第9話 ピンチと仲直リ

 怯えと驚きがないまぜになった表情をする美和に速人は笑いかける。


「速人? なんでここに……ッ!?」

「それは後だ。今は逃げるぞ」


 美和の拘束を解いて早足で歩き出す。

 そのまま外に出っ張った階段を下ったが、しかし美和に引き止められる。


「エレベーターなら……」

「ダメだ。エレベーターじゃ遅すぎる。階段で――」


 待っている時間がもどかしいし、もし吉田がエレベーターを注意していたら自分たちの居場所を教えるようなものだ。


 だが再び階段を下ろうとした瞬間、下から登ってきた吉田を目が合う。

 速人がいることに驚いていたが、即座にナイフを向けてきた。


「うおッ……!」


 下から突き出されるナイフから美和をかばうようにして避けつつ、階段から廊下へと後退する。

 二度、三度と繰り出されるナイフの動きを注視しつつ四度目の攻撃に合わせてナイフに向けて手を振る。


 すると予期せぬ方向から力が降りかかったことで吉田の手からナイフが離れて地面を転がった。だが、空いた吉田の両手が速人の首を捉える。


「がッ……!」


 隙を突かれて首を掴まれた速人はそのまま地面を背にして倒れこむ。


「どこから湧いたのか知らないが邪魔をした罰だ、死ねッ!」


 馬乗りになった吉田は狂的な笑みを浮かべて手に力を入れ、首にかけられた指がどんどん食いこんでいく。

 息苦しさに焦りと恐怖を覚えながら、速人は吉田との間にたたんだ足を入れ、そして足に思いっきり力を入れて一気に伸ばす。


 吉田の手が強引に首から外れ、その体は慣性の法則に従って後ろへ吹っ飛び、そのまま階段を転げ落ちた。


 絞められた首を押さえて咳き込みながら速人は踊り場に転がる吉田を見たが、意識はあるようで顔をしかめながら身じろぎしているのを目が捉えた。

 二人の取っ組み合いを見ているしかなかった美和が速人に駆け寄ってくる。


「速人、大丈夫?」

「俺のことはいいからこっちだ……。早くッ」


 美和に肩を貸されながら吉田を避けるように再び階段を上っていく。

 そして最終的に辿りついたのはマンションの屋上だった。


「ハァ……ハァ……、大丈夫?」

「あぁ、下ろしてくれ」


 美和に肩を貸された速人は腕を退けると、そのまま地面に座り込む。


 肩で息をしながら目を閉じ、生暖かい地面の感触が気にならないくらい呼吸に意識を集中させる。

 やがて荒かった息はゆっくりといつもの調子を取り戻していく。


「本当に大丈夫?」


 目を開けると、美和もその隣に腰を落ち着けてこちらを見ていた。

 速人は無言で頷いてそれに応じる。


 さっき吉田と戦った直後、発作を起こしかけていた。

 美和と逃げている途中、階段で動けなくなり、肩を貸してもらってここまでやってきたのだ。


「死ぬのかな? 私たち……」


 そんな呟きが聞こえて目を向けると、彼女は膝に顔を埋めて僅かに肩を震わせていた。


 美和の様子に速人は戸惑う。

 いままでこんな弱気な彼女の姿を見たことがなかった。


 吉田が連続誘拐殺人犯であり自分が狙われていたことがショックだったのだろう。

 緊張の糸が切れたことで押さえこんでいた感情が溢れ出したのだ。

 いまだに肩を小刻みに揺らす彼女から視線を外し、体を起こす。


「…………ごめん」

「え?」


 突然の謝罪に美和が顔を上げる。


「俺さ、中学の時にお前と陸上部で一緒だったじゃん。部員とマネージャーで。その時は仲も良かったし、よく話もしてたよな」


 昔を懐かしむように呟く。

 美和は過去を思い出すように数秒間を開けてからコクリと頷く。


「けど、俺がこんな体になって陸上部をやめてから変わっちまった。高校もたまたま同じだったけど、いまじゃ優等生と劣等生。まったく大違いだ。俺はそれを全部自分以外のせいにしてきた」


 速人の独白を美和はただ黙って聞いている。

 誰もいない屋上、青空のもとで異性と語らう。吉田の存在がなければ、それはとても青春を謳歌する学生の姿だろう。


「でもそれは違う。俺はお前を避けてたんだ。陸上以外の生きがいを見つけられないことが恥ずかしくて悔しくて。だからお前と距離を取って自分のみじめさを遠ざけようとした。……いままですまなかった」


 最後にそう締めくくって頭を下げる。


 本心からの言葉だった。


 いままで美和のことを気にしながらも知らぬ存ぜぬのフリをしていた。

 その理由は突き詰めてしまえば、自分をいいように見せたい、カッコがつけたかったというしょうもない見栄でしかない。


 謝罪する速人に対し、美和が口を開く。


「私だって同じだよ。速人が病気って言われて陸上をやめた時、声もかけられなかった。そのあと声をかけようと思ったけど、変わっちゃった速人に会うのが怖かった。側にいてあげれば良かったのに私も逃げたんだ」

「じゃあ、お互い様だな。俺たち」

「……そうだね、本当にそう」


 美和はそう言って速人に合わせるようにして涙で赤くなった目で微笑んだ。

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