深い青
三角海域
深い青
遠く、遠く。
どこに?
とにかく、遠く。
どこへ?
わからない。でも、ここから遠く離れたどこかへ行きたい。
酒場の歌姫は、そう漏らす。四方を高い壁で覆われた、堅牢な町にある酒場だった。漏れ聞こえる、夜を明るく照らすような歌声に誘われ、この店に入った。
詩人さん。
歌姫が言う。私は言葉を待つが、歌姫はなにも言わない。
注文した酒が運ばれてくる。強い酒だ。美しく澄んだ声に火をつけ、焼いてしまいそうなほどに。
詩人さん。
歌姫が言う。
遠くに行きたい。遠くに連れてって。ここは空が遠いの。空の色が薄いのよ。
歌姫が私を見る。酒のせいか、白い肌はほの赤く染まり、頬には美しい紅のような朱が差している。
私は詩人です。詩でならいくらでもあなたを連れ出し誘いますが、私自身にそんな度胸はありません。
でも、旅をしてるじゃない。
歌姫の瞳が潤む。酔いが涙もろくさせたのか、酒が心の栓をふやけさせ、押し止めた涙が溢れそうなのか。私にはわからない。この町にきたばかりの私には。
旅にもいろいろあります。
歌姫はそっぽを向く。
今いる場所から離れたい者、まだ見ぬ景色を見たい者、死に場所を探す者。
あなたは?
そっぽを向いた歌姫が訊く。
ただ見たい者。そうした、どこかへ行こうとする人々の心の行き先を見たい者。
そんなの無理。
そうですね。だから私は詩を書くのです。想像し、祈るために。ここから旅立つものたちのために、詩を書くのです。
私のためにも、書いてくれるの?
もちろんです。
歌姫は笑う。
そう。ありがとう。
翌日、歌姫は旅立っていった。空が深い深い青で彩られた場所を探すという。
歌姫を見送り、私は紙とペンを取り出す。詩を書くために。
一度しか聞けなかった美しい歌声。澄んだその声は、歌姫が探す、深く澄んだ青空を思わせる。
きっと、すぐだ。歌声は空に溶け、自然と、呼応するように歌姫をその地に誘うだろう。
彼女のための詩。その最初の言葉を、私は紙にはしらせた。
深い青 三角海域 @sankakukaiiki
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