第2話  3段重ねの恐怖

さすがは大都会でも指折りの在来線。

ホームも車内もとんでもない混み様だった。

『山手線でも座れたら良いな』なんて思ってたけど、それは世間知らずとしか言いようがない。


ローカル線しか乗ったこと無いから、ここまでの混雑は予想できなかった。

まさか座るどころか、つり革に掴まることすらできないだなんて……。


ーー間もなく、渋谷。渋谷です。


待望の車内アナウンスが聞こえた。

かれこれ池袋からずっとこんな調子だ。

早くも外の空気が恋しくなる。



「ソウタ、渋谷だって。降りなきゃ」


「うん。でもさ、この人たちは退いてくれるかな?」


「その時は『すいません降りまーす』って言うしかないわ」



そうこうしている内に停車して、ドアが開く。

その時、僕たちの不安は杞憂だった事がわかる。

なにせ、全員が降りるんじゃないかってくらい、多数の乗客が出口に殺到したのだ。

降り損ねる心配じゃなくて、押し倒される危険性について話し合うべきだった。



「サヤカ、手をつないで。離ればなれになっちゃう」


「うん。わかった!」



人の流れに翻弄される。

もう前も後ろもわからなくなるほどに、押しやられていく。

これは濁流だ。

大雨の後の用水路のように、凄まじい流れが至るところに生まれている。

大勢が階段を下っていくところなんて、水害そのものに見えた。



「ふぅ、ふぅ。酷い目にあった」


「はぁーー。凄かった。噂以上の人混みだったわね」


「とりあえず駅から出ようか。そこに改札もあるし」


「そうね。気を取り直して、楽しみましょ!」



僕たちの予定ではハチ公前に出るつもりだった。

その前で二人並んで写真をパシャリと撮影したかったけど、人の海を掻き分けて探すほどの度胸は無い。

改札を抜けて表に出ると、そこにも像があった。

何ていうものかは知らない。



「ねぇサヤカ。ここにも像があるけど」


「ほんとだ。でもハチ公じゃないよね。犬じゃないもん」


「どうする? 撮る?」


「うーん。念のため撮っとく?」



とりあえず寄り添って一枚パシャリ。

仕上がりは満面の笑みとはいかず、ちょっとだけぎこちない。



「さてと、どうしようか。お昼ご飯はまだ先で良いよね」


「そうだなぁ。カラオケとか行く?」


「ダーツとかも面白いよ。この前父さんに教えてもらったけど、夢中になっちゃった」


「へぇ、ソウタなら似合うかも。ちょっと寄ってみよっか」


「じゃあ探してみよう」



僕たちは少し辺りを見回してみた。

どこもかしこも人だらけだけど、僕たちの出た方面はいくらかマシだった。

だから道で立ち止まって、田舎者丸出しにキョロキョロ見渡せる。


……が、なかなか見つからない。

ネットで調べようかなと思っていると、サヤカが動きを止めた。

そしてすぐに歓声をあげた。



「ねぇソウタ。アイス屋さんがあるよ! 寄って行こうよ」


「ええ? 別に良いけど、お昼ゴハンが入らなくなっちゃうよ?」


「へーきへーき。食べ盛りなんだから、お菓子くらい大丈夫だってば!」


「わかった。わかったから引っ張らないでよ」



全力の腕引きが痛い。

彼女の頭にはもうアイスの事しか無いんだろう。

ガラス張りで立派な高層ビルや有名なセンター街交差点よりも、こじんまりとした屋台のようなお店を凝視して、視線を外そうとしていない。


今ばかりは何を言っても無駄だろう。

僕はもう観念して、お店のカウンター前にサヤカと並んだ。



「いらっしゃいませー。カップのサイズはどうしますかー?」


「カップの……サイズ?」


「初めてですか失礼しましたー。オーダーの量で3サイズからお願いしまーす。2個までならSサイズ、3から5個はMで、それ以上がLでーす」


「ソウタ先いいよ。私はまだ決めてないから」


「うん。じゃあSサイズで」


「Sサイズー」


「チョコクッキーとソーダで」


「チョコクッキー、ソーダで450円になりまーす」



僕がお金を出すよりもずっと早く、店員のお姉さんはカウンターにカップをおいた。

まるで職人さんみたいに滑らかな動きだ。

代金として千円を手渡す。

お姉さんは右手で紙幣を受け取った瞬間、左手で550円をカウンターに置いた。



「ありがとーございまーす」



すごい。

これが東京なんだ。

東京で生きていくってこういう事なんだ。

僕とはあまりにも体感時間に開きがありすぎる。

都会はおっかないんだね。


そして僕は手のひらサイズのカップを手にしたとき、その盛り付けの丁寧さにも驚いてしまう。

とにかくおっかない、東京!



「すいません、私はMサイズで」


「Mサイズー」



サヤカは僕より多く食べるつもりらしい。

これは週明けに『一キロ太ったぁ!』なんて泣き言を聞くことになりそうだ。



「ええと、ストロベリーマーブルと、高原ヨーグルト」


「マーブルとヨーグルトー」


「それで最後に、チョコミントください」


「……チョコミント!?」


「えっ?」



血相を変えたお姉さんが、勢いよくボタンらしいものを押した。

すると、目の前のお店が勢いよくシャッターを降ろした。


ーーガラガラガラッ!


ここだけじゃない。

周りのビルもあちこちシャッターが降りた。

そして、けたたましく鳴り響く警報。


ーービィィイ! ビィィイ!


何か緊急事態を告げているようだけど、僕たちには見当もつかない。

強盗だの、事故だの、異変は何も起きてはいないんだから。



『チョコミントだってよ……』


「え?」



いつの間にか周りには人だかりが出来ていた。

誰も彼もがこちらを見ている。

駅の中ではどんなに騒いでも見向きをしなかった大都会の通行人が。

何十人……もしかするともっと多くの目が、僕たちを取り囲んでいる。



『マジでオーダーしたの? こんな真っ昼間に?』


『なぁ。警察はまだ来ないのかよ』


『ママぁ。あのおねーちゃん、チョコミントっていってたよぉ』


『コラッ。見ちゃいけません』



言葉の礫(つぶて)が飛んでくる。

的は間違いなく僕たちだ。

憎悪と好奇の入り交じったそれは、心に痛いほどに突き刺さる。


サヤカを背に回す。

すると、僕の手に震える指が絡まってきた。



「ソウタぁ……どうしよう」


「逃げたいけど、こうも囲まれたら動けないな」


「私のせいかな? 私が何か悪いことしちゃったの?」


「そんな訳ないよ! アイスを頼んだだけじゃないか!」



ーーファンファンファン!


パトカーがサイレンを鳴らしてやってきた。

僕は『助かった』という気持ちと『大事になるかも』という2つの気持ちで揺れた。

降りてきたのは普通の警察官、だと思う。

地元のお巡りさんと格好が違うのは、ここが東京だからかもしれない。



「チョコミント派がいるとの通報でやってきました。道を開けてください」


「チョコミント……派?」


「ええと、通報者はあなたで、はい……はい」



いつの間にか外の輪に加わっていた店員さんが、警察の人に耳打ちしている。

話を聞き終わるなり、僕たちに歩み寄ってきた。

そして、力強く腕を掴まれてしまう。



「ちょっと署まできてもらおうか。いいね?」


「……はい」



僕たちの返事はどうあれ連れていくつもりだろう。

すぐにパトカーまで引っ張られていった。


そして僕とサヤカは別々の車輌に乗せられ、連れ去られていった。

車内では僕の左右を屈強な体が塞ぐ。

こうなっては逃げる事なんて不可能だろう。


車窓の向こうは野次馬、高層ビルとその合間に少しだけ覗く青天。

手を伸ばして掴みたくなるような空も、やがて灰色に塗りつぶされていった。

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