第二話 チアーズ!

 普通は、一ヶ月もすれば訓練所での生活に慣れるはずさ。軍隊の教練所じゃないんだ。各々の訓練者トレーニーが異なる環境に慣れて日常を作れれば、訓練は終わりみたいなものなんだよ。だが慣れるのが目的の訓練なのに、最初から慣れることを拒否するやつがいる。そういう連中は、一ヶ月どころかその日のうちにギブアップしてしまう。

 志願制なので、訓練生としてここにいたくなければ母星に帰るだけだ。それにいいも悪いもなく、実際に新参者ノービスはどんどん入れ替わっていく。そこは、上部も俺らも折り込み済みだからいいんだ。だが、古参のやつが突如白旗を上げて脱落すると、置いていかれた側は地味ぃに堪える。その日も、俺は地味ぃに堪えていたわけだ。


 食堂で、皿に残った真っ赤な肉汁相手にぶつぶつ愚痴をこぼしていたら、ウォルフが挨拶がわりに突っ込みを入れてきた。


「よう、ブラム。冴えない顔だな」

「しゃあないだろ。ゴズが帰るってよ」

「ええっ?」


 俺の情報は、ウォルフにとって晴天の霹靂だったんだろう。よろけるようにして向かいの椅子に落下。どすん!


「どういう……ことだ?」

「どうもこうもない。もう耐えられないんだとさ」

「何に、だ?」


 俺は両手で丸を作り、それを頭上に掲げた。


「こいつがないことに」


 そう。この訓練所には最初から太陽がない。そういう仕様になっている。


 太陽がゴマ粒ほどにしか見えないところに位置する小惑星を掘削し、その地下深くに熱源を持ち込んで作られているのがこの施設なんだ。太陽からうんと離れているので、暗いだけではなく気温も極度に低い。物理環境っていうのはフリーゼ以上に無慈悲さ。弱い太陽光でもいいから見たいとうかつに地表に出れば、許しを乞う間も無く凍結してあの世行きだ。訓練所に入ったが最後、ここを退所して娑婆に帰らない限りは太陽を拝めないんだよ。

 ここがそういう場所だということは、訓練に参加している全てのメンバーが熟知している。つまり、人工光があれば太陽なしでも耐えられると判断したからこそ、訓練に参加しているわけだ。だがまともなやつほど事前予測がひどく外れ、太陽が恋しくなったストレスで精神のバランスを崩してしまう。きっと、ゴズもそうだったってことなんだろう。


「ううー」


 歯をむき出してうなったウォルフが、納得行かないというようにテーブルに爪を立てて引っ掻いた。


 ぎぎぃ。


「なあ、ブラム。あいつは俺らよりも古い二期生だろ? 最古参もいいとこじゃないか。ここまで踏ん張ったのに、今さらリタイアだあ?」

「ああ。俺も解せんのだが、さっさと離職手続きしちまったんだ」

「むぅ」

「赤ら顔のどこまでも血色のいいやつが、ここしばらくまるで蝋のような顔色だったからな。相当悩んでたんだろ」

「とても、そんな繊細なやつには見えなかったけどなあ」


 ウォルフが何度も激しく首を捻った。気持ちはよくわかる。苦楽を共にしてきた仲間の離脱は、ちゃらちゃらした新入りが尻尾巻いて逃げるのとはわけが違うんだ。離脱の理由が明確でないと、俺たちは見捨てられてしまったような気分になるんだよ。


「辞める時すら本音が出てこないっていうのは……どうにもしんどいな」


 俺の愚痴に、ウォルフが頷いた。


 労多くして功少なし。訓練中も、訓練終了後に赴任しても、結局俺たちが手にできるものは多くないんだ。そこをすっぱり割り切れないと、ここにはいられない。俺たち……いや、少なくとも俺はそいつに納得しているつもりだが、口に出したことはない。俺だけでなく誰もがそうだ。だからこそ、今回のゴズのようなことが起こる。

 もう居られない、もうダメだという脱落の意思は明確に示されても、それがなぜかは説明されないんだ。上部も理由は追求しない。プライベートに関わるからという理由だけではなく、それを聞いたところで誰も何もできないからだ。


 二人揃ってテーブルの上に視線を放り出していたら、通りかかったキャップが俺らをからかった。


「おいおい、いつもは賑やかな君らが黙ってお見合いか? 同性婚は禁じてないが、ネタにされるぞ?」


 いつもはまぜっ返すんだが、ゴズ絡みだったので真面目に切り返した。


「キャップ。俺らはどうしても解せんのです」

「ああ、ゴズのことか」


 心配りが細やかなキャップにしては珍しく、ひどく乾いた口調だった。ウォルフもそれに気付いたんだろう。さっと顔を上げて訊いた。


「あいつはもう発ったんすか?」


 キャップがごつい指を上に向けた。


「ワンフィフティの便で離任したよ。もう向こうに着いてるだろ」

「そうか……」


 ふうっとでかい溜息をついたキャップが、空席にどすんと腰を落とし込むなり唐突に話し始めた。


「君らはよく知っていると思うが、訓練所は刑務所でも軍事教練所でもない。あくまでも共同生活施設であって、ルール違反に対する罰則があっても強制適用できないんだ」

「まさかとは思うんですが、あいつが何かやらかしたんですか?」


 キャップが、きっぱりと肯定する。


「そう。タオの時は説教で済ませたが、ゴズのはそうはいかん」

「げ……」


 あまりに意外。ゴズは、キャップに負けず劣らず温和でおっとりしたやつだったからね。人の目を盗んで何かしでかすようにはとても思えない。要領が悪くて、スローモーだったし。

 絶句していた俺たちに向かって、キャップがたとえ話を始めた。


「君らはバベルの塔の話を知ってるだろ?」

「ええ。神に近づこうとして高い塔を立てた人間は、神にその思い上がりを塔ごと打ち砕かれ、離散させられた」

「ばっちりだ、ウォルフ。じゃあ、もしその件で神がいなかったら塔はどうなる?」


 うーむ……。

 俺らが推論を口に出す前に、遮るようにしてキャップが続きを述べた。


「塔を高くするほど天国に近付けると考えたやつは、何もかもてっぺんに持って行こうとする。どれだけ塔が高くなっても天国に届かないことに絶望したやつは、何もかも放棄して塔を離れる。真逆のアクションが並立するんだ。当然、激しい衝突と混乱が生じる」

「そうか。誰かが全体を統括しないと、倒れないように作り続けることができないの

か」

「だろ? 統括できるやつが本来神さ。それがいないんだから、頭ばかりでかくなり、足元が細って、結局倒れちまうんだよ。じゃあ、塔を倒さないようにするにはどうすればいい?」


 発言しようとした俺を遮って、キャップはウォルフに答えを言わせた。


「塔なんか作らなきゃいいんじゃないすか?」

「当たり。だが、すでに塔はある。そういうわけにいかんだろ?」

「うーん……」


 キャップが俺に目を移す。


「塔がどうしても必要なら、高くし過ぎなければいい。そうするには、無闇に塔をせり上げようとする神気取りのエリートよりも、危ないからもう止めろという愚者が要る。俺の役回りはそんなもんだよ」


 やっぱりな……。


「キャップが引導を渡したんですか?」

「俺の所長っていうポジションは、単なるガイド役だ。レコメンドはするが、それ以上はできない」

「てか、あいつ何をやらかしたんすか?」


 ウォルフがダイレクトに切り込んだ。


「飲酒だ」


 キャップの予想外の回答に、俺もウォルフも揃って言葉を失った。


「そ……んなこと、絶対に不可能でしょ」

「信じられねえ」

「訓練所に必要なものは、事務局で厳選して送ってくる。それらをどう使うかも訓練だからな。当然その中に酒類は含まれていない」

「密輸すか?」

「無理だよ。ここは、領空、亜空間含めて民間船の航行が許可されていない」

「ですよねえ。ゴズは、どっから酒を持ち込んだんすか?」


 キャップが、どうにも情けない表情のまま苦笑いした。


「ゴズには胃が四つある」


 思わずウォルフと顔を見合わせた。ばかげた話だが、俺たちの場合は必ずしもそうじゃないんだよな。


「その四つのうちの一つで酵母を飼っていてな。糖化原料があれば体内醸造できるんだよ」

「うおう!」


 興奮したウォルフが獣化しそうになったので、慌てて肩を押さえつけた。


「落ち着け!」

「あ、すまん。じゃあ、あの赤ら顔は……」

「そう。常時ほろ酔い気分だったということだな」


 俺をぴっと指差したキャップが、短く結論をまとめた。


「糖化しやすい穀類だけだと、発酵が早く進み過ぎて飲酒がすぐにばれる。あいつは野菜をがばがば食うことで発酵の速度を調整していたのさ」

「キャップは最初から気付いてたんですか?」

「もちろんだ。あいつと組んでいたメイズから、すぐ苦情が来たんだよ。酒臭いってね」

「む」

「だが体内発酵なら、ゴズが意図してやってるのか不可抗力なのかの区別がつかん。経過を見るしかなかったんだ」

「うむむ」


 二人して頭を抱えてしまった。キャップが、皿の上に残っていたニンジンの切れ端をひょいと指差した。


「ちょっと前に所内の野菜工場が故障して、今でもまだ稼働してないだろ?」

「ああ、野菜は冷凍加工品ばかりになってますね」


 あ! まさか!


「キャップ。工場は故障したんじゃなく、停止させたんですか?」

「そう」


 真顔になったキャップが、苦い真実を暴いていく。


「ゴズのケースと同じさ。植物工場の稼働停止が故障か故意なのかは、ゴズには分からんだろ?」


 そうか……。


「冷凍物の野菜でも発酵を調節出来ると見くびったゴズだが、加工品はかさがない。胃内の急激なアルコール発酵にブレーキをかけられず、血中アルコール濃度が危険値を超えた。急性アル中寸前になったんだ」

「それで真っ青……ってか、真っ白になってたのか」

「ここは重力が小さいから、生理活性物質の作用が強く出る。風紀や依存への悪影響じゃなく、アルコールの身体への直接影響が深刻だから飲酒を禁じてるんだ。警告をつらっと聞き流すからこういうことになる」

「じゃあ」


 俺の前置きのあとを、キャップが丁寧に埋めた。


「ゴズに飲酒事実がない以上、俺はあいつに内規違反だから退去しろとは言えないのさ。それなら、発酵が暴走する恐怖を現実として体感してもらうしかないだろ?」

「ええ」

「現実を是認するか、否定するか。選択は他の退去者と同じだよ」


 ゆっくり立ち上がったキャップが、背中を向けて寂しそうに笑った。


「まあ、ゴズにとっては酒こそが太陽だ。宵のうちから堂々と飲めるところの方がずっと幸せだろう。それに比べりゃ、外観による差別なんざ大したこっちゃないよ。俺はそう思う」


◇ ◇ ◇


 さっきのバベルの塔の話は、ひどく示唆的だった。


 ゴズの飲酒はあくまでもゴズ自身の問題であって、本来俺たち個々には影響しないはず。だが、禁じられているアルコール摂取を堂々とやらかすやつがいれば、それに対する不満が凝集して、対極に神を作ってしまいかねない。キャップの懸念は、まさにそこにあったんだろう。

 訓練所という塔に神を登場させない。それによって崩壊を防ぐ。キャップの対応は、控えめながら実に的確だった。当のゴズは、神になるつもりも神に罰されるつもりもなかっただろうに。なんて皮肉なこった。

 だが、ここでは異端者の粒が揃っている。ゴズのような抜け作がごろごろしていて、恐ろしく冷静沈着なキャップの方が少数派なんだよ。ゴズと大差ない単細胞の俺たちは、訓練所にいる間もそこから出た後も、塔のどこかで神を探すか神を呪い続けるんだろう。どえらくばかばかしいことだと思うが。


 腕組みして考え込んでいたら、ウォルフが俺の前に置かれていたワイングラスを見咎めた。


「ブラム。おまえも酒を飲んでるんじゃないだろな」

「あほ。ここじゃ、手に入らんて」

「じゃあ、それはなんだ? トマトジュースには見えんぞ」

「スッポンの生き血だよ。精がつく」

「げ」


 俺は、惜別の情を込めて高々とグラスを掲げた。


「ゴズ! しっかり飲んで、元気に暮らせ。チアーズ!」



【第二話 了】


 お題:蝋、塔、酔い(チャレンジ縛り:同音異義名詞使用)


 BGMはDamien RiceのCheers Darlin'でお楽しみください。

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