11 据え膳は残さず食べる主義でな

「お、おばさ……」

「おばさんが不服なら金の亡者とでも呼べばよろしいでありますか?」


 突然の暴言にリリーナが眼を瞬かせて動きを止めている間にカミラがさらに畳みかけた。拳を握りしめ、折角の黒髪美人な顔の頬をひくつかせて。


「リリーナ様がブローディ様と政略結婚だったとは知っております。貴族の女であれば仕方がない事ではあります。多忙だったことは不幸とはいえ、ブローディ様に愛されなかった事は、同じ女として同情するであります」


 言葉とは裏腹にカミラの目は厳しい光を宿していた。


「この男は仕事が大事だったのよ」


 リリーナが青い羽根扇子を広げ口もとを隠し、ぷいと顔を背けた。


「あぁ、その事はすまないと思っている」


 ブローディもこの点は謝罪するしかなかった。仕事のかまけて妻だったリリーナを放っておいたのは事実だ。


「謝ったって時間は戻らないのよ」


 リリーナはブロ-ディを一瞥し、カミラに視線を移した。


「今は騎士団を首になったから時間があるかもしれないけど、いずれ領地の仕事に没頭するわよ」

「もう自分を殺してまで仕事に没頭なぞしねえ」

「そうかしら?」


 ブローディの反論をリリーナは鼻で笑う。そんなリリーナを、カミラはじっと見つめ、観察していた。


「リリーナ様には同情はしますが、貴女を庇う事はできないであります。いえ、逆に軽蔑するであります」

「なっ……」


 真っ直ぐにリリーナを見つめるカミラの黒い瞳は、やはり怒りと湛えていた。その迫力に、文句をつけようとしたリリーナは口を噤んだ。


「貴族の女であれば耐えるのも義務であります。政略結婚で納得はいかない気持ちはわからないでもないでありますが、それはブローディ様も同じでありましょう」


 カミラがすくっとソファから立ち上がり、リリーナを見下ろした。


「貴女は放っておかれたと仰るが、それはブローディ様も同じことであります。多忙で擦り切れそうなのはブローディ様も一緒だったはず。忙しいブローディ様を労る気持ちも、持ってほしかったであります」


 カミラに言いたい放題にされているリリーナはわなわなと青い羽根扇子を震わせている。同意を得られると思っていたあてが外れ、逆に糾弾されてしまっていた。


「あ、貴女なら耐えられるって? 自分が苦しい時も彼を労れるっていうの?」


 声を震わせて憤るリリーナに、カミラは「できるであります」とあっさりと言い切った。


「私はブローディ様の傍にいたいであります。その為には耐える事は耐える所存であります」

「耐えて、何が残るっていうの? 苦労だけで報われないじゃない」

「苦労は、必ず報われるものではないであります。報われない苦労もあるであります」


 カミラは一旦言葉を切った。落ち着かせるように大きく息を吸って口を開く。


「ブローディ様のように、であります」


 カミラの言葉にリリーナは眉を顰めた。理解できないのだろう。


「貴女の、傍にいたいっていう気持ちは一時的なものでしかないわ。きっと後悔することになる。ブローディが死んだら一人ぼっちよ? それともなに、後釜にどこかの男を据えようっての?」


 リリーナがカミラに自分の過去に感じたことを吐露していた。二人の言い合いを聞いていたブローディは言葉一つ一つが胸に刺さり、口をはさめないでいた。情けない事だが、言われた事には自覚があるのだ。


「そんな事はしないであります」


 眦を釣り上げるリリーナに、カミラが少し悲しそうな顔をした。


「リリーナ様はフェーザーリン侯に嫁ぐ時に、一人ぼっちになる未来を考えたでありますか?」

「考えたわよ。爵位をついで悠々自適になれるって。そうじゃなきゃ歳の離れた男になんか嫁がないわよ」


 リリーナの自信満々の言葉に、カミラはもっと悲しい顔になった。


「リリーナ様は可哀想な方でありますね」

「……なによその上から目線。随分と偉そうじゃない」


 声を震わせたリリーナが閉じた羽根扇子をカミラに向けた。


「リリーナ様は男性を好きになったことも好かれたことも無いのでありますね」

「何ですって!」

「わたしはもう十年以上ブローディ様をお慕いしているであります。騎士団にはいってからも七年。ブローディ様が私の気持ちを知らぬそぶりをしていても、その想いは途切れたことはないであります!」

「あなた、ちょっとおかしいわ!」


 狼狽えるリリーナの叫びにちょっと同意してしまったブローディは、心の中でカミラにごめんと謝った。


「おかしいと言われようが、この想いは変わらないであります。貴女はこんな焦がれる想いも知らない可哀想な女性であります」

「く、口だけなら何とでも言えるのよ! ブローディが死んだあと一人残されて、同じことが言えるの?」

「言えるであります」


 カミラがちらっと振り返り、背後のブローディを見てきた。一瞬にっこりと笑みを浮かべ、またリリーナに向き合った。


「わたしは、ブローディ様にいくつか安心をあげる事ができるであります」

「はぁ?」

「一つ、わたしはブローディ様に子供をもうける事が出来るであります。子供の成長という喜びをブローディ様と共に共有できる喜びも、あるであります」


 突然朗々と話し出すカミラに、リリーナが口を開けぽかーんとした。


「二つ。それにより、アジャックス侯爵家を存続させることができるであります。生まれた子が爵位を継ぐまでは、わたしが責任をもって立派な紳士に育てるであります」


 ブローディはカミラが語る言葉を、その背中を見つめながら、聞いた。


「三つ。わたしは必ずブローディ様の後に墓に入るであります。ブローディ様を傍で見送る事ができるであります。ブローディ様、に一人残されるような寂しい思いはさせないのであります」


 言い切ったカミラは、満面の笑みを浮かべた。そしてくるっと振り返り、真っ直ぐにブローディを見つめてくる。少し照れているのか頬を薄らと赤く染め、カミラがゆっくりと口を開く。


「その代り、一緒にいられる短い時間に、沢山の思い出が欲しいであります」


 カミラがあの寝言と同じセリフを、真っ直ぐに見つめてくる黒い瞳で、伝えてきた。ブローディは真意を探るようにじっとカミラを見つめ返す。

 部屋の時間が動きを止め、ブローディとカミラは見つめ合ったまま微動だにしない。


 ――このバカが。


 カミラの想いはしっかりとブローディに届いていた。

 久しく感じなかった心の奥底から湧き上がる熱い流れが身体を駆けめぐり、もう忘れていた感覚が甦って来るのを、実感した。

 潤み始めたカミラの黒い瞳を見て、突き動かされる様にブローディは立ち上がる。


「その思い出ってのは、どれくらいありゃいいんだ?」


 カミラの眼の前に立ったブローディは問う。


「両手いっぱいであります!」


 カミラが嬉しそうに答えた。だがブローディは眉を顰める。


 ――それだけじゃ足りねえだろ。


「それだけで、良いのか?」


 ブローディが再び問うた後にニヤリと笑う。カミラが一瞬困惑の顔を見せたが、その笑みの意味を理解したのか叫ぶ。


「両手に抱えきれないほどの思い出が欲しいであります! 沢山の、沢山の思い出が欲しいであります!」


 ブローディが手を広げて待てば、叫ぶ勢いのままに突貫してきたカミラが力の限り抱き着いてくる。ブローディは猪娘のタックルの様な抱擁によろめきつつ、カミラを抱きしめ返す。

 服越しに感じる主張激しい柔らかいものとその体温。頭をぐりぐりと首筋に擦り付けて自らの縄張りを主張するかカミラの存在。

 どちらもがブローディに激しい独占欲と保護欲を掻き立てる。掻き立てられるままにブローディはゴロゴロと喉を鳴らしマーキングしてくるカミラの耳を甘噛みした。


「ひゃぁぁぁぁ。くすぐったいであります!」


 ブローディが食む度にカミラが情けない声をあげ、ふるふると震えだす。食む感触と髭が当たってこそばゆいのだ。ブローディはその反応が面白くてついつい余計に食む。


「ふあぁんん……」

「あああんたち! 人前で何やってんのよ!」


 カミラの声色に嬌声が混じり始めたところでリリーナが立ち上がり叫んだ。ブローディは耳から口を離し、リリーナの向かい左の口角をあげた。


「かかか帰らせてもらうわ!」

「あぁご自由に。急いで躓くなよ」


 目の前で繰り広げられる破廉恥な光景にあせったのか、リリーナは絨毯に躓きそうになりながらも部屋を出て行った。

 出て行った気配と廊下を走るような間隔で響く甲高い音を聞いて、ブローディはもう一度カミラを抱きしめた。


 ――覚悟決めちまえば、こんなもんか。


 言い得ぬ安堵がブローディの心に満ちてくるのがはっきりと分かる。安心という名の熱がカミラから伝わってくるような気がして、ひしっと抱き締めた。


「嫁はお前以外考えられねえな」

「ぐす、嬉しいで、あります……」


 お互いに力の限り抱き締め合い、存在を感じ合った。だが、しばらくこうしていたい気持ちに蹴りを入れ、ブローディは次なる作戦行動に移った。

 一度カミラの剥がし、左手を腰に回し右手で顎を上に向かせる。火照ったカミラの顔を見て、ブローディはニヤリと笑った。


「……さて邪魔ものは帰ったな」

「ほぇ?」

 

 ブローディの突然の行動に付いていけないのか、カミラが頭のてっぺんから声を出した。

 カミラの潤んだ黒い瞳を捕らえ、ブローディはふっと笑みを浮かべる。

 ブローディの目は狩りをする猛禽類の鋭いそれになっていた。


「我慢した据え膳を、そろそろ頂きたいんだが?」

「は?」


 頭が付いて行かないカミラを他所にブローディは顎を引き寄せ唇を奪った。腰に回した腕に力を籠め、カミラを逃がさないように抱き留める。


「んん~~」


 最初は抵抗していたカミラだがブローディが舌を差し入れた所でぐにゃりと力が抜け枝垂れかかってきた。

 ブローディは強く食むようなキスを繰り返し、満足したころに漸くカミラの唇を開放した。


「ず、ずるいで、あります。正々、堂々なのが、騎士で、あります」


 呼吸も荒く息も絶え絶えなカミラに、ブローディは不敵に笑う。


「正面からの騎士道精神も大事だが、ここぞという時には奇襲もありなんだぞ?」

「き、奇襲は、卑怯でありま……」


 ブローディは反論するカミラの唇を再度蹂躙し、黙らせた。ブローディはカミラの唇に吸いつき、軽く食むように思う存分味わう。唇を開放しれば、カミラの頭はぐったりとブローディにもたれかかってくる。


「ず、ずるいで、あります……」

「攻める手を緩めちゃだめだろ?」

「そ、そんなぁ」


 しっかりと抱いていないと床に崩れてしまいそうなカミラの脇と膝裏に手を差し入れ、一気に持ち上げた。


「さぁて、作戦はまだ絶賛続行中だ」


 カミラをお姫様抱っこしたブローディは部屋の扉へと歩き始める。カミラが慌てて首に手を回してきた。


「ど、どこに行くで、ありますか」

「攻める時は一気果敢と教えたろ?」

「そ、それは……」


 ブローディはそんな事をのたまいながら部屋を出た。部屋を出るとそこには家令が侍女三人を連れ控えていた。二人を見た家令がニッコリと笑みを浮かべる。


「湯浴みのお支度は如何致しましょう?」

「……後だ」

「畏まりました」


 背後からかかる家令の声はどこか嬉しそうな声であったが、ブローディはそれを把握できるほど冷静ではなかった。


「ま、まずは体を綺麗にするのが順序であります!」

「却下だ。お前そのものを味わいたい!」

「へ、変態であります!」

「お前に言われたくはないな」


 ブローディはカミラを横抱きのまま、花が飾られた屋敷の廊下を大股で歩いて行く。


「据え膳は残さず食べる主義でな」


 ふるふるとリスのように震えるカミラに、ブローディは優しく語り掛けた。その内容が優しいかは、また別だが。


「たっぷりと味わいたいんだが」

「そ、その前に、愛のささやきとか、ないのでありますか?」

「そんなもんベッドの上でいくらでもしてやるって」


 ブローディは歩みを止め、カミラの頬に唇を落とす。


「さ、さきが良いであります!」

「攻めるのは得意でも攻められるのには弱いのは変わらねえな」


 ブローディはカミラの耳もとで甘く囁き、仕上げにふっと息をかけた。


「うひゃぁぁぁぁ」


 奇声をあげるカミラの顔から離れブローディは「こっち見ろ」と見つめる。おずおずとカミラが上目遣いで見上げてくると、その可愛さにブローディの眠っていた野生が遠吠えを上げた。

 我慢という首輪が砕け散ってしまった。

 

「食べて、いいか?」


 ブローディの直球な問いに、顔を真っ赤にしたカミラが消え入りそうな声で「め、召し上がれ」と答えてくる。


「当然おかわりも、いいよな?」


 追加の問いに首まで真っ赤なカミラが口をアワアワさせた。そして数秒の沈黙ののち、すこーしだけ首を縦に振った。


「よし、是とみなす」


 再び歩き出したブローディの足は普段の倍は軽やかに動き、廊下をするりと抜けていく。

 普通ならきっちりと閉まっているはずの寝室の扉が、かすかに開いているのを見つけたブローディはつま先で蹴り開けた。


「よおし、城攻めだァ!」

「もう、落ちてるであります!」


 カーテンが降ろされ薄暗い空間に蝋燭が数本灯された、ムード満点に仕上がった寝室に、ブローディは突入していった。





 こっそりとブローディ達の後をつけていた家令は、二人が寝室に入り、すっかり忘れ去られている開け放たれた扉を音もなく閉めた。


「風呂ですが、二、いや三時間後に入れるように用意してください。おそらく二人で一緒に入るでしょうから、のぼせないように誰か見張りを」

「はい」

「運動した後はお腹も空くでしょうから、軽く摘まめるものを大量に作っておいてください」

「はい」

「あぁ、それとエンドーサ男爵様へ作戦成功の使者を送らねばいけませんね」


 背後に控えている侍女に指示をとばした家令は腰を伸ばしトントンと叩く。


「ふぅ、これでわたくしも一息つけそうですな」


 まだ静かな主の寝室の扉を見つめていた家令が皺を増やして微笑んだ。

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