第二十五話 鹿を追う者は山を見ず
アナはルクレール家で開かれた婚約披露の晩餐会で散々な目に遭ったようだった。まずは赤葡萄酒を引っかけられドレスを汚され、次は酔っ払った男と部屋に二人で閉じ込められた。ドウジュが助けずとも、アナは魔法でドレスの色を変え、酔っ払いは攻撃魔法で退治し、瞬間移動で難を逃れたとアントワーヌは報告を受けた。
「ふうん、アナさんは瞬間移動まで出来るの? それはすごいね……助けが入らなくても自分で切り抜けられたようでまずは良かったけど」
そしてドウジュはアナの行動について調べ上げていたことも告げた。
「もう一つ若にご報告することがございます。アナ・ボルデュック嬢は時々少年の姿に変身して外出しております」
「僕が一人歩きは危険だって言ったから、姿を変えて出かけているのかな?」
「いえ、そうではなくて去年からその姿である飲み屋でピアノ弾きの仕事をしているのです。そこで意外な、しかし当然と言えば当然の人物と接触しております」
ドウジュは何とも言えない呆れ顔で続けた。
「少年姿の時はニッキーと名乗っているのですが、そのニッキー少年は繁華街のイザベルの飲み屋でジェレミー・ルクレール中佐と良く会っているのです。というより中佐の方がニッキーを追いかけ回していると言った方が正しいですね」
「じゃあ、アナさんと中佐はイザベルさんの飲み屋で知り合って婚約したのかな?」
「二人の出会いは間違いなくあの飲み屋と思われますね。しかし少々不審な点があります。飲み屋の帰りのニッキーを時々中佐は送って行くのですが、ニッキーはいつも私たちのこの隠れ家に送らせているのですよ」
「この家に? そう言えばアナさんにはこの隠れ家へ一度来てもらったね。でも中佐はニッキーの正体が自分の婚約者とは知らないのかな?」
「そうなのですよ、若。察しがいいですね。ニッキーはいつもこの家に送られると、扉の錠を魔法で開けて入ってきます。中佐にはいかにもここに住んでいるように見せかけて、彼が去った後に瞬間移動で消えるのです」
「えっ? ドウジュ、ニッキーとアナさんが同一人物だって分かったのはもしかして」
「はい、ニッキー少年が瞬間移動で消えるので、アナ様も同じだと思ってピンときました。ニッキーがこの家に送られて来ていなければ、突き止めるのにもっと時間がかかっていましたよ」
「じゃあ中佐は、正体は知らなくてもニッキーが女の子だと分かっているの? それとも何て言うの、少年好きとかそういう嗜好?」
「さあ? 私も正直その辺りはあまり知りたくないというか……」
「まあ他人事と言ってしまえばそうなのだけど」
「ニッキーは一見美少年ですが知っている者が見たら女ですよ。中佐だって毎回別れ際にあれだけ激しくブチュブチュやっていますから、薄々は分かってるのでは? 全く、最初は流石に私も驚きました。我が家の前で男二人がキスしているのですから!」
「ブチュブチュって、やだよドウジュ、表現が生々しすぎるってば」
アントワーヌは笑いがこらえ切れなかった。と同時にアナとジェレミーの間に感じていた違和感の正体が少しだけ見えた気がした。
「お兄様にルクレール侯爵家の馬車でここに毎回乗り付けられても困るよ。隠れ家の意味がないじゃない。もうこの家も早々に引き払って新しいところに移った方がいいね」
「そうですね。でも資金繰りは大丈夫ですか?」
「誰に聞いてるのさ、ドウジュ?」
「おっしゃる通りです。失礼致しました」
「ねえ、ところで中佐とアナさんとニッキー、これ三角関係って言うのかな?」
「こじれにこじれた両想いですよ」
「もうすぐ結婚するけど、アナさんと中佐。どうするつもりなのだろう。まあ、いいや、興味深い事を教えてくれてありがとう、ドウジュ。あの人の秘密を握れただけで何だか優越感に浸れるね」
「全く、アナ様は姿を変えるわ、自由にあちこち出没しては消えるので、最近やっと尻尾を掴みました。彼女ほど見張るのに手こずったことはありません」
アントワーヌはその言葉にクスっと笑った後、しばらく考え込んでいた。アナは瞬間移動が出来ることからも、彼女の魔力は相当なものだろう。瞬間移動を使えるのは現在サンレオナール王国内では高級魔術師数名しか居ないのである。
「ねえドウジュ、僕たちもアナさんの手を少々お借りできるかもしれないね」
彼は独り言のように呟き、再び考えに
「ドウジュ、まだしばらくはアナさんの身の周りに気を配っていてくれるかな? 結婚式までは気が抜けないよね、いや式が済んでも安心は出来ないよ」
「アナ様のところに新しく入った侍女がおります。まだほんの十五くらいの少女ですが何やら怪しいのです。何かやらかすのではないかと油断はできません。とは言え、私も一挙手一投足見張るわけにもいきませんが……まあ犯人はほとんど割れていますので、すぐに首根っこをとっつかまえてやりますよ」
本人たちの思惑はよそに、アナとジェレミーの結婚式の準備は着々と進んでいた。アントワーヌもジェレミーに招待された。花嫁のアナとも友人であるし、フロレンスに会える数少ない機会を与えてもらえたのである。
彼女を一目見るだけでも良かったが、結局は丁重に断った。昨年のビアンカとクロードの結婚式の時と同じ理由である。フロレンスには会いたいが、一緒にいるところをラングロワや他人に見られたくなかった。アントワーヌはラングロワとは面識がないが、ルクレール家と付き合いがあることも絶対彼には隠しておきたかったのだ。
そしてアナには非常にすまなそうに謝られた。
「ごめんなさい、アントワーヌ。貴方にも是非式に来てもらいたかったのですけど……その、恥ずかしいことに費用は全てルクレール家もちで……どうしても私から貴方を呼びたいとは言い出せなくて」
「お気になさらないで下さい、アナさん。実はルクレール中佐が招待して下さったのですが私自身の都合で辞退させていただいたのです。式には行けませんが、お二人のご結婚は心からお祝いしますよ」
「そう、ルクレールさまが……ありがとう、アントワーヌ」
アントワーヌは経済的援助が理由でアナがルクレール家で肩身の狭い思いをしているのでは、と心配だった。それにお金の問題以前に、アナとジェレミーの間には大きな溝がある。
もうすぐ結婚だというのに、ジェレミーは自分の婚約者だとは知らずニッキー少年を追いかけまわしている。招待客についてもこの二人は話し合っていないのだろうか、大きくすれ違っている。
アントワーヌは二人の結婚式の直前、ドウジュからニッキーはもう現れないだろうという報告を受けた。ジェレミーがニッキーに屋敷の離れに住まないかと持ち掛けたらしい。ニッキーは当然のごとく断りそのまま逃げ、飲み屋の仕事も辞めたとのことだった。
「確かに、アナさんは結婚したらどっちみちもうニッキーとして飲み屋で働けないね。中佐の方だけど、あの人は婚約者や妻が居るのに愛人囲って、なんてそんなマメで器用なことが出来る人じゃないし。それにしても何をやっているのだか、あの三人は……というか二人か」
***ひとこと***
アナとジェレミーの二人はすれ違ったまま結婚してしまうのですね。周りを激しくヤキモキさせる、全くお騒がせなカップルなのです。
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