ケンジ

第1話

 沖縄生まれなので、今回の県知事選は当然気にしている。ただ、ぼくが気になるのはおそらく他の人とは少し違う点だ。有力候補の一人である玉城デニーのメディア向けの紹介文に「ハーフであるため子供の頃はいじめられ」云々と決まって書いてあるのにどうしてもひっかかってしまう。

「いじめてた奴も沖縄の人間だろ?」

と思ってしまうのだ。ハーフをいじめて当然という雰囲気が沖縄にはあるのか?と首を捻ってしまうのだが、ぼくの知る限りそこを突っ込んだ意見を今のところ目にしてはいない。たとえ、巷間よく言われている通り沖縄が米軍基地を過重に負担していたとしても、だからといってハーフをいじめてはいけないのは当たり前だし、それを日本なりアメリカなりのせいにしてはいけないのは分かり切った話だ。ひとから見れば細かすぎる問題かもしれないが、実はぼく自身、小学校低学年の頃に「ハーフ」呼ばわりされて上級生からしつこくからかわれて泣かされた経験があるので(もちろん沖縄での話である)、他人事とは思えない、というのはあるのかもしれない。ただし、ぼくはただ単に日本人にしてはたまたま顔が濃かっただけで、たとえ今となっては当時の面影はないにせよ、「あの頃のぼくが美少年過ぎたのがいけない」と笑って済ませることも出来るのだが、デニーさん(彼のラジオを聴いていたので勝手に親しみを持ってしまっている)はそれどころではなかっただろうな、と思うし、実はこの「ハーフへの差別感情」が今回の県知事選を動かすファクターに成り得る気もしているのだが(ハーフに限らず沖縄は差別感情の強い土地なのだ)、それはとりあえず置いておく。今回語りたいのは他の話だ。


 ぼくが長いことダラダラとだらしなく続けてきたもうすぐ閉鎖する(決定済み)弱小零細ブログのコメント欄で「オタクは差別されていたか?」という話題が長々と続いていたことが以前あった。うちのブログが管理人のさぼり癖で「炎上」するのは珍しくはないのだが、「オタクは差別されていたか?」と訊かれれば「そりゃかつて嫌な思いをした人はいるし今だってしてる人はいるから、差別されてないとは言えないだろ」としか言いようがないし、長々と続いている割りには発言者に良くも悪くも切実感がないので抛っておくことにした、それだけの話だったりする。ぼくも自分のオタク趣味を「差別」されたことはあるが、「差別」してきた体育会系の同級生なり年長者なりを、ここでは書けないような言葉で同じように「差別」したこともあるので(口に出さず脳内だけでやったとしても「差別」は「差別」だ)、一方的に被害者ぶるのはフェアではない。まあお互い様ですよね、と肩をすくめるしかない。

 ただ、この件で思いだしたことがあって、それを書いておこう、と思ったのが、今回の文章を書くことにした理由のひとつではある。


 ぼくは学生時代に本土で寮生活を送ったことがあって、そこでは「寮生は運動部に所属しなくてはならない」という決まりがあった。何故文化部ではダメなのかは今でもわからないのだが、当時のぼくには別に逆らう理由もなかったので運動部に入ることにして、いくつかの部活を流れ流れた結果、バドミントン部に落ち着いた、という経緯があったりする。ところが、ぼくの同級生の一人がどういうわけなのか、TRPG同好会に入ろうとして、その件で他の同級生から激しく責め立てられて、結局夏休みに入る前に寮を出てしまったのを、25年かそれ以上ぶりに思い出した次第だ。「おまえもその子をいじめてたんじゃないのか?」という風に思われるかもしれないが、当時のぼくは親元を離れた寂しさに耐えることしかできなくて他人に構っている状況ではなく、その騒ぎで覚えているのは、寮の一室で新入生が集まってその子を一方的に詰っているうちに(全員参加なのでぼくも行かなくてはならなかった)、リーダー格の子がその子が持っていたTRPGのキットを叩き落とし、正十二面体のサイコロが床に転がっていったことくらいである。「サイコロって四角以外にもあるんだ」とそれを見た当時のぼくはのんきに考えてしまっていた。まさしく「オタク差別」だ、と今となっては思うしかないのだが、宮崎勤が逮捕されてオタクバッシングが始まるのは、彼が退寮した直後のその年の夏休みからなので、話は少しややこしい。


 とはいうものの、そのような経験をしたにもかかわらず、ぼくが「オタク差別」を言い立てる気になれないのは、その学校にはオタクだけを取り立てて差別していたわけではなく、他人とは違う、普通から外れた人間を差別する気風があったからだ。つまり、広い意味での「マイノリティー差別」がまずあって、「オタク差別」もその一環に過ぎない、と言えばいいのだろうか。実際、ぼくも団体行動が苦手なせいで目立ってしまったのか嫌な思いを結構しているし、寮生活でもいろいろあって集団に馴染めないまま結局卒業を待たずに出て行ってしまっている。「あの学校、なんであんな嫌な感じだったんだろ」と今でも時々首を傾げることがあるが、男子校なんてどこもそんなものかも知れないし、巡り合わせが悪かった、と思うしかないのかもしれない。ただ、ぼくの先輩にあたる某コメンテーターがテレビなり雑誌なりで見当はずれの発言をするたびに「あいつはうちの学校の恥だ」と真剣に頭に来るので、嫌な思い出だけではなく愛校心も今でもそれなりにあるのだとは思う。そんなんで証明されるのもどうかと思うけれど。


 当時した「嫌な思い」をいちいち書き連ねることはしたくないし、そんなものは誰も読みたくはないだろう。ただ、ひとつだけどうしても忘れられない経験があるのでそれだけは書いておく。

 それはある教師から投げかけられた言葉だ。さっきも書いた通りぼくは団体行動が苦手で学校でもへまをしてばかりだったのだが、その教師が担当する教科では特に失敗が多く、完全に目をつけられてしまっていた。ある日、いつものように(と書くのも情けないけれど)教室の前方に呼び出されて叱られていると、どういう経緯なのかはよく覚えていないがぼくが沖縄出身だというのをその教師が知ってしまったのだ。同級生の誰かが場を取りなそうとして、「そいつ寮生なんで大目に見てください」とでも言ってくれたのかもしれないが、ともあれぼくの出身地を知った教師はこう言った。

「お前沖縄か。うちの近所にも住んでいるけど、あそこ出身のやつはみんなろくでもないな」

 意外なことにその時はあまりショックを受けなかった。そんなあからさまに差別的なことを言う人間とはこれまで接したことがなかったから、当時のぼくの許容量を超えてしまってかえって何も感じなかったのかもしれない。とはいえ、時間が経てば経つほど「ひどいことを言われた」という実感が湧いてきて、四半世紀経った今になってこんな文章を書くほどにはひっかかってしまっている。心に刺さった棘だ。


 こういう経験をすると、「日本は沖縄を差別している」と「目覚める」ものらしい。「イデオロギーよりアイデンティティ」と「立ち上がる」契機になるのかもしれない。その教師ほどではないが、沖縄出身であることをしつこくからかう同級生もいた。

 ただ、ぼく自身は、そういった経験をしていても余程鈍いのか「沖縄差別」に目覚めることはなかった。何故なら、その学校を出て以降、本土で暮らしている間にそういった経験を全くしていなくて、むしろ沖縄に対して好意的な反応の方が圧倒的に多かったからだ。「いいところですよね」「一度行ってみたいな」そういう声ばかりだった。それに、学校に行っている間も、嫌な教師や同級生ばかりではなかった。ぼくを気遣ってくれた人もいるにはいたのだ。99%の善意を信じるべきなのか、それとも1%の悪意をも見過ごすべきではないのか、と訊かれれば、ぼくは前者を選んでしまう。サトウキビジュースのように甘い人間なのだ(沖縄出身なだけに)。

 もちろん、ネット上で沖縄に対する差別的な言動が多々あることは承知している。ただ、そういった言動を吐く人間は沖縄に限らず何もかもを差別しているのだ。差別につながる偏見をなくすために正確なデータを提示し間違いを正していく必要は常にあるが、それはあくまで一般ピープル向けのやりかたであって、弱者も強者も少数者も多数者も漏れなく差別することでしか自分を高みに置けない人間を攻撃したところで、どれほどの効果があるのか、正直ぼくには疑問だ。自分や自分の大事なものに彼らの牙が向かって来た時には無論立ち向かわねばならないが、そうでない場合には「どんな場所にもクズはいる」と割り切るしかないような気もするのだが。


 話はいきなり飛ぶが、ここでぼくは金城哲夫を思い出す。物心ついた頃から『ウルトラマン』が大好きで、その生みの親の一人が沖縄出身だということを知って誇らしく思っていた。そして、山田輝子『ウルトラマンを創った男』(朝日文庫) を読んで彼の悲劇的な死に衝撃を受けるとともに、「学生時代に親元を離れ上京していた」「沖縄出身なのにウチナーグチが不得手」という点がぼくと同じだったこともあって、敬意と共に親近感を抱くようになっていた。さて、金城は学生時代に玉川学園に通っていたのだが(ぼくの通っていた学校と玉川学園がさほど離れていないのにも親近感がある)、前出『ウルトラマンを創った男』では玉川学園の創始者である小原国芳の話も出てくる。小原が沖縄に関心があったのが金城が玉川学園に通うきっかけになっていて、前出の本を読む限り小原は開明的な教育者と思えるのだが、金城の同郷の後輩でやはり『ウルトラ』シリーズに関わっていた上原正三の『金城哲夫 ウルトラマン島唄』(筑摩書房)に衝撃的なエピソードがあるので長くなるが引用したい。同書P.103より。


 金城には、心に突き刺さったままの小さな棘があった。わだかまりがずっとくすぶり続けていた。それは高校一年生の初夏の出来事だった。学園や塾生としての生活にも慣れた頃であった。金城は仲間と遊びに夢中になり寮の風呂焚き当番をすっぽかしてしまったのである。暮れて帰ると小原園長が待ち受けていた。小原園長はいきなり金城に平手打ちを食わせた。その時、「この琉球人めッ」園長の口からそんな言葉が飛び出した。

(中略)

 自分が悪いのだから平手打ちを食らうことはなんでもない。元気のいい生徒なら皆一度や二度は経験していることだ。園長の平手打ちもいわば愛のムチ。遠い沖縄から出てきてそんないい加減なことでいいのかと叱ってくれたのだ。だが園長の口から飛び出した「この琉球人めッ」この言葉の槍に、十五歳はたじろいだ。思わず口をついて出る言葉というものは、その人間が日頃思い続けているからこそつい飛び出してしまうもの。小原国芳は学園の創設者だ。日頃から教育者として尊敬している。その人から「お前は日本人ではない」そう言われたようで切ない思いがした。園長の言葉が時々胸の奥で疼いた。


 読むだけで痛みを覚える話、としか言いようがない。何が痛いのかというと、金城が小原から受けた仕打ちを懸命になって納得しようとして結局できていないところだ。加えて金城が小原を尊敬していたというのにも、より一層痛みを覚えてしまう。ぼくに「沖縄」云々の言葉を吐いた教師は生徒の間できわめて評判が悪かったし、ネット上で差別的な言動を書き連ねる輩も人間として最低レベルに近い場所にいるのだから、そういう人間に何か言われても「まあそういう人だよね」と一種のショックアブソーバーになってくれるのだが、尊敬している人間、好意を持っている人間、間柄の近い人間に言われた時はそうはいかない。むしろダメージは倍増する。あらゆる差別に共通する話ではないか。金城さんは本当につらかったろうな、といくら同情してもしきれない。なお、前出『ウルトラマン島唄』では、この件以外で金城が学生時代に同級生などから沖縄出身であることを理由とした差別を受けたことはなく、「塾生や級友や皆親切でいいヤツばかり」(P.103)とされているのは一応付け加えておきたい。


 巡り合わせによるところが大きいとしか言えない、そんな気がしている。性格の悪い人間、誤った知識と偏見の持ち主、認識が根本的に歪んでいる連中、そういうものに運悪く行き合ってしまい、自分にはどうすることも出来ない属性を誹謗される。そういうことでしかないような気がしている。その巡り合わせを生じるのは社会の構造や世界の不平等によるものなのだろうが、しかし、それは努力次第で変えられるはずだし、実際に世の中は変わってきている。差別は少しずつであっても解消されつつあるし、差別に対する眼は年々厳しくなっている。それは事実であり、認めるべきだと思う。今はいい時代なのだ。

(以下は余談。だから、ぼくは「戦後七十年経っても何も変わっていない」といった論法が大嫌いだ。地道に努力してきた多くの人間を無意味と断じる資格なんて誰にもありはしない。そういう人間は七十年前にタイムスリップして、自らの言動が正しいのか確かめてみればいいのだ。どうせなら「縄文時代から何も変わっていない」と言っらどうなのか。それならぼくも同意してもいい。「そんな馬鹿な」と笑う人もいるだろうが、「戦後七十年」も「縄文時代」も極端な理屈であることに何も違いはない。五十歩百歩。いや、七十年一万年というべきか)


 ぼくの考えは甘いのかもしれない。それは認める。前向きに過ぎるのかもしれない。それも認める。ただ、ぼくをそういう風にしたもののひとつに『ウルトラマン』があって、それこそ金城哲夫の教えなのかもしれない、と今にして思う。『金城哲夫シナリオコレクションⅠ』(復刊ドットコム)P.279~280より、『ウルトラマン』第三十三話「禁じられた言葉」の一部を抜粋する。


メフィラス「ウルトラマン! 何がおかしいのだ⁉」

ハヤタ「メフィラス! とんだ見当違いだな。地球を売り渡すような人間はいない! サトル君のような子供でも、地球を良くして行こうと思いこそすれ、地球を見捨てたりは絶対にしない!」

メフィラス「(歯ぎしりして)黙れ! ウルトラマン。きさまは宇宙人なのか? 人間なのか?」

ハヤタ「両方さ。きさまのような宇宙の掟を破る奴と闘うために生れてきたのだ」


 「メフィラス星人に歯があるのか」などと無粋なツッコミを入れるようになってしまった我が身を恨むが、このシーンに関しては、人間であるとともにウルトラマンであるハヤタと沖縄人であるとともに日本人でもある金城との比較がよくなされているようだが、そういう「『ゴジラ』は御霊信仰の映画だ」みたいな解釈は誰かさんに任せることにして、ぼくは大人になってこのシーンを再見して恥ずかしながら号泣してしまったことをここで告白しておく。人間の善意と正義に対する全面的な信頼。そういうものを受け取った気がしたのだ。子供の頃にわけもわからないまま貰ったプレゼントの意味を時がたってようやく理解できたような気になっていた(怪獣大好きっ子だったので「ウルトラマンと引き分けるメフィラス星人すごい」とばかり思っていた)。そして、ぼくは金城や上原、他の人たちからも山のようにプレゼントを貰っていて、それらが知らず知らずのうちにぼくを今のような人間にしてしまっていたのかもしれない、と思う。おかげで善意と正義をどうしても信じてしまうような甘い人間になってしまった。

 それもまたひとつの棘なのかもしれない。教師からの言葉にひっかかってしまうように、善意と正義にもひっかかってしまう。ただ、それが刺さっているのを悪いこととは思わない。むしろ、時々自分の指でより深くそっと差し込みたくなるくらいだ。

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