうか……なんていったらいいのかしら」

「そうだな、死までのカウントダウンって言えるかもしんねーな」


 で、だ。男はまた説明を始める。


「人間から吸血鬼になる奴ももちろんいる」

「純血種とは異なる吸血鬼ってことね」

「そ。ここで登場すんのが、ある地域の伝承」


 生前に吸血鬼に咬まれて死んで、自らも吸血鬼になるというパターン。これが、後から吸血鬼になる場合の正しい事実だということだった。

 生前人間であり、死んで吸血鬼になった者は“準血種じゅんけつしゅ”と呼ばれる。準血種は、人間だった時に自分を噛んだ純血種をあるじとする性質があり、自由ではない。

 それゆえに、吸血鬼に次ぐもの、準血種と呼ばれるのである。


「目を見たり名前を呼んだりすることで、血や生気を吸い取り殺害するって言い伝えがあるらしいけど、咬んで肌に穴を空けてそっから吸血すんのが本当だぜ」

「でもあなた、普通の人間と同じ歯だわ」


 綺麗に並べられた白い歯を眺めて言った。人間となんら変わらない、その長さや形。それでどうやって吸血するのだろうかと疑問に思う。

 すると男は笑った。人間と同じ歯を見せながらその赤い隻眼を細め、瞳に愉悦の色を浮かべて――男は、笑った。


「これが、へーんしん、てやつだ」


 色々な生き物に変身できる。この説の何がバツかと言えば、色々な、の部分に語弊があるからだ。そう。


「吸血鬼は、空腹時以外は人間に化けることができるのさ」

「……っひ、!」


 さっきとはちがう、下歯茎にまで伸びた鋭く恐ろしい犬歯が、突如ちはるの視界に入り込んだ。

 それはとてもでないが非現実的なもので、そうでありながら、確かに自分の目の前に広がる現実だったのだ。


「う、あ……」


 そこでようやく実感した。

 目の前の男は、確かに吸血鬼なのだと。


 先ほどまではなかった牙が、今では口元から勢いよく伸びている。

 目をそらそうとしても入り込んでくる牙。それは人間にはありえないもので、ならばないもので――だが、吸血鬼という生き物にはもので。


「ほらほら、アンタを食う気はないって言ってんだろ。怖がんなって」


 背筋が凍った。確かな死を感じた。

 飄々と笑う彼が、とても恐ろしい存在だった。


「アンタは食わねぇよ。その代わり、今後も会いにくる。だから、俺が来たらちゃーんと窓開けて、かわいい笑顔で出迎えてくれよな」

「あっ、」


 黒い影が、窓から消え去った。赤い瞳が、ようやく体を解放した。

 だが、拭い去れない恐怖感と、思い出す警鐘音。


 去り際に聞こえた彼のセリフを反芻はんすうしながら、まだ混乱しているらしい自分を野放しにしたまま、ちはるは力が抜けたように座り込む。


 広がる波紋はもん、割れたココロ。これがきっと――終わりを告げる始まりだった。

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