『日比月リリィの淫靡なる奇行』(7)尊みの促成栽培
学校が終わると、最近の私たちはいつも駅前のファミレスに集合して作戦会議を行う。
今日もその例にもれず、いま私はファミレスの席につき、パルムを待ちながらコーヒーを飲んでいるところだった。
しばらくしてやってきたパルムは、開口一番にこう言った。
「……今晩も行くからな……ちゃんと予定を空けとけよ」
「行くって、またヤスの夢に?」
「そうだよ。決まってんだろ」
初めて夢に潜入したあの日から、私は毎晩パルムに連れられて、繰り返しヤスの夢へと潜りこむ羽目になっていた。
口では嫌だ嫌だと言うものの、パルムほど考えていることがわかりやすい女の子もそうそういないと思う。
むずむずした口元から八重歯が見えたら、それは笑みを必死に抑えようとしている合図。
昨日の夢でも思い出しているのか、いまもパルムは八重歯をむずむずさせている。
「あのさ、パルム」
「何だよ?」
「そろそろ、リアルでヤスと会ってみたら?」
「……え」
途端に、弱気そうな顔になるパルム。
抱き締めて頬擦りでもしたくなったけれど、私は心を鬼にして話を続ける。
「いつまでも夢ばっかり追ってても仕方ないでしょ? 現実に向き合わないと」
「世知辛い表現するんじゃねえよ! 売れない芸人とかミュージシャンとかがよく言われてるやつだろ、それ!」
「夢の中のヤスといくら仲良くなったって、それはあいつがあんたのことを二次キャラの『サバト』だと思ってるからに過ぎないのよ。ちゃんとパルムとして……一人の女の子として付き合いたいと思わない?」
「つ、付き合うって……」
「いまさらそんなところで照れないでしょ。私たちは、それを目標に協力しているわけでしょ?」
「……そうだけど」
「夜美からヤスを略奪するのよ。それも、できるだけ速やかにね」
だいたい早く仕掛けてもらわないと、私の方がもたないし。
我慢にも限度というものがある。パルムのそばにいればいるほど、私の目に映る彼女はますます魅力を増していく。熟れて明らかに美味しいであろう果実を前に、ずっとお預けをくらっているような状態と言えばわかるだろうか。
「わかったよ……」
もっとごねるかと思っていたパルムは、意外にも私の提案に賛同した。
顔は真っ赤なままだったけれど、その目は決意に満ちている。
「最近……その……あいつの趣味を勉強してるんだ」
「ヤスの?」
「うん。ほら、あいつ夢の中で、女の子のイラストが表紙になってる本の話とかよくするじゃん」
「ラノベのこと?」
「そうそう、それ。特に『しろみん』ってイラストレーターが描いた絵のラノベが、最近のお気に入りって言ってたからさ。それ買って読んでる」
「へえ……!」
つい、きゅんとくる。
パルムってば、もしかして結構尽くすタイプ?
好きな人の好きなものを知りたくなるって、そういうことよね?
自分の趣味に相手を合せるのではなく、自分から合わせようとする姿勢が健気でとてもいじらしい。
はっきり言って、こんな可愛い子はあの二次萌えクソ野郎にはもったいない。
「ラブコメよね? 『
「そう、それ」
「読んでみてどう思った? それ、ラノベの中でも結構人気あるやつだけど」
「ストーリーは面白いと思ったな。巻のラストとか、毎度毎度熱くなるし」
「うん」
「でもキャラがなんかおかしくない? 特に女キャラ全般。こんな都合のいい思考回路の女がいるかよ」
あんたも人のこと言えないけどね。
その言葉は、もちろん言わずに胸に秘めておく。
「アタシだったら、こんな主人公には惚れないなー。優柔不断だし。こいつ、絶対パートナーを幸せにできないタイプだもん」
いや、ヤスだってそう大差ないでしょ。
優柔不断ではないかもしれないけれど、パートナーを幸せにできないだろう点では私が保証書をつけてもいい。何しろ、三次元の女の子に興味がない、と何の臆面もなく言ってのけるようなやつだ。
パルムはカバンをごそごそとやって、『遠江(とおとうみ)十美と尊みのなる木』の最新刊を取り出す。
「あ、でも、この巻の表紙になってるちっちゃい子は可愛いかも。『あまみ』って子なんだけどさ。ほら、ちょっとクロみたいで可愛くない?」
「あんたロリコンなの?」
「ロリコン……? どういう意味、それ?」
「ロリータ・コンプレックス。つまり、小児性愛者の略よ」
「小児性愛……って、ちげえよ! アタシは別に性的に可愛いとか言ってるんじゃねえっつうの! たんに妹みたいで可愛いって、そう言ってんだ!」
パルムはラノベ片手に、慌てふためく。
ロリコンという用語を知らないのも可愛いけれど、知って慌てるのも可愛い。
箱入り娘を開封して取り出すと、とても尊みを感じることがわかった。
「それにそもそも、この子女の子だし。女が女をそういう目で見るわけないだろ」
「そんなことないわよ。男同士の恋愛とか、女同士の恋愛だって普通にあり得るわ。むしろそっちの方がプラトニックで素敵なのよ」
「そうなの?」
「そうよ。異性愛なんて動物の本能に基づいているだけで、同性愛こそより崇高な営みなのよ。こんなの世間の常識よ、常識」
これは僥倖であった。
会話の自然な流れで、パルムの心に種を撒くことができたのだから。あとはそれを芽吹かせ、実をつけるのを促進するだけ。
「ほんと、パルムは世間知らずねえ」
「ま、同性愛は置いといてさ」
しかしパルムは、私の言葉にあまり興味を示さなかったらしい。
彼女はちらりとラノベの表紙を見るや、頬杖をついて大きく息を吐いた。
「アタシ、一人っ子だからなー。こんな『あまみ』みたいな妹がいたらよかったなー」
残念だけれど、ここでがっついてもいいことはない。
私は気持ちを切り替え、パルムの話に乗っかることにした。
「すばらしいわ、パルム。それがラノベの正しい楽しみ方の一つよ」
「はあ?」
「もちろんラノベだけじゃなくて、創作全般にいえることだけどね。現実では満たされない願望を成就できるってのも、創作物の楽しみ方の一つだから」
「夢を見るってことか? 創作の世界で?」
「捉えようによってはそうかもね。だから、ヤスは夢見がちって言ってもいいわ。リアルから目を背けて、二次元世界を偏愛し続けているんだもの」
ぐっと身を乗り出し、真剣な(とパルムに思わせるだけの)目をする。
「ヤスの夢を覚ましてあげるのが、あんたの役目よ。リアルの女の子だっていいものだって、早くわからせてあげなきゃ。ね?」
「……うん。そ、そうだな。アタシは別にあいつのことどうとも思ってないけど、困ってるやつを助けるのはいいことだからな……」
「その意気よ。でも夢のときみたいに、いきなり『お前は奴隷だ!』とか言っちゃダメよ? 非合理さで押し通せる夢と違って、現実にはちゃんとした物事の筋道が求められるんだから」
「どうしたらいいの?」
「ヤスの中でパルムはいまのところ、まだ『夜美のことをいびりにきた先輩』っていうネガティブなイメージが先行しているはずなのよ。だから、まずはちゃんと謝ることね」
「はあ!? なんでアタシが謝らないといけねえんだ!」
「別に本心から謝る必要なんてないわよ。これも全てヤスを落とすためなの。不良が不意に優しい一面を見せたり、将来的に改心したりすると、それだけでぐっと印象がよくなったりするでしょ? 心理学的に、こういうのはゲイン効果っていうんだけど」
「心理学的」
「そうよ。この際、学術的根拠に身を任せなさい。いまのパルムはヤスにとってちょっぴり印象が悪いけど、今後のことを考えるとそれでよかったとすら思えるわ。謝って、改心しましたって言うだけで、ヤスの中のパルム株はうなぎ上りになるから」
「な、なるほど」
簡単に言いくるめられるパルム。
なんだか、わざわざこんな回りくどい方法をしなくても、押せば抱けるような気がしてきた。まあ途中で方向転換するのも何なので、話を続けるけど。
「誰かと普通に話せるような間柄になったら、次に難しいのが共通の話題よ。それがないと、一緒にいて間がもたないから。でもその点、あんたは問題ないわね。ちゃんとヤスと話せる話題を用意してるわけだし」
「ラノベのこと?」
「そうね。あと欲を言えば、深夜アニメとかも見た方がいいわね。ヤスが今期見てるアニメのリストを、あとでラインで送っとくわ」
「わかった。他には?」
「イラストが描ければベストよ、もちろん。あいつが二次キャラに異常に執着してるのはもうわかったでしょ? それを生み出せるイラストレーターは、それだけで崇拝の対象になるんだから」
それを聞いて、パルムは首を傾げた。
「イラストって、夜美がやってるようなやつだよな? あれっていままでも不思議だったんだけど、どうやってるわけ? 紙に描いてスキャンしたりすんの?」
「パソコン用の道具があるのよ。ペンタブっていうんだけどね」
「ふーん……」
「何だったら、ヤスと一緒にそれを買いに行きなさい」
「はあ!?」
目を白黒させるパルム。
「ほんとに絵を描く必要はないのよ。でも、そういうことに興味があるって姿勢を示すだけで、ヤスの食いつきも当然変わってくるから。ポーズよ、ポーズ」
「おこづかいで買えるかな……」
「ひと月にどれくらい貰ってるの?」
というか、おこづかい制なの? まがりなりにも上級サキュバスなんだから、《サキュバス界闇の権力》から支給される毎月の金額もそこそこのはずなんだけど。
とはいえ、パルムは箱入り娘。まだあの母親に通帳を握られているのかもしれない。
ひとしきりおずおずしてから、パルムは気まずそうに口を開く。
「……●●万しかもらってないんだけど」
「●●万しかって……あんた、どんだけ世間知らずなのよ。それだけあれば余裕よ、余裕。十万くらいあったら、わりといいのを買えるはずだから」
言いながら、私はスマホを取り出してヤスに電話をかける。
「どうしたんだよ? 急に……」
「ヤスに予定を入れようと思って。こういうのは、思い立ったが吉日っていうでしょ」
「ばっ……!? てめえ、やめろ! まままだ、心の準備が――」
『……もしもし?』
「――あ、ヤス?」
通話がつながったことを確認してヤスに問いかけると、テーブルの向こうでパルムが両手を使って口を押さえているのがわかった。
そんなことしなくても口は勝手に話し出さないのに、可愛いわね。
『なんだよ?』
「ちょっと私の知り合いがイラストの勉強したいって言ってるんだけど、今度の土日どっちか、空いてない? アキバのショップに一緒にペンタブを見に行って欲しいんだけど」
『何、イラストを!?』
ヤスの空気が変わる。
『イラストレーターの卵か。それは丁重に扱わねばなるまい……』
「でしょ? で、どう? 行けそう?」
『いや、でも俺よりも夜美とかお前の方が詳しいじゃん。なんで俺なわけ?』
「その日、私も夜美も忙しいのよ」
それからしばらく、ヤスは何かを考え込んでいるようだった。
『……その人、絵の才能はありそう?』
「え? いや、まあどうかしらね? デジタル作画は初めてだし……」
デジタルどころか、アナログもさっぱりのはずだけど。
『もし才能のある人だったら、俺のペンタブを譲ってもいい……』
「え、ヤス。あんたペンタブなんて持ってたの?」
『俺は二次元の探究者だぞ? 自分でイラストを描きたいと思っても不自然じゃないだろ。そう思って昔、バイトして買ったやつがあるんだ』
「それを譲るって?」
『ああ、俺には致命的なほどに絵の才能がなかった……でも、俺の遺志を受け継いでくれる人がいるんだったら、これ以上嬉しいことはない』
遺志ってあんた。
『その人に、イラストを描いて持ってきてくれって伝えてくれ。もしそこにイラストの才能を見いだせたら、俺は己のペンタブを譲ろう』
「そしたら、予定の方は大丈夫ってこと?」
『……大丈夫だ。日曜日の昼ごろ、アキバの電気街口で待ってる』
ヤスは感傷的な雰囲気のまま、電話を切った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます