第24話

「おはよう。かとちゃん」


所長はかなりの上機嫌である。


「オランダ駐在おめでとう」


人事の通達を見ている。9月1日付けの人事。


8月31日付けの人事で、まきちゃんが退職する事が確かめられた。

一番大事なものが、一番遠くへ行ってしまう気分……。

素直に自分の人事に喜べない。



まきちゃんからメールが入っている。


『遠くにいても、お互いのどんな小さな事もたぐり寄せて、時を大事に重ねていこうね』

『気張らずに歩いているまさ君が好き。まさ君、たくましくなったし』


『私は会社を去るけど、私が誇りに思うようなまさ君になっていってね』


『穏やかにいこう、気をつけようね。愛しすぎる事は、愛せないと同じになるかも……』


真由美



「かとちゃん、早速お祝いだ。一杯やろう」


「はい」


「いいかい、新規事業のキーワードは白地図だ。皆で連携、きちんと選んだ色を塗っていこう」

「君はプロジェクトリーダーだ」

「分かるな、絵付け加減の監査役だ」


「はい」


「車だが、社有車として近日中にAudiが貸与される。今のレンタカーは返却するように」

「中途解約だ。日本人式のお礼を忘れるな」


「ホームステイ先は当面そのままだ」

「遠からずかとちゃんも、いい人を連れてくるだろ。そのときはアムスもいいが、日本人の多いアムステルフェーンや、かとちゃんの好きな花市場のあるアールスメアにでも家を借りたらいい」



久しぶりの地中海レストラン。

所長は笑顔でウゾをたしなんでいた。僕は、相変わらずのシャブリ。


とにかく肉料理のボリュームがすごい。ドライエージングポーク、サーロイン。食べきれない。


「早速来週、トリノとサンレモに向かってもらう。君のプロジェクトメンバーの留学関係のためだ」

「滞在手続きなどの関係で、役所や銀行に出向かなければいけない」

「かとちゃんには面倒をかけるが手伝ってやってくれ」


「分かりました」


「トリノはその後留学生に任せる。サンレモ近郊へは、君がこれからちょくちょく行く事になる。よろしく」


「はい」


トリノへはトリノ空港、サンレモへはニースのコート・ダジュール空港からモナコを通りレンタカーで。天候が良ければ、飛行機の窓からスイスアルプスがられる。神々の屋根、絶景である。


そう、イタリア語はまだ初心者、多少難儀するのは覚悟している。車の運転もトリノ市内中心部などはかなり気をつけなければいけない。


「飛行機の遅延、相手先とのアポの遅延も計算に入れてな」

「俺もトリノでの仕事のアポで三時間待たされたことがある。シエスタの時間感覚だ」

「運転はくれぐれも事故に会わぬよう、起こさぬよう十分注意すること」


「はい、了解です」



食事を終え、


「かとちゃん、Ruthの店に行こうか?」


「いいですよ」


昨日の今日だが……。


二人してシャブリを頼む。


僕が話を切り出した。


「実は今、三人の女の子と関係があって……」


「三人? 皆としてるのか?」


所長は笑う。


「違います。一人は彼女、二人は通りすがりの観光の子です」


所長の単刀直入な言葉は生々しい。


「かとちゃん、青春だ。出来るだけしておけ」

「14の春に帰るすべなし。何人も青春時代には戻れないんだ」


「だから、違うんです。僕が愛してるのは一人です」


所長は笑う。


「甘いだけの危険な恋には落ちるなよ。本当に愛しあっていたら傷つけ合わずにうまくやれ」

「愛という名は綺麗に響くが、傷つく心の舐めあいになったら……、悲しいことだからな」


所長は珍しくバランタインの17年ものをRuthに注文した。


「17年前の自分に帰る。いい香りだ。」

「I was doing a Master's degree……」

(俺が、大学院生の頃だ……)


Ruthがカウンター越しに微笑んでいる。


所長はよく、女性は愛に一途であり、そして、女の子の体と心の快楽は、ゆっくり果てなく育まれていく。そのために男は常に女性に気を配り、エンターテイナーであるべきだ、という。お付き合いも、性の大切さも。


所長は大学院時代に同じ大学の一年下の女性と同棲生活をしていた。いつも何をするにも一緒だったとの事。


しかし、ある時、転がり込むようなスピードで別れてしまったらしい。所長曰く、自身のエンターテイナー失格、過ぎてしまったと言う。


所長は話す、


「激しく燃やし続ける愛というのは、冷たい別れと背中合わせだ」

「過ぎるのはよくない。ほどほどがいい」


所長はロックのバランタインを飲み干した。


「かとちゃん、そろそろ帰ろうか。」


お腹はいっぱいだ、アルコールも十分だけれど……。


「僕は、もう一杯だけワインを飲んだら帰ります。」


「タフだね。わかった」


「女子のお二人様には気をつけてもいいぞ……、少しきな臭い。横やりは出さないけど」



所長が帰ったあと、メールを確認。



おっはー まさ君


『裸で寝てたよ。ご存知通り、まさ君が確認したまんまだよ』

『ホントよ、再確認する?』


『本日は晴天なり。雨も風も何もないよっ』

『まさ君への妄想をたよりに空と風を眺めるよ』


真由美


『P.S.  まさ君がいないときに愛を研ぎ澄まし、まさ君といるときに愛を強くする』

『ポジティブに行こう!』


まきちゃんの心を優しく包み込みたい。離れていて傷つけないように。燃え過ぎないように。


穏やかに。


「Nog een wine, Alsjeblieft」

(もう一杯シャブリ)


「Ja, Alsjeblieft」

(はい、どうぞ)


Ruthは、ワイングラスを丁寧に拭きながら、黙って僕を優しく見つめる。


なんて深くて青い瞳。

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