ネームハンター2 〜The masquerade rhapsody 〜

木船田ヒロマル

ネームハンター2 〜The masquerade rhapsody 〜

「動くな!」


 俺は銃を構えると屋根から飛び降りようとしていたそいつの動きを制した。


「こっちを向け。ゆっくりだ」

 言いながらじわり、と距離を詰める。


「…誰かと思えば、名前探し屋…ネームハンターか」


 雲の切れ間から月が差し奴の姿を照らす。



 黒のシルクハット。

 揃いのタキシード。

 夜風になびくマント。

 そして紅い亀裂のような眼と口が嗤う金色のマスク。


 …マジでこんな怪盗が現れるとは世も末だ。



「今夜はあの可愛いアシスタントは留守番か?名前はアズサン…だったかな。七篠せんべえ君」


「七篠権兵衛だ!間違えるなコスプレ野郎!

 お前と違って俺みたいな分別ある大人はな!未成年の女子を迂闊に変質者と引き合わせたりはしねえんだよ‼

 …手の宝石を屋根に置け!ゆっくりだ。こいつがお前の心臓を狙ってる事を忘れるな」


「君こそ間違えないで頂きたい」


 一陣の夜風が、俺と奴の間を吹き抜ける。


「私はコスプレ野郎などではない」


 奴は喉の奥で笑った。


「私の名は二十名称!怪盗!二十名称だ‼」


 マントが翻る。

 俺は引き金を引いたが、弾丸ははためくマントに穴を穿っただけだった。

 見下ろせば渋鯖邸の広い庭を走る奴の影、紅い煌き。

 くそ!間に合え‼


 チャンスは一度。


 奴はぐんぐん庭を囲う塀に近づく。

 銃を両手で構え直した俺は、一度だけ呼吸を整えた。

 照準器を奴の手の紅い煌きに重ねる。

 俺は絞るように引き金を引いた。



【タァァー…ンッ‼】



 乾いた銃声が豪邸の夜の庭園に木霊した。




 ーーーーーーーーーーーーーーー



 俺の名前は七篠権兵衛。


 この街じゃちょっとは知られた「名前捜索人」だ。

 探偵のようなものと考えてくれればいい。

 最近ではネームハンター、なんて横文字で呼ぶ奴もいる。


「にゃー」


 ……分かってるよ。

 こいつは相棒の黒猫。

 名前はネモ。

 色々あって俺はこいつの言葉が解る。

 こいつ、見た目通りの只の猫じゃねえんだ。


 俺の仕事は失くした名前を探すこと。


 この街じゃ、何時の頃からか名前が人や物から抜け出してどこかに散歩するようになっちまった。

 俺は憐れな依頼人の失くした名前を見つけ出して、元通り人に名乗れるようにしてやるってわけさ。



【カランコロンカラン♬】


 さぁて仕事か。


 今日も危険でクールな一日が両手拡げてウィンクしながら俺を迎えに来たぜ。




 ーーーーーーーーーーーーーー



 < 13時間前ーーー >




 退屈は男を腐らせる無味無臭の毒だ。


 天井の扇風羽はぬるい残暑の空気を無為にかき回し、仕事のスケジュールを書き込む為のホワイトボードは名前の通りの白さで白熱灯の灯りを跳ね返す。

 すっかりちびた煙草を灰皿の吸殻の山にねじ込んで、俺は大きく伸びをした。



【カランコロンカラン♬】


「事件!エマジェンシーな非常事態の事件ですよ探偵長!」


 アズサ。その呼び方はよせと言ってるだろ。


 静寂を足蹴にしながら現れたこのポニテ娘は、大学生の橘梓(たちばな あずさ)。

 ある事件で関わってから俺のアシスタント気取りで事ある毎に押しかけてくる。


 で?なんの事件だって?


「見て下さいよこれ!つぶさに!目を凝らして!」


 そう言いながら梓は自分のスマホを渡す。

 この娘の癖……言葉をやたら強調するのは過去に何かトラウマでもあるんだろうか。

 ピンクのカバーの付いた流行りのスマホはニュースページを映していた。


 何々……。怪盗紳士現る……?

 アズサ。おじさんもうそういう歳じゃないんだ。少年探偵団ごっこはお友達とやりなさい。


「テレビ視てないんですか?ここ一ヶ月で三人も犠牲者が出てるんですよ?警察が昨日、公開捜査に踏み切ったんです」


 ……クレイジーな時代だな。


 で?俺に怪盗を捕まえろってのか?

 1クルークにもならないのに?

 警察の邪魔になって言われたくもねえ嫌味言われるのがオチだ。


「記事ちゃんと読んで下さい。怪盗が盗むもの、ごく一般的な普通のお宝じゃないんです」


 …………‼

 ……なんだと!怪盗が盗むのは……


「そうなんです」


 ……狙われた被害者の……『名前』⁉


 窓辺で昼寝をしていた相棒の黒猫の耳がぴくり、と動いた。


「そうなんですよ!怪盗は何らかの方法で被害者から名前を盗むんです!」


 ……馬鹿な。


「だから、ななゴンにぴったりの事件だと思って……」


 七篠さんと呼べ!と!言ってる!だろ!アズサン‼


【カランコロンカラン♬】


「そこから先は私が説明しよう」


 誰か来た。


「暫くぶりだな、ネームハンター」


 堅実な仕立てのグレーのスーツ。

 ぴしりと撫でつけられた短めの髪。

 浅黒い肌。

 強い意志を体現したような太い眉。


 ……これは。東署強行犯係、西四寺警部。

 その呼び方はよして下さい。まるで一昔前の漫画だ。


「漫画のタイトルならいいじゃないか。少なくとも悪口ではあるまい?怪盗と戦うならタイトル張るヒーローじゃないとな」


 西四寺祐太郎(にしよじゆうたろう)警部はそう言うとニッと白い歯を見せた。


 警部まで俺を怪盗と戦わせたいんですか?


「私が戦わせたいんじゃない。今日は依頼の仲介に来た」


 依頼の……仲介?


「例の怪盗は名前を盗む。正直その理屈が我々警察にはよく分からん。名前を剥がしたりくっつけたりはお前の専門分野だろ?」


 依頼元は誰なんです?被害者?


「いや。予告状が届いたんだ。依頼内容は次の犯行を防ぎ、被害者を出さないこと」


 予告状?怪盗から?


「ああ。狙われたのは資産家、渋鯖男爵家の令嬢の名前。紅い玉と書いてルビィ。次の奴の獲物は渋鯖紅玉(しぶさば るびぃ)だ」


 紅玉と書いて、るびぃ……?


「ああそうだ。件の怪盗紳士が狙うのはな、宝石や貴金属……宝物めいた名前の持ち主ばかりなのさ」


 宝石の名を盗む……

 怪盗紳士……。




 つづく



 ーーーーーーーーーーーーーー



 俺の名前は七篠権兵衛(ななしの ごんべえ)。

 職業は名前捜索人。

 はぐれた名前を捕まえて、持ち主に返すのが俺の仕事だ。

「にゃー」

 こいつは黒猫ネモ。

 こんななりだが正体は悪魔。

 因果回帰銃タグナイザーに変身して、持ち主を離れて具現化した名前をネームタグに変える俺の相棒さ。


 今回の依頼はこの街有数の資産家、渋沢男爵家から。

 なんでも一人娘の渋鯖紅玉(しぶさば るびぃ)嬢が怪盗に狙われてるらしい。

 獲物と定めた相手からその怪盗が盗むのは『名前』。

 名前取扱の専門家として、怪盗の犯行阻止を依頼されたってわけだ。

 宝石や貴金属の名前ばかりを狙うという現代に現れた怪盗紳士。

 だが俺が一枚噛んだ以上、コスプレ勘違い泥棒野郎に好き勝手はさせねーぜ!






「娘のルビィです」


 渋鯖男爵家現当主、渋鯖鋼鉄郎(しぶさば こうてつろう)は紅いドレスを着た美しい娘をそう紹介した。

 ルビィ嬢は軽く屈んで優雅に挨拶をする。


 ……名前捜索人、七篠権兵衛です。

 早速ですが、予告状を見せて頂けますか?


「こちらです」



『八月二十九日 深夜十二時 貴家令嬢、紅玉殿ノ名前ヲ頂戴二参上仕ル 怪盗・二十名称』



 怪盗…二十名称…。

 やばいセンスの持ち主だな。

 警部。これまでの犯行はどうやって?


「変装だ」


 ……ベタ過ぎる。


「変装してターゲットに近づき、何かの手段であっと言う間に名前を盗んで行ったようだ」


 何かの手段?


「そこがよく分からんのだ」


 警部は苦虫を噛み潰したような顔をした。


「現れた!と思ったら被害者が名前を失って倒れていて、奴は逃げている」


 ……。


「だからお前を呼ぶよう私が男爵に勧めたんだ。あの名前強盗に対抗しようとするなら、お前以上の適任はいない。残念だが……我々警察よりも、な」


「娘を、頼みます」


 ……最善を尽くします。



 ーーーーーーーーーーーーーーー



 あと五分、か。


 部屋には俺と男爵、ルビィ嬢。そして警部が特に信を置く二人の刑事。

 この二人が変装でないことはさっき顔をつねり回して確認したし、念の為男爵の顔も触らせて貰った。

 現実に変装で誰かになり切るなんて、ナンセンスだとは思うがな……。



 ルビィ嬢は毅然とした態度で優美なデザインの椅子に黙って座っている。


 が、良く見ればその肩は微かに震え、顔色は透き通るように青白い。


 ……そら不安だわな。


 銃の姿で俺の懐に吊られている相棒を確認する。

 名家のお屋敷に猫を連れては入れない。

 ネモは窮屈を了承してくれた。


 席を立った俺に、その場の全員の視線が集まる。


 あ……ドアの鍵の確認です。


【ガチャガチャ!】


 OK、と。


 格子の付いた窓も見た目は優雅だが鉄ごしらえの頑丈な代物。

 割って入るのも無理だ。

 今日び怪盗稼業が成り立つわけが……。


【バチン‼】

「きゃぁっ‼」



 その時だ。突然部屋の電灯が消えた。


「すぐ予備に切り替わる!」

 と叫んだのは刑事のどちらか。

 その言葉どおり次の瞬間には再びシャンデリアが灯った。


 そこに俺達が見たものは……!




 ぐったりした紅いドレスの娘を左腕に抱えてニヤニヤ笑う渋鯖男爵。


 右腕には禍々しい装飾の短剣。


 まさか……やめろ‼


 俺の叫びを無視して、男爵は手に握った短剣を娘の胸に突き立てる。

 小さく呻くルビィ嬢。


 短剣が引き抜かれる。


 傷口から溢れる紅い光。

 光は渦を巻いて集まると一際強く輝き、子供の拳ほどの宝石になった。


 あれが……ルビィ嬢の、名前⁉


 ニヤニヤ笑う渋鯖男爵は娘を床に寝かせると自分の額から何かを外した。

 床に投げ出されたそれは林檎ほどの鋼鉄だった。


 もうそこに渋鯖鋼鉄郎男爵はいない。

 黒服に笑いの仮面。


 てめえ‼


「渋鯖ルビィ……確かに頂戴した」


 言うが早いか身を翻した奴は素早く窓から外へ躍り出た。


 くそ!屋根に登ったな‼ 刑事さんは令嬢を!外の警部に連絡を!


 俺は開け放たれたままの窓から飛び出す。




「動くな!」


 俺は銃を構えると屋根から飛び降りようとしていたそいつの動きを制した。


「こっちを向け。ゆっくりだ」

 言いながらじわり、と距離を詰める。


「…誰かと思えば、名前探し屋…ネームハンターか」


 雲の切れ間から月が差し奴の姿を照らす。


 黒のシルクハット。

 揃いのタキシード。

 夜風になびくマント。

 そして紅い亀裂のような眼と口が嗤う金色のマスク。


 …マジでこんな怪盗が現れるとは世も末だ。


「今夜はあの可愛いアシスタントは留守番か?

 名前はアズサン…だったかな。

 七篠せんべえ君」


「七篠権兵衛だ!間違えるなコスプレ野郎!

 お前と違って俺みたいな分別ある大人はな!未成年の女子を迂闊に変質者と引き合わせたりはしねえんだよ‼

 …手の宝石を屋根に置け!ゆっくりだ。こいつがお前の心臓を狙ってる事を忘れるな」


「君こそ間違えないで頂きたい」


 一陣の夜風が、俺と奴の間を吹き抜ける。


「私はコスプレ野郎などではない」


 奴は喉の奥で笑った。


「私の名は二十名称!怪盗!二十名称だ‼」


 マントが翻る。

 俺は引き金を引いたが、弾丸ははためくマントに穴を穿っただけだった。

 見下ろせば渋鯖邸の広い庭を走る奴の影、紅い煌き。

 くそ!間に合え‼


 チャンスは一度。


 奴はぐんぐん庭を囲う塀に近づく。

 銃を両手で構え直した俺は、一度だけ呼吸を整えた。

 照準器を奴の手の紅い煌きに重ねる。

 俺は絞るように引き金を引いた。



【タァァー…ンッ‼】



 乾いた銃声が豪邸の夜の庭園に木霊した。


 怪盗の手から弾き飛ばされた紅い煌めきが宙に舞う。


 よっしゃぁっ‼当たった‼


 ネモの放った因果回帰弾頭は、奴の手のルビィを名前の書かれたネックレスに変え、夜の庭の豊かに茂る芝のどこかにすっ飛ばした。


 一瞬こっちを振り返った怪盗はしかし、犬の吠え声とともに迫る警官隊の足音に機敏に反応し、落としたルビィをあっさり諦めて、軽やかに塀を飛び越えて夜の闇に消えた。



 ふう。名前は盗られずにすんだが……逃がした、か。

 恐ろしい奴だ……。

 あの仮面。ただの仮面じゃねぇな。

 そしてあの短剣……。

 ネモのタグナイザーとまるで逆さまだ。まさか……あの短剣も……。




 つづく



 ーーーーーーーーーーーーーーー



 俺の名前は七篠権兵衛(ななしの ごんべえ)。

 職業は名前捜索人。

 はぐれた名前を捕まえて、持ち主に返すのが俺の仕事だ。

「にゃー」

 こいつは黒猫ネモ。

 こんななりだが正体は悪魔。

 因果回帰銃タグナイザーに変身して、持ち主を離れて具現化した名前をネームタグに変える俺の相棒さ。


 資産家・渋鯖家の令嬢が「怪盗二十名称」に狙われた。

 令嬢護衛の依頼を受けた俺は、現れた怪盗と対決。

 奪われかけた名前はなんとか取り返したものの、紳士気取りのコスプレ泥棒には逃げられてしまった。

 完璧な変装を可能にする仮面。

 名前を抉り出す短剣。

 奴は一体……⁉






「悪魔の……アイテム?」


 アズサはただでさえ大きくて丸い目を更に大きく丸くした。


 ああ、まず間違いない。

 短剣は刺した相手と名前の因果を断ち切る刃。

 仮面は奪った名前を溶かしこむことで、その人間そのものになれるんだろうな。

 二十名称とは良く言ったもんさ。


「令嬢と男爵は?」


 二人とも無事だ。

 男爵は名前を奪われて縛られた状態でボイラー室から見つかった。

 令嬢の名前のタグも回収して渋鯖ルビィに元通りさ。


「そーですか!良かったですね!」


 ……なんか不機嫌だな、アズサ。


「で怪盗本人にはまんまとしっかりこれみよがしに逃げられた、ってわけですか?」


 お前な。

 場末の名前捜索事務所なんかに入り浸ってないで、学生は学校行け。


「夏休みです。普通に一般的に考えて常識でしょ?」


 何怒ってるんだ。


「なんで連れてってくれないんですか⁉」


 連れてけるわけないだろ。


「私が居れば……逃がさずに済んだかも知れないのに!」


 逆にお前の名前を抉り盗られて、今頃半死半生だったかもしれないぜ?


「でも!」


 アズサ。

 この際だから言っておく。

 お前な、もうここには……来るな。


「……!」


 お前は若い娘で、未来ある学生だ。

 俺の仕事はヤバさや汚さが付きまとうヤクザな仕事さ。

 買った恨みも両手両足じゃ数え切れねたえ。

 意趣返しの巻添え食えば、怪我じゃ済まねえこともある。


「……」


 ……正直に言おう。


 お前はいい子だ。

 真っ直ぐで、一生懸命で、自分に正直で……お前のそういう所、俺は気に入ってる。


「だったら……!」


 だから、だ。

 お前には真っ当な人生を歩んで、人並みの幸せを掴んで欲しい。

 これは……俺の本当の気持ちだ。


 俯いたアズサの目から二つ雫が落ちた。


 そもそも職員でもないお前を、今まで出入りさせてたのが間違いだった。

 学生は勉強しろ。

 親御さんを安心させてやれ。


「……バカ」


 ぽたぽた涙を落としながら、彼女は言った。


「アホ!トンマの唐変木!ハーフボイルドの半熟野郎!ななゴンなんか……ななゴンなんか……!」


 子供みたいに顔をぐしゃぐしゃにしながらアズサが叫ぶ。


「落ちちゃえ!地獄にっっ‼」


 叫んだ彼女はわんわん泣きながらドアを叩き開けて走り去った。


「……にゃー」


 いや、これでいいんだ。

 地獄に落ちろは言い過ぎだと思うがな。


「にゃー」


 お前が言うな。

 まあ確かに、これから行く所にはとてもあいつは連れて行けないからな。



 ーーーーーーーーーーーーーーー



「珍しいな。お前が訪ねて来るなんて」


 非番の所すいません、西四寺警部。


「立ち話もなんだ、ま、上がれ」


 ごく一般的なこじゃれた一軒家。警部と俺とは確か三歳違いで警部が歳上だが、三年後の俺がこんな家を持ってることは、天地がリバースしてもないだろう。


「今日はなんだ、改まって」


 ……分かってらっしゃるのでは?


「何のことだ?」


 自首して下さい、西四寺警部。

 いや、怪盗……二十名称。


 警部は笑った。


「はははは……真顔で何を言うかと思えば。

 弱みを握ったつもりでたかりに来たのか?腹が減ってるならそう言え。食べに出よう。俺のおごりだ」


 ……右手の包帯、どうされました?


「ああ、朝飯を作る時に火傷してな。慣れないことをして文字通り手を焼いた」


 あの夜怪盗は俺を七篠せんべえと呼んだ。


「不勉強な泥棒だな。音に聴こえたネームハンターの名前を間違うとは」


 大事なのはそこじゃない。

 その後奴は、俺のアシスタントをアズサンと呼んだ。

 あいつは俺のアシスタントじゃない。


「一緒に居るとこを見られたんだろう」


 更に言えばあのポニテ娘はアズサンでもない。

 橘アズサがあいつの名前だ。


「……だからどうだと言うんだ」


 俺があいつをアズサンと呼んだのは、おととい言い合いになった時の一度切り。

 それ以外では後にも先にもそんな呼び方はしていない。


「……」


 その場に居たのは俺とアズサ。

 黒猫のネモ。

 そして……あんただ。


「盗聴されてるとは考えないのか?名前泥棒が名前捜索人をマークしてても不思議じゃない」


 この銃を憶えているか?


「逃げた名前をタグに変える銃……タグナイザー、だったか?」


 タグナイザーをテーブルに置き、指を一回スナップする。

 するとタグナイザーは光を放ち、瞬く間に一匹の黒猫になった。

 警部は驚いて言葉を失う。


「猫の嗅覚は人間の一万倍から十万倍。

 ネモが言ってるぜ。

 あんたと怪盗から、同じ悪魔の臭いがする……ってな!」




「ふふふふ……ははははは……」


 警部はさも愉快そうに笑った。

「流石だな、ネームハンター。

 如何にも私が怪盗二十名称だ」


 立ち上がった警部は、顎で俺にも立つように促す。


「ついてこい。見せたいものがある」




 ……これは⁉


「私の……娘だ」


 二階の子供部屋のベッドに横たわる五、六歳くらいの髪の長い娘。

 彼女の体や顔は、そこかしこマダラに透き通っている。

 名前が剥がれた人間の……末期症状。


「名前は……剥がれたのではない。溶けて無くなるのだ。付けても、付けても!」


 名前が……溶ける?


「病気なんだ。とって付けた名前じゃ、一週間ともたん」


 病気?


「相談に乗ってくれた姓名判断士はそう言っていた」


 ……そんな病気、聞いたこともない。


「だが現に娘は消えかけている。普通の名前じゃダメだ。昨日今日付いた名前でもダメ」


 警部の口調の切実さは、それが決して嘘ではない事を俺に知らせた。


「付いてから持ち主とある程度の年月を共に生き、また高い硬度の事物を象徴した名前を娘に付ければ、しばらくの間は持ちこたえる」


 ……だから、宝石の名前を。


「そうだ。娘は死なせない。だから……」


 異様な雰囲気を感じて俺は振り返る。

 そこにはあの仮面を被った警部。

 振りかぶった手には例の短剣!

 稲妻のように振り下ろされた凶刃をすんでの所で躱す!


 危ね‼やめろ警部‼


「もう遅い」


 躱した筈の悪魔の刃は、俺のすぐ傍の「空間」を切り裂き、穴を開けた。

 穴は虚空にパックリと口を開け、抗い難い力で俺を吸い込む。


 ぐぁぁっ……これは⁉


「地獄の入口だ。

 冗談でも比喩でもないぞ。正真正銘の地獄、だ」


 嘘だろ⁉ 警部……あんたは!


「すまない七篠。いずれ……私も行く」


 うわぁぁぁぁ……っっ⁉


 果てしない浮遊感。

 薄れゆく意識の中で俺は

 微かに猫の鳴き声を聴いた。


 そして世界は、暗黒に包まれた。



 つづく



 ーーーーーーーーーーーーーーー


 俺の名前は七篠権兵衛(ななしの ごんべえ)。

 職業は名前捜索人。

 はぐれた名前を捕まえて、持ち主に返すのが俺の仕事だ。

「にゃー」

 こいつは黒猫ネモ。

 こんななりだが正体は悪魔。

 因果回帰銃タグナイザーに変身して、持ち主を離れて具現化した名前をネームタグに変える俺の相棒さ。


 名前を盗む怪盗紳士、二十名称と対決した俺は狙われた令嬢の名前を奪われるのは防いだものの、奴本人には逃げられてしまった。

 だが奴のちょっとしたミスから、その正体を東署強行犯係・西四寺祐太郎警部だと看破する。

 乗り込んだ警部の家で俺が見たものは、身体中が透き通った警部の娘だった。

 名前が溶ける病気だという彼女は、他人の名前を与え続けないと消えてしまうのだ。

 驚いた俺は隙を突かれ、悪魔の短剣で穿たれた地獄の口にまんまと落とされてしまった……!






 ……暑い。


 いや、寒気がする。


 吸っても吸っても息苦しい薄い空気。


 身体が重い。


 全身の肉という肉が砂鉄にでも置き換わったかのように。


 気分は最悪の中の最悪。


 吐き気と頭痛に揺り起こされて、

 俺はうっすら眼を開けた。




「気が付いた?」


 最初に目に入ったのは俺を見下ろす妖艶な美女の顔。


 深淵の闇を思わせる漆黒の長い髪。

 切れ長の紺碧の瞳。

 刺すように紅い、本当に紅い唇。


 ネモ。

 お前……月夜でもないのに、その姿……。


 切れ切れに呟いた瞬間、俺は気を失う前の出来事を思い出した。


 そうか、ここは……。


「ええ♬地獄、よ」


 ネモは弾むように答える。


「とはいえここは地獄の中でも浅い所。多分、第一圏の第一層。

 地獄を一軒の家だとするなら、ドアノブ位のほんの前菜ね」


 なんか……元気だな、ネモ。


「分かる?久しぶりの濃い魔素。空気が美味しい♬」


【ルルル……】


 電話?eu繋がり過ぎだろ。


【ピッ】……もしもし?


「今どこですか探偵長」


 アズサか。


「留守の間に新聞屋さんが来てたので先月分立て替えましたよ!256クルーク。次に会った時返して下さい!」


 ……悪いが返せそうにない。多分もう、そこには帰れない。


「は?なにを言って……」


 怪盗二十名称の正体は東署の西四寺警部だ。

 奴は悪魔のアイテムで俺を……地獄に落とした。


「じご……嘘でしょ⁉」


 酷い気分だ。

 身体が重い。

 ネモも一緒だから今すぐどうこうはならなそうだが、人間世界には帰れないだろうな……。


「そんな……あの!七篠さん、私……」


 いいか。

 何があっても西四寺には近づくな。

 俺の仇討ちなんて考えるな。

 最期位は、俺の言うことを聴け。


「……さん……【ザザ】必ず……【ザッ】……ってて!」


 短い間だったが楽しかったぜ。

 あばよ、ミズ・ポニーテール。


【プツッ】

【ツー……】


 圏外、か。


「電話の因果が切れたのね」


 因果?


「そ。この世との因果。

 ここに居れば居る程、人間世界との因果は薄まる。

 因果が切れれば関わりも絶たれる。道理でしょ?」


 ネモのその言葉に、俺は改めて辺りを見回した。


 灰色の紙に横線を引いたような荒野。

 遠くに見える森は何本もの手の骨が空を掴もうとしているかのようだ。

 湖は波一つ無く鏡のように灰色の空を写す。

 風も無く鳥も鳴かず物音一つなく、命の気配がまるでない。


 ここが……地獄、か。


 ネモ。


「何?」


 俺は死ぬのか?


「四、五日は持つんじゃない?

 ここの水も空気もあなたには毒。あなたが食べられるものも何もない。時間の問題ね」


 警部の話、どう思った?


「騙されてるわね。娘が、多分悪魔に憑かれてる。

 ネームサッカー……吸名魔にね」


 吸名魔?


「人間の名前を食べて生きる程度の低い悪魔よ。

 弱点は悪魔本人の名前。名前を刻んだ武器……刃とか弾丸とかならイチコロで倒せる。

 でも悪魔の名前なんてそう簡単には分からないけど」


 警部の言ってた姓名判断士ってのも……。


「化身した悪魔本人でしょうね。よくある手よ」


 ここから脱出する方法は?


「ない。無理ね。こっちから人間界に向けては穴は開けられない。

 さっきみたいに向こうから開けてくれるなら話は別だけど」


 望みはない?


「地獄にもね、人間世界と因果の……縁の薄い場所と濃い場所とがあるの。

 とりあえず、縁の濃い場所を探す?」


 そこに居ても穴がいつ開くか……。


「保証もクソもないわね。

 これが賭博なら私は迷わず開かない方に賭けるわ」


 ……開く方に賭けてみるか。

 人間世界と縁の濃い場所を見分ける方法は?


「あなたの上着のポケットにはあるでしょう?因果を可視化する……ホルスの瞳が」


 因果を可視化する魔力のルーペ「ホルスグラス」で空を見上げると、成る程確かに明るく見える部分がある。


 ……あの森の方か。

 ネモ。行くぞ。


「最悪、死にかけるまでになって、どうにもならなかったら……」


 ネモは一際妖しく笑った。


「私がななゴンを悪魔にしてあげる」


 御免だ。

 悪魔になるくらいなら死を受け入れるさ。


「そうかしら?きっとその時になったら、ななゴンは這いつくばって私に懇願する。頼む、俺を悪魔にしてくれ!ってね」


 ネモ。二つやめろ。


 第一に、俺をななゴンと呼ぶな。


 第二に、俺を、ななゴンと、呼ぶな。


「にゃーん」






 重い足取りで吐き気を堪えつつ、俺はなんとか白骨樹の森まで辿りついた。

 流石地獄。

 少し歩いただけで倒れて気を失いそう……ん?何か聞こえないか?


「……歌、ね。それもこれは……子守唄……?」


 ……行ってみよう。






 歌は森の奥のじめじめした洞窟の奥から聴こえていた。


 赤児の泣き声。

 あやす母の声。

 そして不気味な節回しの子守唄。


『いい子かい?悪い子さ♬お前の父ちゃん帰るまで、まんまは我慢をしておくれ……♬』



 ……悪魔の親子?悪魔でも子守唄とか歌うんだな。



『いい子かい?悪い子さ♬

 お前の父ちゃんファウルフェザー♬

 人の名前の宝石の♬キラキラ光る飴玉を♬わんさか抱えてすぐ帰る♬

 いい子かい?悪い子さ♬……』


 ネモ。今の聴いたか⁉


「愚かな悪魔ね。

 あの短剣、きっと行き帰りにも使ってたのよ。自分の家への」



【……さぁぁん】


 ん?今確かに……なんだ?今度は。女の……声?


【……しのさぁぁぁん!】


 ……まさか!この声は‼


【ななゴォォォォンン‼】


 俺は声を限りに叫び返した。


「ななゴンはやめろアズサぁぁぁっっ‼」


 見上げれば空中にぽっかり開いた穴からこっちを覗き込むアズサ。


「七篠さん!無事ですか⁉あとその女は誰⁉」


 ……細かい事はいいから早く助けてくれ。


 アズサはロープを垂らす。

 俺がロープを掴もうとすると、スルッとロープが上がる。


 アズサ。何の冗談だ?


「私を雇って下さい。探偵長」


 お前な、こんな時に……。


「こんな時しか言えません!七篠さんのお手伝い、させて下さい!もう来るな、なんて言わないで下さい!

 私、私……七篠さんのこと……」


 ……。


「雇うって言わないなら……えい!」


 スルスルッと上がるロープ。


 えい!じゃねえだろ!

 ……分かったよ。

 よく助けに来てくれた。

 雇う。

 今日からお前は正式に、七篠名前捜索事務所のメンバーだ。


「……探偵長!」


 ……その呼び方はよせ。



 ーーーーーーーーーーーーーー


 ロープを登った先の薄暗い聖堂には見覚えがあった。


 地獄の出口……魔法陣の傍らに立つ整った顔立ちの少年にも。


 お前は……名前獣悪用教団の……


「真理聖名教会です。七篠さん」


 ……四天王、朱雀。

 何故、俺を助けた?


「あなたが死ぬと、僕はあなたに復讐できない」


 復讐、か……。


「僕はまた、父の仇であるあなたの前に立つでしょう。覚悟しておいて下さい。ネームハンター」


 そう言い残すと、朱雀は閉鎖され電気も来ていない聖堂の暗闇に消えた。


 アズサが悪い事をした子供のように恐る恐る俺に言う。

「悪魔の骨から薬を作ってた連中なら、地獄への行き方を知ってると思って……」


 ……無茶しやがって。あいつは俺を仇と恨んでる。危ないだろ。


「私……本気じゃなかったんです。七篠さんに、地獄に落ちちゃえ、なんて……本当に心から遺憾の極みに、御免なさい!」


 ……もういいさ。

 お前のお陰で助かった。

 これから宜しくな、橘アズサ捜査員。


「了解です!早速ですが、怪盗二十名称が再び渋鯖ルビィ嬢を狙ってます」


 何⁉


「予告の日時は九月一日夜十時。警備には東署の強行犯係が当たるそうで」


 九月一日……明日か。


「何言ってるんです。九月一日は今日。予告時間まであと一時間ないですよ?」


 ……どういうことだ?ネモ。


「地獄は人間界と時間の流れが違うから。リップ・ヴァン・ウィンクル=エフェクト。ご存知?」


 ……令嬢は今どこだ?


「ハンツピィの宴の主催者席でしょう。渋鯖家は宴の大口の出資者ですし」


 主催者席!西区郊外の「パープル・ポム」か!

 行くぞアズサ!ネモ!

 警部にこれ以上罪を重ねさせない!


 走ってくれ俺の両足!


 夏の終わりを告げる、嵐呼ぶ風のように‼


 つづく



 ーーーーーーーーーーーーーーー



 俺の名前は七篠権兵衛(ななしの ごんべえ)。

 職業は名前捜索人。はぐれた名前を捕まえて、持ち主に返すのが俺の仕事だ。

「にゃー」

 こいつは黒猫ネモ。

 こんななりだが正体は悪魔。

 因果回帰銃タグナイザーに変身して、持ち主を離れ具現化した名前をネームタグに変える俺の相棒さ。


 名前を盗む怪盗紳士二十名称の正体を東署強行犯係・西四寺警部だと見抜いた俺はしかし、警部の不意討ちで地獄に落とされた。

 相棒のネモと共に怪盗の背後で糸を引く悪魔の正体を突き止めた俺はアズサの機転で人間界に戻ることが出来た。

 怪盗二十名称……最後の勝負だ!





 宴の熱気に浮かされた夜の街を走る。


 ああ気持ち悪い。

 地獄の毒気も抜け切らないうちにこの全力疾走。

 ……タバコ辞めっかな。


 今夜催される「ハンツピィの宴」とは獣化の木の実を食べて人々が獣人に変じ、自然とそれを司る精霊達に感謝を示すこの街特有の祭りだ。


 一般市民はポム・スターなる実を食べ、思い思いの装いの獣人と化し、飲み、食べて、歌い踊る。

 上流階級の人々は宴の広場から少し離れた宴期間限定のオープンカフェ「パープル・ポム」を主催者席として集まり、ダンスやカードに興じるのが毎年の通例だった。




 ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……タバコを辞めるのは辞めだ。

 次に纏まったギャラが入ったら、ぜってー車を買うぞ。

 ふと右隣を見れば艶やかな蒼いパーティドレスで、俺の隣を滑るように駆ける悪魔の女。


 ……ネモ。その服どうした?


「新鮮な魔素を一杯吸ったし。これくらいお茶の子さいさいよ」


 左隣を見れば惚れぼれするようなロングストライド走法で長距離巡行走体制のアズサ。


 お前……陸上部か?


「すっ、すっ、はっ、県大会、すっ、すっ、はっ、二位です!」


 ……なんの二位だ?いや。今はいいや。ってなこと言ってる間に見えた!「パープル・ポム」‼


 入口のゲートに屈強な黒服が二人。

 俺たちを通すまいと遮ろうとする。


 通してくれ!


「任せて。ダーリン」


 ウィンク一発、ネモは更に加速すると身を低くして四つん這いになり、唸りを上げる黒豹に変じた。

 黒い稲妻は銃を抜こうとする黒服の間をジグザグに駆け抜ける。

 どう、と倒れる二人。


「念の為、縛っときます!二人は先へ!」

 そこまでしなくてもという気はするが、折角やる気なんだ。


 任せたぞアズサ!


「任せて下さいダー…探偵長!」


 ……ダーって。今なに言いかけた?

 まあ今それどころじゃねえや。


 いつの間にか美女に戻ったネモと金持ち達の間を走る。


 いた!


 この前とはまた違う紅いドレスのルビィ嬢。

 黒服だらけのウッドデッキでテーブルを囲む渋鯖家一同。

 ルビィ嬢のすぐ後に立つ西四寺警部。

 周囲の人間の視線が外れたその時。

 やけにゆっくりした動作で仮面を被る。

 静かに振り上げられた短剣が満月を跳ね返して閃く!



【タァァ……ン‼】

【キィィ……ン!】



 呼吸で察したネモは銃になり、放った弾丸は悪魔の刃を火花を散らして弾いた。

 皆が一斉に俺を見る。


 そいつは警部じゃない!怪盗だ‼ 令嬢を護れ‼


【ターン!ターン‼】


 叫びながら俺は更に二発、奴の仮面を狙って撃った。


 躱そうとした奴はバランスを崩し、ウッドデッキから転がり落ちる。


 客の女達が悲鳴を上げる。

 黒服達が何か叫びながら各々銃を抜く。

 だが客の間を縫うように逃げる怪盗を誤射を恐れ撃つことが出来ない。

 俺は一度ルビィ嬢の方を見た。

 目が合う。

 頷く彼女。

 よし、無事だな。


 クソ!おっさんを余り走らせんなよな!


 森に駆けこんだ奴を追う。

 開けた森の木々の回廊に差し掛かかった時、俺は足を止めると奴の足を狙って銃の引き金を引いた。


【タァァ…ンン‼】


 月明かりの差す森に、奴は音も無く倒れた。


 倒れた怪盗に、銃を構えたままゆっくりと近づく。

 奴はぴくりとも動かない。と、思ったその時!

 壊れた人形のような不自然な姿勢で、奴が急に起き上がった。

 そのまま、糸で釣り上げられるように立ち上がる。


 ……なんだ⁉


 次の瞬間、仮面の警部は恐ろしいスピードで俺に近づくと鋭い蹴りを俺の鳩尾に叩き込んだ。

 さっき俺の撃った弾が貫通した右足で、だ。

 声も出せずに俺はすっ飛んで倒れる。

 そして呻きと共に酸っぱい胃液をぶちまけた。


 ぐはっ……!


「余り調子に乗るなよ……下等な人間風情が」


 その低く、くぐもった不気味な声は警部からじゃなく、更にその背後から聴こえた。


 黒幕の登場…か。


 ふらつきながら立ち上がる。

 つばを一つ吐いて俺は、銃の照準にそいつを重ねた。


 つづく



 ーーーーーーーーーーーーーーー



 俺の名前は七篠権兵衛(ななしの ごんべえ)。

 職業は名前捜索人。

 はぐれた名前を捕まえて、持ち主に返すのが俺の仕事だ。

「にゃー」

 こいつは黒猫ネモ。

 こんななりだが正体は悪魔。

 因果回帰銃タグナイザーに変身して、持ち主を離れて具現化した名前をネームタグに変える俺の相棒さ。


 怪盗紳士・二十名称を追い詰めた俺は奴を追って西区郊外の森へ。

 タグナイザーによる狙撃が命中し、倒したかと思った奴は操り人形のように不自然に起き上がり、痛烈な蹴りで俺に逆襲した。

 胃の中身をぶちまけ倒れた俺の前に、ついに事件の首謀者がその姿を現した……!






 警部の娘……。


 いや、人の名前を吸うネームサッカー……「吸名魔」か‼


 長い髪。

 パジャマ姿の少女は、低くくしわがれた老人のような声を絞り出す。


「生きていたとはな。ネームハンター。私の操り人形が、確かに落とした筈だがな。死と静寂の異次元世界に」


 宴の……祭囃子に誘われてな。

 地獄の底から舞い戻って来たぜ。


「私の食事の邪魔は大概にしてもらおう。人間にはこういう時に言う決まり文句があったな。そう、確か……『食べ物の恨みは怖い』」


 仮面の警部が俺に殺到し腹に重たいパンチを叩き込む。


 ぐぉっ⁉


 遠のく意識を歯ぎしりで繋ぎ留め、警部の膝裏を捉えた俺はそのまま体を浴びせて警部を強かに転倒させる。

 後頭部を打った警部は動かなくなった。

 銃を両手で構え、少女の眉間に照準を重ねる。


 ……お前の悪事もここまでだ吸名魔‼

 その子を解放しろ!3つ数えたら撃つ。




 ひとつ!


「ハッタリだ。この娘を撃てばこいつは死ぬが、私を殺すことはできないぞ」


 だが次の宿主を探す間、お前の凶行を防げる!

 代価が子供一人なら安いもんだ。




 ふたつ!


「この娘にはなんの罪もないぞ?本当にたまたま、私の目に止まっただけだ。

 それでもこの娘を撃つのか?そんな権利が貴様にあるのか?」


 俺が撃たなくてもどうせお前に取り殺されるんだ。

 事故や病気と一緒さ。

 同情はするが余計な情けはかけねえ!


「……なら撃つがいい。撃たれる瞬間だけはこの娘の意識を戻してやろう」



 ……みっつ‼








【タァァァ……ンンッ……‼】








 俺の放った弾丸は一直線に少女に飛び、左の頬を掠めてその長い髪に刺さって抜けた。


 ……クソッ‼


 俺は銃の背で自分の額を叩く。


「やはり無垢な少女は殺せんか。正義の味方のネームハンター!」


 再び仮面の警部がぎくしゃくと起き上がる。

 手に例の短剣を持って。


 そして凄まじい速さの連撃をフラフラの俺に容赦無く打ち込み始めた。

 銃を盾に防戦一方の俺。


「ひひゃひゃひゃひゃ……抉り出したお前の名前、お前の目の前で喰ろうてやるわ。

 ばりばりと、音を立てて、味わいながらゆっくりと、な!」


 勝ち誇った奴が高らかに嗤う。


【ガ、ギン‼】


 強打に弾かれて銃が後ろに大きく逸れる。


【サクッ】


 ガラ空きの左胸に、仮面の警部は欠片の迷いも無く黒い刃を突き立てた。



「お別れだ!ネームハンター‼」



 奴の勝利宣言は聴こえていたが、それより俺は自分の胸から、刃の深々と刺さった傷口から聴こえる音に驚いていた。



 ……風の音。


 車や、電車の音。


 建築機械の工事の音。


 そして……数え切れないほど多くの人々の、声。


 泣き声、笑い声、囁き、罵倒、怒声、そして……愛の言葉。


 次の瞬間、傷口は光を放つと刃を吹き飛ばして粉々に砕いた。


 そこから溢れ出たものは宝石ではない。


 無数の……大小様々の光の「手」だった。


 幾千の「手」は空に上がった花火のように爆発すると、すぐに光の粒子になって傷口に吸い込まれた。


 光の粒を全て飲み込んだ傷が閉じると、後には仮面の警部が大の字になって倒れていた。


 悪魔の少女は初めて動揺の色を見せる。


「今の名前は……貴様は!一体⁉」


 そういや……誰かが言ってたな。俺は普通の人間じゃない。

 剥がれて失われた、この不思議の街の「名前」なんだ、と。


「街の……名前⁉」


 悪いが俺も憶えちゃいねえ。

 だが親代わりのお節介が付けてくれたダサい名前があるから、不便はしてねえのさ。



 俺は飛ばされた帽子を拾ってズボンで埃を払って被り直すと、銃を改めて少女に向けた。



 ……チェックメイトだ。吸名魔。

 あの世で改名前の芸人の名前でもしゃぶるんだな。


 奴はまた嗤った。


「ひひゃひゃ!本当に人間は愚かで救いようがない。

 お前は私を撃てない。

 撃てば死ぬのはこの娘だけ。

 なんの工夫もない普通の弾が、高貴な悪魔である私に通用すると思っているのか?七篠権兵衛!」



 そんなこと、これっぽっちも思ってないさ。

 ……ファウルフェザー!!!



 驚愕の表情で言葉を失う少女から銃口を外すと、俺は倒れた警部の被る黄金の仮面に狙いをつけた。


「ま、まさか!ヤメロ‼」


 教えてやるぜ。

 人間にはな、こういう時の決まり文句があるんだ。即ち……。



「因果応報!!!」

【タァァァ…ン‼】

【ビシッ…‼

 ピキピキピキピキ…ッ】

【パリン…】




「ぅぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ……ッッ‼」




 割れた仮面からもうもうと立ち昇る黒い煙の渦は、一瞬苦悶の表情の怪物になると、すぐ力を失って夜の風に散って消えた。


 糸が切れたように倒れた少女は、すーすーと安らかな寝息を立て始める。

 身体に透き通った箇所はなく、幼子らしい張りのある肌が月明かりに映えた。




 終わった、か……。




 俺はふらふらと倒れた警部に近づくと、そのすぐ隣にあぐらをかいた。


 ……生きてるか?怪盗の旦那。


 警部は泣いていた。


「……すまない」


 俺は火を着けたタバコを咥えると、警部の隣で同じく大の字に寝転んだ。


 空には満天の星。


 そして気が狂いそうな程に煌々と輝くフルムーン。


「自首するよ。犯した罪は、償う」


 ……必要ねえんじゃねえか?悪さしたのはあんたに変装した怪盗で、その正体は悪魔だった。

 そしてその悪魔は、正義のネームハンターが成敗した。

 一件落着だ。


「しかし……」


 誰になんと聴かれても、俺はそうとしか答えないからな。

 俺に取っては、それが真実だ。

 あんたもあの子も被害者さ。

 それに……あの子には、あんたが必要だ。


「……」


 涼やかな風が頬を撫でる。

 緊張の解れと共に、俺は身体の疲労を改めて実感した。


「頼みがある、七篠権兵衛」


 悪いが明日にしてくれ。

 地獄帰りのその足で悪魔と戦ってちょっと疲れてるんだ。


「名前を考えてくれ。名前を失くした娘に付ける、新しい名前だ」


 あんたの娘の……名前?


 ……マナ、だな。


「マナ?」


 字はあんたが決めろ。

 子供の名前は、親がキッチリ責任を負うべきだ。


「マナ、か……なら、真の名前、と書こう。不運に翻弄されたあの子が得た、正真正銘の自分の名前だ」


 真の名前、と書いてマナ……か。




 ……いい名前だな。




 深い息と共にタバコの煙を夜空に吹き付け、タバコを地面にねじってその火を消す。

 遠くに聴こえる祭囃子と気の早い秋の虫たちのさえずりに身を委ねがら、俺は深い谷に呑まれるように、眠りの深淵に落ちて行った。



 つづく



 ーーーーーーーーーーーーーーー



 俺の名前は七篠権兵衛(ななしの ごんべえ)。

 職業は名前捜索人。はぐれた名前を捕まえて、持ち主に返すのが俺の仕事だ。

「にゃー」

 こいつは黒猫ネモ。こんななりだが正体は悪魔。

 因果回帰銃タグナイザーに変身して、具現化した名前をネームタグに変える俺の相棒さ。


 怪盗紳士二十名称の黒幕は人間の名前を吸う悪魔「吸名魔」だった。

 ボロボロになりながらも奴の本体である黄金の仮面に、唯一の弱点、悪魔本人の名前入りの弾丸を叩き込み、

 ついに俺は怪盗二十名称をこの世から消した。

 疲労困憊。

 俺は地面に大の字になると眠りに落ちた。






 薬っぽい匂い。

 糊の効いたシーツの感触。

 目を開けると白塗りの天井。


 賃貸事務所の二階じゃない。


「あ、気がつきましたか」


 茶髪の小柄な看護婦には見憶えがある。

 第一東西病院。

「だいいちひがしにしびょういん」と読むその病院名は捻くれた医院長のセンスの賜物だ。



「おはよう七篠君。気分はどうだい」



 現れた短髪眼鏡痩身長身の白衣の男は、これ見よがしに爽やかな笑顔でそう言った。


 ……おはようドクター。

 気分はいい。

 多分明日よりずっと。


「地獄で悪魔と対決とは……相変わらず無茶だね」


 違うぞドクター。

 地獄では子守唄聴いて帰って来ただけ。

 悪魔と対決したのは人間界に戻ってからだ。


「どっちみち絶体絶命だし変わりはないよ。よく生きてるねえ。あれ?お連れの美人は?青いドレスの」


 魚でも咥えて逃走中じゃねえか?


「まさか。猫じゃあるまいし」


 ドクターはカルテを一瞥して言った。


「例によって打撲、打ち身、擦過傷多数。だけど進歩したよ。今回君の骨にはどこにも異常はなかった。成長したね!」


 ……そらどーも。


「代わりと言っちゃなんだが、呼吸器系の粘膜が謎の毒素にやられて炎症を起こしてる。ま、大事には至らなそうだけど。…… 炎症を抑える薬と胃薬だ。四日分ね。代金はロッカーの財布から領収済み。領収書も入れておいたよ」


 だから、人の財布から勝手に金を抜くなと前から言ってるだろ。


「病院食も一食付けよう」


 いらん……病院食食うならセメントでも食べた方がマシだ。


「そうか!これを見てくれ」


 ドクターはバケツになみなみのグレーのどろどろを俺に見せた。


 ドクター。これは?


「セメントだ。前も病院食よりセメントがいい、と言ってたろ。食べたら君がどうなるか、医学的に興味がある」


 ……セメント代は抜いてねーだろうな?


「なんだやっぱり食べないのか。このセメントどうするんだい?」


 俺に聞くな。

 態度の悪い患者の点滴にでもぶち込むんだな。


「そうだね。そうしよう。勝手に帰っていいよ。美人のお連れさんに宜しく。今度紹介してくれよ」


 分かった。なるべく満月の日に怪我をすることにしよう。


 本気か冗談か分からない事を言い終えたドクターは去って行った。

 入れ替わりにベッドの下から看護婦姿のネモが顔を出した。


「医者は行った?」


 お前……どっから。それにその姿。もう日も高いのに。


「魔素って大事ね。ボトルで売ってたらケースで買うのに」


 ベットから這い出たネモはパイプ椅子を運んで来るとベッドの脇に陣取った。


「私あの医者キライ」


 まあ分からなくはない。


「に、してもよくあの仮面が奴の本体だと分かったわね。

 霊波の強度は完全に娘の方が強かった。

 多分擬似アストラルコアを並行敷設して娘側のを臨界にしてたんでしょうけど」


 ……ネモ。お前その姿だと良く喋るな。


「お喋りな女は嫌?」


 お前は女じゃねーだろ。


「そう見えない?」


 見える。

 けどそれは姿が女ってだけだ。正体は計算高い魔物だろ。


「そうよ。だからそれが女ってもんでしょ?」


 ……。


「で、どうやって奴の本体を見抜いたの?」


 ……大した理由じゃねえ。


「パープル・ポム」で仮面を狙って撃った時、あいつえらく慌ててデッキから落ちたろ。

 それに刺されて傷から光の手が飛び出した時、あいつ全力で仮面を護ったんだ。

 正体を隠すってのが大前提の奴が、あんなに簡単に娘の身体で現れる、ってのも違和感あったからな。


「西四寺警部は何故あなたを巻き込んだのかしら?」


 簡単だ。

 止めて欲しかったんだろ。

 娘を想う気持ち、悪を憎む心。その不協和音には俺って楽器がぴったり来たのさ。


「……やはり人間は面白い。特にあなたとその周りの人間は」


 ……地獄で俺を悪魔に変えると言ったな?

 俺を悪魔にしてどうする気だったんだ?


「別に。あなたが悪魔になったらどうなるか見たかっただけよ」


 それだけか?


「まあ、悪魔になって、あんな世界で私と二人きりなら……まずあなたが何をするかは大体想像付くけど」


 ……ネモ、てめ!


「あらいけない。

 魔素が切れる。怒った顔も素敵よ、ななゴン」


 ネモは切れ長の瞳でウインクすると、ぽんっ、と漫画みたいに煙を吹いて一匹の黒猫になった。

 そしてそのままトト、と病室を出て行った。


「こんにちはー!」


 入れ替わりにアズサが来た。


「お加減どうです?

 はい!これ差し入れです」


 アズサ。なんだこの赤い円盤は。

「我が家に伝わる秘伝のお菓子。とんがらしせんべいです。

 不肖、わたくし橘アズサ。国産の本物のうるち米と小麦粉を使い、心を込めて備長炭にて手焼きさせて頂きました!」


 この赤いのが……全て唐辛子、なのか?


「ええ。今回は怪我人さんに優しいソフトな量に抑えました。こっちはグラム100円の玉露の中の玉露のお茶です。

 ささ、どーぞ探偵長」




【……カリッ】




 ぐほっ……!えはっ!ぐへふはっ‼


「よかったー!気に入って貰えたみたいで」


 ……あのな。今のリアクションでどうしてそうなる。


【どさっ】


「どんどん食べて下さいね!40枚ばかり焼いて来たので。

 あ、私も一枚頂きます」


 あ!よせアズサ‼

【ぱくっ】


【……ぱりぱり……もぐもぐ】


「んー、我ながらいい出来栄え。この唐辛子、福岡産の熊鷹って言って、辛さ150スコヴィルを叩き出す唐辛子界のきゃりーぱみゅぱみゅなんですよー」


 カワイイものに例えても産廃は食べ物に戻らないぞ。


「美味しいもの沢山食べて、早く元気になって下さいねっ!」


 ……可愛い顔立ちなのにこの娘に彼氏がいない理由が分かった気がする。


「あ!講義に遅れちゃう、じゃあ探偵長。また明日‼」


 明日も来るのか……このせんべいより病院食の方がマシだな。





 せんべいの紙袋を下げて病院を出る。


 昼下がりの、いつもの街。


 風の音。


 車や、電車の音。


 建築機械の工事の音。


 そして数え切れないほど多くの人々の、声。


 泣き声、笑い声、囁き、罵倒、怒声、そして愛の言葉。


 俺は帽子を整えて、事務所への道を歩き出した。







 俺の名前は七篠権兵衛。


 この街じゃちょっとは知られた「名前捜索人」だ。

 探偵のようなものと考えてくれればいい。

 最近ではネームハンター、なんて横文字で呼ぶ奴もいる。


「にゃー」


 ……分かってるよ。

 こいつは相棒の黒猫。

 名前はネモ。

 色々あって俺はこいつの言葉が解る。

 こいつ、見た目通りの只の猫じゃねえんだ。


 俺の仕事は失くした名前を探すこと。


 この街じゃ、何時の頃からか名前が人や物から抜け出してどこかに散歩するようになっちまった。

 俺は憐れな依頼人の失くした名前を見つけ出して、元通り人に名乗れるようにしてやるってわけさ。



【カランコロンカラン♬】


 さぁて仕事か。


 今日も危険でクールな一日が両手拡げてウィンクしながら俺を迎えに来たぜ。



 ネームハンター

 〜The masquerade rhapsody 〜


 〜 f i n 〜


 #ネームハンター #空想の街

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ネームハンター2 〜The masquerade rhapsody 〜 木船田ヒロマル @hiromaru712

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