ネームハンター9 〜 The crossload jam session 〜

木船田ヒロマル

一日目

空想の街

ネームハンター9 〜 The crossload jam session 〜


 日の傾いた夕方六時。

 黄昏時。

 大南橋は、文字通り街の真南の外れに架かる四車線の道路がひけるほどの大きな橋だ。

 かつて現実の街との往来が馬車と徒歩だった頃は、この橋とその先の街道は交通の要衝で、昼夜を問わず引っ切り無しに人々の行き来があったそうだが、現実の街との交通手段が専ら鉄道になった今、夕暮れ時ともなれば人っ子一人いなくなる寂しい場所だ。


 だが、今は違う。


 夕焼けの燃える空を背景に黒いシルエットとして立つ人物が二人、橋の中央に、その先を遮るように俺を待っていた。


 近づいて見れば、一人は長髪で羽織袴の和装の男。

 女のような長い銀髪を弱い西風に流しながら、幅広の袖に左右の手を入れて組み、サムライのような佇まいで俺を睨んでいる。

 もう一人はひょろ長のノッポ。

 パンクロッカーのような鋲やジッパーが出鱈目に着いたピッタリした革の服に針金のような身体を包んで、三日月にギザギザを描いたような口でヘラヘラと笑っている。ファーが縁取るフードに隠れてその目元の表情は伺い知れないが、まあ聡明な知性の光を浮かべてはなさそうだった。


 とと、っと俺の足元に来た黒猫は、俺にまとわりつくように、黒いワンピースドレスに身を包んだ美女に変じた。


「気を付けてダーリン。あの二人、只者じゃないわ」


──ああ。分かってる。


「あんたがネームハンター。七篠権兵衛か? そしてそっちの美人が名前をタグに変える悪魔。ネモ」


 長髪がよく通る声で質して来た。敵意を含んだ物言いに、俺はカチンと来た。


──だとしたらどうなんだ? 呼び名を譲って欲しいのか? 人に挨拶する名前もないナナシノゴンベエさんよ。


 ひょろいノッポがフードを上げて、細い目を糸のように更に細め「けけケけけけ」と笑った。

 長髪はその様子を横目で睨み付けるとムッとした表情を作った。

 どうやらこいつらは、あまり仲は良くないらしい。


「単刀直入に聴く。アズサをどうした?」


 長髪が憮然とした様子で質問を投げて寄越す。


──それはこっちのセリフだ。あんたらはアズサとどういう関係だ?


「質問を質問で返してはダメよと、ママに教りませんでしたか? 探偵さん」

 長髪が俺の質問への質問を、更に質問で返してくる。

 ヒョロいノッポがまた「けけケッ」と嗤う。

 長髪の口調は明瞭で丁寧だったが、その言い様がまた俺の癇に障った。


──アズサは取り戻す。邪魔するなら容赦はしない。あんた達が誰だろうとな!


「ほう」

 長髪は目を細めた。

「初めて意見が一致したな。俺たちも正にそういうつもりだ」

 奴が腕組みを解いて自然体に立つ。その右手には短い棒のようなものが握られている。武器だろうか?


「やるのね?」

──殺すな。捕らえてアズサの居場所を吐かせるんだ。

「アイアイサー・ナナゴン」

──その呼び方はよせ。


 俺たち二人と、奴ら二人の距離は二十メートルと言った所。


 弱い西風。河が緩やかに流れる微かな水音。じり、と足を肩幅まで広げファストドロウの体制を取る。


 時計台の鐘が鳴る。

 四人が、同時に動いた。



***


【これまでのあらすじ】


 ここは「空想の街」。

 ユニークで気のいい人々とともに、異形や人外……悪魔や妖精や妖怪やそれ以外も棲む不思議の街だ。

 孤児だった俺はこの街で探偵をする「おやっさん」──七篠尽蜂ななしのじんぱちに拾われる。おやっさんの死後、因果の悪魔美女が変身した黒猫・ネモと出会った俺は、剥がれて逃げた名前を探して捕まえる名前捜索人「ネームハンター」として生きてきた。


 カルト教団が名前を剥がす麻薬を濫用、名前から生まれた怪物「名前獣」を集めて現実世界の因果を乱そうとした「真理聖名教会事件」で、大学生・橘アズサの依頼を受けた俺は、名前獣悪用教団に殴り込む。主謀者の教祖が告げる衝撃の真実。俺はこの空想の街の失われた真の「名前」──街から因果の悪魔を贄とした儀式で剥がされた名前獣が人の姿を取ったものだった。俺は教祖を倒しカルト教団を壊滅させる。だがその生き残り、教団四天王の一人・朱雀と言う名の少年は俺に復讐を宣言して姿を消した。


 名前を盗む泥棒、怪盗二十名称。何故かこの街に災厄を呼ぼうとする死んだ筈のおやっさん、七篠尽蜂。悪魔を喰らうバイオリンを操る謎の女バイオリニスト。名前捜索事務所にスタッフとして転がり込んだアズサを増殖させるコピーの悪魔。この街を脅かす様々な敵と戦って来た俺に、最大の危機が訪れる。


 俺を仇と付け狙う朱雀が、この街の住人たちの俺を「思い出す力」を奪い、それを注ぎ込んで真理聖名教会教祖の名前獣、暴君竜王──「Tレックス」を復活させたのだ。死に瀕しながらも、相棒の悪魔ネモとの存在共有合体により辛くも蘇った恐竜の帝王を倒し、朱雀を追い詰めた俺だったが、朱雀には逃げられ、アズサは攫われてしまった。

 俺たち二人のファンだという魔学の教授、志垣花子の協力を得、朱雀を追う俺たちの目の前で、アズサは朱雀の手に掛かり殺されてしまう。

 語られるこの街の真実。

 この街は、沢山の人間の空想の産物で、アズサはその作者の一人。俺や俺を取り巻く人々はアズサが創ったお話の登場人物だった。朱雀を倒し、俺は本当のアズサから別れの挨拶をされる。

 病院。病弱な痩せた少女。枕元の、俺たちを象った手製のフエルトマスコット。

 もう二度と会わない、と手を振る彼女。


 世界は全て元どおりになった。

 橘アズサというポニテの元気娘が消えたことを除いて──。


 と、思ったのも束の間、アズサのやつちゃっかり何事もなかったかのように戻って来やがった。一連のメタな真相を、俺の視た「長くて込み入った幻」だと言い切って。お前そんなのアリなのかよ。作者としてそれってどうなんだ?


 とにかく、騒がしい日常を取り戻した俺たちだったが、また新たな敵が現れる。


 何者かによって「他の創作の主人公」に書き直された俺は、その作品世界ごと、執筆途絶によって消されようとしていた。ギリギリの所で、ネモによって自分を取り戻し、ネームハンター七篠権兵衛としてこの空想の街に戻って来た俺だったが、途絶した作品世界は救うことが出来ず、俺に取ってその事件は苦く悲しい別れの記憶となった。


 「レインボーメイカー」を名乗る正体不明のその犯人。


 奴は、一体……?


***


 夜の路地裏は様々な顔を見せる。


 雑多なゴミ箱。静謐な真の暗黒。

 そして、俺自身。


 ソフト帽。よれよれのスーツ。あご髭と人を食ったような表情。

 我ながら金に縁はなさそうだが、中々いい男だ。


 俺は俺自身と向き合いながらそんな感想を抱いた。


 今回逃げた名前は「鏡像」──「みら」と読むそうだ。


 母親に鏡像であることを求められた息子の果てない自問自答が、きっと名前が剥がれちまった原因だな。


──大人しくしろ。平和に……

──大人しくしろ。平和に……


 解決しようぜ、と言う言葉を俺は飲み込む。

 なるほど、「鏡像」か。


 左の雑居ビルの壁に据え付けられた煤だらけの室外機の上に、とた、と黒猫が降り立つ。


「にゃあー」

──どうしろってんだ? 取り抑えるのか?

「にゃぁあ」

──へいへい。じゃ、俺のやり方でやってみますかねっ、っと。


 俺はその場で二歩ステップを踏むと勢いを付けて俺の鏡像に突進する。細かく歩幅を刻んで間合いを調整し奴の左頰目掛けてボクサーがするような右ストレートを放った。


 だが、奴も全く同じ動きで──いや、正確には鏡写しの動きで左ストレートを放つモーションに入った。


 二つの拳は互いの顎を狙ったものだが、その目標に到達することなく、肘が伸び切る前に空中でぶつかって弾きあった。


 すかさず俺は体重移動して姿勢を低くとるとソフト帽を抑えながら身体を大きく回すハイキックを放ったが、これも全く同じ動きをする奴の足とぶつかり、お互いどちらかがノックアウトされるには至らなかった。


 こりゃあ……埒があかねえんじゃねえか?


 いや、待てよ。あいつが俺の鏡像で、鏡写しに動くのなら……。


 俺はだらりと構えを解いた。

 そして一歩。また一歩と奴に近づく。


「鏡像」である奴も同じように構えを解くと、やや緊張した面持ちで俺に近づいてくる。


 俺は右手を斜めに突き出した。もちろん奴も同じように突き出す。


 俺の突き出した右手に黒猫が飛び込んで輝くと、曲線でかたどられた優美なデザインの魔法の銃に変化した。


 だが、奴の右手に飛び込む猫はいない。


 俺が銃を構えると、奴は空っぽの手を俺に向けて構える。


 俺は文字通り手が届くほどの至近距離で、俺自身の眉間に向けて引き金を引いた。


 弾ける光、解放される魔力論理回路。

 俺の鏡写しの影武者は、一旦輝く粒子になって破裂すると、瞬く間に再び一点に凝縮して、透明な結晶のペンダントヘッドを伴うネックレスに変わった。


 ちゃりん、と音を立てて荒れたアスファルトにネックレスが落ちる。俺はそれをそっと拾い上げて透明な結晶のペンダントヘッドに刻まれた文字を確認する。


『鏡像』


──何を考えて付けた名前だか知らねえが、こんな名前を付けられた子供の気持ちをちょっとでも想像したのかね……。


「にゃー」

 銃から猫に戻ったネモが、話し掛けてくる。


──ああ。あとはこれを依頼人に引き渡せば、この事件も一冊10クルークのファイルの一つになって棚に並ぶ。


「にゃー」

──分かってる。ありがとうよ毎度毎度。美人で敏腕なパートナーさんよ。


「にゃー」

──へいへい。


「探偵長ーーーッッッ!!?」


 絶叫と言っていいボリュームで俺を呼びながら土煙上げて突進して来たのは我が七篠名前捜索事務所の唯一の正規スタッフ。橘アズサだ。


「無事ですかっ? 五体満足ですかっ? ご不満な点やご意見、ご感想などをお気軽にご投函できる窓口の設立を前向きに検討させて頂きましょうかっ⁉︎」


──いや。間に合ってる。

 ってかそれ検討だけして実際はしないやつじゃね?


「そんなことないですよ! この橘アズサ、思い込んだら命懸け! 倒れる時も前のめり! 粉骨砕身誠心誠意! 皆さまの立場に立った相談窓口の設立をお約束いたします!」


──なんの相談窓口だなんの。

 街路の封鎖ご苦労だった。こっちも解決だ。今日は解散。


「たんっ」


──どうした? 窓口のシャッターが時間で閉まったのか?


 振り向くと、アズサが何か言い掛けた表情のまま固まっている。


──アズサ?

「いけない‼︎」


 慌てた様子でネモが猫から美女に変じ、アズサに手を伸ばす。

 だが、その手はアズサの手前で弾かれて、彼女に至ることはなかった。

 アズサの周囲が、彼女を囲い込むように四角くキラリと輝く。

 それはアズサを捕らえて平面に収縮すると、彼女を内包したガラスのパネルに変じた。


──アズサッ!

「ダメよ! 撃たないで!」


 咄嗟に銃を抜いた俺をネモが制する。

 アズサのガラスパネルは俺たち二人の目の前できゅうー、と縮むと手帳ほどの大きさななって、くるくると回転すると凄い勢いで夜空に飛び上がり、あっと言う間に見えなくなってしまった。


──アズサッ⁉︎ くそっ!

 ネモ! なんだ今のは⁉︎


「鏡よ。ルーノフラの鏡」

──鏡?

「古い魔術だわ。充分に小さくすると、鏡自体の力で永遠にそのままの状態を保つことができる」

──そのままの状態?

「鏡の内側は二次元の亜空間なの。そこには時間軸が存在せず、高さと幅の概念しかない『二次元時空間』」

──つまり?

「外側から誰かが解除しないと、我らがポニーテール姫は今回の宇宙終焉まであのままよ」

──術者は誰だ? 誰がアズサを!

「分からない。でも只者じゃないのは確かね。私の知る限り、ルーノフラの鏡は、生来特異な能力を持った者が多かった太古の血筋、ルーノフラの一族が絶えたのと一緒に失われたはずの魔術なの」

──ルーノフラの一族……。

「今回はルーノフラの一族の仕業じゃないと思う。誰かが、その術を復活させたのよ。それをうちの事務所の正規スタッフに使った」

──追跡する方法は?


 ネモは首を振った。彼女の黒く染めた絹糸のような髪が柔らかく波打つ。


「ああなってしまってはトレーディングカードと変わらない。犯人からからの接触を待つか、闇雲に探すか」


──くそっ!


 俺は悪態をついて空を見上げた。


──時間を決めて探せるだけ探そう。案外、犯人はその辺にアズサカードを放ったらかしにしてるかも知れない。

「そう言うと思ったわ。手分けしましょう。私は街の西半分を。あなたは東半分を。いまが七時過ぎだから、取り敢えず今日という魔法が解ける時間まで」

──オーケーだ。何かあったら携帯へ。

「了解よ。もしも『敵』に接触したら……一人では戦わないで。一旦逃げて、私と合流するの」

──状況によるぜ。向こうがそれを許してくれるかどうか。

「それでも約束してナナゴン。嫌な予感がする。今回の敵に、一人では対処しないって」

──その呼び方はよせ。


 俺は約束はせず、ソフト帽を被り直すと路地裏を抜け出して、夜の街にアズサの姿を求めて駆け出した。

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