転職から始まる冒険譚

紫煙

第一章

第1話

 何故か消えてくれない、左腕に走る痛み。

 目に映るのは、大剣を振りぬいた漆黒の鎧の男の姿。

 何故かゆっくりと時間が流れているように思える空間の中で、曇った空に覆われた戦場に舞う血飛沫は自分のものだ。

 切り飛ばされた左の肘から先が、くるくると回転しながらどこかへ飛んでいくのを見送りながらも、右手一本で掴んでいる総身が鋼の槍を振り回す。


「レイン!」


 名前を呼ぶのは、二つ年上の兄貴分の声だった。

 先ほどまで見せていた怒りの表情が失せ、目を見開いているのが自分の背後でありながらなんとなく見えたような気がして、あぁこれは夢なのだなと思い至る。

 それは随分と前の記憶のように思えた。

 しかし、実際にはわずか数年ほど前の出来事でしかない。

 あの戦いの中で、レインは左腕を中ほどから失い、代わりに兄貴分である仲間を一人救うことができた。

 そのことに、後悔をする気持ちは微塵もないものの、幻痛はまるで自分の腕を切り飛ばしたあの漆黒の鎧の男のことを忘れるなとばかりに、時たまレインを苛む。


「おい、レイン!」


 体に軽い衝撃を感じた。

 今更ながら腕を切られた衝撃を、夢とはいえ感じているのだろうかと考えたレインは、ふとこれまでにそんな夢を見たことがあっただろうかと考える。

 いつもは、ひたすらゆっくりと時間が流れる中で、自分が助けた兄貴分と、自分の腕を切った男の姿とが延々と流れ続け、その間ずっと感じ続けている幻痛がいずれ眠りから自分の意識を引き揚げる、といった感じで体に衝撃を感じたことなどまずない。


「起きろよレイン。お前、こんなとこでよく眠れるなぁ。感心するぜ」


 これはどうやら誰かが自分を呼び、起こそうとして体を叩くなり揺するなりしているらしい、ということに思い至ったレインは、重い瞼をゆっくりと持ち上げて、意識を覚醒させる。

 まず飛び込んできたのは、見渡す限りの大地に横たわる無数の屍だ。

 そこには革鎧などに身を包んだ兵士の姿があり、金属鎧に身を包んだ騎士の姿があり、ローブに身を包んだ魔術師らしき姿があり、その他にも馬やらロバやら、とにかく多くの種類の屍が、多数大地に横たわっているといった光景である。

 空を見れば、日は地平線に半分ほどその光を隠しており、朝日だったか夕日だったか今ひとつ覚えていない光が辺りを血と共に真っ赤に染め上げていた。


「起きたかレイン? 疲れてんのかもしれねーけど、こんなとこで寝てたんじゃ、夜に死人と抱き合う羽目になるぜ」


 地面に座り込み、膝を抱えるような状態で眠っていたらしいレインの顔を覗きこんだのは、周囲の光景よりも尚赤い髪を揺らした一人の若い男であった。

 革鎧に身を包み、腰にシャムシールを吊るした男は非常に整った顔をしており、まるでどこかの劇場の俳優のようにレインには思える。

 しかし、その男の正体が俳優ではないということを、レインはよく知っていた。


「クラース……俺ぁ、どのくらい寝てた?」


「さて? 結構寝てたんじゃねーか。これ見てみろよ。酷ぇ寝ぼけツラだ」


 笑うクラースがレインの目の前に差し出したのは、手鏡である。

 さすがにクラースほどの優男ともなれば、戦場にまで身だしなみを整えるための鏡を持ち込むものなのだろうかと思いながらも、鏡を覗きこんだレインはそこに仏頂面を晒した、短い黒髪の男の顔があるのを見てから、にやにやしているクラースへ視線を向けた。


「いつもと変わらねぇ不景気なツラじゃねぇか」


「そっか? まぁ男のツラの状態なんか、分からねーからどーでもいいけどな」


 そう言ってカラカラと乾いた笑い声を上げるクラースに、一つ鼻を鳴らしてからレインはその場から立ち上がろうとして、一瞬自分の左腕を見る。

 レインが見につけているのはクラースの物よりは重い、金属であちこちを補強された革鎧であるのだが、左腕だけは肘から先が完全に金属の篭手のようになっていた。

 それがただの篭手であるならば、外せはその下にはレインの左腕があるはずなのだが、レインはこの篭手を外すことができない。

 以前の戦場で、クラースの命と引き換えに失った左腕は、二人が所属していた傭兵団の団長がかなりの金額で腕のいい魔道具職人に依頼し、今は鋼の義手となっている。

 レインの意識を受け、内部に充填する魔力により失った元の手と同じように動かすことのできるそれを、レインはすぐさま視界から外すと、無造作に傍らに置かれていた槍をその左手で掴みとった。

 槍の石突を地面に刺し、杖のようにして立ち上がるレインの背丈は、その様子を見守っていたクラースのものよりも頭一つ分高い。

 クラースもそれなりに背の高い方ではあるのだが、それよりも大きなレインは大男と称しても誰も文句を言わないであろう姿をしていた。


「いつ見ても、その槍すげーなー」


 クラースがそう語るレインの槍は、穂先から石突までの全てが鋼でできている。

 長さはレインの身長よりさらに長い物であり、相当な重量物であることは間違いないはずであったのだが、槍を掴む手を左から右に持ち替えたレインは、大した重さを感じていないかのように楽々とそれを操ってみせた。


「兄貴。戦争は終わったのか?」


「あぁ終わった終わった。決着つかずのどっちつかず。死んだ奴だけが馬鹿を見る、いつもの戦いってやつだ。お偉いさんってのはこんなのを何回繰り返せば別の解決方法ってのを模索し始めんのかね?」


 軽い調子でそう語るクラースの口元にはあからさまに何かを馬鹿にしたような笑みが浮かんでいる。

 実際、酷く馬鹿馬鹿しい話ではあるのだろうとレインは周囲に倒れて動かない無数の屍を見ながら思う。

 彼らは金銭のためであったり、あるいは今回の戦争を起こした貴族への忠義であったりと、様々な理由で今回の戦争に参加したはずであった。

 だがその戦争は、過去に何度も行われているものの続きにしか過ぎず、しかも両軍あわせてそれなりの被害を出した時点で、お互いに戦意喪失して軍を引く、という結末に終わっている。

 つまり、勝敗はついていないのだ。


「これじゃ命も賭け損ってやつだ。こんな戦いで死んだんじゃ、まるで浮かばれるわけがない」


「そいつは傭兵の常じゃねぇのか兄貴。今更過ぎるとしか俺には言えねぇよ」


 結果の出ない賭け事に参加させられた挙句に、掛け金だけを失うというのは確かに馬鹿らしい話ではある。

 しかし、それがなければ日々の飯の種に困るというのが傭兵という職業であり、レインもクラースも揃ってその傭兵という職業に就いている者達であった。

 だからこそレインはクラースの嘆きのようなものは理解できるものの、どうしようもないとばかりに首を横に振る。


「もう飽きてきたぜ。傭兵なんて腐れ職業を、俺は辞めたくてしかたねー」


「兄貴が辞めんなら、俺も足を洗うさ。しかし兄貴。これまで戦うことしかしてこなかった俺達が、今更傭兵を辞めてどうやって飯を食うってんだ?」


「そりゃ……ヒモとかどうだ?」


 至極真面目な顔で至極腐った台詞を口にしたクラースにレインは溜息を吐く。

 確かにクラースほどの顔立ちであれば、金を出してでも養いたいという異性はもしかしたらいるのかもしれない。

 しかしそれを堂々と口にしてしまうクラースの行為は褒められたものではなかった。

 しかも、レインがそれを真似できるかといえば、それこそ明日世界が滅ぶようなことがあったとしてもムリであろうとレインは思う。


「長い付き合いだったな兄貴。ここでお別れってのは悲しいな。兄貴の望み通りに首尾よく誰かに養ってもらえることを遠い空の下から祈ってるからよ。達者でな」


「まてまてレイン。軽い冗談だろ? 本気にするな。俺がお前にそんなことを要求すると本気で思ってるのか? そもそもいくら俺でも、モロに女の世話になるってのは流石に躊躇うぞ」


 槍を担いでその場から歩み去ろうとするレインの肩を、慌てたクラースが引き止めたのであるが、体格も体重もレインの方がずっと上であり、その歩みを止めるには至らないままにずるずると引きずられていく。


「兄貴ならきっと、貴族の後家辺りに養ってもらえんだろ」


「冗談だ。俺が悪かった。少なくともお前と別れなきゃならんような話を冗談でもした俺が悪かった。だから一旦止まってくれ」


 肩をつかむ手に力を込めて、なんとかレインの歩みを止めようとするクラースに、レインはもういいかとばかりにその足を止めた。

 レインが止まってくれたことにほっと胸を撫で下ろしながら、クラースはその場で乱れた呼吸を整える。


「けどよ。傭兵を辞めたいってのは本気なんだぜ。どうせ戦うならもうどっかの誰かの思惑のためとか、メンツのためとかじゃなく、俺自身やお前のために戦いたいんだ」


「親父から受け継いだ団を消すってのか」


 クラースは、レインが所属している傭兵団の団長の息子であった。

 団長が死んだ後は、クラースが団長役を引き継いでいることになっている。

 だがクラースは顔に皮肉そうな笑みを浮かべると、レインへと尋ねた。


「団? 俺とお前しかいねーってのにか?」


 言われてレインは黙り込む。

 二人が所属していた傭兵団は、クラースの父が生きていた頃はまだそれなりに人数の揃った組織であったのだが、クラースの父親が死に、レインが左腕を失うことになった戦いをきっかけにその人数は激減し、今ではレインとクラースの二人きりとなっていた。

 当然、傭兵団を名乗ってはいるものの、その契約料は一般的なものから比べると幾分、少ないものとなっている。


「それに、お前の腕を切ったアイツ。アイツは俺のカンじゃ傭兵をやってたんじゃもう見つけられないんじゃねーかって思っている」


 その言葉は、レインに少なからぬ衝撃を与えた。

 実際にレイン自身はどこかの戦場で再び見えることがあったのならば、必ず兄の命を脅かし、自分の左腕を奪った張本人に目にもの見せてやろうとは考えている。

 しかしそれをクラースが察しているとは思っていなかったのだ。


「俺に恥をかかせ、お前の腕を奪った奴だ。見つけたらタダじゃおかねーよ」


「別に俺は……ただ、どこかで会うことがあれば、くらいにしか思ってねぇんだがな」


「俺も別にそれが至高の目的だとは思ってねーんだが。それにしたところでこのまま、少ねー賃金で傭兵をやってたんじゃ駄目だって気がして仕方ねーんだ」


 傭兵ではだめだ、というのであれば何をすればいいというのか。

 それを視線で問いかけるレインへ、クラースは自信たっぷりな態度でこう言い放ったのである。


「冒険者ってのをやってみようぜ」


「遺跡荒しか?」


 レインがそう問い返したのも、無理のないことであった。

 そもそもがクラースの口にした冒険者という生業自体があまりにも真っ当なものではなく、その実態がどのようなものであるのか世間には知られていない、というものだったからである。

 レインもその職業を聞いたことはあっても、精々がどこかの遺跡にもぐりこみ、発掘品を引き揚げてくるような職業、くらいにしか認識していない。


「そいつも生業の一つじゃあるんだろうが、基本的には何でも屋だ。依頼を受けてそれを遂行し、金を貰う。傭兵と違うのは、別に人を殺さねーでも金になるってことだな」


 傭兵は、基本的に敵兵を倒さなくては金にならない。

 いくら戦争に参加したといっても、戦果を上げなくてはまともな報酬にありつけはしないのである。

 それを考えると、人を殺さなくとも金になるということは非常にいいことなのではないか、とレインは思う。


「貴族なんかの依頼を受けて覚えがめでたくなりゃ、玉の輿ってのもあるって聞くからな。名声が上がれば貴族みてーな暮らしもできるらしいし、何より傭兵と違って女性冒険者ってのは数が結構いるそーだ! 目指せ一攫千金と美人のおねーちゃん!」


「まぁそりゃ……兄貴らしい動機だな。カンを盾にされるよか納得できる」


 何かしら明後日の方向を向いて力説を開始したクラースの姿に、その思惑がどこにあるのかは理解できないものの、言う通りに傭兵から足を洗い、冒険者とやらをやってみるのも悪いことではないのかもしれないと思うのであった。

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