第18話 再会5

 次に優斗は、藍の持っているベースへと目をやった。


「それにしても、まさか音楽を始めているとは思わなかったよ。それも、俺の使ってたベースでなんて」


 藍が軽音部に入ろうとしている事は、ここに来るまでの間に既に伝えてある。そうでなくても、このベースを見ればだいたい察しはつくかもしれない。


「ごめんね。勝手に貰っちゃって」

「そんなこと無いって。むしろ藍がもらってくれて嬉しいよ。どれくらい弾けるんだ?」

「えっと……」


 優斗が興味深げに聞いてくる。だけどそれを聞いて藍は慌てた。自分の未熟な腕では、とても優斗を満足させられる演奏なんてできないと思った。


「初めてまだ半年くらいしか経ってないから、全然だよ」

「半年か。なら始めたのは俺より早いな。俺は高校に入ってからだった」


 言われて思い出す。優斗がこのベースを買ったのは、高校に入ってからしばらくしてからのことだった。


「ユウくんは、どうして音楽をやろうと思ったの?」


 ふと疑問に思って尋ねる。少なくとも藍の知る限り、中学生の頃の優斗は特別音楽に興味を持っているわけでは無かった。


「同じクラスの奴に誘われたんだ。とにかく音楽が好きで、バンド組みたいから軽音部入ってくれってクラス中に声をかけて回るような奴だった」

「そうなんだ」


 それはなんとも凄い人だ。藍もこれから部員を勧誘する機会があるかもしれないが、その積極性はぜひとも見習いたかった。だけど優斗はそれからさらにこう続けた。


「強引なやつだったよ。興味無いって何度断ってもしつこく誘ってくるし、俺がベース担当になったのだって、自分はギターやるからお前はベースだって半ば無理やり決めさせられたからな。それを買うのは俺なのに」

「そう……なんだ」


 どうやら想像以上に凄い人のようだ。楽器を一から買うとなると、高校生の財布では厳しいだろうに、それを無理やり決めるとは。だけど悪態交じりに告げられる内容とは裏腹に、それを語る優斗は笑顔を浮かべていた。


「じゃあユウくんは、ベースやってて楽しかった?」


 その質問に優斗は一度言葉を止めて押し黙ったが、僅かに間を置いた後ハッキリと頷いた。


「ああ、楽しかった。もっと上手くなりたいって練習したのも、全員の音が合わさった瞬間も。多分、その全部が」


 しみじみと語る優斗は、これまで藍が一度もみた事の無いような顔をしていた。それが亡くなったことによる憂いがそうさせているのか、あるいは藍が成長したため見え方が変わっているのかは分からない。だけど優斗の知らなかった一面を見て、熱をもって音楽を語る姿を見て、藍もこれから始める軽音部の活動に向けてより一層力が入ったような気がした。


「私も、ユウ君達みたいな演奏が出来るようになるから。たくさん練習するし、部員集めだって頑張るから」


 力強く言う藍に優斗は少し驚き、それから嬉しそうに笑った。


「ありがとな」


 優斗はそっと藍の頭の上へと手を伸ばす。その動作に藍は懐かしさを感じた。頭を撫でてくれようとしているのだ。

 小学生の頃の藍は、優斗に頭を撫でられるのが好きだった。優斗もそれを知っていて、藍を褒める時や励ます時など、事あるごとに藍の頭を撫でてくれた。

 だけど今、優斗の伸ばした手は藍に触れることは無く、その体を突き抜けていった。幽霊となった優斗は物に触ることができないのだから、こうなるのは当然だった。


「やっぱりダメか。見る事が出来る藍にならもしかしたら触れるかもしれないって思ったけど、無理みたいだな」


 手を引っ込めながら、優斗は残念そうに言う。


「ごめんな。もう前みたいに撫でてやれなくて」


 正直なところ、藍も少し残念だった。

 小学生の頃ならともかく、もう頭を撫でられて喜ぶような年でもない。そのはずなのに、そもそもこうして優斗と再び会うことができた時点でこの上なく幸せのはずなのに、撫でてもらえなかっただけで思いの外寂しいと感じる自分がいた。

 だけどそんな事を言って困らせるわけにはいかない。


「わ……私は平気だから」


 そう言って気にしないでと伝える藍だったが、優斗は少し考えた後、再び藍に向かって手を伸ばした。


「じゃあ、これならどう?」


 優斗の手が藍の頭に触れるか触れないかくらいの場所で一度止まる。それからゆっくりと、手の平を前後に動かした。傍から見れば、確かにそれは優斗が藍の頭を撫でているように見えた。

 もちろん実際には触れられないのだから、いくらやったところでその感触が藍へと伝わることは無い。だけどそこには、何とかして藍に喜んでもらいたいという優斗の思いがあった。

 藍にもそれが分かるから、例え触れた感触がなくても、それだけで嬉しかった。本当に撫でられた時に負けないくらい、ドキドキした。

 それからしばらくの間、優斗は触れられない手で藍の頭を撫で続けた。


「藍ならきっとできるよ。俺達の頃も部員は3人しかいなかったけど、それでも何とかやっていけたんだ」

「うん。ありがとう」


 どうやら優斗の友達が行っていた部員勧誘は、それほど成果を上げられなかったようだ。そう言えば以前見に行った優斗が一年の頃の文化祭のステージでも、優斗の他はギター一人とドラム一人だった気がする。もっとも、人数で言えば今の方が深刻ではあるけれど。

 そこまで考えた時、藍の頭にある一人の顔が浮かんだ。


「そうだ。私以外にあと一人、入部希望者がいるんだった」


 後から来るみたいなことを言っていたけど、未だ現れない所を見ると教室での話が長引いているのだろうか?


「へぇ、どんな子なんだ?」


 まだ見ぬ入部希望者に、どうやら優斗も興味を持ったようだ。


「ユウくんも知ってる人だよ。ほら……」


 藍が名前を挙げようとしたその時、ガチャリと音がして部室の扉が開いた。優斗の姿が見えない以上、このまま人前で会話を続けるのは難しい。そう判断した二人は話を中断し、開かれた扉の方へと視線を注いだ。


「悪い。遅れた」


 そう言って入って来たのは、ちょうど今話題に上がっていたもう一人の入部希望者、三島啓太だった。


「ずいぶん時間かかったんだね。何話してたの?」

「べ……別にお前には関係ない話だよ」


 実際には彼等の会話には藍の名前が何度も登場したのだが、そんな事を知る由もない本人は、慌てて質問をかわす啓太に怪訝な表情を向けるしかなかった。


「それより部活の話しようぜ。とりあえずこれからどうすれば……いいん……だ……」


 軽音部の話へと話題を変える啓太。だけどその台詞は、急に中途半端な所で途切れてしまった。


「三島?」


 その様子を不思議に思って名前を呼ぶが、啓太はそれには答えず、目を見開きながら藍の隣を見ていた。

 どうしたんだろう。まるで幽霊でも見たような顔だ。


 ……幽霊?


 藍は、ハッとして彼の視線を追った。そしてその先にいたのは優斗だった。

 啓太は真っ直ぐに、これまで藍以外には誰にも見る事の出来なかった優斗を見つめ、そして一呼吸おいて口を開いた。


「なんでそいつがここにいるんだよ―――――っ!」


 絶叫が、校舎の一角にこだました。

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