ハクスタジア
一夜
- Normal mode -
001 探偵は無鉄砲
「それで探偵さん、この車はどこに向かってるの?」
「もちろん、犯人のところですよ」
隣の運転席でオンボロのローバーミニを操る少女がそう答える。
無免許運転じゃないかといきなり怒られそうだが、むしろ怒られるだけで済むなら御の字という状況なのだが、先ほどそれを指摘したら「大丈夫です、こう見えて十八越えてるので」と返ってきたのできっと大丈夫。外見や声から受ける印象では明らかに高校二年生の自分より年下としか思えないのだけれども、万が一そうだとしても、彼女に騙された助手席の俺は不問に付されるだろう。むしろ被害者だ。
と自分に言い聞かせるものの、やはり動悸は収まらない。
先ほど「操る」という表現をしたが、これは巧みな運転テクニックを称えているわけではなくて、本当に操作しているのだ。スマホで、まるでレーシングゲームでもしているかのように。
発進してからハンドルなんて一度も握ってないし、アクセルやブレーキを踏むべき彼女の両足はあろうことか座席の上で胡坐をかいている。
「確認だけど、これ、自動運転とかじゃないよね?」
そう質問すると、彼女は鼻で笑った。
「自動運転なんて、敵にクラッキングされたら一巻の終わりですよ。漫画で言うならば一巻で終わりです」
「打ち切りかあ」
あいにく俺は漫画家ではないからその恐ろしさはわからないし、敵に心当たりもない。
彼女は俺の心配など意にも介さない様子で「今日はいい天気ですねえ」などとぼんやり空を見つめている……ちゃんと前を見てください。
ただまあ、今のところ、これがゲームならランキング上位に食い込めそうなほどには綺麗に車線をなぞっているし、事故を起こす可能性は低そうだ。
俺の動悸の原因は、運転手だけではなかった。
そもそも車が苦手なのだ。
別に三半規管が弱いとか密閉空間が怖いとか、女の子に運転させて自分は助手席で置物になっていることに居心地の悪さを感じているというわけではない。俺だって運転できる歳ではないのだし。
トラウマというやつだろうか。嫌な記憶が蘇り、気分が悪くなってしまうのだ。
深呼吸。一つ、二つ。
窓から見上げると、空は今日も灰色だった。“いい天気”、ねえ。
しばらく走った後、ようやく車が停止した。
「着いたです」
それなりに賑わっている駅前の通りだった。人通りも多く、警官に見られないかという心配はあるものの、ようやく解放されたと胸を撫でおろす……が、すぐに次の不安に襲われる。
着いてしまったのだ、物騒な目的地に。
「あのお店ですね」
彼女の視線の先、車道の反対側にあるのは、全国どこにでもある有名なコーヒーチェーンだった。
「あそこに犯人がいるってこと?」
「です」
彼女がスマホの画面を見せてくる。表示されている地図にポイントされているのは確かにその店のようだった。
「でも、どの人だろう。さすがにここからじゃわからないし」
店内を遠目に見た感じ、ほとんどの席が埋まっている。正直どの客も普通の一般人にしか見えず、外から眺めていても判別できそうにない。
「簡単ですよ。こうするんです」
彼女が素早くスマホ上で指を動かすと、『プッ、プッ』と呼び出し音が鳴った。
え、まさか。
「ちゃんと見張ってるですよ。今に自分から名乗り出ますから」
すぐに彼女の言った通りになった。
手前の席に座っていた男性客が、それまでいじっていたスマホを耳に当てたのだ。
『もしもし』
彼女のスマホから不機嫌そうな男の声。彼女がすぐに通話を切ると、店内の男は怪訝そうにスマホの画面を見つめていた。
まさか直接電話をかけるとは。しかし確かにこれではっきりした。
「あの男が犯人で間違いないってことだね。どうする? 警察に電話しようか……」
いや待てよ、110番をするためだけに俺はここまでついてきたのか?という疑問が頭をもたげるのと、彼女が車を飛び出していったのはほぼ同時だった。
迷いのない足取りでてけてけと車道を横切っていく彼女の後ろ姿を呆気にとられながら見守っていた俺は、ワンテンポ遅れて車から飛び降りる。
「ちょっと、探偵さん!?」
しかし時すでに遅し。彼女は意気揚々と店に乗り込んで行き——
「御用です、そこのストーカーさん!」
さながら漫画の名探偵のごとくまっすぐに男を指差し、店中に響きわたるほどの大声で犯人指名をした。
にわかに店内がざわつく。
突然の糾弾に男は青ざめた様子だったが、声の主が年端もいかない少女だと認識したためか、態度を急変させた。
「誰がなんだって? いい加減なこと言ってんじゃねえぞ、おい」
凄みながら立ち上がる。
改めて見ると、けっこう背が高くて体格がいい。喧嘩っぱやいとか血気盛んという風ではないが、怒らせると何をしでかすかわからない、一番敵にしてはいけない危険なタイプに見える。
なのにこの小さな探偵ときたら。
「ネタはあがってるです! 観念しろですよ!」
まったく怯む様子もない。
「あなたは今年の三月から被害女性に付きまとい行為を繰り返した。彼女は耐えかねて引越しをしたですが、それからというもの、彼女のSNSが乗っ取られて覚えのない投稿がされたり、仕事から帰ると部屋の物の配置が変わってたり、果ては彼女のプライベートな写真がネットに流出するという事態にまで至った。すべてあなたの仕業ですね!」
「な、て、適当なことを言うな! めめ名誉挽回で訴えるぞ!」
罪状を公衆の面前で読み上げられた男は、顔を真っ赤に染めてわめき散らす。「名誉棄損」を言い間違えるほど混乱の極みにあるようで、ここからの挽回はもはや難しそうだ。
「適当とは失敬な。探偵は絶対に間違えません。仮に間違えたとして、それはその先にある真相に至るために必要なプロセスでありストーリーを盛り上げるためのフラグです」
またよくわからないことを言い出す。
「黙れ! 人違いだ! 俺がやったって証拠があるのか!?」
いかにも探偵が喜びそうな台詞だなあ、そう思って探偵の顔を見ると、やはりニンマリと口角をあげていた。
彼女の性格が少しずつ読めてきた。
「言ったはずですよ、ネタはあがってると。そこまで聞きたいなら教えてやるですよ。まずあなたは、街中のWi-Fiスポットを利用して、彼女のスマートフォンに不正アプリをインストールさせてバックドアを仕掛けた。まさにこのお店のように、フリーのWi-Fiを提供してるような場所で、ご自分で用意した偽のアクセスポイントに彼女を誘導したのでしょう。それらしい名前にしておけば疑う人は少ないですからね」
彼女の言葉を受けて、周りの客の何人かが慌ててスマホを取り出した。カウンターにいる店員たちはぽかんとした顔でこちらを見ている。
「いつでもスマホに侵入できるとなれば、彼女のプライバシーなど皆無に等しい。あなたはSNSのアカウントを乗っ取り、スマホのカメラで彼女を盗撮し、GPSで彼女の新居を突き止め、スマートキーを複製して彼女の家に侵入した。やりたい放題、さぞ楽しかったことでしょう。ただ残念ながら詰めが甘々だったですね。まさかバレるとは思っていなかったのでしょうが、ログに侵入の痕跡がベッタリ残ってたですよ」
探偵が朗々と推理を披露する間、男は目を白黒させて「あ」とか「う」とか言っていたが、やがて思い出したようにスマホを取り出した。証拠を消そうとでもしたのだろうか、しかしすぐに驚愕の表情を浮かべた。
探偵がふふんと笑う。
「屁をひってから尻をすぼめたって無駄ですよ。あなたのスマホは証拠保全のため、先ほどあなたが絶賛クラッキング中のところをロックさせてもらったです。これぞ秘技、カウンタークラック」
犯行現場を押さえられたら言い逃れはできない。いよいよ追い詰められた男は、わなわなと肩を震わせながら正気を失いかけている目を彼女に向けた。
あれ、これやばくない?
「な、な、な」
「ナナナ? なんです、まだ言い逃れできるなら言ってみるですよ、ほれほれ」
「ちょっと探偵さん、そんなに煽ったらまずいって」
「潔くお縄につくですよ! もう二度と彼女に近づくなです。あなたみたいな卑劣な男はお断りです、ハックユー!です」
「ねえ探偵さん、俺の声聞こえてる?」
どうしよう、探偵が止まらない。
「なん、なん、なんだよお前ら、なんなんなんなんだよおまえら」
不穏な声を漏らしながら、男が自分の鞄から何かを取り出した。近くの女性客が悲鳴を上げる。
抜き身の果物ナイフだった。
果物ナイフ。いつも思うのだけど、果物ナイフって先端が尖っている必要あるのだろうか。携帯性の高さから凶器として使われることが多いように思うし、刺すことができないよう先端は丸めるとか厚くしたらどうだろう。でも結局、代わりに別の道具が使われるだけか。詰まるところ凶器を求める人間にとっては、包丁だろうがバットだろうが漬物石だろうがなんでもいいのだ。道具を生かすも殺すも人次第とは言うけど、殺しに使われる道具ってのは不憫なものだよな。
なんてどうでもいい思案に逃避したくなる、最悪の展開だ。
「んなぁーっ!!」
ナイフを振りかざして男が突進してくる。
探偵に目をやると、彼女もこちらを見ていて目が合った。
探偵がこくりと頷く。
意味は恐らく——「GO」。
自分が何のためにここまで付いてきたのか、いや連れて来られたのか。俺はその時になってようやく理解した。
身を低くして思い切り地面を蹴る。
男の顔がコマ送りで近づいてくる中、俺は頭の片隅で考えていた。
どうしてこんなことに巻き込まれているのだっけ?
俺はただ、平穏な日常を取り戻したかっただけなのに。
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