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「なんだと!?」

 赤間が声を荒げる。

『暗号化されていて発信元は辿れないけれどね。どうする?』

「こちらで応答する。回せ」

『了解。必要があれば指示を出してくれ』

 通話が切れ、すぐに雛野のパソコンの画面が切り替わった。

 映っていたのは刹那の顔だった。

「刹那さん!」

 雛野が呼びかけると、刹那はわずかに微笑んだ。刹那らしくない、年齢を感じさせる疲れた笑み。

『つばめちゃん、やっぱり君か』

 それは刹那の声ではなかった。男の低い声——

「拓海さん、ですか」

『久しぶりだね。時に、先ごろからこちらの兵隊の数がすごい勢いで減っているんだが、君の仕業だろ? やってくれたね』

 刹那の顔で、下村拓海が喋っていた。

 顔を出さないのはわずかな情報もこちらに与えないためか。それとも精神的な揺さぶりをかけてきているのか。

「このくらい河童の屁です。観念して柊さんとAWBを返すですよ」

『何を言う、どちらも俺のものだろうに。それにこっちの作戦は大成功だよ。このワームは何しろ威力が高すぎてね。無闇やたらに被害を増やすのは俺の本意ではなかったから、おかげで助かったと礼を言いたいくらいだ。そう、連絡したのは他でもない、君たちに直接謝罪をしたくてね』

「どういう意味だ!?」

 赤間が反応する。

『君は特捜課の赤間課長か。先ほどはどうも。いやなに、君たちはきっとこれから批判にさらされることになるだろうからね。すでに史上最大規模のサイバーテロとして世界中がこの件に注目している。“AWB”の名前とともにだ』

 赤間は唇を噛んだ。

 下村の言うように、Lurkersの出した声明のせいで、この事件の首謀者が下村拓海とAWBであるという報道がすでに世界各国でされていた。当然、「AWBを隠し持っていた日本が同じ過ちを繰り返した」という内容の批判も含まれている。

「それがお前の目的だったというのか?」

『AWBが決して人間の暮らしを豊かにするものではないということがよくわかってもらえただろう。あとは立つ鳥跡を濁さず、俺たちが速やかに退場すればいいだけだ』

「退場? それはどういう——」

『AWBは、生みの親である俺が責任を持って処分する。1と0だけの存在をゼロに帰す、それだけだ』

 下村の言葉に、雛野は愕然とした。

 下村拓海の目的はAWBを己の手に取り戻すことではなく、その逆——この世から消し去ることにあったというのか。

『君たちには申し訳ないと思っているよ。ずいぶんとAWBによくしてくれたようだからね。だが、ここから先は俺たち家族の問題だ、すまんが席を外してくれ』

 思わず画面から目を逸らしてしまう。

 刹那の口がそんな言葉を吐くのを、雛野は正視していられなかった。

「甘えたことをぬかすな。家庭の悩みなら取調室でいくらでも聞いてやるがな、自分の子供を信じて、正しい道を示すのが親の役割ってもんだろうが。貴様のはただの育児放棄だよ」

『説教臭い奴は嫌いなんだ、赤間くん。君を相談相手に選ぶくらいならネットの掲示板にでも書き込んでる方がいくらかマシだよ』

「……柊さんは無事ですか。声を聞かせるです」

『無理だ。あいつは怖いお姉さんにオイタしちゃってね、今は反省中ってところだ。心配しないでも、すべてが終わったらちゃんと解放するさ。息子だからな』

「では刹那さんに代わってください!」

『それもダメだ。もう君たちにできることは何もない、諦めろ……ん? なんだ。まあいい、手短にな』

 声が途切れ、他の人物に代わる気配がする。

『よおアゲハ。元気そうじゃねえか』

 聞こえてきたのは女の声だった。

 赤間が「誰だ」と目で問うが、雛野は反応できずにいた。

 下村と一緒にいるということは、柊翼斗のフレンド『ハミングバード』、そしてLurkersのクラッカーだろう。

 その上、この女は自分を知っている。誰にも言っていない、昔の自分の名前を。

「ハニービー!?」

『覚えててくれてるとは光栄だな』

 赤間が説明しろと言いたげに雛野を肘で突くが、雛野はそれどころではなかった。

 とうの昔に捨てたはずの過去に、追いつかれたのだ

『それにしても、アタシの力作ハニーコームをこの短時間で無力化してくれるとはな。ボスがお前に執着する理由がわかったぜ』

 乱暴な口調に合わせて画面の刹那の顔が歪む。

「ハニーコーム……あのマルウェアの名前ですか」

 動揺を悟られぬよう、かろうじて応答する。

 ハクスタジアで見えたイメージは、まさしくミツバチの巣だった。同じ環境で育った者同士、感覚が近いのか。

「私の作ったワクチン『ハンツマン』は、あなたのハニーコームをベースに改良したものです。おかげさまで迅速な害虫駆除ができたですよ」

『はっ、アシダカグモか。蜂が蜘蛛にやられるとはな。ま、早いとこ戻って来いよ、ボスが待ってるぜ。じゃあな』

「待つです! あなたの他にはいないのですか。“ブラックリスト”の人間は」

『さあ、どうだかねえ』

「ではLurkersは? あなたは今、Lurkersに所属しているのですか」

『なんだお前、アタシのこと嫌いなんじゃなかったのか。そんなに知りてえならよ、今すぐそいつら裏切って来い。お前を連れ戻したとなりゃ、アタシもボスに褒められるしな』

 赤間が自分のスマートフォンを見て、人差し指を一本立てて見せた。雛野が頷く。

「あんな場所に戻るなんてごめんです。あなたこそ、逃げたいというなら手助けしてやってもいいですが」

『ぬかせ……お前、さっきからやけに口が滑らかじゃねえか』

 刹那の顔が疑わしそうに歪んだ。

 しまった、バレたか。

『クラッキングは一流でも演技は大根だな、アゲハ』

 ハニービーの声が遠くなる。数秒後、戻ってきたのは下村拓海の声だった。

『時間稼ぎか? 無駄なことを。悪いがそろそろ切らせてもらう……ん? これは』

 何かに気付いた様子の下村に、雛野は安堵の笑みを浮かべる。

「無駄はそちらですよ、拓海さん」

「今頃気付いてももう遅い」

 赤間が、雛野にも見えるようにスマートフォンを前にかざす。

「私たちの勝ちです」

 スマートフォンの画面には、特捜課のメンバーたちが映っていた。

 全員が何かが書かれたボードを手に持っている。

『5!』

 メンバーが叫ぶ。

「4」

 雛野が受ける——


***


 その数分前、ACT特捜課のオフィス。

『通信? 誰からです』

「AWB。下村拓海からだ」

 怒気のこもった赤間の声と、雛野が息を呑む気配が伝わってくる。それはそうだろう、連絡を受けた自分たちも驚いた。

『こちらで応答する。回せ』

「了解。必要があれば指示を出してくれ」

 電話を切り、AWBからの通信を雛野のパソコンに中継する。

 下村とのやり取りは車の二人に任せるとして、こちらは早く下村のパソコンを乗っ取らなければならない。

「満太、いけそうかい?」

「こんな時くらいケビンって呼んでよ。今、プロキシから突ついてみてる。かなり厳重だけど、俺にかかればこんなの赤子が屁をひるようなもんさ」

「手を捻る、だ。まあそれもどうかと思うが。気付かれたら終わりなんだから慎重にね。できればこの通信が終わる前に成功させたいところだよ」

「任せてよ。メリッサの方はどう?」

「こちらは準備完了だ。このスマホで撮った映像を変換して流すようにしてある。クラックした瞬間に接続すれば目論見通りにいけるはずだ。倉井くん、そっちの準備はどうだい?」

「ええ、楽しいですよ」

「感想を訊いたわけじゃないんだが」

「実は僕こういうの好きなんですよ。ほら、こんなもんでどうでしょう?」

 机に広げた紙に大きな字で何事かを書いていた倉井が得意げに言う。

「どれどれ……まあ、得意と好きは違うからね。ギリギリ読めるからいいか」

 AWBからの通信は、下村拓海から女の声に変わっていた。会話の内容からすると下村の仲間、今回の実行犯であるLurkersの一員だろう。

 赤間のスマートフォンに電話をかける。無言で出た赤間に、なるべく会話を引き延ばすよう伝える。

「突破できた! いつでもいけるよ!」

 満太がガッツポーズとともに叫んだ。

「よし、すぐにやってくれ! 倉井くん、広げて」

「オーライ!」

 雛野たちの時間稼ぎが先方にバレたらしく、今にも通話を切り上げそうな気配だ。

 赤間との電話をテレビ電話に切り替え、自分たちを撮影できるようスマートフォンを壁に設置する。カメラに向けて親指を立てると、画面の向こうの赤間が頷いた。

「乗っ取り成功! 繋げるよ!」

「ようし、それじゃあ皆でカウントダウンだ。つばめちゃんたちにも聞こえるよう、大きな声でいこう」

 三人でそれぞれ紙を掲げ、カメラの前に立つ。

「5!」

「4!」

「3、2、1——」

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