幼子の愛情
細雪きゅくろ
幸せなお葬式
ボクが住んでいた街はどこかおかしいと気づいたのは、何歳の時だっただろうか。最初に見たのは腸を引きずりながらも元気に走っていた犬だ。どう考えてもその血濡れの毛皮の下から腸が出ている。物心がちょうどついた頃だったので、グロいとか気持ち悪いとか、そんな気持ちは起きなかった。ただ不思議で、その時手を繋いでいた母親に訊いた。
「あの犬はどうしてお腹の中をだしているの?」
ちゃんと犬を指さしたつもりだったが、母親は首を傾げてこう答えた。
「犬?そこに犬はいないよ。」
どうしたの、と母親は笑った。嘘をつくような人ではないので、この言葉は本心なのだろう。それに気づいてから、ボクは無意識下で変なものを見ないようにしていた。一年以上形を変えない雲や、折れた所が元通りになっているイチョウや、いつの間にか消えているトンネルの落書きとか。トンネルは夜中に誰かが掃除しただけだし、イチョウは折れてなんかいない。毎日空を見上げるわけではないので、雲が同じ形だなんて妄想だ。そうして自分を納得させて、ボクは生きてきた。時にはその異変に友達が気づいていることもあったけれど、だんだん大きくなると何が不思議なのかも忘れていった。
そんなボクが生まれた街に戻ってきたのは、ここで高校時代の級友の葬儀があるからだった。今日の大学の講義はボクの得意なものだったので、サボるにはちょうど良かった。
「お、そこにいるのは東か?」
振り返ると、屈強な男がそこに立っていた。3年生の時の級友だ。
「峯尾。また筋肉増えたね。」
「おう、まあな。ラグビー部ってのはみんなこんなもんだ。それにしても…。」
峯尾はまわりを見回し、人が居ないことを確認してから小さな声でボクに囁く。
「奴が事故死って、どういうことだよ。」
「ボクも分からない。卒業式前日から会ってないし。」
「むしろ前日に会ってたのかよ。」
「…呼ばれたからね。」
「相変わらずモテてんな。」
「奴に好かれても嬉しくない。」
その時、坂の上から突風が吹いてきた。思わず足を抑えようとして、今日はズボンを履いていることを思い出した。
「うお、台風の影響か。まったく、なんでこんな日に葬儀をしようと考えるんだ…。」
この坂を登りきれば葬儀場に着く。強風に煽られつつゆっくりと歩を進めるが、どうしても峯尾には追いつけない。
「東、大丈夫か?」
「…気にしなくていいよ、歩きづらいだけ。ボクはいいから先行ってて。」
「…おう、分かった。じゃあアレだ、とりあえず遅れんなよ。」
後でな、と峯尾は手を振り坂を登る。ボクに歩調を合わせていてくれた彼の背中は、あっという間に遠ざかっていった。
「あーあ、靴が違うとこうも歩きづらいなんて…」
ぼやきながらゆっくりと坂を登る。このペースでも多分間に合うだろう。
見上げた空ではくらい雲がスピードを上げて通り過ぎた。これから起こる台風の酷さを物語っているようだった。
ボクにも奴の死因は不可解すぎた。奴なら絶対に事故なんかで死なないと思い込んでいたのだ。できることなら、死んで棺桶に眠る奴を叩き起して、何が起こったのかきちんと聞いておきたい。
「だって、奴は───」
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