開かぬ蕾に積もる雪 王国物語4

合間 妹子

遭遇

第一話 一蓮托生

― 王国歴1021年秋


― 王国西部ペルティエ男爵領 




 十歳のアントワーヌ少年はこの日、父親や兄と共にきのこや山菜を山に採集に来ていた。豊かで広い領地を治める彼の父親ペルティエ男爵は領主といっても、こうして家族と共に野山に出かけることの好きな素朴な人間だった。


 しかし、途中できのこを見つけるのに夢中になったアントワーヌは一人はぐれて道に迷ってしまったのである。山の中でやみくもに歩き回って余計疲れて迷ってしまわないよう、努めて自分を落ちつけようとした。


 しばらくすると小雨も降ってきてしまう。耳を澄まして父や兄、家の者が探してないかどうか、雨宿りをしながら待ってみることにした。そろそろ足も疲れてきてそれほど歩けそうにもなかった。


 その時である、彼の耳に誰かの泣き声が聞こえてきたのである。その声がする方へ近付いてみると、子供が居た。足場のほとんどない崖の下で岩にしがみついてすすり泣いている。怪我をしているらしい。見たところアントワーヌと同じくらいの歳か少し上の少年だった。頬や腕をすりむいていた。


「ねえ、そこの君、大丈夫ですか?」


 少年はビクっとしてアントワーヌの方を見上げた。その眼には恐怖と絶望が見て取れた。


「あ……」


「ちょっと待って。今何とか君を引っ張り上げられないか、手段を考えているから」


 しかし彼の居るところからはアントワーヌの背の二倍以上の高さである。アントワーヌは崖の途中から張り出した木の根までそろそろと降りていき、それにぶら下がって少年を引き上げようと試みた。


「怪我は大丈夫? 僕の手につかまってよじ登れるかな?」


 少年はまだ怯えている様子だったが、立ち上がってアントワーヌの手を取ろうと、足場の悪い崖に少し足を掛けて登った。


「もう少しだ、頑張れ」


「は、はい」


 アントワーヌの手が少年のそれをとらえ、少年も懸命によじ登ろうとするが、なかなか上がれず、足元は滑り土が落ちるばかりだった。アントワーヌが木の根を掴んでいる方の手はだんだん痺れて限界近くなっていた。


「く、あと少しなのに」


 雨のせいで濡れていた岩も滑りやすく、少年も必死だったが上がってこられなかった。アントワーヌは右手の感覚が薄れていくのを感じていた。


「ああ……もうダメだ……」


 途端、手が根っこから滑り、二人さらに崖下に転がり落ちてしまった。


 どれくらいたったろう。アントワーヌは痛みで目を覚ました。落ちた衝撃で気を失っていたらしい。少年が心配そうに覗き込んでいる。


「ごめん、君を助けられなかった、あっ、つつつ」


 二人一緒に転がり落ちて少年を庇ったせいで足を打ったようだ。起き上がろうとして激しい痛みに襲われた。


「駄目だ、僕はこの崖を登るどころか歩けそうにもないよ。君の怪我は? 名前は何て言うの? 僕はアントワーヌ」


「……」


 少年は泣きそうな顔で首を横に振った。


「もしかして……君は間者の里の子なんだね」


 アントワーヌは彼の身なりを見た時に気付いていた。ペルティエ領の町人にも西部の異国から来る旅人にも見えなかったのである。


 袖の幅が広く、ボタンはなく左右の身頃は重ねて腰のところの紐で縛った茶色の上着の様なものを着ていた。下は同色の細めのズボンに、藁で編んだ履き物だった。


「え、知っているのですか?」


「少しだけね。でも里出身の人に実際に会ったことはなかったよ、今まで」


「……」


「下界の人間とあまり口を効いてはいけないのかもしれないけど、お願いだ。怪我の痛みで気が遠くなってしまいそうだ。何でもいいからおしゃべりして、僕の気を紛らわせてくれないかな?」


「貴方が気を失っている時にフィドーが僕たちを見つけてくれたから、きっとすぐ助けを呼んで戻って来ると思います」


「フィドーって?」


「僕らの犬です」


「自分の名前は言えなくても、犬の名前はいいの? 変なの。君だって適当に嘘の名前でも言えばいいのに」


「あ、そうでした」


「僕は麓の町に住んでいるのだけど、今日は家族できのこ狩りに来て僕だけはぐれてしまって……今頃皆心配しているだろうな……」


「怪我、大丈夫ですか? 血も出ていますし」


「何か、変な感じに打ったんだ。もしかしたら折れているかもしれない」


 その時、グルルルルという獰猛どうもうな動物の唸り声がし、大きな狼が彼らの方へ近づいてきた。アントワーヌは周りを見回して武器になるような木の枝を探した。少年も同じことを考えていたみたいである。


 しかし、怪我を負った少年二人ではとうてい太刀打ちできるような相手ではなかった。


「泣きっ面に蜂とは正にこのことだよね……」


 アントワーヌは絶望的な気持ちになった。狼は今にも彼らに飛び掛かろうとしていた。まだ身動き出来る少年が木の枝を持ってアントワーヌの前に立ちはだかる。狼が地面を蹴って二人の少年の方へ向かったと同時に、大きな灰色の塊が上から落ちてきて狼の上に覆いかぶさった。


「フィドー!」


 不意を突かれた狼は少しひるんだが、大きな灰色の犬、フィドーに反撃しに出た。しばらく狼とフィドーはくんずほぐれつ戦っていたが、崖の上からザワザワと音がしたかと思うと、弓が飛んできて狼はすぐに仕留められた。


「ああ、助かった」


 少年がそう呟いたのを聞いて、再びアントワーヌは怪我の痛みで気を失った。




***ひとこと***

お待たせしました! 新作連載開始です。今回は打って変わって頭脳明晰、冷静沈着、品行方正なアントワーヌ君が主人公です。しかし、いきなり大変な目に遭ってしまいました。

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