第8話 友情と望みと
「明後日から、部屋を頂けることになったんです」
しばらくして、ロタはぽつりとそう言った。
「……ああ、皇都騎士団の」
「ええ。女だからって、一応、部屋分けてもらって一人部屋です」
少し寂しいと息をつくロタを横目に、心底ほっとする。野蛮な下級騎士と同じ空間で寝泊まりするなど危険極まりない。
「あの、エイラさん」
「何ですか」
「その袋は?」
にこにこと問われ、飛び上がるように立った。ロタとの時間があまりに優しくて、穏やかで、忘れてしまっていた。
「そ、そろそろ行かなくちゃ」
そう告げて見下ろすと、ロタは一瞬口を引き結んで、再びゆるめた。その唇をそっと開き、澄んだ瞳で問いかける。ざあ、と音がして風が通り抜けた。枯れ葉が、青空に向かって舞い上がる。
「あの……また、会えますか」
ロタの顔から微笑みが失せていた。亜麻色の前髪が揺れ、その下の涼やかな目元に影を落とす。
一体、どう答えるべきなのだろう。できることなら、ロタを忘れ、これまでのように上を目指し続けたい。だが、心はもう元に戻れぬほど乱されてしまっていた。奥歯を噛みしめる。細く息を吐き出しながら、話しだす。
「私は、あなたの覚えているエイラとは違います。ヘディン家の娘として、皇帝の血を引くアスタル様にお仕えする身。下級騎士のあなたとは、住む世界が違うんです」
会ったら言おうと思っていた言葉を連ねた。ロタの眼差しが、淋しげに傾く。
「……そう、ですよね」
「でも」
ロタの言葉にかぶせるように、エイラは言った。
「……この場所なら、誰も知りません」
口が、勝手に動く。
「下級騎士のあなたと、最上級騎士の私が話していても、誰が見ることもありません」
エイラは、もう一度ロタを見た。
「十日後、陽が沈む直前、ここで会いましょう」
***
「遅かったじゃないか」
扉を閉めると、アスタルは机から顔を上げもせず言った。
「申し訳ございません」
「まあいい。……少しは気が晴れたか」
意外に優しい声音に、肩を落とす。やはり、この命令はエイラを思ってのものだったか。この主人は、時折わかりにくい気遣いを見せる。
「……ええ。ありがとうございます」
菓子を袋から出し、用意したばかりの紅茶に添える。アスタルは紅茶の湯気を吸い込むと、美しいカップに口をつけた。菓子を小さく折ると、一欠片を口に放る。
「うん、やはり絶品だな。宮殿に卸してほしいくらいだよ」
愉快げな笑みを見て、緊張が微かにほぐれた。エイラが遅れた訳を怪しんではいないようだ。もしどこに行っていたのかと詰め寄られてしまえば、嘘は付けない。
アスタルは、恐ろしいところのある男だった。穏やかさの仮面の下に、焼けるような野心がぎらついている。何もかも見透かされているのではないかという不安に、何度も襲われた。
しかし、彼がそれだけではないことも、数年仕えるうちにわかってきた。ときどきちらつく理想への情熱と、人を惹きつける魅力が、この男にはある。アスタルに、ついていくべきなのだろう。ロタのことは忘れて、この男にのみ忠誠を捧げるべきなのだ。
――ずっと、会いたかった。
その声音ばかり思い出す自分が、ただただ疎ましかった。
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