第3章 ふたりの日々

第19話 夢と現の間で

 眠り方を忘れてしまったようだ。休みない痛みに、歯を食いしばって耐える。熱いような、寒いような不快感が背を走る。息を吸うとひゅうと嫌な音がした。それでも、ロタの身体は生きていた。開け放した窓から入る冷たい空気が、吸い込む度に胸の内側に染みこんでいく。


 焼けつく痛みを忘れてまた眠りにつけたらどれほどいいだろうか。けれど、一度目を覚ましてしまったことを、後悔してはいなかった。


「眠れないのか」


 明滅する視界を声の方に向ければ、そこには苦虫を噛み潰したような顔のフレックがいた。


「……エイラさんは、」


「高位騎士の宿舎に送ってきた」


「ありがとう」


「すっげーな、ありゃシェズの時代の建物か? 宮殿みたいだ」


「ほんと? 見てみたい」


 こわばった顔で、なんとか笑顔を作ろうとする。しかし、また痛みの波が襲ってきて、目をぎゅっと閉じる。フレックが、また大きなため息を付いた。女にだらしなく口調の軽いこの青年が根は優しいことを、ロタはこの聖戦の間に知った。きっと、このため息もその優しさの表れなのだ。


「痛むのか」


 まだ苦々しい声で、彼は言った。案じてくれている。それが嬉しくて、申し訳なかった。横になっているのにぐらぐらと揺れる視界を目蓋で塞ぎ、答える。


「うん」


 フレックの小さなため息が聞こえる。


「でも、お前、生き残ってよかったな」


 痛みとの戦いで疲れきった身体に、言葉が染みこむ。痛い。けれど、生きている。


 生きているから、彼女とまた会えた。


「……泣かせてしまった」


 目を閉じていると、浮かぶのはエイラの涙ばかりだ。取るに足りない下級騎士である自分が傷ついただけなのに、彼女は苦しげに泣いた。自分のために、涙をこぼしてくれた。


「死んでたら、もっと泣いたさ」


「そうかも」


 なら、まだ生きなくてはならない。死ねば悲しんでもらえる。泣いてもらえる。その誘惑に負けてはならない。


 窓の外で風が吹いた。冷たい、しかし濃い空気が吹き込み、ロタの前髪を揺らす。額がこそばゆい。けれど今、髪をかきあげるのはひどく億劫なことに思える。そのとき、しばらく黙っていたフレックの声が聞こえた。


「なあ、あの嬢ちゃんはお前の何なんだ?」


 とくりと、鼓動が揺れる。


「……友だち」


「だからなんで最上級の騎士とお前が友だちなんだって聞いてんだよ」


 友、そう一言で済ませてしまってから、それだけでは足りない気がして唇を引き結ぶ。答えられないでいると、フレックはまた大げさにため息をついてみせた。


「お前も、こっちの聞きたいことには答えねえんだよな」


「ごめん」


「まあ、いいけど。……俺はそろそろ戻る。きついだろうが少しは眠れ。目ぇ覚めたっていってもまだそんな状態じゃ死んでもおかしくないんだからな。隊の生き残り、俺一人にするなよ」


 淡々としていながらも、優しさの滲む声音に頬が緩む。


「うん」


 また、息をつく音が聞こえた。申し訳ないような気持ちになりながら、足音が去るのに耳を澄ます。


 話す相手がいなくなると、またあちらこちらから低い呻きが聞こえ始めた。ここまで戻ってきて、それでも命を落とす者はこれから増えるはずだ。


 自分は、生き延びなければ。


 握った手の温もりを思いながら、ロタは意識を手放した。

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