第四十八話 縁なき衆生は度し難し

 アントワーヌはフロレンスが踊っているその間、広間の隅に座っているアナの所へ行こうとしていた。その時ある婦人に声を掛けられる。


「貴方さまが青の君と名高いペルティエさまでいらっしゃいますか?」


「はい。名高いかどうかはともかく、アントワーヌ・ペルティエです」


 アメリの母親、フランソワーズ・テリエンだった。アメリの父親亡き後、テリエン伯爵と再婚して彼との間に二人の子供がいるというくらいはアントワーヌも知っていた。


「まあ、噂通り中々の好青年ですこと。私ももう少し若ければねぇ……」


「え? いえいえそんな……本日はお嬢様のご結婚、誠におめでとうございます、テリエン伯爵夫人」


 気まずさをどう顔に出さずに切り抜けるか、アントワーヌは頭の中で思考を巡らせた。


「私のことアメリの母親だとご存じなのね。まあね、貴方の歳だと私よりも娘の方が釣り合うわね。あ、娘ってアメリの異父妹のことよ。誰に似たのだか内気で超奥手なの」


 そこで誰かが二人の会話に割り込んできた。


「ママ、何やっているのよ! まさかアントワーヌに色目使っているの? やめてよ、恥ずかしい!」


「あら、今日の主役の花嫁さんがこんな広間の隅に何の用事?」


「だからじゃないの! ママが誰かと話しているなって思ったらアントワーヌじゃないの、おちおち花嫁やってられないわ! 娘の結婚式で男漁りしないでよ!」


「やだわ、私たち世間話していただけなのに」


「どうだか! さあ行くわよ、アントワーヌ。あそこでアナが一人座っているわ」


 アントワーヌはアメリに腕をがっしり掴まれ、にやにや笑っているフランソワーズに軽く会釈をしその場を去ったのだった。




「あら、アントワーヌにアメリまで。アントワーヌ、フロレンスさまが一旦ダンスを始めたら長くなるわよ」


「ええ、僕も一曲踊りましたし。アナさんはルクレール侯爵と踊りましたか?」


「はい。ここ広間の隅でほんの少しだけね」


「私はお祖父さまにお義父さま、一通り踊ったわ」


「アメリさん、お疲れではないですか? こちらに座って下さい」


 アントワーヌはアナの隣に椅子を持ってきた。


「ええ、流石に疲れたわ、ありがとう。ねえアントワーヌ、初めて私たちが会った時の事覚えている?」


「はい、よく覚えていますよ」


「あの時私はまだ医療塔の寝台の上に起き上るのもやっとで、身も心もボロボロだったわ。今日のこの日が迎えられるなんて思ってもいなかったのよ」


「実は僕もです。あの頃、就職したばかりで僕はフロレンス様を助けるためにどうすればいいかも分からず、まるで出口のない迷宮の中を彷徨っているような気がしていました」


「そうね。貴方たちは長かったわよね、ここまで来るまで」


「本当に良かったですね。おめでとうございます、お二人共」


「そう言うアナ、貴女もね。私が医療塔を出てすぐ、王都銀行の前で貴女に会ったのよね。一年ちょっとの短期間に婚約結婚妊娠、ボルデュック領も再建、貴女たちはあっという間に大団円ね!」


「アナさんも沢山苦労されたから、お幸せになれて僕も嬉しいですよ」


 アントワーヌはアナにウィンクをしてみせた。その彼の表情を見て、アントワーヌは自分の秘密を全部知っているのだ、とアナはつくづく思い知った。


「王都銀行と言えば、アントワーヌ、リュックが貴方からのご祝儀を見て顔を引きつらせていたわよ! お義母さまが下さった手切れ金のこと、まだ気にしているみたいなのよね、彼」


 アントワーヌは当初考えていたとおり、結婚祝いとして王都銀行の小切手を送ったのだった。


「額はそこまで多くないですけどね。でも、あの小切手のお陰で僕はアメリさんともアナさんとも仲良くなれました」


「うふふ、私たち皆これからもっともっと幸せになりましょうね」






 離縁の後、実家に戻っていたフロレンスは一度だけ司法院から証言のため出頭を求められた。事情聴取に当たった係の者は大変恐縮していた。


「国王陛下の義妹に当たられる方に対して大変無礼とは存じますが、一応これも形式で例外は認められませんので……」


 結局彼女が一度もラングロワ領に赴いたことがないのが幸いして、彼女の無罪は即座に証明された。ラングロワと共に捕らえられたケシ栽培等に関わっていた者全員が、ラングロワ元侯爵夫人の顔を知らなかったためでもある。


 息子が捕らえられたとは正に寝耳に水だったラングロワの両親は牢獄の息子に面会に行くが、本人が会うのを拒絶したらしい。彼らの無罪もフロレンス同様明らかであり、すぐに実証された。




 投獄後のラングロワは麻薬の禁断症状に襲われて、弱り切ってしまっていた。元々薬の影響で健康に害もきたしている。昼夜問わず彼の悲痛な叫び声が聞こえ、他の囚人に看守まで発狂しそうになったため、ラングロワは牢獄の地下の独房に隔離される運びとなる。


 隔離独房でうつろな目のラングロワは定まらない視線は宙を泳ぎ、何やらブツブツと呟いていた。


「なんとまあ、落ちぶれたもんだな」


 そこへ音も無く黒い影が現れた。


「だ、誰だお前? その声は……私の屋敷に忍び込んでいたあの二人組の手下の方か……」


「お覚えに与り大変光栄にございます、元侯爵様。まだ半分気は確かなようだな、フン」


「その手にしている物は何だ? もしかして……」


「アンタの屋敷からちょっくら拝借してきた、吸入薬に注射薬、そんでこっちは錠剤か……麻薬だけじゃなくて色々手出してんだな、アンタ」


「それをよこせ! 私の物だ! コソ泥め!」


「正確には王国に没収されている物だがなあ」


「何を、泥棒のくせに! 返せ!」


「国家予算を盗んだ野郎に泥棒呼ばわりされたくねぇよなぁ。俺はアンタの無様ななりを見に来ただけだよ」


「頼む、少しでいい!」


「薬が抜けかかっているときに再び同量ヤリ始めると命に関わるぞ?」


「構わん、くれ! お願いだ、この通りだ!」


「しょうがねえなあ、ほらよ! これだけだぜ」


 ドウジュが鉄格子の隙間から投げ入れた小さな紙の包みにラングロワは凄まじい勢いで飛びついた。そしてブルブル震える手でその包みを開けようとするが、床に半分以上こぼしてしまう。


「ああ、勿体ない!」


 牢獄の石畳の床に這いつくばってこぼれた白い粉を舐めているラングロワにはドウジュは嫌悪を通り越し哀れみの情しか湧かなかった。


「コイツはもう長くねえな……」


 ドウジュは牢獄を後にした。ラングロワが獣のように貪っていたその粉は、昨日アントワーヌの別宅の厨房から持ち出した間者の里秘伝の焼き菓子の素だった。


『ドウジュさま、そこで何をなさっているのです?』


 普段厨房など入ることのないドウジュは、コソコソやっているのをしっかりクレハに咎められたのだった。



***ひとこと***

保存食にも最適、里秘伝の焼き菓子。水または牛乳、卵とお好みで乾燥した果実や木の実を混ぜこみ、一口大に丸め窯で焼いてください。効用としては体と脳に活力が湧きます。中枢神経が抑制され、落ちついた気分と多幸感を味わえて依存性が高いのは、例えばクレハが作ったものをドウジュが食べた場合のみです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る