ネームハンター 〜The nameless city blues〜

木船田ヒロマル

ネームハンター 〜The nameless city blues〜

 俺の名前は七篠権兵衛。


 この街じゃちょっとは知られた「名前捜索人」だ。


 探偵のようなものと考えてくれればいい。

 最近ではネームハンター、なんて横文字で呼ぶ奴もいる。


「にゃー」


 ……分かってるよ。


 こいつは相棒の黒猫。


 名前はネモ。

 色々あって俺はこいつの言葉が解る。

 こいつ、見た目通りの只の猫じゃねえんだ。


 俺の仕事は失くした名前を探すこと。


 この街じゃ、何時の頃からか名前が人や物から抜け出してどこかに散歩するようになっちまった。


 俺は憐れな依頼人の失くした名前を見つけ出して、元通り人に名乗れるようにしてやるってわけさ。


【カランコロンカラン♬】


 さぁて仕事か。


 今日も危険でクールな一日が両手拡げてウィンクしながら俺を迎えに来たぜ。



 ーーーーーーーーーーーーー



 俺は通りを歩きながら、今朝の依頼の内容を頭の中で整理しようとしていた。


【昼過ぎから時計塔広場の巣箱から蜂蜜採集を行ひます! 採集中は危ないので巣箱に近寄らないでください!】


 ……うるさいな。考えがまとまらんじゃないか。


「にゃー」


 は?

 ダメだ。

 お前猫だろ?



 ーーーーーーーーーーーーーー



『ぐるる……』


 夜の路地に追い詰めたのは身の丈2m程の犬……いや、こりゃ狼だな。


 牙を剥いて威嚇してくる。

 ここで怯んでちゃ商売にならない。


 ネモ……『タグナイザー』だ


 俺は狼を刺激しないよう小声で相棒に言う。


「にゃ!」


 黒猫は一声鳴くとジャンプして宙返りする。


 黒猫は空中でフラッシュのような光を放つと、曲線で象られた一丁の大型拳銃に変身した。


『がぅおぅっ!』


 光が狼を刺激した。

 全身のバネをフルに使って200キロはあろうかという巨体が俺に向かって跳躍する。


 タグナイザーを空中でキャッチ。

 構えて狙う。

 チャンスは一度。


【ターンッッ‼】

『きゃいんっ‼』

【ドサッ!】


 ……ふう


 タグナイザーの因果回帰弾頭が奴の眉間を捉えた。


 地面に倒れた奴の体は光の粒子に解け、あとに細長いタグの付いたネックレスが残る。


 狼と書いてうるふ?……またこれ系か。


 俺は溜息をつきながらネックレスをケースに納めた。



 ーーーーーーーーーーーーーー



 ネックレスを依頼人の首にかける。


 するとそれは輝き依頼人の胸に溶けた。

 安堵の表情。

 気弱そうな依頼人は支払を終えると何度も頭を下げながら事務所を後にした。



 ……4月20日


 当人が名前を嫌悪しているケース。

 名前は狼の形で逃走。

 通常手順で対処。

 ケースクローズド。





 空のビール缶にちびた煙草の吸殻をねじ込む。


 相棒の黒猫はいつものクッションで丸くなって夢の中だ。

 空き缶をキッチンのゴミ箱に放り込んで俺は欠伸をした。

 月の光が窓から差して相棒を照らす。


「ん……」


 相棒は黒猫の姿から長い黒髪の若い女の姿になった。

 一糸まとわぬ裸の、だ。



 俺は溜息をついて相棒の白く嫋やかな背中に毛布をかけた。


 こいつのこの姿は独身貴族の俺には目の毒だ。


「うにゃ……」


 やれやれ。

 投げ出された相棒の足を跨いで窓に近づく。

 カーテンをきっちり閉め、月光を遮ると相棒は毛布の中で縮んだ。


 さて…今夜はもう眠るとしよう。



 ーーーーーーーーーーーーーー



 名前は、持ち主をこの世界に固着させる糊みたいなもんだ。


 名前を失ったものの因果は薄れ、世界から浮く。


 ほっとくとやがては存在そのものが無かったことになる。


 自己像とかけ離れた名前は剥がれやすい。

 最近の親は子供に妙な名を付けるから、俺は依頼人に事欠かない。



 お陰で剥げた名前の変異体「名前獣」は何十と見て来た。


 だが、こんなでけえ名前獣は初めてだ。

 俺は自分の見当の甘さを呪った。


 相棒が姿を変えた因果回帰銃・タグナイザーは既に五発の弾丸を放ったが、ことごとく奴の岩のような皮に弾かれてしまった。


 岩で出来たワニ。

 全長は8メートルはある。

 殆ど恐竜だ畜生。

 なんて名前だこりゃ。


 遠くで花火が上がる音がする。

 ……そういや今夜はフェスタだったな。


『ぐぐぅぅっ!』


 ……ワニってぐぐぅぅって鳴くのか。

 俺は一旦距離を置こうと細い路地をジリジリと下がった。

 その時だ!


『ぐわうっ!』


 奴は一声吠えると恐ろしい速さで俺に突っ込んで来た。大口を開けて。

 たまらず俺は一目散にダッシュで逃げる。


【ばんっ!】


 おいおい今の口閉じた音か?

 噛まれりゃ骨ごとミンチだな。


 路地が終わって大通りに差し掛かろうという時、脇道からの通行人が俺と岩ワニとの間になんの気なしに踏み込んだ!いけねえっ!


 花火の光が俺たちを照らす。


 岩ワニは身を翻してシッポで通行人をなぎ倒そうとする!

 驚いて固まる……綿菓子を持ったポニテの女!


「危ないっ!」「きゃあっ!」


 俺は女と入れ替わりながら、女の襟首をひっ掴むと引き倒した。

 空気を咲いて丸太のようなシッポが迫る!痛そー!


【ズバンッ!】


 ぐえ!やっぱ……り。


 すっとばされた俺は角のゴミ箱をなぎ倒し十回転程転がって濡れた軍手のように石畳の通りに倒れた。

 確かな手応えを感じた岩ワニはのしのしと俺に近づく。

 お気に入りのリビのジャケットの裾を奴の前脚が踏む。

 生臭い息が首筋にかかる。

 奴は涎を垂らしながら大口を開けた。


【チャキ!】


 飛び起きた俺はタグナイザーごと右手を奴の口に突っ込む。

 最後の一発。奴の顎の筋肉が閉まろうときゅ、と細まった。


【ターンッッ!】

『ごぁぁっっ‼』


 断末魔もそこそこに奴は光の粒子に解ける。


【ちゃりん】


 長いタグのネックレス。……危なかった。


 俺は這うようにしてタグの所に行くとなんとかそれを拾い上げた。


 体中が痛い。


 大地と書いて……ガイア?馬鹿親が……ガイアは女神だろ?せめて巨乳の美人をイメージしろよな……。


 俺は大の字になると煙草を咥えた。

 空には一面の風船。

 ああ風船だ、と思った直後。俺は気を失った。



 ーーーーーーーーーーーーーー


 土砂降りの雨の中、びしょ濡れで路地裏に横たわる黒猫。

 死んでるのかとも思ったが微かにその胸は膨らむ、縮むを繰り返している。

 俺は猫を拾い上げるとジャケットにくるんでこう言った。


「病院に連れて行く。根性見せろ。死ななかったら俺が……名前を付けてやる」


 ーーーーーーーーーーーーーー




 薬っぽい匂い。

 糊の効いたシーツの感触。

 目を開けると白塗りの天井。


 賃貸事務所の二階じゃない。


「あ、気がつきましたか」


 茶髪の小柄な看護婦には見憶えがある。


 第一東西病院。

「だいいちひがしにしびょういん」と読むその病院名は捻くれた医院長のセンスの賜物だ。


「おはよう七篠君。気分はどうだい」


 現れた短髪眼鏡痩身長身の白衣の男は、これ見よがしに爽やかな笑顔でそう言った。


 ……おはようドクター。気分は最悪より少しだけいい。


「大地が相手とは……相変わらず無茶だね」


 ガイアと読むんだとさ。手強くてな、危うく通行人を巻き込むとこだった。


「君をここに運んだのはその通行人だ。彼女、昨日は夜遅くまで付き添ってたんだ。どうしてもお礼が言いたいって言ってたから名刺一枚渡しておいたよ」


 人の財布を勝手に漁るな不良医者。タグは?


「そこのロッカー。治療費の領収書も一緒だ」


 ……手回しのいいこって。


「お代も領収済みだ。病院食は一食オマケに付けよう」


 いらん。病院食食うならセメントでも食べた方がマシだ。

 それより勝手に財布から金を抜くな。


「打撲とうちみ、擦過傷多数。骨に異常はない。タフだねぇ」


 運が良かっただけさ。


「痛み止めを四日分出しとく。五日目にまだ痛むならまたおいで。勝手に帰っていいよ。お大事に」


 ドクターがいなくなると俺は身を起こそうと試みた。


 あれ?体が重い。


 思ったよりダメージでけえのか?


 よいせ!

「うにゃ……」


 ネモ。てめえ人の上で寝るな。


 黒猫は起きない。

 …昨日は6発撃ち尽くしたからな。MPゼロか。


 俺はもう少しだけこのままでいることにした。






「焼き味噌銀ムツ定食。大盛り。ライムハイ」


 オトトイ食堂の女将さんに贅沢な注文をする。


 ガイア氏は俺が怪我したことに酷く恐縮して治療費の他に報酬を上乗せしてくれたのだ。

 ズタボロになったジャケットを仕立て直しても釣りが来る。

 ……頂きます。


「にゃー」


 あ、すまん。忘れてた。

 刺身盛り合わせ追加で。


「にゃー」


 はいはいすいませんでした。

 6発もかかった上、ワニの口に突っ込んだことは反省してます。

(ほんとはしてない)


「にゃー」


 ええそりゃもう。ネモ様あっての七篠です。

(なにこの猫めんどい)



 食事を終えて丸形線で帰る。


 ほろ酔いの俺は傷の痛みも忘れていい気分だった。

 仕事で結果が出せて、稼げているという実感は悪くない。


 ん?……事務所の前に誰か居る。

 クローズドは出してた筈だが……。

 女?……こんな時間に?

 俺はポケットの携帯電話型スタンガンを確認した。


「七篠……権兵衛さん?」


 女は俺に気づくとやや緊張した面持ちで話しかけてきた。

 美人だな。

 幼さの残る顔立ちは二十歳過ぎてるとは思えない。


 ……ええ。七篠は私です。失礼ですが。


「昨日はありがとうございましたっ!」


 下がった頭の後ろでポニーテールがぴょこんと跳ねた。


 ああ昨日の。乱暴に引き倒してすいませんでした。お怪我はなかったですか?


「七篠さんのお陰で。100%混じりっ気なしの無傷です」


 ……お礼を言うのはこっちです。救急車、呼んでくれたんですよね?お手数かけました。


「そんな。完璧に当然のことをしただけです」


 ……どうやらこの子は言葉を強調しすぎる癖があるようだ。


「お礼だけでも……唯一ただ一言だけでもお伝えしたくて」


 わざわざ待ってたんですか?巻き込んだのは寧ろこちらです。気にしないで下さい。


「また再度、改めてきちんと正式にお礼に来ます。今日は失礼します」


 彼女はぺこり、と頭を下げるととっとと駅方面へ去って行った。

 ああ、もう終電だもんな。

 また来るのか……少し若すぎるが美人は歓迎だ。なぁネモ。


「……」


 ……なんとか言えよ。


 ……そういや彼女、名前を名乗らなかったな。

 また来るって……名前探しの依頼じゃあるまいな……。





 ベッドに入ると、すぐ枕元に黒猫がやって来て春用の薄い毛布に勝手に潜り込んだ。


 ……ネモ。出ろ。落ち着かん。


『……ゃぁー』


 やだじゃない。お前には9800円もした立派なクッションがあるだろ。


『……ゃぁー』


 は?なんで俺が?


『……ゃぁー』


 く……寝たらクッションに移すぞ。


 俺はベットの背もたれにもたれると、ネモを腹の上に載せた。

 黒猫は黒いビロードの鞠のように丸くなる。


 んん!


 ねーむれ〜♬ねーむれ〜♬は〜はの胸〜に〜♬


『……w』


 ……笑うなら歌わないぞ。


『にゃー』


 なら黙って聴け。


 俺は黒猫を撫でながら歌い続けた。


 彼女が眠るまで。



 ーーーーーーーーーーーーーー



 暇な時は一月近く仕事がない時もあるが、最近は毎日のように依頼がある。


「にゃー」


 分かってる。このフレンチトースト食ったら養蜂家のセンセの所に行こう。


【カランコロンカラン♬】


 ……また来客?なんだってんだ?名前失くしブーム到来か?





(by @waikeita さん)

 ネバは肩をすぼめ、ゆつくりと戸を押す。「あの、すみません。ネームハンターをされてゐる七篠さんのお宅ですか?」何よりも先に猫の鳴き声が返事をした。


(by @waikeita さん)

 半開きの戸の隙間から黒猫が1匹出て来る。一度、ネバのズボンの裾を噛んで引く。それから、戸の奥へ戻つて行つた。それから少しして、中から声が漏れる。「痛い、引つかくな。少しウトウトしてただけだ」


(by @waikeita さん )

 戸が開いて出てきた男の、鋭い顔の優しさうな表情に、ネバはホッとした。「あの、僕は」「知つてる。ルグッグミツバチの蜂蜜を売つてるネバ君だよな」ネバの不思議さな顔に、男は少し笑ふ。「お前、かなり有名だよ」


(by @waikeita さん)

 中に通されたネバは、下を向いて黙つてゐた。男は、七篠権兵衛はそれを黙つて見つめる。その足元で黒猫が小さく鳴く。ネバは小さく息を吸つた。


(by @waikeita さん)

「うちの先生、店の主人をしてゐる養蜂の先生のことです。その先生の名前が逃げてしまつて、でも先生は気にするなと。自分は消えれば良いと。でも僕は先生を放つとけません。お願ひします、先生を助けてください!」



(by @waikeita さん)

 ネバの言葉に、七篠は大きく頷いた。「わかつた。何とかするよ」「ありがたうございます!」ネバは勢い良く顔を上げた。褐色の肌に白い歯が覗く満面の笑顔だつた





 ネバを見送った俺が、出掛けようと身仕度を始めた時。


【カランコロンカラン♬】


 ……また来客か?今度は誰だ?



「おはようございます!」


 あ……君は……岩ワニの時の、えーと……。


「榊梓です。この前は全くもって自己紹介が遅れまして」


 榊さん。


「アズサと呼んで下さい」


 梓さん。今日はどういったあれで?


「改めてのお礼です。お土産など持参しました。

 CAFE 32のハニードーナツです」

「にゃー!」


 ……ネモ。お前は猫だ。

 ロクすっぽ歯も磨かない奴が甘いもんにがっつくな。

 梓さん。お礼はありがとう。悪いが今日はこれから仕事で……。


「え!名前探しですか!やた!ご一緒します!」


 ……は?


 お嬢さん。

 名前探しなんて仕事が物珍しいのは分かるが、こりゃ遊びじゃない。連れてけないな。


「別に連れてけなんて言わないです。私の行く先が七篠さんとぴったりばっちり重なりそうではありますが」


 ダメだ。

 前みたいに危険な事もある。


「大丈夫です。あたし逃げ足は光の如く速いんで」


 梓、だったな。

 帰れ。光のように速い足で。

 ドーナツ持ってな。


「それは……無理みたい」

「モグモグ……にゃ?」


 ……てめえこのバカ猫。なにうまそうに平らげてんだ⁉


「絶対邪魔はしません!依頼の秘密も護ります!私はあなたを知る必要があるんです!」


 ……知る必要?なんの事だ?


「それは……まだ言えません」


 ……ワケありか?


「これ以上ない位」


 ……わかった。

 だが俺の言う事は聞け。絶対に、だ。いいな。


「了解です探偵長!」

 その呼び方はよせ。

「ななちゃん」

 それもダメだ。

「ゴンさん」

 ……あのな。

「ななゴン?」

 はーい!

 ……って言うわけないだろ。

 大人をからかうな。


「にゃー」

 ななゴンを気に入ってんじゃねーバカ猫。


 七、篠、さん、だ。梓。



 ーーーーーーーーーーーーーー



 俺たちは茂みの影から件の養蜂家の主人を伺っていた。


「どうやって名前を探すんですか?」


 小声で梓が尋ねる。

 俺は内ポケットから柄つきの楕円レンズを取り出した。


「虫眼鏡?」


 ……ホルスグラスだ。

 因果の残り香を視る事ができる。 視て見ろ。


「これは……糸?……いえ、細い煙……」


 名前とその持ち主を繋ぐ因果……縁、と言ってもいいかな。これを辿るんだ。


「こんな薄くて細いものを?」


 世界と仲良しな君にはそう見えるだろうな。

 今回の対象は剥がれてから大分経つようだが……俺には追える。


「こんなものどこで……眼鏡屋、ですか?」


 ……企業秘密だ。さしもの眼鏡屋にもこれは売ってない。

 さて……こっからはちょっと根性がいるぞ。ジーンズで来たのは正解だったなお嬢さん。


「ジーンズ…?スキニーです」


 ……好きに、呼ぶさ。





( by @waikeita さん)

 養蜂家主人の大柄な男は巣蜜を運ぶ歩みを止めた。「誰だ!」ニャーと猫の鳴き声と共に黒猫が歩いてゆく。「猫、か」大柄な男はまた巣蜜の入つた箱を運ぶ作業に戻つた。





「誰だ!」


 養蜂家の野太い声が響く。やべえ!ばれた⁉


「にゃー」


 ネモは猫のクセに俺に向けてウインクすると、茂みからすたすたと歩み出て見せた。


「猫、か」


 ……ふう。

 ナイスだ相棒。俺と梓は身を低くしたまま、そっとそっとその場を離れた。




「ぜえ、ぜえ……いつまで続くんですか?これ」


 さあな。ハチ屋の名前さんに聞いてくれ。

 だが因果の残り香の濃さから見るともう少しっぽいな。


 日は暮れかけて、俺たちの影は地面に長く、空は紅い。

 道でない道を右往左往登り下り。ぼろけた俺たちは街の東南の……ひと気のない墓地に出た。



 いた。……あれだ。


「……綺麗」


 蝶だ。


 しかもただの蝶じゃない。

 ガラスのようなシャボンの膜のような。

 透明で光の角度によって七色の艶が一瞬見える。


「いよいよハントですね。そう言えばあの銃は?」


 いや、今回は銃は使わない。


「え?」


 キラキラと淡い夢のような儚さで夕暮れの墓地……ある墓標の周囲を踊るように舞う鋭角の羽根の蝶。


 梓。

 剥がれるのはな、怪獣じみたひどい名前だけじゃない。

 美しい名前でも持ち主の生き方とすれ違うことがある。

 そんな名前には、銃なんて必要ない。


 出直そう。

 網と虫かごを用意してな。


「え?逃げちゃったらどうするんです?折角苦労して見つけだしたのに」


 逃げないよあの蝶は。

 あのお墓からはな。

 剥がれてからずっとああしてるんだろう。


「どうして?」


 ……さあな。それは俺の仕事じゃない。


 明るい内に捕まえる。

 それとも夜の墓地が大好きだったりするか?


 俺の言葉に梓はぶんぶんとポニテを振った。


「にゃー」


 ネモ。お前の意見は聞いてない。





「水晶の羽根の蝶…これがあのおじさんの名前?」


 梓は虫かごの中で羽根を休める蝶をまじまじと見つめる。


 ……ああ。

 タグにしないから読みはわからんが。


「これをネバさんに渡して任務完了、ですね?」


 ネバを知ってるのか?


「有名ですよ、彼」


 どうだ?

 大したことない地味な仕事だろ?

 この前はたまたま怪獣退治みたいになったが、大抵はこんなもんさ。

 がっかりしたら今日はもう帰れ。


「がっかりなんて…ななゴンはヒャクあたしの思った通りの人です。ガチで」


 ……呼び方。七篠さん、だ。


「でも今日はこれで失礼します。次は正式に……依頼に伺います」


 依頼?でもお前、名前……。


「詳しい話はまさにその時に。ではまた。今日はディモールトお疲れ様でした」


 お疲れ。気をつけてな。


 ……に、しても無理やりすぎないか?その強調。




 もしもし?

 ああ七篠です。確保した。

 ん?いや。……一羽の蝶だ。

 うん。……墓地だ。ある墓標の周りをずっと飛んでた。

 ……それは持ち主が知ってるだろう。

 ……それは本人次第だな。

 ああ虫かごに入れてある。

 明日の朝?分かった。

 では明日、時計塔の前で。




 俺は電話を切ると煙草に火を付けた。

 相棒は雲の晴れた月明かりの窓辺に俺のシャツだけを着て腰掛けている。

 若い女の姿で。

 かじりかけのドーナツを持って。


「ねえ」


 絹のような髪を揺らしてネモはこっちを振り返る。


「一緒にお月様を見ない?金貨みたいにまん丸よ」


 断る。


 お前がその姿の時は近寄らない事にしてるんだ。

 うっかり肩でも抱いて引っ掻かれちゃかなわんからな。


「ななゴンを引っ掻いたりしないわよん」


 二つやめろ。

 一つ。ななゴンと呼ぶな。

 二つ。猫が猫なで声を出すな。


 ネモは可笑しそうにゴロゴロと喉を鳴らした。


 俺は煙と共に大きな溜息を吐き出した。




 ……因果を操る悪魔が相棒、か。




 ーーーーーーーーーーーーーー



 通された梓の家の二階の一室で、俺はベッドに横たわるその少年と対面した。


 梓に似た整った顔立ち。

 死人のように血の気の引いた白い肌。


「見て。七篠さん」


 掛布団がめくられ、露わになった少年の左手は……ガラスのように透き通っていた。


「あたしの…弟です」



 ……どれくらい経つ?


「分からない。名前をなくした事を隠してたみたいで」


 俺は因果を視る虫眼鏡・ホルスグラスで彼を視た。


 そんな馬鹿な。


 因果の匂いが……ない⁉


「……やっぱり。普通の剥がれじゃないのね」


 ちょっと待て。やっぱりってなんだ?


「薬よ。名前を剥がす」


 なん……だと?


「中高生に出回ってるの。飲むと名前が剥がれて剥がれた名前を操れる薬。悪いことさせたり名前同士を戦わせたりするそうよ」


 弟さんはそれを?


「友達に無理やり付き合わされたらしくて……」


 名前を剥がす……薬。


「にゃー」


 ああ相棒。

 俺も……そう思ってたとこだ。


「七篠さん……弟を助けて下さい!あたしにもう一度この子の名前を呼ばせて。お願いします。どうか……どうか……」




 ーーーーーーーーーーーーーー



「な……何もんだてめえっ!」


 茶色のパセリみたいな頭のタンランのヤンキーは倒れた二人の仲間の様子に狼狽しながら叫んだ。


 ……剥がした他人の名前を集めてるそうだな?

 名前の持ち主の家族の頼みで取り返したい。

 売ったのか?誰にだ?


「だ……誰がてめえなんかに!」


 ヤンキーは真っ赤なタブレットケースを取り出すと真っ赤な錠剤を口に放り込んだ。

 がりっと噛んで飲み込む。

 奴の体がしゅうしゅうと煙を上げる。


 ……これは……因果の……!

 あの錠剤!ネモっ!タグナイザーだ‼


【ウォォォンッ!ウォウォォォン‼】


 煙が晴れるとトゲだらけの紫色の改造車がエンジンをふかしていた。

 乗ってるのは奴だ。


「にゃっ!」


 くるりと空中で回転した黒猫は、ピカッと光ると瞬く間に大型拳銃へ変貌する。


【キュルキュルキュル!】


 ホイルスピンの白煙を上げながら時代遅れの改造車が突っ込んで来る!


 あっ…危ねえ!


 路面を転がって轢き逃げアタックを躱す。

 暴走車は200mもオーバーランする。

 奴は狭い通りで起用にアクセルターンをかますと再び俺に向けてエンジン全開で突っ込んで来る。

 俺はズボンの埃を払うとウィーバースタンスでタグナイザーを構えた。


【ゥゥォォオオンッ!】


 すー、はー、すー、はー、すー…!


【…ターンッッッ…‼】



 ビシッ!


 真っ白にひび割れるフロントガラス。


 そのひびは車全体に広がると、音もなく光の破片に砕けた。


 ドサ!ゴロゴロ…!


 道に投げ出されるヤンキー。


 チャリーン!


 路面を滑る銀のネックレス。

 俺は大きく息を一つついて、足元のそれを拾い上げる。


 爆走と書いてターボ、か。…グレもするわな。



 ーーーーーーーーーーーーーー



「名前を剥がす薬だって?」


 茶パセリ頭のヤンキーのベッドの脇で、一連の出来事を俺から聴いたドクターは目を丸くして大袈裟に驚いて見せた。


「信じられないな」


 ……だろ?

 こいつを締め上げて薬の出処も突き止めた。

 名前獣を買い上げてるのもそいつらだ。


「違う」


 違う…って。


 何か知ってるのかドクター!


「僕が信じられないと言ったのは彼の髪型のセンスだ」


 ……温厚な俺もしまいにゃ点滴スタンドで薬棚壊して回るぞ。


「もしかして君のホルスの眼も……そいつらが造ったのかも?」


 ……ああ。


「で?どこのどいつなんだい?名前ドラッグの製造元は」


 最近売り出し中の新興宗教団体、真理聖名教会だ。


「真理聖名教会だって⁉」


 知ってるのかドクター‼


「いや。知らない」


 ……看護婦さーん!点滴スタンド一つ持って来て下さーい!


「……一人で行く気かい?」


 強くて優しかったうちのボスはもういねえ。だが代わりに頼もしい相棒はいる。


「にゃー」


 なに、死にゃあしねえよ。


「止めても無駄みたいだね。

 よければ、これを…持ってってくれ」


 ドクターに何かが入った紙袋を渡される。


 ドクター……これは?


「昨日割っちゃった花瓶だ。明日不燃ゴミだから、表のゴミ捨て場に捨てておいて」


 ……マジにこの部屋を不燃ガラスゴミだらけにしてやろうか?


「ま、首がついてりゃなるべく治すけど……バラバラ死体は僕でも治せない。気をつけて」


 ……本当は心配する気ねぇだろ。



 ーーーーーーーーーーーーーーー



 事務所に戻ると壁にもたれて梓が待っていた。


「お帰りなさい……七篠さん」


 ああ。進展あったぜ。弟さんの名前のありかの見当がついた。明日にでも訪ねてみるから安心して……。


「本名じゃ、ないんですね?」


 ……。


「七篠権兵衛。貴方も過去に……名前を失った。そうでしょ?」


 梓は俯いたまま近づいて来る。


「自分に名前がないのに…他人の名前を探して、取り戻し続けてるんですか?そんなにボロボロになってまで。命の危険を……おかしてまで」


 梓は泣いていた。


「優し……過ぎます。カッコ……つけ過ぎです」



 ……そんなんじゃねえ。


 名前探しを生業にしてるのは他人の為とか正義の為とかじゃねえ。


 思い出せない自分の名前をふと拾うことがあるかも知れないからだ。

 自分の為さ。


「弟の為に……狂信者集団のアジトに一人で乗り込む気なんでしょ?」


 ドクターめ……あんにゃろう余計な事を。



 別に君の弟の……。


【がばっ!】


 梓は泣きながら俺に抱きつく。


「何の為かなんて至極どうだっていい!約束して下さい!絶対に……天地神明にかけて絶対に!必ず!300%帰ってくるって‼」


 分かった。


 ……約束する。絶対に、帰ってくる。



 言った途端、彼女は素早く俺の唇にキスをした。



 そして俺を突き飛ばすように振り向くと驚く程の速さで駅方面に走り去り、あっと言う間に視界から消えた。


【がりっ!】

 ぎゃあ!…いでぇ!


 バカ猫!てめ何しやがる!


「にゃー」


 見てただろ⁉俺は何もしてねーっ。


「にゃー」


 そーかよ!あーもうどいつもこいつも。


 それにしても梓。

 流れ的にツッコミはしなかったが、300%帰ってくる…ってどうすりゃいいんだ?

 一度出かけて三度帰ってくりゃいいのか?

 それとも俺自身が三人に増えて帰ってくりゃいいのか?


 夜の街並みの喧騒を滲ませる風に燻らせたタバコの煙は、どこかいつもより甘く香った。




 ーーーーーーーーーーーーーー


 巨大な炎の鳥は聖堂の天井すれすれをもがくように二度羽ばたくと糸の切れた人形のように力なく墜落した。


 ずらりと並ぶ飾り気のない黒檀の長椅子を砕いて落ちたそれは、既に鳥ではなく白い教服を来た少年だった。



 はぁ、はぁ、はぁ……くそ。


 左腕は折れた上に火傷している。

 タグナイザーの弾は残り一発。

 ぐ……左腕いてぇぇ。

 こいつが……最後の一人、だといいが。



「最後の四天王…朱雀も破ったか。」



 巨大なパイプオルガンの中央。いつからいたのか赤い神官衣の男が言った。


 ……貴様がボスか。


 名前を剥がす薬で名前獣を集めて……何を企む!エセ神官!


「離名丸の……名前を剥がす薬の材料は何だと思う?」


 ……さあな。半分は怪しさでできてるとでも?


「悪魔の骨。その粉末だ。この世には居るのだよ。因果を狂わす神や……悪魔のような存在が。」


 俺は右手にずっしり重いタグナイザーを……ネモを見た。


「今から二十年前の事だ」


 奴は人を見下した表情でゆっくり近づいて来る。


「悪魔の召喚に成功した私は、その悪魔の命と引き換えに壮大な離名の儀式を行った。

 ……一つの都市全体から名前を剥がす禁断の秘術だ。」


 都市の名前を?なんの為に?


「名前の剥がれたものはこの世との因果が薄くなる。名前のない物や場所には普通ならあり得ないことが起きやすくなる」


 奴は芝居がかった動作で小さくかぶりを振った。


「人間の欲望にまみれた街の名前を剥がした強力な名前獣を産み、混沌と破壊をもたらせば……

 世界の因果はみるみる薄れ、私のような邪術秘術を知るものが天下をとるのは容易くなる」


 ……寝言は寝て言え。せめて日本語でな。


「儀式は完成し、この街は名前を失った」


 赤い神官は不敵に微笑む。


「地盤陥没?笑わせる。因果が大きく失われた影響だ。私の目論見は成功したかに見えた。だが余りにも意外な名前獣が生まれた。


 ……人間の子供だ」


 ……なに?


「この街の深層心理がイメージしたのは破壊でも混沌でもなく……

 一人の人間として生きるという素朴な夢だった」


 ……。



「それでも特別な名前獣だ。私は私の後継者として育てるつもりだった。だがそいつは逃げ出した。ここから。名前も付けないうちに。因果の流れを可視化する魔術道具『バグベアドの瞳』を盗んで」


 ……まさか。


「そのまさかだよ、ネームハンター」


 神官は笑った。


「誰が付けたか知らないが……貴様にぴったりの名前じゃないか。


 ……ナナシノゴンベエ君」


 ……嘘だ!


「信じようと信じまいと次の展開は変わらない。即ち、私の名前獣に敗れて、君は死ぬ」


 奴は何かを掌から飲み込んだ。


「私の名前を教えてやろう……」


 しゅうしゅうと音を立て、因果の煙が立ち昇り始める。


「私の名前はTレックス。暴君竜王と書いて、Tレックスだ!」


 ドヤ顏のその男は、がはがはと下品に高笑いした。

 奴の身体から吹き出した煙が入道雲のようにそそり立つ。


【ぎぎゃぁぁおおおーっっ‼】…


 最悪だ。


 古い映画で見たジュラ紀の怪物が……聖堂に高らかな雄叫びを響き渡らせた。



 竜はステージを軋ませながらジロリと俺を見る。


【ぐぼぉぉぉっ!】


 奴は俺を見据えて地鳴りのように低く吠えた。


 弾は一発。

 一かバチかギリギリまで引きつけて奴の眼を狙う。

 俺は右手一本でタグナイザーを構え、やつの右眼にサイトを重ねた。


 来る!


【ズシ!ズシ!ズシ!】


【ズン!ズンズンズン!】


 加速した奴は頭突きの姿勢で真っ直ぐ俺に突っ込んで来る。


 ……今だ!


【ターンッッッ!】

【ビシッッ!】

【ぐきゃぁぁぉっ!】


 くそ!瞼で弾きやがった!


 巨大な頭部に連なる車のボンネット程の鼻先が俺を大きく跳ね飛ばした。


【ババキッッ……ドサッ!】


 ぐは……。


 黒檀の長椅子をぶち折って今度は俺が倒れる。


 げぼ。


 口から多量の血。


 ……内臓痛め……かはっ……肋骨も折れてる。


「無様だなネームハンター。全てを知った納得したか?ならば……」


 待てよサンタジジイ。


 俺は全て知ったが…あんたが知らない事実があるぜ。


「……ふ。この期に及んでつまらないハッタリだな」


 ……お前が……ぐっ、この街の名前剥がしに使った最初の悪魔な、生きてるぜ?


「……馬鹿な。あり得ない」


 力の大半を失って……小さな獣の姿で死にかけていたのを拾われたんだ。拾った奴はそうとは知らずに名前を付けた。


「拾った悪魔に……名前を付けた……だと…?」


 ある種の悪魔には名前を付けることが契約に当たる……なんてそいつが知ったのはずっと後のことさ。

 お陰でそれからいつも……もちろん今でも一緒にいる。


「……まさか!」


 そのまさかさ。

 ネモ、聞こえるか?

 汝が名付けの親、七篠権兵衛が命ずる……真の名前もて真の姿を取り戻せ。目覚めよ!グレモリー・グラシャラバラス‼


「Yes……Master……」

 誰かが、地の底から響くような低い声で返事をした。


 銃は猫に戻ると地面に着地して一声鳴いた。


 猫から複雑な光の線が地面に伸びて、見る間に魔法陣が完成する。


 ティラノサウルスは俺を食い殺そうと噛み付いて来たが、魔法陣が形成した不可視の障壁に弾かれただけだった。


 魔法陣から溢れるめくるめく閃光の中で、ネモは一瞬女の姿になった。そして次の瞬間、形容し難い黒っぽい塊になった。


 濡れた光沢のある生きた臓物のような肉々しい何かの集合体に、大きさと色の違う目が4つか5つまばらに付いている。そしてその目の一つ一つがバラバラの方向をぎょろぎょろと凝視していた。



 恐竜が俺を踏み潰そうと振り下ろした足を、黒い塊のネモは全身を柱のようにして受け止めて支えた。


 そのままぐにぐにと蠢きながら更に姿を変えて行く。


 恐竜と同じ…いや。恐竜より少し大きな、巨大な葉のない樹木のような姿に、ネモは変身を完了した。


【ジャキィン!】


 枝という枝に長い棘がビッシリ生えた。


【ギャリギャリギャリ…!】


 各々の枝が高速で回転したかと思うと、ネモはその体ごと恐竜に体当たりを敢行した。


【ギギギャァャァャァ!】


 恐竜が切られて…いや!

 削られて行く!


 聖堂は恐竜の缶詰のトマトペーストにも似た血肉の飛沫だらけになった。


【ギャリギャリギャリ…】


 やがて恐竜の断末魔が聞こえなくなる。


 一本残った足も。

 壁じゅうの返り血も。

 撒き散らされた肉片も。


 全てが少しずつ光の粒子になって、夜の聖堂の静寂に消えた。


「私の……名前が……」


 ざまあ……見ろ。


 俺は最後の力でニセ神官のすぐ後ろまで来ていた。


「た……助けてくれネームハンター!このままでは私は消えてしまう!か…金ならだす!」


 ……人々から奪った名前…獣は?


「取引や破壊工作に使おうと……地下宝物庫だ!ほ、ほらこれが鍵だ。助けてくれ!頼む!」


【バキィッ!】


 俺は鍵を受け取りると鍵を握ったその拳でニセ神官を思い切り殴った。

 奴は踏まれた蛙のような声を出して倒れ、動かなくなった。


 ……四天王に育てた四兄弟にでも頼んで見るんだな。


 そのまま膝を付いて、前のめりに倒れる。


 やべえ……限界、だ。


 意識が遠のいて行く。


 あ、いかん。死ぬ。


 その時。誰かに名前を呼ばれた気がした。


 とても気持ちの安らぐ呼ばれ方だ。

 その人が呼ぶ俺の名前が、俺の隅々に染み渡り……俺をこの世に繋ぎ止めているようだった。


 ……誰、だ?


 うっすら開けた俺の眼にポニテのシルエットが映った。


 そして世界は暗転した。



 ーーーーーーーーーーーーーー



 目を開けると白塗りの天井。



 賃貸事務所の二階じゃない。


「あ、気がつきましたか」


 茶髪の小柄な看護婦。


「おはよう七篠君。気分はどうだい?」


 ……おはようドクター。


 気分は最悪より1オングストロームだけいい。


「伝説の四聖獣とジュラ紀の帝王Tレックスが相手とは……相変わらず無茶だね」


 俺は無茶は嫌いなんだか……無茶の方が俺を好きみたいでな。


 俺は夕べの経緯をドクターに話した。


「……なるほど。君がこの街の名前獣、か」


 ……どう思う?ドクター。


「確かめてみる?」


 どうやって?


「タグナイザーを借して。君を撃ってみよう。なるべく痛くしないようにするからじっとしててね」


 ……俺はドクターの本名を聞いたことがない。ドクターがこの街の名前獣なんじゃねえか?


 大体、情報元は悪魔とお友達の気狂いのエセ神官だぜ?

 やめとくよ、アホらしい。



「じゃあ……」


 間に受けないし相手にしないさ。


「良かった。ならどうであれこの街は、当分今まで通り……このままってことだね」


 そうだな……。


 謎だらけで不思議な、妙なことばかり起きるここみたいな街が……地球に一個くらい……あってもいいさ。


「治療費はポニテの通行人さんが払ってった。骨折は全治二ヶ月。火傷の方は毎日包帯替えて消毒するから、暫くは通いだね。

 入院するなら三食病院食付きで安くするけど?」


 通うよ。三食病院食なんてそれが元で病気になる。


「そうなると無限ループで儲かるなぁ」


 ……SNSで悪評流すぞ。ヤブ医者。





 俺は病院を出ると空を仰いだ。


 曇りがちの最近に気まぐれに現れた、抜けるような春の日の空。


 車の騒々しさ。

 行き交う人の足音。

 風の匂い。

 草木の匂い。


 俺は一度眼を閉じると、この街の朝を、胸いっぱいに吸い込んだ。



 ーーーーーーーーーーーーーー



 俺の名前は七篠権兵衛。


 この街じゃちょっとは知られた「名前捜索人」だ。


 探偵のようなものと考えてくれればいい。最近ではネームハンター、なんて横文字で呼ぶ奴もいる。


「にゃー」



 ……分かってるよ。


 こいつは相棒の黒猫。


 名前はネモ。色々あって俺はこいつの言葉が解る。こいつ、見た目通りの只の猫じゃねえんだ。


 俺の仕事は失くした名前を探すこと。


 この街じゃ、何時の頃からか名前が人や物から抜け出してどこかに散歩するようになっちまった。


 俺は憐れな依頼人の失くした名前を見つけ出して、元通り人に名乗れるようにしてやるってわけさ。


【カランコロンカラン♬】


 さぁて仕事か。


 今日も危険でクールな一日が両手拡げてウィンクしながら俺を迎えに来たぜ。

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ネームハンター 〜The nameless city blues〜 木船田ヒロマル @hiromaru712

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