#7 宝捜し
トオルが神岡で目覚めてから六日目、ようやく本格的に外へ探索にでることになった。
というのも、カミオカと初めて話した翌日に熱を出してしまい、ベッドに押し込まれてしまったからだ。希和は添い寝をすると主張し、脱走は絶対に許さないという構えだったので、熱が下がるまでおとなしく看病されていた。
ちなみに芋を煮るのは今朝挑戦した。ガスが通ってなかったので、かまどを作り、鍋の代わりになりそうな金だらいを探し出して、火起こし……は、しなかった。佐和の不思議なポケットから都合良く、ライターが出てきたので。調味料は塩しかないけど、それで十分おいしかった。
残りの芋と、水と、甘いカロリーバーを布に包んで持ち、三人でいざ出発。ここは山の中で地図もないので、佐和がいつも歩くというなだらかな坂道を、目印になる大きな岩がごろごろしているところまで、ひとまず行ってみようということになっていた。
「そういえば、雨って降ってないよねー?」
トオルの横を歩く佐和が空を見て言った。
「雨?」
佐和の言うとおり、雨は降っていない。ただし、トオルが目覚めてからまだ六日、降らない雨を気にするほどじゃなかった。それに、夏場は雨に当たった記憶がないトオルは、雨の降らないことに疑問すら感じていなかった。
遠くからカッコウの鳴き声が規則正しく響いている。うるさいセミの声と、地面のほうからノイズみたいな音もずっと聞こえていた。
そして、生き物の声を消さないようにして、頭のずいぶん上の方では梢がざわざわと音をたてていた。それは雨の音に似ている。
「ああ、俺ね、すごい晴れ男だから」
「あれ、あたしだって晴れ女だよー?」
トオルと佐和のあいだに挟まれて、おとなしく歩いていた希和は交互にふたりの顔を見上げて、妙に納得したように言う。
「だから、最近雨が降らないんですね」
希和は起きていられる間、始終トオルについてまわっていた。行動をチェックするもの仕事なのだろう。看守に手錠を掛けられてつながれたまま歩いていると思うとキツいけれど、ちいさな女の子の姿をした希和が、手をつないで歩かなきゃだめです、と言って真剣なようすでついて回るのならそんなに苦でもなかった。
とはいえ、希和は普通のちいさな女の子とはちょっと違ってて、ほとんど意識を失ったようなトオルを軽々と抱えて歩いたり、さんざん振り回して走らせてみても息切れさえしない――人間そっくりのロボットなのだけれど。
トオルは希和とつないだ手を勢いよく振ってみる。しっかりものの娘を持つしょうもないパパみたいなもんだな、と勝手に考えてはしゃいでいるあたり、トオルのほうがずっと子供だ。
トオルは姉とかなり年が離れていて、ちょうど希和と透の年齢差くらいだ。希和といっしょにいると、そのときの姉の気持ちが少しは判る気がしておもしろかった。
「希和は天気予報できる?」
「……できません」
ちょっと困った顔をする。
「山の上のほうに傘がかかると雨」と佐和がいうと、ぱっと笑顔になった。
「夕焼けは雨」
「朝焼けは晴れ」
「コウモリが低く飛ぶと雨」
コウモリがいるらしい。トオルは見たことがない。
「どこかに洞窟があるはず?」
「坑道があります。この近くにはアトツコウ」
「あとつこう」
「正確な場所はわかりません。記録が古いです」
「うん」
「もししばらく雨が降らなくても、HATには水を汲む装置が付属しています。もし地下水が海水になっても不純物を取り除けるので、飲料水は確保できます」
「ハットねー」
と、言って佐和はゆっくりと手を挙げた。めいっぱい腕を伸ばし、てのひらを頭上でひるがえす。すると、どういうわけか、その手の中には麦わら帽子が現れていた。オレンジ色の花模様のリボンは、少し色あせている。
佐和はさりげない動作でその帽子を自分の頭の上に乗せる。
HATというのはカミオカの本体などがある、トオルたちが探している施設のことだ。地下にある発電所のそばにあって、半球型をしている。らしい。その帽子みたいに。
「――って、その帽子、どっから出したの?」
風に飛ばされて、木の枝に引っかかっていた帽子が落ちてきたようなタイミングだった。あまりに自然だったので、あやうく突っ込みそこねるところだった。
「どこって……あたしの部屋よ。もういらないものだったし」
「ええ? 持って来てた?」
「ううん、今。……今、『思い出した』から。そうか、透、知らなかったんだ? ここにないものはみんなこうやって呼ぶのよ。じゃないと服とか余分にないじゃない。そのジーンズだってあたしのダンナのやつ」
トオルの着ているのは下着以外は古着で、少し大きめだった。ジーンズのポケットには印字の消えかけたレシートが入っていたりしていた。
けれど神岡には、トオルと佐和しか生きている人間はいない。カミオカが嘘を言っていなければ。
トオルはとっさに、旦那のことは訊いちゃいけないことなんじゃないかと思って、どきりとした。そんな雰囲気があったのだ。
「あ、足長いなとは思ったんだけど、そうじゃなくてさ」
「あたしたちって、こうやって来たんじゃないの?」
トオルの動揺を感じ取ったかのように、佐和は不機嫌な口調で言い放った。そのまま、ふいと目をそらすと、膝ほどに丈がある下草をがさがさとかき分け、さっさと先に行ってしまう。
「佐和は旅人なんですよ」
トオルを見上げ、希和が言った。その答えは抽象的すぎて、トオルには意味が判らなかった。
「タビビトって? どこからの旅?」
「もといた場所からです。私はトオルがどこから来て、どこに帰るべきか知っています。でも、佐和のことは知らないんです。佐和は、さっきの帽子と同じように、どこでもない場所から、突然来たんです。カミオカも、知らない方法で……。だから私たちは佐和を旅人と呼んでいるんです」
結局、透にはよく判らなかった。たぶん、佐和にも判っていないのだろう。どういうわけか、気がついたときにはここにいた、というのが、佐和と透の共通点ではあるのだが。
少し行くと、佐和にはすぐに追いついた。こちらを向いてはいるものの、帽子を深くかぶって黙り込んでいる。彼女の背後には目標にしていただろう大きな岩があった。
トオルは少しジャンプして、頭上から垂れ下がっていた蔓を引っ張った。案外丈夫だ。ギザギザの葉っぱで、白と紫のまだら模様の実がなっている。
「佐和さん、これって食べれる?」
「やめたほうがいいよ。それぶどうじゃないし」
「ふーん」
うちわにしては小さい葉をむしってあおぐ。
「この先、ちょっと行ったところにある、山ぶどうなら食べれる。きっとまだ青いし、熟れても酸っぱいだろうけど」
佐和の口調にはまだトゲがある。それでも、うるさいとか言われなかっただけまだマシだ。
「ほら、あのあのぼんやりした花の咲いてる木のあたりに、」
佐和は、まだ先へ行ったところから山の上へと続く細い道を指した。道というか、藪の中だ。指さす先に、ピンク色の綿毛のような花が咲く木がある。施設の建物のあった辺りとは生えている木の種類が違って、ほとんどが広葉樹だ。
「なんかおいしそうな実がなるのもあったはず」
そう言われれば、登っていかないわけにはいかない。
「蜂に気をつけてくださいね。見かけたら、触らず、騒がず、そっと身を低くしてください!」
装備が山登りには向いていない。特に靴が。滑って体勢を崩して、後ろにいた佐和に支えられた。振り返ると、希和も登り始めている。
このあたりだけ、周りの木々と背丈が違うことがわかった。多分、土砂崩れがあってこの辺一帯が崩れ、そのあと再生したようだった。もう少し湿度が低ければ、背の高い木々の隙間を縫うようにして、山の下のほうが見下ろせるはずだ。
「残念、見通せるかと思ったけど、霞がかってる」
「カスミ?」
佐和は手をかざし、遠くを見るそぶりをしてみせた。
眉をひそめる。
「あれ、霞じゃないよ。今日はすごくよく見えてる」
「え?」
希和もおいついてきた。バランスを崩さないよう希和にも支えてもらって、遠くを見る。
「むこうに見えるのは陽炎だと言った人がいました。やはり『帰還者』です」
希和が言う。その人は過去に神岡にいた人間だろうか。
「陽炎だと思いたかったんでしょうね」
佐和に言われて、トオルもようやく気づいた。
遠くに、空の境目にあるのは水平線だ。
「海……!?」
それは霞のように、陽炎のように、眼下のすぐ近くまで迫っていたのだ。
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