6 近すぎだァ!
翌朝、目をこすり眠そうな顔で馬車から出てきたカミラを見たブローディは、ふぅと安堵の息を漏らした。本能に負けて襲い掛からずに済んだからだ。
「おふぁようでありまーす」
「あぁおはよう。良く寝られたか?」
「ぶろーでぃさまの腕の中だったらもっと良く寝られたでありまふ」
「……まだ夢の中みたいだな」
ぶれないカミラに呆れつつも、ブローディは目覚めの珈琲を用意する。トポトポと木のカップに注ぎ、それをカミラに差し出した。
「ほら、これ飲んで目を覚ませ」
「ありがとうございます。でも、珈琲よりも目覚めのちゅーの方が間違いないであります」
「……しっかり目は覚めてんじゃねえか」
カミラの言動に慣れ始めたブローディはさらりと躱していく。
「食事をしたら出発するぞ。次の街で服を買うついでにゆっくり休もう」
ブローディは焚き火で焼いていた干し肉を齧った。
朝早く出たこともあり、まだ日が頂点に来る前に街に辿り着いた。程よく揺れる馬車の振動にブローディはウトウトしていて気がついていない。
カミラが操る馬車は、さして大きくもない街の入り口を潜り、宿が軒を連ねている辺りにある馬車置場に静かに滑り込んでいく。
カミラは素早く御者席から降り、そっと馬車の戸を開ける。
「ふふ、よく寝てるであります」
馬車の中で背もたれに寄りかかったまま静かに寝息を立てているブローディを見たカミラがほくそ笑む。
首をまわし誰も見ていないことを確認し「コホン」と小さく咳払いして声の調子を整えた。
「だ、旦那様、起きてください、ついたであります」
カミラはブローディが
カミラは紅潮した顔をゆっくり寄せ、ブローディの頬に唇を落とした。
「続きは、正々堂々と勝ち取るであります」
満足そうな笑みを浮かべたカミラがそう呟くと、ゆさゆさとブローディの体を揺すり始めた。
カミラの服を買うために街の衣服店を探している最中に、ばったりと家令に出くわした。屋敷を引き払う手続きが終わり次第ブローディの後を追う事にはなっていたが、野営をしたために追いついてしまったのだ。
「おや旦那様。カミラ様とデートですかな?」
「そうなんであります! ウェディングドレスであります」
声を掛けられたカミラがブローディの腕をガシと抱きしめ、家令に嬉しそうな顔を向けた。
「おぉ、それはそれは」
意味不明なカミラの言葉にも家令は皺を増やして笑顔で答える。
「……違うからな」
眠そうなブローディは欠伸をしながら否定するが、その様子を見た家令が「昨晩はお楽しみであったようで、喜ばしい事です」と明後日の方角に理解を示した。
「嬉し恥ずかしであります!」
「押し倒されたことは認めるが手を出しちゃいねえ」
主張激しい胸を押し付けてくるカミラにブローディは顔を向けると、彼女の頬がにんまりと緩んだ。
「やりました! 既成事実化に成功であります!」
「そんな事実はねえから!」
嬉しさからか両手を天に突き上げるカミラにすかさずブローディは修正を入れる。放っておくと本当に既成事実化しかねなかった。
「旦那様、ご令嬢に押し倒されるなど紳士ではありませんぞ? 正面から押し倒してこそ、紳士ですぞ!」
「意味わかんねえ!」
眉間に皺をよせ、家令が顔を顰めた。それが本気なのか冗談なのか区別がつかないブローディの眉間にも皺がよる。
「どこにそんな野獣じみた紳士がいるんだ……」
「今晩こそは押し倒して奪ってやるであります!」
ブローディの呟きに対しカミラの言葉が斜め上から突き刺さる。
「お前が正々堂々と押し倒してどうする」
「おぉ頼もしい限りです。その調子で御座います」
「……お前ら、ちょっとそこに正座しねえか?」
額に青筋のブローディが腕を組み、背後に黒いオーラの揺らぎを創りだしていた。
カミラの服は無事に購入できた。だが家令も付いてきたことで余計な服まで買うことになった。具体的にはカミラの普段着だ。
ブローディの服は領地に戻れば売るほどある。家令の服はいつもの詰折の黒い服だ。これも同じものが大量にストックされている。
カミラの服がない事は事実だが必要かどうかは別問題だ。
「奥様となる方ですが、お堅い服装ばかりでは肩が凝ってしまいます。動きやすい服こそ、カミラ様にはよくお似合いだと思います」
カミラが着ている服は、騎士服に似たデザインの黒いズボンと詰折のシャツだ。服の質としては騎士が身に着けていてもおかしくないレベルで、悪いものではない。
「動きやすいであります。これならブローディ様をお守りする事もできるであります」
カミラが腕をぶんぶんと振り動きやすさをアピールする度に、主張が激しい胸もブルンブルンと揺れる。主張が激しすぎるのか、今にもシャツを破りそうである。
自然とブローディの視線もそこに注がれる。
「どっちかってーと、カミラが襲われるのを俺が守るべきなんじゃねえのか?」
誘惑しているとしか思えないたわわな動きにブローディはそう言わずにはいられなかった。
ピクっと耳を動かしたカミラの頬が夕焼け色に染まる。
「やった! 女として扱っていただけたであります!」
「前から扱ってるじゃねえか」
「妻へ一歩前進であります!」
「随分と遅い歩みだな」
「あと一歩でゴールであります!」
「近すぎだァ!」
街の往来で大騒ぎしているブローディとカミラは、激しく注目されている事には気が付いていなかった。
家令を加えたブローディ達はアジャックス領へと馬車を走らせていた。明日夕刻にはアジャックス領の屋敷に辿り着くところまで来ていた。
春も終わりの、やや熱のこもった風の中を、カミラが操る馬車は駆けていく。太陽からさらさらと光が差し込んでくる馬車の中でブローディと家令は向き合った。
「先程の街で王都に残しておいた間者から文が届いておりました」
「なんだよ、まだそんな事してんのか。もう王都に戻るつもりなんてねえぞ?」
窓枠に頬杖をついているブローディが不機嫌そうに言う。やっと副騎士団というブラック極まりない職から解放され、これから改めて人生を謳歌しようという時に、いい思い出の無い王都に戻るつもりなど微塵もなかった。
「それは承知しております。が、事はカミラ様にも及んでしまいそうでしたので」
「なんだと?」
家令の言葉にブローディは顔から手を離した。
「どうやらリリーナ様がカミラ様の事を聞きつけたようで、アジャックス領に向かったと、知らせが来ました」
家令はいつもよりも真面目な顔つきで、その瞳には緊張が混ざっている様にも見えた。
ブローディの元妻であるリリーナが後を追うようにしてアジャックス領に向かっているとなれば、その顔も頷けた。
「なんで
「確かに、リリーナ様はまんまとフェザーリン侯爵家を乗っ取ってしまいました。が、あの独占欲の強いお方が旦那様の後妻が決まったと聞きつければ、何かかんやと言いがかりをつけ、あわよくば領地特産の蜂蜜利権に入り込もうとするくらいは考えるでしょう」
ブローディは不愉快に顔を歪め舌打ちをした。カミラの前では見せない表情だ。
「俺に用事ならともかく
「純なカミラ様では押し込まれるのが関の山でしょう」
猪娘のカミラは幼いころから騎士を目指して令嬢らしからぬ生活を送っていたためにお茶会なのどの令嬢いびりを知らずに育っている。純粋過ぎるカミラが百戦錬磨のリリーナにいいように翻弄されてしまうのが簡単に予測できてしまうのだ。
「カミラ様を守って差し上げてください」
家令は床と平行になるまで頭を下げた。
「仕方ねえな。なりゆきだが守ってやるさ」
ブローディは背もたれに寄りかかり面倒くさそうに言う。
「……素直ではないですなぁ」
「あ? 何か言ったか?」
「いえ、カミラ様の想いにきちんと向き合えるのは何時になるのかなと、思っただけで御座います」
ぎろりと目を向けてくる家令に、ブローディはたまらず視線を逃がすのだった。
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