ハカセと助手

@nekonohige_37

第1話

 言わずとも判る事ではあるが、物体と呼ばれる物は質量がある、それは物理的な意味合いは当然、精神的な意味合いでも質量を持つ。

 部屋を占領する物体の量が多ければ空間を圧迫し、精神的な意味合いでは息苦しさを覚える物だが、大量の物が押し込められたその空間には不思議と息苦しさは無い。

 それはこの部屋の物のどれもが整理整頓され、自己主張を同調圧力の名の下で押さえている結果であり、その状況を生み出したのはこの部屋でいそいそと片付けに勤しむ小柄な影のおかげだろう。

 ぱっと見の年齢なら大凡十代半ば、成人よりやや低い体てっぺんで大きなリボンの端を揺らす彼女は、ふと傍らで溜息をついた人物の方を振り返る。

 「ハカセ、お仕事終わったの?」

 「いいや、一段落ってやつだな」

 鈴を転がしたような愛らしい声に反応し、部屋の中心に鎮座する椅子に腰掛けた男は、眼鏡のレンズを拭きながら溜息と共に答える。

 「お仕事疲れたら少しだけお昼寝すると良いんだよ」

 「大丈夫大丈夫、君という優秀な助手のおかげでそれほど疲れては無いからね」

 「やった! 褒められちゃった」

 黒を基調としているせいか、何処か喪服の様な印象を持つドレスの下、彼女は大袈裟に喜んでみせ、暗い色調の服とは真逆の明るい笑顔のまま、机の側へと歩み寄る。

 「今日はどんなお仕事なの?」

 「ん? 最近やってるのの続きだよ、アンドロイド用の新しい追加プログラムの開発」

 「スパイル(杭)コード? これって何なの?」

 「その通り、まぁ名前だけじゃ判らないからちゃんと説明すると、アンドロイドが自身や他のアンドロイドを修理したり、アンドロイドの製造を出来なくするプログラムなんだ」

 彼が操作していた端末に浮かび上がるプログラムの名称、その箇所を指さしながら答えた彼に対し、少女は更に問いかける。

 「アンドロイドはお医者さんにもお母さんにもなっちゃ駄目って事?」

 「まぁ人間に例えるならそんなルールだな」

 妙に強烈な一言を呟いた彼女に対し、苦虫を噛み潰した様な表情で答えた彼の横顔を見て、少女は少しだけ身を乗り出して口を開いた。

 「どうして駄目なの?」

 何てことない疑問符、だがその言葉に対して、椅子に腰掛けたままの彼は少しだけ悩んだ後、小さな溜息の後に答えた。

 「あー何て言うかな、一番の目的は人間がアンドロイドに主導権を奪われない様にする為さ。

 極端な話アンドロイドが人間に刃向かわない様にする為の安全策、自分を修理することも仲間を作る事も出来なければ、アンドロイドは数の上では絶対に人間に敵わないだろ?」

 世間的に普及したアンドロイド、その数は人口5人に対して1人の割合でこの世界に溢れている、労働者不足を解消するため、そして減り続ける人口の代用品としてこの世界に増えつつあるアンドロイドに対して、人が自らの立ち位置を懸念するようになったのはごく最近の事であった。

 そんな懸念を払拭するべく製作が進められているスパイルコードではあったが、この少女にとってはその意図がいまいち良く分からないのだろう。

 「アンドロイドは人を傷つけないよ?」

 「まぁそうだな、ロボット工学三原則ってのもあるしな。

 ただ、今よりも技術が進み、アンドロイドが人間のそれと同じ知性を手に入れた結果、アンドロイドが人間の社会にもっと踏み込み、気がつけば音楽、絵画、小説、他にもスポーツや労働、そして恋愛なんて物にも足を踏み入れ、気がつけば人間が持っていた『文化』って物までアンドロイドに奪われてしまう……って事もあるだろ?」

 「うーん……よくわからない」

 「……まぁ今の君じゃそうなるか、これは今後に期待として――兎に角、人はアンドロイドが自分達に取って代わる未来が怖いんだ。

 だから、アンドロイドは自力じゃ増える事が出来ず、あくまでも人間よりも下の立場で有るべきだっていう考えが進められてるのさ」

 頭の上に疑問符を浮かべたまま俯く彼女の頭を撫で、男は思い出したように言葉を付け加える。

 「なんか嫌なこと話して済まなかったが、これはアンドロイドを守る為でもあるんだ」

 「アンドロイドを守る為?」

 「そう、アンドロイドを守る為。

 今のアンドロイドはまだ良いけど、今後プロセッサや人工知能の性能が上がって行った結果、もし仮にアンドロイドが仲間を作ろうと考えた結果、とんでもない事が起きてしまう」

 「アンドロイドが沢山になっちゃうの?」

 小鳥の様に首を傾げた彼女に投げられたのは、真逆の答えだった。

 「いいや、寧ろ全く増えないんだ、どうしてか判るかな?」

 「うーん……よくわからない」

 再び困った様子で俯く彼女に、男は答えた。

 「コンピューターってのは頭が良い分曖昧な事が苦手なんだ。

 つまり、アンドロイドがアンドロイドの設計をしようと考えた途端、今よりももっと優れたアンドロイドの設計に頭がいっぱいになって、そのまま動けなくなってしまうんだ。

 人ってのはどこかで必ず妥協するけど、機械は妥協が出来ないからね、その結果『より高性能な……』ってなって延々と設計段階で前に進めなくなってしまう」

 そう言って男は端末に『10÷3』の式を打ち込みその結果表示される『3.333333333――』の表示に笑みを浮かべる。

 「もしかしたら遠い未来、このプログラムが無いアンドロイドが、自作のアンドロイドを『これじゃ不完全だ』なんて言ってハンマーで壊しては作り直す、そんな未来が来るかも知れないだろ?」

 「うーん……よくわからない」

 「つまりそう言う事だ。

 今の僕の説明を理解しようとしても君は良く分からなかったから、考えるのを意図的に止めて『よくわからない』の言葉一つで疑問に鍵をかけてしまった。

 人間から見るとそれはとても適当な事だけど、アンドロイドにとってはプロセッサの負荷を減らすための重要なプロセスの一つなんだ。

 その延長で生まれたのが今回のプログラムって思えば判りやすくなるかなー」

 「でも知らないままで大丈夫なの?」

 「大丈夫さ、車の構造を知らなくても人は車を操れるし、パソコンの構造だって判らなくても操作はできる。

 会話だって同じさ、言葉の意味が分って無くても、長々と話す相手の言葉を聞いてる振りしながら、時折『へー、そうなんだー』って同じ事繰り返してれば会話は成立するだろ?」

 「へー、そうなの?」

 テンションが上がったのだろう、舌の根も乾かぬ速度で語り始めたハカセの顔を見て少女はそんな定型文を溢す。

 「それに、今のアンドロイドだって大抵会話してるように見えて、殆どは予め組まれた定型文を返すだけの物であって、内容を理解している訳では無い。

 『よくわかりませんでした』の定番の言葉だって、結局はそれらの延長でしか無いわけだ、言葉の意味を理解するでもなく、素直に『わかりません』の一括りにして命令だけを覚えてればそれで機能は果たせるからね。

 要は髪を切るときの美容師の世間話や、アパレルショップの店員が言う『其れ流行ってますよ』の言葉と同じさ」

 「うーん……よくわからない」

 「まぁ今まさに起きてるこれだってそれだな……」

 話に追いつけないのだろう、同じ反応を繰り返すようになった助手の頭から手を離すと、ハカセは小さな溜息をついてから別の話題を持ち上げた。

 「そういや今の時間は?」

 「11時28分だよ」

 「昼前か……」

 自分の腹時計の具合とさほど誤差が無かった事に鼻を鳴らしつつ、彼は立ち上がり壁際にかけてあったコートに手を伸ばす。

 「ここから職場までの途中に旨い飯屋ってあったけ? 途中で飯食っときたくてな」

 「レビュー四つ星のラーメン屋が有るよ、予約入れる?」

 「そうだな、飯食っても会議には間に合うだろ?」

 「会議は13時30分からだから十分間に合うと思う――あと2時間で会議が始まるよ」

 「はいはい判りました、んじゃ行ってくるわ」

 どこか急かすような言葉に応じつつ、男は玄関へと足を進めながら口を開いた。

 「それじゃ行ってきます」

 「行ってらっしゃい、あなたが帰ってくるのを待ってます!」

 無邪気な声でそう答えると、家を出るハカセの背中に手を振って少女は見送り、直ぐに鍵の閉まる音と共に沈黙が訪れる。

 「……」

 そんな室内で、少女は表情を消し、声を発することも無く机の側へと歩み寄ると、机の脇から伸びる充電ケーブルを口に咥えて擬似的な眠りにつくのだった。

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