夏のある夜の怖い話
お月見もちもち
それは彼女だったのだろうか
それは、初夏のある日の夜だった。
食事を終えた僕はなんとはなしに気分で近所をほっつき歩くことにして、薄桃色の雲が流れる空の下、近所の小さな川のほとりに来ていた。
綺麗に舗装された川べりには、なんの偶然か僕の親友が座っていた。
「やあ」
僕は彼女の隣に座った。彼女とは、高校来の親友である。二人ともオカルトが大好きで、高校で孤立ぎみだった僕らは昼休みの間中、インターネットで見つけた怖い話を披露しあってはああだこうだと他愛もない考察を繰り広げていた。
結局、お互いに遠く離れた大学の全く違う学部に進学したものの、こうやってとりとめのない怖い話ができる相手を求めては、ときどき会ったり電話したりして延々とくだらない怪談話をしていた。
「ああ、久しぶり」
紗の羽織に簪の、凛々しい出で立ちの彼女はいつもと違って鋭くもはかない印象を受けた。
「奇遇だね、君も散歩かい?」
「ええ、そう。そろそろ蛍が見られるんじゃないかな、って」
こんなに人の手の入ったところじゃ蛍なんて見られないさ、と僕は笑った。彼女は静かに微笑んで、わからないよ、とだけ返した。
「本当に久しぶりだ。実家は近所とは言え、こんなところで会うなんて」
「本当ね、最近はどうなの?」
さわさわと風が吹いた。川岸の草たちは風に揺られ、擦れる音はひそひそ話のようだ。
「最近はどうも色々なことばかり考えていて、そろそろ君と話をしてガス抜きをしようと思っていたところなんだ。せっかくここで会ったのだし、少し僕の考察に付き合ってはくれないか」
彼女はただ黙って頷いた。
それを見ると、僕は得意げな顔をして少し遠くに生えている木を指した。
「木が、なにか?」
「僕は前々から不思議だったんだ。なぜ夏はこんなにも、ノスタルジーを掻き立てるのだろう。なぜ夏はこんなにも、怪異への関心を惹くのだろう、と」
彼女は合点がいってないようだった。木の下は黒黒とした影が広がっているが、それは沈みかけた夕日のせいで今にも周りに溶け出しそうだ。
「それはね、日差しが強いからさ」
ふと夕日を見上げると、山桃色の夕日は地面に落ちていきそうだった。
「そして、僕らはみな混沌から生まれたからさ」
僕は続けた。彼女は困惑したように僕を見つめていた。
「と、いいますと?」
「日差しが強いと、影が強くなる。つまり日向と日蔭のコントラストが強くなるのさ。コントラストが強いと、どうしてもその境目、そして影の方に目が行ってしまうんだ」
彼女は木の下の影を見つめ、それから自分の手のひらを見つめた。そして、僕に先を進めるよう促した。
「君は前に言ってたろう。怪異とは影に潜むもの、そして怪異とは僕たちには言葉に言い表せない混沌だと」
少し上を見つめながら、彼女は、そんなこともあったわね、とだけ上の空のように返した。いつもはもっと熱心に議論をする彼女は、今日は熱射病に浮かされているのかもしれない。大丈夫かい、と声を掛けると彼女は宙を見つめながら、ええとだけ返す。今日はいやにおしとやかだ。僕は彼女を気遣いながら、話をつづけた。
「混沌とはすべての始まりだ、とは僕の言ったところだったね。旧約聖書の創成記でも原初に混沌があったことを述べているし、古事記にも混沌を固めて創ったのが最初の陸地であったと記してあった。すなわち、この世の初めにあったものは混沌で、僕らはみなそれから生じたのさ」
彼女はやっと合点がいったというようだった。うんうんと同意するように頭を上下させながら、彼女は僕の代わりに話をつづけた。
「つまりあなたの言いたいことはこういうことね。私たちは混沌から生じたけれど、それはつまり怪異でもあると。そして夏の日差しのせいで混沌と私たちの境界がはっきり見える、ということね」
「ご名答」
やはり彼女は僕の言わんとすることを理解してくれる。しかも僕の説を珍しく遮ることなく聞いてくれる。僕は悦に入った。
「そういうこと。逆説的だけど、境界がはっきり見えてるほうが反対のものを意識せざるを得なくなる。つまり夏は僕らの原初をまざまざと見せつけてくるのさ。だから僕らはノスタルジーを感じずにはいられないし、また怪異にも目が行っちゃう。よくテレビでくだらない心霊番組をやっているだろう。あれもね、夏には人間は怪異に目が行くから、わかりやすい形で怪異を見せて喜ばせてるんだよ」
もちろん、暑いからひんやりした気分になりたいってのもあるけどね、と僕は笑いながら付け加えた。彼女もくすくすと笑いながら、ふと気が付いたようにこう言った。
「それなら、夏の夜は怪異と現実とがごっちゃになっちゃうんだろうねえ」
ぴた、と時間が止まったような感じがした。冗談めかして言う彼女には得も言われぬ迫力があって、いつの間にか空に昇っていた月は二人を怪しく照らし出していた。月光を帯びたその目には、何か表現しがたい力があるように見えた。
彼女は続けた。
「混沌から生まれた怪異が形を持つには、何が必要だと思う?」
鋭いまなざしは僕を射抜くようだった。その質問の意図がつかめず、僕は返答に窮した。
「名前だよ」
構わず彼女は語り続ける。
「名前。形のないものは名前も持たない。でも誰かが名前で呼んでくれたなら、途端に怪異は形を持つ。悪魔祓いをするときに神父が執拗に悪魔の名前を聞き出そうとするのも、悪魔に形を与えて追い出しやすくするため」
「怪異が形を持ったら、弱くなるとおもう?たしかに悪魔は名前がばれると追い出されるわ。けれど、形を持つとはつまり、現世に影響を与えることができるようにもなるってこと」
「名前のある怪異はね、一見わかりやすいものに見えるけど、本当はもっと怖いものなんだよ」
なぜ彼女はこんなことを言うのか。圧倒するような覇気を漂わせながら彼女は僕をまっすぐに見つめていた。まるでそれは、彼女ではないようだった。
「君は・・・誰だ?」
「・・・冗談。少しひんやりしたでしょう」
彼女は僕から視線を外し、冗談めかして呟いた。川には月の明かりが照り映えて、露に濡れた土のにおいが鼻をくすぐった。急に現実に引き戻されたようだった。
「全く、心臓が止まるかと思ったよ。君はやはり怖い話をするのが上手なんだね」
「あはは、そうよ。だって私、大学で怪談サークルに入ってるんですもの」
へえ、そりゃ初耳だ、と相槌を打つ。そもそも彼女の大学にそんなに怪談に熱心な学生が集まってるなんて知らなかった。東洋かぶれの僕の大学でさえそんなサークルないのに、ずいぶんと変わっているものだ。僕が一人で感心していると、彼女は突然こちらに顔を向けた。
「ところで今度の夏祭りは、あなたは来るの?」
彼女はくすくすと笑いながら尋ねてきた。僕らの町の神社では年に一度の盛大な祭りをやるのだ。地元の人はたいてい集まってくるし、地元を離れた若者もこの時期に合わせて帰省してくる。
「ああ、もちろん」
僕は即座に答えた。オカルト好きとして、夏祭りなどというイヴェントは欠かせない。
「それはよかった。私も行こうと思っててね、今年のために浴衣を新調したのよ。今年はね、黒地に鬼百合なのよ」
「へえ、そうなのかい。君は例年あの、男物みたいな浴衣を着ているのに、今年はずいぶんと可愛いのだね。じゃあ僕も今年は甚平でなく浴衣にしてみようかね」
「そうするといいわ。去年、高校の頃の同窓生に会ってね、どうもあれは似合わないといわれたものだから今年は変えてみようと思ったのよ」
「珍しいね、高校の頃の旧友に会うなんて。しかも君がそんなつまらないことで好みを変えちゃうなんて。『ホヅミは自分の意見を変えない頑固者』ってみんなに言われてたのに」
「・・・・そうかもね。さて、もう帰らなきゃ。うちの犬が独りぼっちで寂しがってしまうわ」
彼女はおもむろに立ち上がった。その瞬間、風がびゅうびゅうとうなりをあげて、草木はちぎれんばかりに乱舞した。彼女の羽織は強くはためいて、さっきまでのはかない頼りなさはなくなってどこかしっかりしたように見えた。
「そうかい。じゃあ、僕も帰ろうかな」
僕もゆっくりと立ち上がった。月を見上げる彼女は、まさしく本人だった。
「さようなら、ホヅミ」
「さようなら」
僕はよたよたと川岸を離れ、帰路につく。ふら、と見返せば彼女は満足そうにこちらを見つめている。
夏の夜は、現実と怪異とが混ざり合ってしまうのだと、僕は身に染みて実感した。
夏のある夜の怖い話 お月見もちもち @Otsukimimochimochi
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