第38話

 やがてクラース達は血糊のべっとりとついた得物を携えて野営地へと戻ってくる。

 返り血などで酷い恰好となっている二人であったが、さらに酷い状態に見える一人の射手をレインが引きずる姿に、騎士達は兜の下で顔を引き攣らせながら二人を出迎えることになった。


「全滅は無理だったぜ。結構な数に逃げられちまった」


 そう語るクラースなのだが、暗く視界のあまり利かない状態で息を殺して潜んでいた射手達をかなりの数狩りたてた二人に文句を言えるわけもなく、指揮官の騎士はつっかえながらも二人に労いの言葉をかけるに留まった。

 その言葉を受けながら、レインは引きずってきた射手を手荒く適当にその辺へ放り投げ、待ってましたとばかりにルシアが馬車から下りてくる。


「どのくらい息があるかな?」


「槍の柄でぶっ叩いただけだからな。骨は何ヶ所か折れてるかもしれねぇが、命に別状はねぇだろ、たぶん」


 地面に転がされた射手は、見た目は若い男であった。

 腕が両方ともおかしな部分でおかしな方向に折れ曲がっているところからして両腕を酷く骨折しているのは分かるが、他には負傷しているような場所は見当たらない。


「ちょっと馬車から離れたところに移動させてくれる? 令嬢さんには刺激が強すぎるでしょ」


「ならこっちだ」


 転がしたばかりの射手の体を再び持ち上げて、レインがルシアを連れて馬車から離れる。

 その姿をなんとなく恐ろしい物のように見送った騎士達は、残ったクラースに肩をぽんと叩かれてびくりと体を震わせる。


「あっちはあっちでやってもらうとしてだ。こっちはこっちでやられた奴を埋めてやろうぜ? それとも死体も運ぶのか?」


「い、いや。遺品を回収して遺体は弔う。襲撃者は放置になるが異論はないな?」


「死ねば皆同じだと思うけどな。依頼主の意向にゃ従うぜ」


 騎士というからにはそれなりの身分ではあるはずなのだが、遺体を運ぶのはその重量もさることながら死んだ瞬間から腐り始めるそれをどのようにして運ぶのかという問題がつきまとう。

 だからこそクラースは埋葬を提案したのだが、それは騎士達にあっさりと受け入れられ、クラースと騎士達は襲撃で亡くなった二人のために穴を掘ることになった。

 遺族に渡すための遺品をいくつか回収した後に、二人の騎士の遺体は掘られた穴へと安置され、上から土が被される間、シルヴィアが死者を弔うための祈りの言葉を切々と唱え、簡易的にではあるものの死んだ騎士達への弔いが行われる。


「ご令嬢様とやらは出てこねーのか」


「刺激の強い話ですから」


 自分のために二人の騎士が死んだというのに、子爵令嬢は馬車から出て来ようとはせず、そのことが不満なクラースをシルヴィアが宥める。

 普通に貴族として暮らしている令嬢ならば、おそらくは直面することのない光景であり、出てこない令嬢の心情もシルヴィアには理解できるのだが、クラースにそれを理解しろというのは少しばかり難しい話であった。


「死んだ騎士ってのも浮かばれねーだろ」


「それも承知の上で仕えていらっしゃるのでしょうから、私達がとやかく言える話ではないですよ」


 そんなものだろうかと、これまで傭兵としてしか人生を送って来なかったクラースは小さく鼻を鳴らしたのだが、すぐにレインが自分達のところに近寄ってくるのを見て、表情を和らげる。


「どうだったレイン? なんか情報は吐きやがったか?」


「それなんだがな」


 クラースの問いかけに言葉を濁したレインの背後には、うんざりしたような表情のルシアが付き従っていた。

 二人の表情からして、あの射手から情報を得るという作業の結果があまり芳しくなかったことをクラースは悟ったのだが、声を落とすことなく軽い口調で話しかける。


「大した情報は持ってねーってか? まー襲撃に使う駒にそれほど重要な情報を持たせてるわけもねーとは思ってたけどな」


「少しでも情報を引き出せてたらよかったんだけどね」


 答えたルシアの口調は重い。


「ごめんクラース。全く何も情報を引き出せなかった」


「おいおい、まじか」


 謝るルシアにクラースは驚きを隠せない。

 以前にルシアは別件で似たような作業を行ったことがあるのだが、そのときの手際はあまりにも見事なものであり、必要であろう情報を犠牲者から軒並み吐かせるくらいのものであった。

 そのルシアが何も聞きだせなかったというのだから、クラースが驚くのも無理はない。


「そんな我慢強い奴だったのかよ」


 同じ目に遭わされた場合、自分ならばそれに耐え切ることができるだろうかと自問しながらのクラースへ、レインは苦々しく顔を歪めつつ首を振った。


「違ぇんだ兄貴。我慢するもなにもあの野郎。一言だけしゃべって自決しやがった」


 両腕は使えない状態で、尋問を行う前に妙な物を持っていたり、口に含んだりしていないかの確認はレインとルシアが二人がかりで行っている。

 だからこそまさかそのような手に出るとはレインもルシアも思ってはいなかった。


「逃げられねぇと悟ると、野郎自分の舌を噛み切りやがった」


「舌を噛まれたときの対処を知らねーわけじゃねーよな?」


 レインとクラースの二人は傭兵時代にも同じような作業を何度かしたことがある。

 それは傭兵であったり敵兵であったりと、その時によって相手は様々であったのだがその中には驚くほど根性の座った者もおり、敵に情報を渡すくらいならばと自分で自分の命を消すような手段を取る者もいなくはなかった。

 当然、死なれてしまえば得られるはずの情報も得られなくなってしまうので、レイン達はそのような状況に陥った場合の対処法というものも、傭兵団で教わってきている。

 舌を噛まれる、というのは自決の手段としては非常にオーソドックスな代物であり、それだけに対処の仕方というものも確立されていた。

 勘違いされがちであるのだが、舌を噛んだだけで人は死んだりはしない。

 口内の舌を失うことにより舌の根が喉へと落ち、気道を塞ぐことによる窒息。

 それと口内に溢れる大量の出血による窒息あるいはショック状態。

 いずれにせよ舌を噛むことにより命を失う原因は、大体の場合は窒息によるところが大きいということを、レイン達は経験などから知っていた。

 それを防ぐためにはどうすればいいかと言えば、舌を噛んだと分かった時点で無理やり相手の口を開き、血を吐き出させ、喉の奥へと落ちているかもしれない舌の根をどうにかして引きずり出し、とにかく呼吸を確保してやれば、おおよそ助かるのだ。


「気づいたときには手遅れだったーみてーな感じか?」


 それならば仕方がないかもしれないとクラースは思う。

 世の中には我慢強い人種というものが確かに存在しており、自分の舌を噛んだとしても呻き声一つ立てることなく、気づいたときには死んでいた、というような者がいないわけでもないのだ。

 その類だったのかと問いかけるクラースにレインはまた首を振る。


「舌を噛まれたのはすぐに分かったんだが……野郎、歯を食いしばりやがって窒息するまで口を開きやがらなかった」


「そいつは……」


 窒息とは非常に苦しい死に方である。

 舌を噛めば楽に死ねると思っている者がたまにいるのだが、それは大きな勘違いであり、この方法での自決は長く苦しい思いをすることになるのだ。

 そんな中で、確実に死に至るようにレインやクラースの言う対処を行わせないために、あの射手は歯を食いしばってレインに口を開かせなかったのである。

 それがどれだけ至難の技であるのかは、クラースにとっては想像するに難くないことであった。


「誰の差し金か知らねーが、そいつに忠義立てしてのことだとすりゃ、相当なモンだな」


「正直ぞっとすんぜ。俺にゃ真似できねぇ」


 そんな状況に追い込まれないことが最も大事ではあるのだが、同じ状況に置かれた場合に果たして自分に、その射手と同じことができるだろうかと考えれば、クラースもまたレインと意見を同じくするところであった。

 確かに身動きが満足にとれず、抵抗することができない状況下で相手に情報を与えないためには、自決する以外の方法はないのかもしれないがそれにしたところであの射手の行動はあまりにも異常である。


「唯一得られた情報、ってかあの射手の遺言みてぇなもんなんだがな」


 物思いに耽りかけたクラースの意識をレインの言葉が引き戻す。

 下がりかけていた視線をレインの顔の位置へと戻してみれば、レインが隣にいたルシアに何事か促すのが見え、それに応じるようにしてルシアが口を開いた。


「我々に関わったことを必ず後悔する日が来る。この一言だけだね」


「そりゃあの射手が?」


「うん。これだけ言って舌を噛んだの」


「どこかの宗教の下っ端みたいな遺言ですね」


 さらっと口を挟んだシルヴィアの一言に、全員の視線が集中する。

 何かおかしなことを言っただろうかと首をこてんと傾げるシルヴィアに、レインは何故か視線で問いただせと促してくるクラースやルシアの無言の圧力に負けるように、シルヴィアへと尋ねた。


「いちおう確認なんだがよ。そういう宗教に心当たりとかあんのか?」


「はい。いくつかは」


 あっさりとしたシルヴィアの答えに、レインは引き攣った笑いを顔に浮かべ、クラースとルシアは揃って非常に嫌なことを聞いたような顔になる。

 そんな三人の様子がよく分かっていないのか、シルヴィアは何事かを思い出すように宙を睨みながら続けた。


「邪教徒という名前で一括りにされていますが、あれで結構細々とした違いがあるんですよ。そういう方々の駆逐というのも我々神官のお仕事の一つでして」


 おそらく神官としては間違ったことは言っていないのであろうシルヴィアの言葉なのだが、その言葉から漂う血生臭さにシルヴィアを除く三人は露骨に顔を顰める。

 だがそれすらも気がつかないシルヴィアはさらに先を続けた。


「例外はありますが、大体あぁいう方々は改宗に同意してくれないんですよね。してくだされば穏便に済むんですけれど。ですので神の御許に送る、というようなことになるのですが、そういった方々が残す今際の言葉というのがそんな感じだったかなと」


「そりゃこういうことか?」


 自分の首を平手でとんとんと叩くレインに、シルヴィアは首を横に振るとにっこり笑って自分の首に左手の平を当てて、右手で後頭部のあたりに何かを掴むような仕草をしてみせた。


「大体こっちです」


 笑顔でする仕草じゃないだろう、という内心の声を口にすることなく、どうしたものかと助けを求めるようなレインの視線を受けて、クラースは努めて明るい声を出す。


「ま、まー今回はそういう類の奴らじゃねーとは思うけどな。それに似通った面倒な奴らって可能性は高いんだけどよ」


「もしそうだとすると更に面倒ですね。何せ信仰を理由としなくとも、それと同じくらいに信じる何かがあの射手さんにはあった、ということでしょうから」


 死ねば神の御許に召されるという理由があれば、なるほど死を恐れない教徒がいるというのも分かる話ではある。

 だが、そういったものがなくとも同じような行動が取れるのだとすれば、あの射手の拠り所とはいったいなんであったのか。

 なるほど確かにシルヴィアが言うように、神様の名前を理由として持ち出されるよりは面倒な話になりそうだと、クラースは遠巻きに自分達の話が終わるのを待っているらしい騎士達の姿に目をやりながら、胸の奥から搾り出すように深く息を吐き出すのであった。

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