かぶとむし

茶蕎麦

かぶとむし

 もはや自分がここまでかたく、重い理由りゆうはどこにあるのかと、甲虫こうちゅうは思う。


 その身は黒く、そしてなめらかに光沢こうたくびた一種の美。あまりに大げさなそれをまといながら、しかし彼の表情は固く変わらない。

 地の底にて変態へんたいり返して身を固めた後、みつを得ながら繁殖はんしょくする。それが彼の生のあり方だ。そのために、同種はまだしも、目的を同じくする他種に負けるわけにはいけなかった。そのための、よろいのような身体からだ

 その角が人にカブトのようだと言われていることを、彼はたして知っているのだろうか。


 そう、彼はカブトムシ。日の本の国では一等いっとう人気な昆虫こんちゅうにして、樹液じゅえきめぐむしどもの王。

 するどい毒針持つスズメバチに、強いハサミのようなあごを持つクワガタですら、大柄おおがらな彼の身を見て道をゆずる。また、殊更ことさら強靱きょうじんであった彼には同種ですらてきにならなかった。ゆえに、ほとんど無敵むてきである。

 だが、おもてまで硬化こうかしている彼は表情を変えることすら出来ないままに、今やそれを残念に思う。

 彼は自分が幸せなのかがわからない。匹敵ひってきするもののない安全の中の生は、かもしたらつまらなかった。これまでずっと、みつの甘みにしがみつきながら生きるばかり。昂揚こうようなど、固いカブトの内には存在そんざいしなかった。


 だが、その日、身に走った衝撃しょうげきと共に、彼はやっと今までの自分の幸せを知る。


「カブトムシ、みーつけた!」


 それは、彼を十はたてに並べなければ届かないほどの身のたけをしたけものおさなげに笑う人の子の口元にとがった犬歯を見つけて、哀れな昆虫は恐れて逃げようと暴れた。


「あ、こら逃げないでよー……よしっ」


 だが、無敵なはずであったその身は軽々かるがるおさえられ、そうして彼はそのままかごの中に入れられる。


「早く家に持って帰ろー!」


 がしゃりがしゃりと揺れる篭の中で他に閉じ込められていた虫たちと一緒いっしょにもみくちゃにされながら、その甲殻こうかく合成樹脂ごうせいじゅしとのぶつかり合いで傷かせ、かなわない脅威きょうい心底怯おびえながら彼は理解する。


 ああ、何にも足りることなどなかったのだと。続く勝ちに慢心まんしんなんてしなければ良かった。


「ちょうちょだ! 待ってー」


 そしてれるみどり格子こうしの中で、危険にびんで弱いちょうの捕まらなさを、彼は知る。そうして、それをひどうらやましがった。



 勝ってかぶとめよ。そんな言葉を孤高ここうなカブトムシでしかなかった彼はずっと、知らなかったのだった。





 ◎勝って兜の緒を締めよ……成功せいこうしたからといって気をゆるめず、さらに心を引きめろといういましめ。

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かぶとむし 茶蕎麦 @tyasoba

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