第30話 祭のあとで
***
祭りの灯りはまだあちこちに残っていた。このにぎわいだ。夜が明けるまで踊る人も少なからずいるのだろう。けれど、エイラと別れてから、何かが抜け落ちてしまったように胸がすうすうと寂しい。大切な何かを聞き逃してしまったような落ち着かなさが、頭をかき乱す。今日あった山ほどの楽しかったことが、ぐしゃぐしゃにつぶれてしまう気がした。
通りを離れると、灯りはひとつもなくなってしまった。明るさに慣れた目には少々暗い。そして、どうしてか少し怖かった。戦いに身を投じることになってからもう何年も経つというのに闇が怖いなんて、どうかしている。そう思いながら、ひやりとした風に目を閉ざす。完璧な黒の世界の中、声に出して数をかぞえ始めた。
「一、二、三……」
昔は、数えるときに手を繋いでいた。夜に灯りを点す方が少ない貧しい村なのに、幼い自分は闇を恐れた。吸い込まれて、なくなってしまう気がしたのだ。明るい火を見てからだと、より暗い。そう言って泣くと、皆は笑った。けれど、エイラは言ってくれたのだった。
――手を繋ぎましょう。そしたら、あなたはずっと私の隣にいるってわかるわ。吸い込まれたりなんか、絶対しない。
そして、おまじないを教えてくれたのだった。
「……七、八、」
――おまじないです。火を見た後は、暗いところで目をつぶって、十数えるの。一緒に数えましょ。
「……九、十!」
目を開ける。すると、真っ暗だったはずの視界には、月の銀色の灯りに照らされた世界が広がっていた。もう怖くない。ロタは一歩、踏み出した。
今思えば、目が慣れただけだ。でも、幼い自分には魔法のように思えたのだ。エイラがいれば、何も怖くなかった。いじめられた日も、父に殴られた日も、エイラが隣にいてくれたから、丈夫だった。彼らを嫌いにならないでいられた。エイラがかわりに怒ってくれたから、泣くしかできない自分も晴れやかな気持ちになれたのだ。懐かしさに、胸が軋む。
月明かりにぼんやりと浮かび上がる樹の枝の影を踏み越えながら、一歩、また一歩とゆっくり進む。ため息をついた。あんなに楽しかったはずなのに、今はただ心が空っぽに思える。エイラは、何かを隠している。けれど、隠しているその何かを、彼女は上手に隠してしまった――見ようとしても、見えないところに。
その時、後ろから声が聞こえた。
「……ロタか?」
振り返ると、背の高い人影が、親しげに手を振りながら駆けてくる。
「フレック!」
「やっぱりお前か」
フレックは隣に並んだところで足を緩め、笑み混じりの声で言った。
「いやに着飾ってるから、最初は誰かと思ったぜ」
「……やっぱり、変かな」
月明かりに照らされたクナッドは、白い刺繍がうっすらと浮かびやはり美しい。けれど男物の服か鎧かでしか会ったことのないフレックの前では、少し気恥ずかしいのも確かだった。ちらりと表情を伺うと、フレックは思ったより優しく笑っていた。
「変じゃねえよ。似合ってる。お前もやっぱり女なんだなぁ」
ほっとするのと同時に、すこし後ろ暗いような気持ちになる。では今、自分は女でしかないのか。丸みのない身体で、梳くほど長い髪もなく、刺繍針の代わりに剣を握った自分に、女である価値はきっとあまりない。恐る恐る隣を伺うと、フレックはこちらの視線に気づいて笑いかけてくれた。少し心配そうに付け加える。
「どした。花祭の後だってのに、冴えない顔して。嬢ちゃんと一緒に回ったんだろ?」
「……うん」
「なんか、あったのか?」
首を横に振る。
「エイラさんは、とっても優しかったし、夢じゃないかってくらい楽しかったよ。けど、なんだか、」
胸の真ん中に手を当て、ぎゅっと握る。
「このへんが、つらいんだ。ひとりぼっちとか、寒いみたいな、そんな感じ。……エイラさんは、何も教えてくれない」
言ってしまうと、余計寂しさがこみ上げた。そう、ひとりでいるときのような寒さが胸に残っているのだ。そしてそれは、自分のものではなく彼女の心かもしれない。しばらく、ふたりとも口をきかなかった。銀色の月明かりが、柔らかな新芽を包んでいる。その光は、出どころの分からない懐かしさを呼び起こした。
「私、怖いの」
「……何がだ」
「エイラさんが、また遠くに行ってしまうような気がして。今度は、私が追いかけたくらいじゃ、絶対に会えないようなところに」
また会えた。それで良かったはずなのに、もっともっと、いつまでも、彼女と一緒にいたいと願ってしまう。フレックはしばらく黙っていたが、ぽつりと声を発した。
「お前らがどういう関係なのか、俺にはまだいまひとつわかんねえけど。ロタ、お前、こないだの聖戦の後、あいつが傷病者棟に来たの覚えてるか?」
「え? うん、エイラさんが泣いて、」
「あれ、おれどこかで見たことがあるような気がしてたんだよな。……で、今思いあたった。あれは、俺が怪我をした時の弟の顔とそっくりだった。お前にとっては、エイラは特別な友達かもしれない。けど、あいつにとっては、お前は家族なんだよ、多分。で、家族っていうのは、たまにわけわからねえ無茶をする」
フレックは、ぽつぽつと語った。一歩ごとに、その言葉を飲み込んでいく。
「……家族」
父の顔が頭をよぎった。父のために、何でもするつもりでいた。けれど、自分は逃げ出したではないか。
「俺んちな、でけえんだ。兄弟が何人もいる。みんな男。それで、家を継ぐわけでもない俺はこうやって好き勝手してるわけだが。家族だからって、全員が全員大切なわけじゃねえ。何人かの兄貴はかなり嫌いだし、親父もそんなに好きじゃない。けど、弟は……弟は大切だった」
家族のことを話すフレックを見るのは初めてだった。少し驚いたが、彼の声の温かさはこわばった気持ちをほぐす。
「なんでも俺の真似をして、でものろまで、すげえ優しかった。虫を助けたり、鶏潰す度に泣いたり。あいつが泣いてると俺もつらいし、傷つけば苦しい。あいつは、俺にとってちゃんと家族だったんだって思うんだ。あいつのためなら何だってできた。
お前はきっと嬢ちゃんにとってそういうもんなんだろ。うまく言えねえけど」
フレックが照れくさそうに笑う。
「だから、嬢ちゃんが無茶しそうになったら、止めてやれ。それでいいと思うぜ。お前が元気ないのはこっちが困る」
「……うん」
「止めるやつが必要なんだから、次の聖戦も絶対死ぬんじゃねえぞ。お前のこと心配してんのは嬢ちゃんだけじゃねえからな」
「え?」
首をかしげると、フレックは大げさにため息をついた。
「……やれやれ、無茶する奴と組むと大変だ」
こちらを見てニヤニヤと笑う友に、顔をしかめてみせる。
「ええっ、私のことなの? 私はフレックが心配だよ、わりとそそっかしいから」
「はあ? お前に言われたくないね!」
「剣の腕だけ言ったら、私と互角くらいじゃない?」
「む、確かに」
そう言って黙ったフレックを見ていたら、くつくつと笑いがこみ上げた。心が空っぽの寂しさは、いつの間にか何処かへと消えてしまったらしい。
「それよりお前、今日何してたんだ?」
フレックが剣の腕から話を変えたがっているのに気付き、仕方なく話を合わせてやる。
「お花を買って、お酒飲んで、踊った」
「つっまんねえ説明してんじゃねえぞ。俺のほうがまだ可愛らしく言えるね」
「じゃあフレックは何したんだ」
「踊って、酒飲んで、花買った」
「おんなじじゃないか!……ねえ、誰と行ったの?」
「あー、俺は一人で行くつもりだったんだが、あのチビと偶然会っちまってな、お守りしてやったんだぜ」
ため息をつきながら鼻の頭をかくフレックを見て、興味が頭をもたげる。
「ねえそれって……もしかしてハイケのこと?」
フレックは言葉に込めた期待には気づかない様子で、面倒くさそうに口を開いた。
「そうそう。あっちだこっちだ、うっさいのなんの」
最初はあんなに怖がられていたのに、ハイケはもうすっかり懐いたようだ。小さなハイケにあちらこちらと引きずり回されるフレックのことを想像したら、思わず吹き出し、そのまま笑いが止まらなくなってしまった。
「くっそぉ、他人事だと思って……」
唸るフレックを笑いながら、ロタは思い直した。やはり、今日は素晴らしい一日だったのだと。
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