第30話 初演奏1

 翌日の放課後、藍達は体育館の隅で出番を待っていた。その間先生がやって来て簡単な説明をしてくれる。


「順番がくる少し前に機材のセットに入って。口上や演奏は、時間内に納まれば自由にやってくれていいから」

「わかりました」


 返事をしながらステージを見上げる。すでにいくつかの部が発表を終えているが、軽音部の順番は最後の方なのでまだ時間がある。それでも、これから自分達があの場に立って演奏するのかと思うと早くも緊張してきた。

 次に啓太を見ると、ギターを手に何度も曲のコード通りに指を動かしている。その顔つきから、彼も緊張しているのは明らかだった。

 しかし人のやる事にばかり気を取られてはいけない。藍もベースを取り出すと、啓太と同じくコード見ながら指の動きを確認する。


「二人とも、少しは落ち着きなって」


 緊張をほぐそうとしたのか優斗が柔らかな口調で言ったが、二人の表情は硬いままだ。


「だって……」


 藍は自信なさげに呟く。この時頭の中には、昨日部室で啓太と共に演奏した場面が浮かび上がっていた。


「あんな演奏じゃ心配だよ。今更変わらないかもしれないけど、だからって何もしない訳にはいかないよ」


 藍と啓太が一緒に弾いた曲。それは二人にとって決して満足のいく出来ではなかった。

 元々上手くいくなんて自惚れは無かったが、いざ弾いてみると、それは想像していたよりもさらに厳しい出来だった。


「こんなことになるって分かっていたら、もっと一緒に練習してたんだけどな」


 啓太がぼやき、藍もそれに同意する。足りない所なんて少し考えただけでもたくさん出てきたが、上手くいかなかった一番の原因は、二人の息が合ってないことだった。

 個別で見てもそれぞれの技量は決して優れているわけでは無いが、それでも全く聞けないような酷いものではない。だか二人の音を合わせようとすると、どうにも噛み合わなかった。どちらかが大きなミスをしたわけでも無いのに、それぞれが奏でる音がどこかちぐはぐなものになってしまう。

 だけどそれはある意味当然だった。そんなことになった理由は簡単、単に一緒に引いた経験が少ないからだ。ゼロではないが、それでもせいぜい数回程度。そのくらいでは、どうやって相手に合わせればいいのかなんて二人とも分からなかった。

 不安がる二人を見て、優斗は小さくため息をつく。


「今それを言っても仕方ないだろ。それとも、やっぱり辞退した方が良かったって思ってるのか?」


 突然の言葉に二人は顔を見合わせる。藍に至っては、ウジウジしすぎて呆れられたのではないかと思い、あからさまに顔が曇った。

 そんな中、藍より先に啓太が優斗の質問に答えた。


「いや……弾きたいか弾きたくないかって言われたら、やっぱり弾きたい」


 顏にはまだ緊張の色が残っているが、その答えだけはハッキリとしていた。それを受け、藍もその後に続く。


「……私も、弾きたい」


 藍だって決して弾きたくなくなったわけじゃない。不安や緊張はあっても、楽しみに思っている部分だって少なからずあった。


「そうだろ。ならもっと楽しめよ」


 二人の答えを受け、改めて優斗が言った。


「初めてのことだから、不安なのも緊張するのも当たり前。でも、上手くやらなきゃってことばかり気にしてたらつまらなくなる。だから決して無理せず、楽しいと思える事を精一杯出来たらそれで良いって、俺は思うよ」

「……うん、そうだね」


 優しく諭すようなその言葉に、藍は少しだけ気持ちが軽くなったような気がした。優斗が背中を押してくれると、何の根拠もないのに不思議とそれだけで気持ちが前向きになってくる。


「何だか先輩っぽいこと言ってるな」


 一方啓太は生意気ともとられかねない物言いをしたが、それは緊張を取り払うための強がりのようにも見えた。


「ああ。二人は俺にとって軽音部で出来た初めての後輩だからな。先輩風を吹かせてもらうぞ」


 優斗は冗談めかして言うと、ようやく場の空気が少しだけ和らいだような気がした。決して不安が無くなったわけじゃないが、それまでは見る余裕の無かった新入生の列を眺めるくらいの余裕ができた。

 集まった見学者は予想通りかなりの数に上っていて、もはや人混みと化していた。時折何人かの先生が、騒ぎすぎないようにと注意して回っている。自分達も新入生なのだから本当なら向こうにいたはず。そう思うとなんだか不思議な感じがした。


 大勢の新入生の中から、藍は真由子の姿を探した。自分達が演奏することは伝えていたし、絶対見に来るとも言ってくれたので、今もこの体育館のどこかにいるはずだ。

 だが、どの辺にいるかもわからない一人を探すには、周りの人間があまりにも多すぎた。いい加減諦めて視線を優斗達の方へと戻すが、その時優斗が一言呟いた。


「……なんで?」


 見ると、優斗は驚いた表情で人混みの方を眺めていた。

 いったいどうしたというのだろう。藍も一緒になって見てみるが、何をそんなに驚いているのか見当もつかなかった。


「ねえ、どうかしたの?」

「いや……多分気のせいか見間違い、だと思う」


 声をかけてみたけど、何だか反応が鈍い。

 それからしばらくの間優斗は、黙ったまま何か考えているようだった。だが、やがて藍に向き直ると言った。


「ごめん。確かめたいことができたから、少し外す」

「えっ、今から?」

「大丈夫。演奏が始まるまでにはちゃんと戻るから」


 突然の言葉に困惑する藍。だが優斗が何を思っているのは分からないが、戻ると言われた以上は引き止めるのもためらわれた。


「早く帰ってきてね」


 それだけを言って優斗を送り出す。優斗は集まっていた人の体をすり抜けて進んで行き、その姿はすぐに見えなくなった。


「どうしたんだ、あいつ?」


 同じくそれを見送った啓太も、不思議そうに呟いていた。


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