第2話
「お嬢さん、今夜俺のために裂いてくれる時間の余裕はないものだろうか」
「ふぇ!?」
唐突過ぎる物言いに、素っ頓狂な声を上げながら目を見開くカウンターの向こう側に座る少女の反応に、レインは深々と溜息を吐きながら近くに空の酒瓶の一つも転がっていないだろうかと視線を巡らす。
いきなりすぎる言葉を吐き出したのは、カウンターにもたれかかり、おそらく本人はキメ顔だと思っている表情をしているクラースであり、それに相対して目を見開いたまま反応に困っているのは冒険者ギルドなる組織に属している受付の少女だ。
レインの兄貴分であるクラースは顔立ちも整っており、体つきも引き締まっており、美男と形容してまず文句が来るようなことはない男である。
二人しかいないとはいえ傭兵団の団長を務めていたことからして、話術に関してもそこそこのものを持っており、頭の回転も悪くはない。
手先は器用であり、大概のことはそつなくこなしてしまう才能の持ち主であり、不器用で口下手であることを自覚しているレインからしてみれば、少しばかり羨ましく思えてしまうような人物であるのだが、一つだけ酷い欠点があった。
女性に見境がないのである。
とにかく気に入った女性がいれば、即座に口説きにかかるくらいの女性好きであり、しかもその守備範囲は年齢、人種をほぼ問わない。
これさえなければ完璧といってもいいのではないかとレインは思うのだが、天はそれほど完璧な存在を創る気は毛頭なかったようで、クラースの女性好きという悪い癖は完治の見込みがまるでないほどに酷いものだったのだ。
結構痛い目もそれなりに見ているはずなのだが、それでも治らないというのはある意味凄いことなのではないだろうかと考えるレインの前で、固まっていた受付の少女はようやく現状を理解し、意識を復帰させたようで貼り付けたような笑顔をクラースへ向けながら口を開いた。
「そういうお話でしたら、他所でお願いできますでしょうか」
「いや、今この瞬間を逃せば俺は運命の相手を逃すことに……」
取りつく島もないほどに平坦な少女の返答にめげることもなく、尚食い下がろうとするクラースの後頭部に、レインはなるべく加減しながら左の拳を落とした。
とはいえ、鋼でできているレインの左拳などをそんなところに落とされれば、受けるダメージはそこそこのものになるはずで、痛みに呻いてカウンターの上へと突っ伏すクラースの体をそっと脇のどけてから、代わりにレインは受付の少女と向かい合う。
「すまねぇな。兄貴の悪い癖なんだ。見逃してやってくれ」
「はぁ……それでご用件の方は?」
傭兵としての最後の仕事を片付けて、報酬を受け取ったレインとクラースはその戦場からやや離れた街にある冒険者ギルドを訪れていた。
いちおう、冒険者なる生業は好き勝手に名乗って仕事ができるようなものではなく、きちんとした組織が存在しており、そこに登録しなければいけない職業である。
それを知ったレイン達は、訪れた街にある冒険者ギルドに登録作業を行うために来ていたのだが、何故だか冒険者ギルドの受付というのは、かなり見た目のいい女性ばかりが務めており、それを見たクラースが悪い癖を発揮してしまった、という状況であった。
「冒険者としての登録を頼みてぇと思ってな。俺と兄貴の」
「なるほど。それでしたらこちらの用紙に必要事項の記入をお願いできますでしょうか」
事務的に少女が差し出してきた二枚の紙を受け取ったレインは、まだ痛みに呻いているクラースの肩を軽く叩くと、顔を上げたクラースに受け取った紙の一枚を差し出す。
傭兵という存在は、戦うことばかり長けた人種で学がない、と思われがちであるのだが、レインもクラースも一通りの読み書きを行うことはできた。
クラースに関しては次期団長ということで文字の読み書きという技能は必須なものであり、前の団長がきっちりと教え込んでいたのだが、クラースと年齢の近いレインは、覚えていて損はないだろうということでそれにつきあわされていたのである。
「名前と年齢と性別に得意な得物を書けって? 書けるよなレイン?」
「年齢ってのがちっとばかりあやふやなんだが」
孤児であるレインはきちんとした誕生日がいつであるのかを知らない。
おそらくこれくらいだろうという数字はあることはあるのだが、それを書き込んでいいものかどうか迷うレインに、クラースが言う。
「問題ねーだろ。調べようったって分かる話じゃねーんだし」
レインが聞いた話では、赤ん坊だったレインをクラースの父親が拾ったのは傭兵団が転々としていた戦場の一つであった。
ほとんど生まれたばかりのように見えたと聞かされており、そこから数えるとレインの年齢はちょうど二十歳になる。
名前はその赤ん坊を包んでいた肌着に縫い取られていた、というのだがどのような事情で生まれたばかりの赤ん坊が戦場に置き去りにされていたのかについて、レイン自身も当然知るわけがなかったし、拾った団長もよく分からなかったらしい。
酷くあやふやな情報ではあるのだが、間違っていたところで正しい情報が分かるわけではないのは確かで、レインはクラースが言う通りに書類の上へ自分のフルネームである「レイン・ソートゥース」という名前と年齢、そして槍が得意であるということを書き記していく。
孤児であるレインと違い、生まれたときから傭兵団団長の息子であったクラースの方は迷うことなく自分の情報を書類へさっさと書いていた。
フルネームは「クラース・アシュモダイ」といい、年齢は二十二歳である。
武器は武器であればほぼなんでも人並み以上に使うことができるという才能の持ち主であるのだが、一番好んで使うのはやはり腰に下げているシャムシールであり、紙面にもそう書かれている。
文字さえ書ければ記入に時間のかかるような書類ではなく、書き上げた書類を受付の少女へ差し出す。
少女はそこに書かれている情報を確認するとぽんぽんと適当な手つきで書類の上に何やら大きな判子を押し、ちょうど背後を通りかかった別の男性職員へそれを手渡し、何事か告げた。
その職員が受け取った書類を手にどこかへ向かうのを見送るレインに、受付の少女が声をかける。
「書類に不備はありません。ですので登録証が発行されます。手数料として一人につき銀貨五枚を頂きたいのですが」
少女が提示した金額は、高いのか安いのかレインには判断がつかなかった。
銀貨五枚といえば普通の宿屋に食事つきで一泊できるくらいの金額である。
今しがた渡した情報に関する登録証を発行するだけの手数料としては、なんとなく高いのではないだろうかという気がしないでもないレインだったが、そこに文句をつけて揉めたところで益はなく、大人しくクラースの分も含めて十枚の銀貨をカウンターの上へと並べると、少女は慣れた手つきでそれらを摘み上げ、しばしその裏表を確認してからカウンターの下へとしまいこむ。
「偽金じゃねぇよ?」
傭兵稼業をやっている中、偽金に触れる機会はそう少ないものではなかった。
主に報酬を誤魔化すためなどに使われていたのだが、現金取引を常とする傭兵団はその辺りには十分な注意を払っており、間違っても団員に偽金を掴ませるようなことはなく、レインは自分の持っている現金を信頼している。
だが、受付の少女が気にしていたのは全く別の問題であった。
「たまに銀貨や金貨を削るようなことをする方がいらっしゃるもので」
意味が分からずに首を傾げたレインへ、クラースが耳打ちで受付の少女が言う言葉の意味を説明してやる。
銀貨や金貨に使われている貴金属は、貨幣の形をしていなくとも価値のあるものだ。
そして貨幣とは、多少目減りしていたとしてもその価値は同じ物である。
これを悪用して銀貨や金貨の縁や表面を少しばかり削り落とし、集めて貴金属として貯めておくという行為が、少なからぬ件数行われているらしい。
もっとも貨幣の価値は本来、その貨幣に含まれている貴金属の量によって定められているので、そんな行為が横行すれば非常に困ったことになる。
「頭の回る奴は色々なことを考えるもんなんだな」
「感心するとこじゃねーよ。レインも気をつけろよ」
何故自分が、と思ったレインだったのだがすぐにクラースの意図に気がつく。
これまでは傭兵団の団員として金の管理などは全て団が行ってくれていたのだが、これから冒険者として生計を立てていくようになれば、当然レインの持ち金はレイン自身が管理しなければならなくなるのだ。
まさかクラースにそれを頼むわけにもいかず、慣れていないことに手をつけるのだから十分気をつけるようにというクラースの忠告である。
「ちなみにお二人はお二人だけで行動されるおつもりなのでしょうか?」
金にまつわる話が一段落したような雰囲気を待って、受付の少女が尋ねる。
レインはその問いかけにクラースに意見を求めるようにそちらを向き、クラースは何事か考えるように黙ったまま頭を掻いた後、口を開く。
「基本的にはそうなるか。こいつとは長い付き合いだが、そこにいきなり見ず知らずの奴を入れるってのも気が進まねー話だし」
「それはちょっとお勧めできないですね。止めておいた方がいいでしょう」
クラースの答えを少女はそう否定した。
理由を視線で問いかけるクラースに、少女は背後を通りかかったギルドの職員から何か受け取りながら説明する。
「冒険者ギルドは冒険者の保護も考えております。ソロやコンビといった少ない人数での行動は依頼料の観点からしますと利点があるのかもしれませんが、依頼遂行の確実性を考えますと、やはりお勧めできないお話となってしまいます」
依頼料は依頼主が設定した金額から変わることはない。
一人頭いくら、という設定であるならば参加する人数は受け取る報酬と関係がなくなるのであるが、大体は一件の依頼につきいくら、という形で出されるものであった。
そうなってくると参加する人数が少なければ少ないほど、一人あたりが受け取る報酬額は多いものとなる。
それを見越して少人数で行動しようとする冒険者というのは少なくないのだと受付の少女はクラースに語った。
それ自体は悪いことではないのだが、依頼を遂行するにあたっての確実性を考えれば、やはりある程度の人数を揃えて依頼にあたってもらった方が遂行される確率は高いものであり、冒険者ギルドとしてはそちらを推奨したい、という話らしい。
「過去のデータなどを鑑みますと、冒険者のパーティとしては四人から六人くらいが適正な人数であり、ギルドとしてはその人数での活動を推奨したいんです」
受付の少女が言わんとしているところは、クラースも理解できる話であった。
行動する人数がソロの場合は、その一人が何らかの原因で行動できなくなればそれだけで全滅であり、これがコンビであったとしても片方が動けなくなれば依頼を遂行することは非常に難しくなる。
しかしこれが四人もいたのであれば、一人脱落したとしても継続して行動することが可能になる確率は高く、それだけ依頼遂行の成功率が上がるのだ。
そして冒険者ギルドとしては、依頼の成功率が上がらなければ入ってくる依頼の数が少なくなってしまうかもしれず、成功率は高く保っていたいというのが本音であることは間違いない。
そこまではクラースも分かるのだが、だからといってギルドが適正人数として考えている数にするために二人から四人の加入を行う心当たりがあるかと問われれば、ないと答えるしかなかった。
「実は冒険者ギルドはそういった仲間の少ない冒険者さん達へ、仲間のマッチングを行うようなサービスも行っておりまして」
受付の少女はカウンターの上に二枚の銅板を滑らせる。
そこには先ほどレインとクラースが書類に書き込んだ情報が刻み込まれており、革紐で首から吊るしておけるようになっていた。
「どうでしょう? もちろんお代は必要ありませんので話だけでも聞いてみる気はありませんか? どうしても嫌だと言われるのであれば無理強いはいたしませんが」
無理強いはしないと言いながらも、拒否されるとは毛先ほどにも思っていないような笑顔の少女の言葉に、カウンターの上の登録証を手に取りながらレインとクラースは互いに顔を見合わせたのであった。
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