第7話 不条理カラノ逃亡

 学校から自宅謹慎を言い渡されて数日。

 速人は両親と共に住んでいるマンションの自室で一人こもっていた。


 カーテンの隙間から差しこむ日の光がとても眩しく感じられる。

 わかっている。こうしてベッドに寝転がって油を売っている暇ではないことは重々承知だ。

 所詮自宅謹慎を食らったところで、昼間の家には人がおらず、夜までずっとその状態が続く。


 普段なら何食わぬ顔で外に出ていくだろう。

 実際、気持ちとしてはいますぐ家から飛び出したいところだったが、生憎それはできなかった。


 というのも、謹慎を喰らってから吉田から抜き打ちで家に電話がかかってくるようになったのだ。


 電話は朝から夕方、ちょうど速人が一人でいる時間帯にかかってくる。抜き打ちなのでいつかかってくるかは分からず、その電話を受け取るために家にいなければならなかったのだ。


 電話をかけてきている吉田からすれば、謹慎中くらいは大人しくしていろという配慮なのだろうが、ただの足枷でしかなかった。

 美和に危険が迫っているというのにここから動けない。


 そのもどかしさを歯がゆく思いつつ、落ち着きなく部屋を歩き回って一日をすごすしかなかった。

 すると机に置いていた携帯から着信音がくる。

 手に取ると、表示されていたのは例の文字化け番号で数秒ほど迷ってから通話ボタンを押した。


「もしもし……」

『俺だ。あれから美和が水商売をしている理由はわかったか?』

「…………」


 電話口からいままでと変わらぬ調子で訊ねてくるMに速人は口をつぐむ。


 ヘマをして停学を喰らったことをなんと言えばいいかわからなかった。

 無言の速人になにかあったことを察したのか、Mが聞いてくる。


『どうかしたのか?』

「…………すまない。アンタに言わなきゃならないことがある」


 そう最初に断ってから、前回の交信の間に起こったことを速人はMに話した。

 Mは速人が話すあいだ黙って聞いていたが、彼が話し終えると苛立った声音で聞かされた内容を要約する。


『……つまりお前は身動きの取れない状況にある。だから美和が犯人の情報を集めることもできない。そういうことだな?……』

「そうだ」

『俺は言ったはずだ。慎重に行動しろと』

「あぁ……」

『その結果が美和に直接水商売の理由をぶつけて、その上写真を撮られて停学を喰らうことか。ふざけるなッ!』


 Mの激昂の声と共に電話口からガシャンと物が壊れるような音が耳を突き抜ける。


「……悪い」

『悪い? それで済まされることじゃないッ。命がかかってるんだぞ』


 速人はそういうしかなかったが、そんな彼をMは攻め立てた。

 その怒りの言葉に速人は何も言わない。


 実際に慎重に動けという指示を無視してしくじったのだ。言い訳のしようがない。

 感情のままに言葉を吐いて一時的に落ち着きを取り戻したのか、電話から再びMの声が聞こえてくる。


『とにかく、いまは犯人にたどり着くことが先だ。お前が集めた情報を教えろ』


 命令口調でそういわれ速人は美和から直接聞いたことをそのまま伝える。


「結論としては美和が水商売をしているのは自分のためで、聞いた限りでは犯人は水商売関係じゃない……と思う」


 自分の得られた情報を話しながら集められた情報の乏しさに自信をなくす。

 犯人が水商売の関係ではないことなど、ほとんど推測に近いものだ。


 そんな速人とは対照的にMは確固たる自信を持った声で応える。


『こっちでも調べてみたが、水商売関係から怪しい人物は浮かんでこなかった。だが、被害者たちの共通点はわかったぞ』

「共通点?」


 おうむ返しで訊ねると、紙をめくるような音を混じってMの声が返ってくる。


『被害者たちの金の収支を調べてみた。すると全員厳しい家庭環境や経済的な状況がよく似てる。それと事件の前にあるボランティア活動に参加していた』

「ボランティア活動……もしかしてそれって後友会っていうところが主催してるやつか」

『どうしてわかった?』


 Mが驚いた様子で聞いてくる。

 なぜもなにも、ついこの前聞いて誘われたばかりの名前だからだ。


「少し前に吉田が誘ってきたもんだから覚えてただけだ。美和は参加するって――」


 そこまで言ってからひとつの可能性が頭のなかに形成される。


「なぁ、ひとつ聞いてもいいか?」

『なんだ?』

「犯人がケガをしてるっていう情報はないか?」


 その言葉に応えるようにゴソゴソと電話の向こうから物音がした。


『あったぞ。資料によると五人目の遺体に犯人のものと思われるDNAが付着してた。付着していたのが被害者の口内だったため、犯人に抵抗したと考えられている。その時はDNAが微量で捜査の手がかりにはなりにくいとして重要視されなかったが、犯人がケガを負っていたのは確かだ』


 Mの言葉に速人は、全ての情報を加味して至ったある結論に気を奪われていた。

 その衝撃は彼が口にした五人目の遺体という存在しない被害者のことを消してしまうほどだ。


「……吉田だ」

『なに?』

「連続誘拐殺人の犯人は……吉田だ」


 自らがたどり着いた結果に息をつまらせる速人に対し、Mは懐疑的な調子で問いかけてくる。


『なぜ吉田だとわかる?』

「アイツは、友人のツテで後友会のボランティアに参加してる。美和もそのボランティアに誘ってた。しかもこの前からアイツの右手には包帯が巻かれてた」


 吉田がボランティア活動に参加しているのは学校内でもかなりの人数が知っていた。


 もしボランティアの場で被害者たちを選んでいたとすれば。それに謎の右手のケガがMのいう五人目の被害者によってつけられたものなのだとすれば辻褄はあう。


『状況証拠だ。それだけで決めつけるのは早すぎる』

「けど調べてみる価値ぐらいはあるだろ」


 速人はいてもたってもいられず部屋着を脱ぎ捨て、手近にあった制服を着てそのまま家を飛び出す。


 強い日差しと夏の気配を感じされる熱気に迎えられながらエレベーターで階下に降りようと足を向けた時、ちょうど向こうからスーツ姿の男性が二人こちらへとやってくるのが見えた。


「三森速人くんだね? 警察の者だ。同級生の名護美和さんが行方不明になっていることで少し話が聞きたい」


 刑事たちの突然の訪問に速人は驚かされたが、同時に美和が行方不明という言葉を聞き逃さなかった。


 吉田の仕業だ。

 速人はそう確信するが、こちらにやってくる刑事たちに妙な威圧感を感じて後ずさる。


『警察か』


 握りしめた携帯からMの声が響く。家から出る際に電話を繋いだまま外へ出てきたのだ。


 しかしこれはチャンスではないかと速人は思う。


 ここで警察に吉田が犯人であることを話せばそれをもとに動いてくれるのではないかと思ったからだ。


『彼らについていくな。容疑者として拘留されている間に美和が死ぬぞ』


 だが考えを読むように電話口からMがそう警告する。


「でも……」

『冷静になれ。決定的証拠がないんだぞ。そんな状態で警察が信じると思うか?』


 Mの言葉に速人は険しい表情で唇をかむ。そして選択する。


「悪いけど、あんたたちと話してるヒマはないんだよ」

「逃げたぞ! 待て!」


 背を向けて逃げだした速人をみて刑事たちは当然とばかりに追いかける。

 生徒、教師からも人望のある人間と不良もどきの自分を比べた時、どちらの話を信じるかは明白だ。


 目指すのはエレベーターではなくこのマンションに設置されている非常階段だ。


『そのまま吉田の家に向かえ。美和が行方不明になったのならアイツの家にいるはずだ』

「別にアンタに言われなくてもそうするよッ! 後には引けないんだからな!」


 電話口に叫びながら非常階段を勢いよく下っていく。


 二人の刑事のうち、年配のほうが携帯で連絡を取り、若いほうの刑事が速人の後を追ってくる。

 なんとか逃げ切れることを願ったが、刑事の方が足が速いようで徐々に駆け下りる音が背後からせまってきた。


 このままでは追いつかれる。

 それを悟った速人は階段を駆け下りるのをやめて、階段に設けられた胸下程度の柵を乗り越えて階段の外側にその身を晒す。地面まではまだ七メートルほどの距離がある。


「勘弁しろよ。こっちは過度な緊張はご法度だってのにッ」


 震えた声で呟きながら速人は柵にかけた手を離す。


 支えを失った体を浮遊感と内臓が持ち上げられるような感覚が襲い、周囲の景色が一瞬遅く見える。

 そして次の瞬間には速人は激痛と衝撃に揺さぶられながら地面に倒れていた。


 刑事たちが唖然とするなかで速人は痛みに苛まれる暇もなく立ち上がり、そのままマンションから逃亡する。


 路地に出て、走りながらふとさっきの会話を思いだして未だ通話状態で繋がったままのMに問うた。


「そういや五人目ってどういうことだッ。連続誘拐殺人の被害者は四人だろ。それになんで四件目の遺体の場所を知ってた?」

『いま聞くことかッ。事件が解決したらいくらでも答えてやるから吉田の家に行け。早く!』

「言ったな。約束しろよ」

『あぁ。だから、美和を頼む……ッ』


 その言葉を最後にMとのブツッと通話が途絶え、速人は走ることに集中する。


 陸上をやっていた頃よりも体力は落ちているが、思っていたほどじゃない。少し胸が苦しいが心臓はまだ持ってくれている。


 まだやれる。

 俺はまだやれるんだ。


 自分に確かめるように速人は路地を走った。

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