第55話 エピローグ1

 箒で地面を掃いていると、 ジリジリとした太陽の光が容赦なく藍の顔に照り付ける。季節はもうすっかり夏になっていた。

 刈り取っていた草を全てかき集め、ゴミ袋へと入れる。梅雨の間にたっぷりと水を得ていたせいでだいぶ伸びていたが、これでようやくすっきりした。一仕事終えて見つめる先には一つのお墓がある。ここは藍の家の近所にある、お寺の中にある墓地。そして目の前にあるこのお墓は、優斗のものだった。


「終わったか?」


 いつの間にか啓太がそばに寄ってきて言う。このお寺は啓太の家でもあり、さっきまで使っていた掃除用具は彼が貸してくれたものだ。


「ありがとう。おかげで綺麗になった」


 啓太やその家族も墓地の掃除はしているのだが、優斗の遺族は誰もこの場所を訪れない為、放っておくと他のお墓と比べてどうしても汚れが目立ってしまう。梅雨明けの今だと特にそうだ。この時期に優斗の墓を掃除するのは、もはや藍にとっては毎年恒例のこととなっていた。


「でもよ、何もここまですること無いんじゃないか?」


 次に墓石を磨き始めた藍を見ながら啓太が言う。


「なんで?綺麗になっていいじゃない」

「だけどよ……」


 首をかしげる藍だったが、啓太はなおも食い下がった。


「それって先輩のためにやってるんだよな?」

「うーん、私がしたいからって言うのが大きいと思うけど」

「それにしたってやっぱり先輩のためだろ」

「そうなるのかな?」


 藍にしてみれば本当にただやりたいと思ってやっているだけだから、優斗のためなんて言ったら何だか恩着せがましく感じてしまう。しかし啓太はどうにも納得がいっていないようだった。そして藍の隣を指差して言った。


「先輩、そこにいるよな」


 啓太の差した先には、透き通った体をした優斗の姿があった。


「俺も、無理に掃除してくれなくても良いって言ったんだけどな。自分の墓だし、俺が掃除出来たらよかったのに」

「いや、それもなんかおかしい。幽霊が自分の墓の手入れなんてしてたら、うちの寺の管理に問題があるみたいじゃねえか」


 男二人があれこれ言い合っていると、墓石を磨き終えた藍が顔を上げた。


「だってずっと続けてきたんだもん。今更やめようって気にはならないよ」

「ずっとやってくれてたんだ。ありがとう」


 優斗がお礼を言うと、藍は顔を赤くして目を逸らす。彼が幽霊となって現れてからもう数カ月が経つが、こうして向かい合うと未だにドキドキしてしまう事が多々ある。藍の初恋はまだまだ変わることなく続いていた。


「なかなか成仏しねえな」


 啓太がそう言いながら、自らの墓の前に立つ優斗を見る。ちなみに今の優斗の服装は夏服となっている。

 幽霊の格好は本人のイメージによって作られ、その場に一番適していると思う姿に変化していく。その結果がこうして今の季節に合わせた夏服だ。成仏するどころか、ますますこの世に順応している気がする。


「てっきりあの時消えると思ったんだけどな」


 それを聞いて藍はあの日の事を思い出す。優斗の体が次第に薄くぼやけて言ったあの日を。

 きっと優斗はこのまま消えてしまう。そう思って焦り、涙した。だけど結局彼は消えることなく、今もこうしてこの世にとどまっているのである。

 その場にいた全員が最後の時を覚悟していたため、優斗がいつまでたっても消えないのを見て大いに途惑ったものだ。散々盛り上がっていたことが恥ずかしくもあった。啓太なんかはとうとう「消えねーのかよ!」と叫んでいた。

 だけど少しだけ変わったところもあった。


 優斗の体を見ると、透き通っていて向こう側にある景色が見える。言葉にすればそれまでと一緒なのだが、あの一件以来明らかにそれまでよりも透明度が増していた。


「未練が一つ消えたんだ。成仏するのに近づきはしたんだろうな」


 啓太はその様子を見てそう推測していた。もしかしたらこれがだんだんと進んで行って、近いうちに本当に成仏するんじゃないかとも思った。だけどあれ以来、そんな変化は一度も起きていない。


「いったい俺はどうやったら成仏するんだ?」


 優斗も自らの体を見ながら言うが、それに答えられるものは誰もいなかった。


「もしかして他にも未練があったりしねーか?」

「そりゃ無いわけじゃ無い。けど細かいところまで上げていったらきりが無いぞ」


 この二人のやり取りも、実はこの数カ月の間に何度か行われてきたものだ。だけどいつも肝心の結論は出てこなくて、最後は決まった藍のこの言葉で終わりを迎える。


「まあ、ゆっくり探せばいいじゃない」


 今回もまた、この話はこれで終わりだ。藍はそう思いながら、まだしばらくはこのままの状態が続くことを祈っていた。

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