ふたりの最適解

天草 瀬戸香(杵築)

第1話 ふたりのはじまり

季節は秋になったはずだが、夏の暑さはまだ長引きそうだ。

「よーっす、泰斗たいと

 六限目までみっちりと詰まった授業を終えた俺が大きく伸びをしていると、翔希しょうきから声をかけられた。翔希は去年に入学して以来行動を共にすることが多い気の合う仲間、いわば親友というやつだ。

「さっさと帰ろうぜ、どうせヒマだろ?」

「何だよ、その言い方。まるで俺がニートみたいじゃないか」

「そんなもんだろ? 泰斗は部活にも入ってないからな」

 そう言って翔希はやれやれとわざとらしいため息をついてみせた。……ムカつく。

「い、委員会には入ってるだろ!」

「図書委員って言ったって、カウンターの向こうでぼーっとしてるだけだろ」

「いろいろあるし!蔵書点検とか、新しく入った本の処理とか!」

「滅多にないことだろ、どっちも。……とにかく、帰らねえか?」

「悪いな翔希。今日はその『滅多にないこと』の日なんだ」

 渾身のドヤ顔で返してやると、翔希は何も言わず、ただ哀れなものを見る目で俺を見つめた。

 やめて、そんな目で俺を見ないで……

「……わかった。俺が悪かったよ」

「急にしおらしくなるなよ……」

「泰斗はニートなんかじゃない。そうだよな、わかってる。うん」

「だからその生ぬるい目をやめろ!」

 子供の戯言を表面上だけ信じてやる親のような目をする翔希が気持ち悪い。

 それからしばらくすると、満足した翔希は自分の鞄を持って教室の扉へと身体を向けた。

「じゃ、俺は彼女と帰るわ」

「……は?」

「彼女と帰るって」

「……お前、彼女いたの?」

「……気づいてなかったのか?」

 まったくの初耳だ。毎週のように一緒に遊んでいるというのに、いつの間に彼女なんて作ったのだろう。

「文化祭の時さ、俺って企画係だったじゃん?」

「ん?……あー、そういえば……そうだったな」

 俺は去年の記憶を辿りながら返事をする。

 去年の文化祭では、俺たちはお化け屋敷をやった。そのとき確か、翔希ともう一人……確か……そうだ、久々原くぐはらさんだったっけ。その二人が企画を担当していたはずだ。

「その後夜祭でさ……同じ企画係の朋香にコクって、付き合い始めたんだよ」

「マジか!?」

 意外だった。少しチャラ目な翔希と、あのおとなしそうな久々原さんが付き合っていたなんて……

「泰斗は彼女っていねーの?」

「ああ、まあ……な」

 俺は曖昧な返事をして、苦笑する。いないと察した翔希は、「そんなんじゃ青春できねーぞ」と言い残して教室を出て行った。

 俺だって、彼女が欲しくないわけじゃない。でも、彼女を作るためには……大きな壁を乗り越える必要があるのだ。

 その悩みとは……

「か、鹿角かのつのくん」

「っ……な、何?」

 突然クラスメイトの女子に声をかけられて驚いたが、俺はそれを感じさせないようにしながら声のした方を向いた。

「その……図書委員、だよね?そろそろ行かないと……」

「もうこんな時間か……危うくすっぽかしちまうとこだったな。あはは……」

 乾いた笑いをして、おどけてみせる。……背中を冷や汗が伝い、心臓がバクバクと脈打っている。

 別に、妹尾さんに恋をしている訳じゃない。

 俺は、女性が苦手なのだ。

 とは言っても、見たら気絶するというほどではない。ただ異性が近くに来ると、呼吸が激しくなり、息が荒くなる程度だ。……いや、重傷なのだろうか、これは。

おそらく、こうなった原因は俺の姉にある。小学生の頃に、女子がどれだけ恐ろしい生き物かを、実例を踏まえて数時間にわたって教え込まれたのだ。陰湿ないじめや過度の同調圧力なんて一気に教え込まれれば、女性が苦手になってしまうのは仕方のないことだろう。

「ありがとう、妹尾せのおさん!それじゃ──」

「待って!」

 いつもは控えめな妹尾さんの大きな声に、俺は思わずびくっと身体を震わせてしまう。妹尾さん自身も声の大きさに驚いたようで、驚いたような顔をしていたが、すぐに何かを決意したような表情に変わった。

「あのね……わ、私も、図書委員だから……」

 そこまで言って、妹尾さんは一度大きく深呼吸して……再び口を開いた。

「一緒に、行きませんか!?」




「…………」

「…………」

き、気まずい……

 小動物のような妹尾さんの涙目の懇願を無碍むげにできるような図太さを持ち合わせていない俺は、図書室までの同行に同意せざるを得なかった。そこまではいいのだが……図書室までそこそこの距離があるにもかかわらず、半分以上の距離を無言で、しかも微妙な距離を保ちつつ移動しているこの状況は……なんというか、針のむしろに座っているようだ。

 気軽に誰とでもそれなりに話題を提供できる翔希の性格が、これほどうらやましく思ったことはない……と思っていると、少し前を歩いている妹尾さんが急に止まり、こちらに向かって振り返った。

「鹿角くん」

「ぁっ、は、はい」

「……鹿角くんってさ。女子が苦手だったり……する?」

「……な、なにが目的だ? 金か?」

「ち、違うよ!?というか……たぶん、みんな気づいてるんじゃないかな」

「えっ!?」

 秘密にしていたつもりなのに思いっきりバレてる!?

 うーん……俺って、隠し事が下手なんだろうか。

「それでね……よかったら、なんだけど……」

 妹尾さんは、もじもじとしながらこちらを見つめ、やがて思い切ったように身を乗り出してこう言い放った。


「わ、私と、付き合ってほしいの!」


「……えぇ?」

「なにその反応!?」

 正直、ドン引きだった。

 ないわー。女子苦手だっつってんのに告白してくるとかないわー。

「さすがにこの流れで告白はちょっと……」

「? ……!? ち、違うから! そんなんじゃないって!」

 数秒間のシンキングタイムを挟んでから、妹尾さんは顔を一気に紅潮させ、両手をぶんぶんと振って否定した。どうやら、俺が考えていたものとは違うようだ。

「そうじゃなくてね……実は、私も同じような悩みがあって」

「妹尾さんも、苦手なのか?女子が?」

「うん……って違う違う!私はね、男子が苦手なの」

 そう言って、妹尾さんは右手を俺の目の前に差し出した。その手はじっとりと汗ばんでおり、誰の目から見てもわかるほど震えている。……女性と会話しているときの俺と同じだ。

「私ね……こんなだけど、普通の恋愛がしてみたいの」

「……」

 俺は何も言わず、ただ黙って妹尾さんの話を聞く。

「だから……私が、誰かとお付き合いできるようになるまででいいから──」

 そう言って目を見つめられた俺は、断ることができなかった。

 といっても、義務感からじゃない。憐憫の情からでもない。

 同じ悩みを持つものとして、協力したいと思ったからだ。

「わかった。俺にできることなら、手伝わせてくれ。一緒に頑張って克服しよう」

「ありがとう……ありがとう、鹿角くん!」

 このときの安堵と歓喜の入り交じった妹尾さんの笑顔は、普段の女子の笑顔とは違って……少しだけ、安心できるような気がした。




「それで、まずは何する?」

「と、とりあえず……LIJINE交換しない?」

「あ、それいいかも。なんか普通の男女って感じ」

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