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無限に続く廊下。私の目からでは分からないが、この廊下実は曲がっていて、円の形をしているのではないか?って思う。何故なら普通に考えて無限に続く廊下なんてものは存在しないからだ。この世界にいる限り必ず果てというものはある。物理的意味でも精神的意味でも。しかし円ならば同じところをぐるぐる回っているだけなのだから、無限に続いていてもおかしくはない。


普通、曲がっていたら気づくだろって思うじゃん?でも、少しずつ、本当に少しずつしか角度が変化していかなかったら、この長い長い廊下の小さな積み重ねでようやく円を形作っていたら、気づきようもないじゃないか。


無限に同値な廊下を今も歩いている。終わりは見えないが、よくよく思い出してみると始まりもなかった気がする。これを輪廻転生だか何とかと言うのだろうか?


さて、繰り返しという概念がこの世には存在する。ここで言いたいのは鶏が先か卵が先かという話に近いものである。繰り返しは永遠に続いていくが、この私が知覚するまでの現在まで、それが永遠に続いてきた保証はない。必ず最初というものが存在するはずだ。永遠はこれからの永遠であって、今までの永遠ではない。


と、考えると、輪廻転生という存在も、安直にただの繰り返しとは言い難い。生まれては死んで、生まれ変わってまた死ぬ。そしてまた生まれ変わって死へと歩いて行く。だから本質的には私も、その前の私も、そのさらに前の私も、やはり同じ私であるのだが、人類の歴史というのは意外に短いものである。決して地球が生まれる前、宇宙が生まれる前に人類がいた訳ではない。だから私は繰り返していってると言っても、始まりがない訳ではなく、必ず最初の私がいたはずなのだ。


生まれ変わっていった今までの何人もの私たち、その全員が最初の私と同質の存在だったら、その最初の私こそが、オリジナルの私で、私の根源なのだ。そう考えると遥か昔のその私に会ってみたくなる。


しかし会えない。その人の生まれ変わりは私で、その私は今の私の中にいるのだから会おうにも会えない。せめて別人だったら会う手立てがあったのだが、魂をここに呼んだりとかね。その最初の私の部分だけを取り出そうとしてみたら、おそらく今の私にも変化を与えてしまうだろう。


全てを含めて私なのだ。


よくありがちなセリフの

貴方は貴方だけで出来てる訳じゃない

的な?


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