8
「ガラガラガラ。」
教室のドアを開けて、先生がクラスに入ってきた。授業開始時刻からすでに10分ほどたち、ようやく一限目が始まるようだ。
「遅れて悪かったね。授業の道具を探すのに手間取ってしまってね。皆、席に着くように。授業を始めますよ。おや、別府さんがいないようですが。」
「お腹が痛いみたいで、保健室にいます。」
先生が教室をぐるりと見渡し、別府えにしがいないことに気付き、クラスに質問する。とっさにオレは彼女のことを擁護した。どこにいるのかわからないが、こう言っておけば、一時間目は乗り切れるだろう。ちらっとくそ女を見たが、くそ女はオレの言葉に特に何も言うことはなかった。
「そうですか。それならいいですけど。では、一時間目を始めます。」
授業が始まっても、オレは授業に集中できるはずがなく、授業中はずっと別府えにしのことを考えていた。
結局、別府えにしは一時間目の授業に顔を出さなかった。彼女が教室に戻ってきたのは、一時間目が終わり、先生が教室を出ていった後だった。
今朝のことがなかったかのように、いつも通りに自分の席に着いて、授業の準備を始めた。教科書とノートを机から出しているところに、クラスメイトが次々と話しかける。女子も男子もわらわらと別府えにしの机の周りに集まっていく。ついこの前まで、くそ女に言われて、無視を決め込んでいた女子もたくさんいて、えらい変わりようである。
「別府さんって、見た目と違って、大胆だねえ。」
「でも、よく考えてみたら、こうたろうとちかげよりも、こうたろうと別府さんの方がお似合いかもしれない。」
「そうそう、お似合いだよ。」
別府えにしに話しかけたと思ったら、その内容は想像以上の手の平返しである。人間、現金なものだと思った。オレは、彼女とクラスメイトが話しているのをなんとなしに眺め、会話には参加しなかった。くそ女もオレと同じように会話には参加せず、じっと別府えにしの動向をうかがっていた。
「ええと、ああは言ったけど、実はまだ、中里君には返事をもらっていないの。だから、付き合っていると言うと嘘になっちゃうかな。それに、約束しているの。返事は、テストの後にもらうって。ほら、もうみんなも知っていると思うけど、私、赤点の補習のテストがあるでしょう。そのテスト後。」
別府えにしは、今朝の騒動について弁解を始めた。彼女にしては珍しく饒舌だった。それに対してのクラスメイトの反応を待つ前に、さらに畳みかけるように話し出す。
「ああ、さっきは突然教室から出て言ってごめんなさい。つい、かっとなってしまって、何も考えずに教室を出て行ってしまったの。先生にはなんと説明したらいいかしら。でも、誰も私を探しに来なかったけど、誰か私のことを説明してくれた人がいたのかしら。それだといいんだけど。私の突然の行動がみんなに迷惑をかけてしまったかもしれないと思うと、申し訳ないわ。」
「先生には、こうたろうが、別府さんは具合が悪くなって保健室に言っているって言っていたよ。」
「教室を出ていったのには驚いたけど、それよりも、まだこうたろうから返事をもらっていないことの方が驚いた。」
「別府さんって、おとなしいと思っていたけど、そうじゃないのね。」
一拍遅れて、クラスメイトが別府えにしの言葉に反応を始める。そして、話の矛先はオレに移動する。彼女たちの会話を聞いていれば、当然、オレに回ってくるのは目に見えている。
「別府さんから告白されたんだってね。まだ返事はしてないみたいだけど、本当のところどうなの、こうたろう。」
「こうたろう、お前ってやつは、罪な男だな。クラスの人気ワンツーを独占して、どんな気分だよ。」
別府えにしの周りに集まっていたクラスメイトが、今度はオレのもとに続々と集まってくる。ちらと彼女の方に視線をやると、顔を俯かせていた。身体は小刻みに揺れている。教室を出ていった際に、具合でも悪くなったのだろうか。
「いや、その話はやめよう。そう、付き合うか付き合わないかは彼女の言う通り、テストの点数が出てからだ。そろそろ、授業が始まるぞ。オレの話はいいからさっさと席に着けよ。次の授業、英語だぞ。」
とりあえず、この場をしのぐために、付き合っていることに対しての言及は避けた。そして、次の授業の英語の先生は、時間厳守で有名な先生だ。授業開始前に席を立っているのが見つかると、怒られる。それがわかっているクラスメイトは、しぶしぶと自分の席に戻っていく。
これ以上、クラスメイトに追及されてはたまったものではないが、オレの背中からはものすごい殺意のこもった視線がびしびしと伝わってきた。後ろを振り向きたい気はしたが、それをするのは負けた気がするので、オレが後ろを振り向くことはなかった。視線の正体はわかっていたが、その本人はなぜか会話に混ざることがなかった。それが逆に恐ろしい。
英語の先生は、時間ぴったりにやってきた。二時間目が始まっても、オレは意識を切り替えることができず、またもや別府えにしのことを考えていた。
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