第20話

 吹き上がる二筋の血飛沫を見て、クエンが何事か毒づきながら飛び出して行く。

 つられるようにして女性魔術師がクエンの後を追って部屋へと踏み込み、それを引き留めようとしたクラースが部屋の中へと飛び込む。

 自然とレインがその後を追い、シルヴィアとルシアがさらに続いたところでまるでそれを待ち構えていたかのように、入り口の扉が大きな音を立てて閉まった。


「閉じ込められたよ!」


 ルシアの警告に足を止めたレインは、すぐさま扉に体当たりをかましたのであるが、厚い金属でできた扉はレインの突進を受けてもびくともせず、ただレインが肩に痛い思いをしただけに終わる。

 その肩を押さえながらレインが部屋の中央を振り返れば、命を失った二つの体がほとんど同時に床へ倒れ伏す姿と、その死体を造りだした正体不明の触手が剣を抜き放ったクエンやクラースへと手を伸ばす光景が目に飛び込んできた。


「兄貴!」


「こっちは任せろ! レインは扉が開かねーか試してくれ!」


 鞭のようにしなりつつ、自分の首を狙ってきた触手をシャムシールの刃で打ち払いながら、クラースはレインへと指示を出す。

 すぐにレインは左の掌を扉へと押し当て、開くときに口にした言葉を再度唱えたのであるが扉が開くことはなく、拒絶されたかのようにレインの左手は扉の表面から弾き飛ばされてしまう。

 同時に体に襲い掛かってきた強烈な脱力感に思わず地面に膝をついたレインへ、シルヴィアが慌ててかけよるとその体に手を触れた。


「<マナ・トランスファー>」


 祈りを捧げつつ紡がれた言葉はシルヴィアの手を淡く輝かせ、その輝きは染み込むようにしてレインの体へと消えていく。

 途端に体を襲っていた脱力感が薄れていき、レインはどうにか立ち上がりながら心配そうに自分を見上げるシルヴィアに軽く頭を下げる。


「助かった。滅多にねぇんだがたまにこうなっちまう……」


 開くときはあっさりと開いた扉だったのだが、レインが義手の力を使ってみても扉は開いていなかった。

 何が悪かったのかと考えるレインへ、シルヴィアが原因を述べる。


「たぶんそれ、必要とされる難易度に比例した魔力を消費するタイプの魔道具なんです。レインさんが倒れかけたのは魔力が欠乏したからで、レインさんの魔力を根こそぎ消費しても扉が開かなかったというのは、おそらく開くには何か別な方法が必要だということだと思われます」


「兄貴! 開かねぇよ!」


 原因などはともかく、今クラースに伝えなければいけないのは扉を開いてこの場から逃げ出すことができないということだと考えたレインが声を上げると、クラースは振り向きもしないまま襲い掛かってくる触手を弾き返しつつ、舌打ちをした。

 正体不明の物体から伸びる触手の数は、いつのまにやら四本にまで増えており、今はなんとかクラースとクエンが二人してその攻撃を凌いでいる状態なのだが、それもいつまで続けられるものか分かったものではない。

 できれば回れ右をして逃げ出したい気持ちなクラースなのだが、唯一の退路は扉が閉められてしまっており、使えないとなればどうしても目の前の敵を倒す以外にこの状況から生き残る手段がなかった。


「ツイてねーな! なんだってんだこいつ!? なんで触手が増えた!?」


 喚くように言ったクラースは、ふと足元に転がっている斥候と戦士の死体へと視線を向けて、その状態に目を見張った。

 先程まではできたての死体だったはずのそれが、いつのまにやらミイラのように干乾びて、今にも崩れ去りそうな状態になっていたのである。

 床に流れ出していた血も、まるで床が吸い込んでしまったかのように消え去っており、視線を上げて正体不明の物体の表面を見れば、最初に見たときよりもいくらか表面に艶のようなものが見えてきているような気がした。


「まさかこいつ……死体を養分にして……」


 最初の攻撃の引き金になったのは、天井から落ちてきた水だったのだろうとクラースは考えている。

 ならば床に転がっている死体もまた、部屋の中央に位置する何かにとっては乾ききった体を潤すための養分として使われたのではないかと推測することができた。

 その推測が正しければ、二人分の死体の養分を吸い取ったことで触手が増えたのだとしても、とりあえずは納得ができる。


「こいつ、魔法生物か何かか!? 創った奴は間違いなくろくでもねーやつだ!」


「泣き言を言う余裕があるなら手を動かしてくれ!」


 クラース達が足を踏み入れた遺跡らしきものが、本当に古代王国期のものであったのだとすれば、部屋の中にいた何かは何百年かの月日をそこでじっと動かないままに過ごしていたということになる。

 そんな生物が自然界にいるとは到底思えず、おそらくはどこかの魔術師が魔法により生み出した存在であると考えるのが自然であった。

 干乾びた状態で長い年月を越し、水分を吸収することで元に戻るというのはそれほど驚くような発想ではないとクラースは思うものの、その水分が腐った水だろうが人の血であろうがお構いなしというのは節操がなさすぎる。

 絶対に仲良くできるような人種じゃないなと思うクラースは、その視界の端で女性魔術師が何事か唱えながら、その掌を部屋の中央へと向ける姿を捉えた。


「<ファイアーボール>!」


 それは火の弾を撃ち出し、着弾と同時に爆発を起こす範囲攻撃の魔法であった。

 前衛が接敵している状態で使う魔法じゃないだろうと内心悲鳴を上げながらも、慌てて飛び退いたクラースは、ほぼ同じタイミングでクエンが飛び退くのに感心しながらも、次に起こるであろう爆発に備えて足を踏ん張る。

 続いて起こった爆音に、耳も塞いでおくのだったと後悔するクラースなのだが、まさか戦闘の最中に武器を手放して耳を押さえるわけにもいかない。

 クエンはどうしているのかと、耳鳴りがするのに耐えながらそちらを見てみれば、クエンは涼しい顔でいつのまにそこに突っ込んだのか分からない耳栓を、外している最中であった。

 この手際こそが六級冒険者の実力なのだろうかと、少しばかりズレた感心の仕方をしているクラースは、それどころではなかったと視線をクエンから部屋の中央へとまた戻す。

 女性魔術師が放った魔法は部屋の中央にあった魔法生物らしきものの体に着弾し、激しい炎を上げて燃え上がっている。

 水を得ることで動き出したそれが、炎で焙られればひとたまりもないだろうと考えて、少しばかり胸を撫で下ろしたクラースは、その炎の中からまるでダメージを受けているような様子も見せずに飛び出してきた触手に、表情を強張らせた。


「うっそだろ!?」


 本体が燃えているというのに、それを意に介した様子もなく攻撃を仕掛けてきたことに驚くクラースなのだが、クエンはともかくとして魔法を放ったばかりの女性魔術師はそれへの反応がかなり遅れた。

 いちおうは回避しようと試みはしたのだが、間に合わないままに伸びてきた触手に腹部を貫かれ、血反吐を吐きながら壁に縫い付けられるように叩き付けられる。

 それだけならば致命傷にはまだほど遠い傷ではあったのだが、腹部に刺さった触手に手をかけてなんとかそれを引き抜こうとした女性魔術師は、次の瞬間には悲鳴を上げることなく先程床に転がっていた斥候や戦士と同じように、みるみるうちに肌の艶や張りを失っていくと、やがてカサカサに干乾びたミイラのようになり、動かなくなった。

 あまりに容赦なくかつ迅速過ぎる吸収能力を見たせいなのか、クラースの顔が引き攣る。


「そこそこ美人だったのに! 勿体ねーじゃねーか!」


「そっちなの!?」


 思わず突っ込んだルシアだったのだが、その声が注意を引いてしまったのか触手がルシア目がけて攻撃を仕掛ける。

 悲鳴を上げながらそれを回避したルシアはそれほど固くは見えない触手の先端があっさりと壁を貫いたのを見て顔を引き攣らせ、伸びきった触手をクエンが叩き切り、床に落ちた触手がのたうちまわるのを見て、少しでも距離を取ろうとそこから逃げ出す。


「切って切れない相手じゃない」


 自分の攻撃が触手相手に通用したのを見て、クエンは剣を両手で構えるとまだ燃え続けている本体へ攻撃を仕掛けるべく前へと踏み出す。

 だがクラースは魔法生物らしきそれが、三人目の犠牲者を食ったことから考えられる次の展開を予想すると、クエンに向かって叫んだ。


「待て! 迂闊に切り込むんじゃねーよ!」


 クラースの制止の声はクエンに届きはしたのだが、その行動を制するには少しばかり遅きに失した。

 突っ込んでくるクエン目がけて繰出される三本の触手を、クエンは鋭い攻撃で切り落として、燃え上がる本体の前で大きく剣を振りかぶる。

 それはこれまで繰出されていた触手の数が四本だった、という情報からの行動であったのだろうが、クエンが気づかずクラースが気づいた新しい情報として、三人目の犠牲者が出ている、というものがあった。

 二人の犠牲者を吸い尽くすことによって触手を増やしたそれが、さらにもう一人の犠牲者を食ったことにより何が起きるのか。

 その答えをクエンは文字通り身をもって知ることになった。


「まだ……増えるのか」


 次の攻撃はないと考え、大きく剣を振りかぶったクエンの腹には、新しく生み出された五本目の触手が突き刺さっていた。

 二人を食ったことで触手が二本増えたのであれば、犠牲者がさらに一人増えたのならば触手も一本増えるのではないか。

 そう考えたクラースだったのだが、その考えが当たってしまったのである。

 腹部を貫かれて力を失ったその手から剣が床へと落ち、だらりと両腕を垂らしたクエンの顔はみるみるうちに萎びていき、やがてレイン達が見守る中、先の三人と同じくミイラのような様相を呈して枯れ木のように砕けて床に散らばってしまう。

 六級冒険者のパーティが全滅し、さらに犠牲者が一人増えたことで新しい触手を生み出す魔法生物を相手に、覚悟を決めてクラースがシャムシールを構えなおしたとき、背後からシルヴィアの声が響いた。


「<ホーリーエンチャット>!」


「兄貴! 攻撃する!」


 レインの言葉を耳にして、クラースは自分がレインの邪魔になっていないかを一瞬のうちに判断し、即座にその場に伏せた。

 そしてクラースが伏せたことにより空いた空間を、レインの得物であった鋼の槍が淡い光の軌跡を描きながら、かなりの勢いで魔法生物目がけて飛んでいく。

 自分目がけて飛んでくる鋼の槍に対し、魔法生物は触手を持ってそれを迎撃しようとした。

 しかし、呆気なく斥候や戦士の首を飛ばした触手の一撃をもってしても、レインの腕力により投げつけられた鋼の槍が飛ぶ軌跡を、逸らすことはできなかったのである。

 自重と勢いとでかなりの威力を秘めているはずのその一撃は、さらにシルヴィアによる祈りの付与を受けて威力を増し、狙い過たずに魔法生物の本体に直撃するとその体を斜めに貫いて穂先を床へとめり込ませたのであった。

 すると魔法生物は耳障りな悲鳴のような音を立てながら、残る触手を出鱈目に振り回して暴れ始める。


「あっぶねーじゃねーか!」


「他にどうしろってんだよ!?」


 地面に伏せたまま頭を抱えるクラースの文句に、同じく体を低くしたレインが応じる。

 当たればただでは済まないであろう触手がめちゃくちゃに振り回される中、ルシアは体を小さく丸めてひたすら当たらないように祈り、シルヴィアはそんなルシアを庇うような位置で、神に祈りを捧げることにより二人の周囲に仄かに光る防御壁のようなものを創り出す。

 どのくらいそうしていたのかレインもはっきりとは分からなかったのだが、しばらくして狙いも定めずに振り回されている触手の動きがだんだんと遅くなっていくのに気づく。

 槍が貫いた場所から、おそらくは体液なのであろう真っ青な液体を垂れ流していたそれは、自分に死が迫っていることを理解したのか動きが鈍くなった触手を引き戻し、どうにかして突き刺さっている槍を引き抜こうと試み始めた。

 だが、床に穂先が突き刺さっているそれを引き抜くにはもう力が残っておらず、何度か試みた後は触手からも力が抜け、やがてだらりと触手が床へと垂れ下がってしまうと、それ以上は動くこともなくなってしまう。


「死んだか?」


 まだ燃えているせいで段々と焦げ臭い臭いを発し始めた本体と、床に落ちたままの触手を見ながらクラースが伏せの姿勢から頭を上げる。

 体を低くしていたレインは、そこから這うような恰好でゆっくりと自分が投げつけた槍へと近づくと、触手やまだ燃えている本体に注意を払いながら槍の柄を握り、何度かぐりぐりと動かしてみた。

 そんなことをしてみてもまるで反応がないことを確かめると、レインは立ち上がりながら腕に力を入れてどうにか槍を引き抜く。


「死んだみてぇだぞ」


 止めとばかりにレインが槍を横へと振り抜くと、鋭い穂先によって本体がばっさりと横に断ち切られ、それを見てようやく全員がどうやら終わったらしいとばかりに深々と息を吐き出したのであった。

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