Sky Blue. -Pilot Edition-

坂岡ユウ

ドリアン

 今日も不思議な夢を見た。まるでヒーローのような格好をした人が現れ、説教じみたことを言ってくる。その夢は何時間も続き、朝になると、私はうなされたように目を覚ますらしい。何度も、何度も同じ夢を見ていると、夜寝るのが怖くなってくる。しかし、どんな手段を使ってでも眠らないと翌日の学校生活に影響が出てしまう。私はベッドに身体を押さえつけ、なんとか夢の世界に入り込もうとする。だが、夢の世界に入ると、あいつがまた現れるんだ。そんな日を繰り返し、今日も昨日と同じように一日が始まる。憂鬱な朝、これまで美味しいと感じていたホットケーキが美味しくなくなってしまったのは、ここ数日のこと。冷えたココアで無理やり流し込み、慌ててリュックに教科書を詰め込んで私は家を出た。抜けかけのタイヤが足腰に負担をかける。夏が近づくと、背中に汗が溜まって気持ち悪くなる。信号待ちの時、慌ててスプレーで冷やそうとするが、冷やしている最中に青になってしまったりして、どうしても上手くいかない。そんなこんなを繰り返しているうちに、いつもの交差点で二人と合流した。

「深青、おはよう。」と瀬川夏乃が言う。

「夏乃、おはよう。」と私は返す。

「今日も暑いね。」と佐野凉果が手で扇ぎながら言ってきた。

 私は「そうでもないよ。」と返そうとするが、夏乃の「いや、暑いね。」という声に遮られてしまう。私と、夏乃と涼果の三人はいつも一緒だ。昼食の時も、登下校時も、ずっと共に行動する。去年まではもう一人一緒に行動していた子がいたんだけど、今年の春にクラスが離れて以来、新しいクラスの友人と行動するようになって、私たちのグループを離れてしまった。ちなみに、三人の学校での力関係をみんなにもわかるように言うと、涼果が学校のクイーンビーで、私たちはサイドキックス。そんな感じかな。ただ、凉果が静かな環境を好むこともあって、基本的には三人で学校生活を送っている。凉果は信じられないくらいの美人だし、夏乃は夏乃でスポーツも、勉強もできると万能で、顔も悪くて運動もいまいち、勉強もできない私とは大違いだ。二人と違いすぎて、本当に一緒に行動していていいのだろうか・・・と真剣に考え込んでしまったこともあった。ただ、そんな時に凉果と夏乃は優しく包み込んでくれた。こんな私を受け入れてくれた。三人の信頼関係は不滅のもの。その時から、さっきの不思議な夢を見る日まで、私はこう考えていた。そして、信じていた。

「深青、最近ちょっと顔色悪くない?」と凉果は言う。

「えっ、そんなことないんじゃない。」と私は返した。

「でも、しんどそうじゃない、いつもに比べて」と夏乃は心配そうに視線を送る。

「元気よ。ほらっ。」と私はウインクする。

「深青が大丈夫なら、いいけど。まあ、無理しないでね。」と凉果は話を纏めた。

 本当のところを言うと、私は寝不足だ。それも極度の。そりゃ、そうだ。毎日変な夢にうなされ続けて、ずーっと説教され続けているんだもの。だが、こんなことを皆には言えない。絶対、一笑されて終わりだからだ。不自然な会話をしばらく続け、私たちは学校に到着した。旧友と久々に交わり、何気ない話をしていると、けたたましくチャイムが鳴り始める。私は走った。旧友と、二人を合わせた四人で。私たちは、なんとかチャイムが鳴り終わる前に教室に到着したものの、初夏の気候は無情にも私を汗で包み込む。爽やかな香りのする制汗シートで気を紛らわそうとするが、そんなに変わらない。衣服が肌にべったりと纏わりつく様を見て、「嫌だなぁ・・・」と隣の席の凉果と談笑する。そんな姿が担任にばれ、「こらっ」と怒られたが、何もなかったかのような生返事で全てを終わらせた。さあ、一時間目が始まる。

「朝から古典かよ。もう、勘弁して・・・。」と凉果が呟く。

「私は古典嫌いじゃないけどね。」と私は凉果を見つめる。

「宿題終わらせた?」と夏乃が会話に割り込んできた。

「終わったよ。」と二人は夏乃に宿題を見せる。

 一時間目から四時間目まで、今日も流れるように過ぎていった。相変わらず古典はつまらないし、数学はわからないし、コミュニケーション英語は眠たくなるし、日本史は頭が混乱してくるし、正直なところ、何も頭には入っていないのだけど、終わったことは終わった。知らないうちに書き留められたノートを見て、午前中の授業を振り返る。凉果は控えめ、夏乃は野菜中心、私は何の変哲もない幕の内弁当。そういうわけで昼休みが始まったわけだけど、時を同じくして始まったのは、いつもと変わらない会話たち。これまで何の考えもなしに受け入れてきたが、今はちょっと五月蝿いと感じてしまう。そのことに勘付いた凉果と夏乃が私を心配するが、結局、何も聞こえないふりをして、私は教室を飛び出してしまった。二人はまだ食べ終えていない弁当を放り出して、私を追いかけてくる。「どうしたの?」「大丈夫?」って。貴女たちに私の本当の気持ちがわかるわけないでしょう。私は空き教室に逃げ込んだ。偶然鍵がかかっていなかった、空き教室へ。

「深青、深青、どこへ行ったの?」と凉果の声が聞こえた。

「おかしいわね、どこにもいないわ。」と夏乃が凉果に報告する。

「どっか行ってよ、うっとうしいなぁ・・・。」と私は小声で呟いた。

「なんか、声聞こえなかった?」と夏乃が言う。

「ほんと?」と凉果が返した。

「もしかしたら、この部屋?」と凉果に閃いたような感じで言う。

「もう終わりだ・・・。」と私は覚悟した。

 その時だった。突然、周りが真っ暗になり、私は気を失い、その場に倒れ込んでしまったのである。その時のことを一言で表すとしたら、闇の中をずっともがき続けているような、そんな感じだろう。とにかく、つらかった。悲しかった。そんな感情を抱いていたことを覚えている。そして、ようやく光が射してきた。その光を掴むかのように目を開くと、夏乃と凉果がいた。

「大丈夫!?」「うなされてたわよ・・・。」と二人が恐怖に怯えた表情で言う。

「だ、大丈夫よ。」と元気なフリをして返す。

「でも、顔が青い・・・。」と凉果は見たこともないような顔で言ってくる。

「大丈夫だってば。」と私は咄嗟に作り笑いをした。

 凉果と夏乃の泣きそうな表情を、私は忘れることができないだろう。そして、この時私が一つ明確に意識したことがある。なんとかして、二人から離れないと。乱れまくった髪と衣服を整え、五時間目の準備をしているとき、頭にポンと浮かんできた。さあ、これからどうしていくか。五時間目が始まっても、私の頭の中はあの時のことでいっぱいだった。

「深青、次は体育だよ。早く着替えなきゃ。」と凉果が言う。

「えっ、もうそんな時間!?」と私は驚く。

「先、行っててもいい?」と夏乃は言う。

「待ってて。」と私は懇願した。

 準備運動をしていても、いよいよ実技種目が始まっても、私はあの時のことを考えたままだった。淡々とボールを打ち返し、淡々と喜ぶ。その時は全然気付いていなかったが、あまりにもいつもと違う私の姿に、皆びっくりしていたらしい。次の対戦相手がクラスメイトの山石湊人だとわかるまでは、その状態が続いた。

「清水さん、よろしくお願いします。」「山石くん、こちらこそよろしく。」と二人は緊張した面持ちで挨拶をした。

 「行くよ。」という声で山石はピンポン球を宙に浮かせた。なんとしても負けたくない。その一心だった。お互い、一歩も譲らない一進一退の攻防に、クラスのみんなも固唾を飲んでその対決を見守る。チャイムが鳴っても、結局決着はつかずに終わった。「ありがとうございました。」という二人の声が体育館に響き渡る。普段なら確実に負けているはずの清水さんと、逆に負けるはずのない山石くんがどうしてこんなに良い勝負をしているのだろう。授業が終わった後、みんなが二人を問い詰めた。しかし、そんなのわかるわけないでしょう。二人とも、ほぼ同じことを言った。

「深青、ナイスゲーム。」と夏乃と凉果が言ってくる。

 この一言で、私は現実に引き戻された。

「今日、一人で帰るから。」と私は淡々と返した。

「どうして?」と夏乃は聞いてくる。

「そんな気分じゃないの」と私は言った。

「わかった。じゃあ、明日は一緒に・・・。」と凉果は言おうとする。

「明日も、明後日も、私は一人で帰る。」と私はそれを遮った。

 二人は怪訝そうな表情で私を見つめてくる。私だって、つらいんだ。三人の友情を手放すのが、日常を捨ててしまうのが。でも、こうするしかなかったんだ。今のままだと、いつまで経っても私は凉果の付属品のままだ。一人の人間として、クラスメイトとして認められていない。悲しいけど、こうするしかないんだ。こうするしか・・・。

「私だって、一人でいたい時もあるの。」

 その時は、私はこう言うのが精一杯だった。家に帰って、制服のまま、未読で放置していたチャットの返信に手をつけようとした。しかし、どうしても返信する気になれない。なんとなく、私がもうこの世のものではないような、ぷかっとした浮遊感を感じてしまい、返信しようと思えば思うほど、その気がなくなってしまうのだ。これまで感じたことのないような感覚に恐怖を覚えた私は、いつも悩んだ時に入っている押入れに篭り、今日のことを整理しようとしてみた。

「朝、凉果と夏乃に会った。そして、午前中の授業が終わり、ご飯を食べていて、それで急に嫌になり・・・。」

 順々に脳内のメモに書き出して思い出そうとするが、どうしても、逃げ出した後のことを思い出せない。思い出そうとすればするほど、あいつのことが頭に浮かんできてしまう。あいつって、そう。ヒーローのこと。押入れの中がどんどん熱気に満ちてくるように、私の心の中もどんどんもやもやで一杯になっていった。そして、疲れ果ててしまった私は、押入れの中に入ったまま、眠ってしまった。

「深青、深青、起きなさいよ。」と母親の声で私は目を覚ました。

「これまで、どうしてたの?」と母に問う。

「ずっと寝てたわよ。」と母は返した。

 気付けば、汗だくになっている衣服。そりゃ、押入れの中で寝ていたらこうなるか。様々なことを思案しながら、額の大粒の汗を拭った。その後、親に促され、私はシャワーを浴びることにした。シャワーを浴びながら、私が考えていたことはこうだ。「今日は、今日という日自体が、もしかしたらパラレルワールドの一部なのかもしれない。」と。だが、汗だくになったセーラー服といい、幾度も鳴り続けたスマホの通知といい、全てが現実に起きていることなのだ。そして、この出来事が全てを証明しているのだ。それでも、私は今起きていることが信じられない。いつの間にかシャワーを終え、部屋着に着替えている段階になっても、私はこの思案に対する結論を出すことができなかった。

「深青、ご飯できたよ。」と一階から母親が叫ぶ。

「はーい!」と元気そうに私は返した。

 結局、夜ご飯も喉を通らなかった。朝も、昼も、夜も。今日はとにかく悩み続けた一日だったように思える。味噌汁でご飯を流し込み、なんとか完食はしたものの、食堂をご飯が思うように通って行かず、苦しい。部屋に戻って、スマホを覗くとクラスメイトからの通知がまた山のように溜まっている。一番驚いたのは、大谷や本田からも来ていたことだろうか。とにかく、色んな人から来ていた。そして、それを返しているうちに、今度はベッドの上で私は夢の世界に入っていった。今日の夢は穏やかだ。何もない。とにかく、ブルーノ・マーズの楽曲が流れる南の島でのんびりとビキニ姿でくつろいでいる。そんな図が延々と展開されるのだ。まるで天にも上るかのような気持ち良さ。最高の気分とは、まさにこのことを言うのだろうというくらいの素晴らしい夢だった。あいつもいないし、うるさい友達も現れない。眠りながら、私は意識の中で微笑んだ。微笑みの中で、次の夢に移って行く。

「深青、深青、わたしだ。」と、極楽に浸っていた私に何処からか声が聞こえてくる。

「次の夢が始まったんだ。」と私は目を開けた。

「えっ、またお前か・・・。」と逃げようとする。

「そんなこと言うなよ。」と謎の声は私を引き止める。

「君のためを思って言ってるんだ。」と更に畳み掛けてきた。

「もう、いつもいつも何なんですか。」と怒りの表情で言う。

 謎の声が聞こえる方角に向かって振り向くと、いつものあいつがいた。そう、謎のヒーロー。白と赤で、顔には青い装飾が施されている。まるで神話の世界から出てきたような複雑な顔は、この世のどんな表情ともとれる不思議な表情をしている。私はこのヒーローと対峙した。向かい合い、二人はそれぞれの思いをぶつけ合う。「一緒に強くならないか」とか、「あなたは何のために私の夢に現れるの」とか。いつまで経っても、二人の思いは平行線のままだった。

「いつか、わかるだろう。」という声を最後に、あいつは夢から去っていった。

 私は、またうなされた。そして、恐怖のままに目を覚ました。また憂鬱な気分だ。あまりに顔色が悪かったため、私は親から学校を欠席することを勧められた。私はテスト前だったから躊躇したが、こう言う時こそ、ちゃんと休まなければいけないという親の声に負けた。「病院に行きなさい」というまた親からの勧めで、私は病院へ向かう。いつもと同じ表情で登校する同級生たちの顔がいつにも増して眩しく感じた。その道中で、サイバー犯罪特殊部隊に所属する三人と出会った。ジャンと、ハラルドと、スージー。名前は外国人のようだけど、三人はれっきとした日本人。単にコードネームなだけだ。ちなみに、彼ら曰くそのコードネームはレーシングドライバーの名前に由来しているらしい。いつもやさしく相談に乗ってくれる。行きたくないのに病院へ行かせられる私の思いを、いち早く察してくれた。

「深青ちゃん、風邪でもひいたの?」とジャンは言う。

「ジャン、どうみてもそうじゃないでしょ?」とスージーはジャンをたしなめた。

「深青、何があったかは知らないが、早く元気になれよ。」とハラルドが言った。

 そして、笑顔で三人は去っていった。昨今、警視庁や自衛隊だけでは対処できないようなサイバー犯罪が増えてきたため、開設当初はかなり暇だった彼らも、最近はとても忙しくなっているようで、以前のように街でばったり出会ったりすることも少なくなってきた。噂によると、超法規的な特別防衛部隊への昇格も真剣に検討されているみたいで、最初は正直頼りなさげだったジャンとハラルドも、ちゃんとそういう系の隊員らしい顔つきになってきつつある。特にジャンは以前のように「変身っ!!」と言っている姿が想像できなくなるほど、大人っぽくなったような気がする。まあ、そんな久々の出会いがあって、ちょっと憂鬱な気分が紛らわされた後、病院に到着した。親から渡されたメモを参考に、その指定されたフロアへ向かったはいいんだけど・・・どうして【精神科】なんだろう。確かに、変な夢を見たり、急に体調の変化が激しくなったり、いろいろあったけど、正直言って意味がわからない。私、そんなに酷い状態になっていたのだろうか。熱とか、風邪だと思っていたんですけど。まあ、せっかく着いたことだし、もう躊躇しても仕方ない。とりあえず、診察を受けてみることにした。正直、病院独特の雰囲気に圧倒されて、ねむ〜くなっていたことからあまり覚えていないんだけど、なんか沢山の紙に色んな質問事項が書いてあって、それを只管書いていたような記憶がある。そして、診断結果はというと、【特に異常はなし】というものだった。その場で「えーっ!!」と叫んでしまったけど、お医者さんによると「心配の必要はなし。ただの風邪。」とのことなので、その後内科に通されて、風邪薬を処方された。もし、今後も変な夢を見たりして、うなされるようなことがあれば、また医者に来てほしいと言われたので、めちゃくちゃホッとした。

 ちょっとルンルン気分で帰路に着いた。病院へ行くだけで嫌な気持ちになってしまうのに、ましてや精神科なんて・・・まさかお世話になるなんて思ってもいなかったから、良い経験が出来たんじゃないかな、と、逆に思い始めるようになった。久々にコスプレしてみようかなとか思いつつ、一応病気の身なんだから、我慢我慢と、すっかり元気になった。ちなみに、コスプレは家族にすらバレていない秘密の趣味である。家に帰ると、一応明日は小テストがあるので、その準備でもしておこうかなと勉強机で自分なりにテスト勉強に取り組んだ。その夜、普通にご飯も喉を通ったし、変な夢も見なかったしで、翌日の朝はかなり良い目覚めとなった。いつもよりもちょっと早めに起き、少しだけ凝った髪型にして、私は家を出た。なんといっても、夢を見なかったことは大きい。おかげで、いつもの二人とも変わらなく接することができたし、心配はされたけど、理由とかも良い感じに誤魔化すことができた。夢を見ないことでこんなにも変わるんだと思った。しかし、何もかもが上手く行き始めたと思い出した頃、その時の私は更に夢が悪化するとは思ってもいなかったんだ。

「深青、大丈夫!?」と凉果が心配そうに言ってくる。

「おいおい。」と山石湊人と大谷真彦と本田純希が寄って来た。

「私、何してたの。」と問い返す。

「授業中に、突然バタンと伏せるから何事かと思ったら・・・。」と凉果が神妙な表情で言う。

 よほどのことがあったんだな、と私は理解した。夢は去らなかった。それどころか、私の奥深くに織り込まれているかのように、既に私を支配している。それを悟った時、絶望した。突然、こうなってしまうなんて、私は想像もしていなかった。

「深青、深青、わたしだ。」と夢の主が言う。

「やめてよ。」と私は必死に逃げ惑う。

「君のために言ってるんだ。」と夢の主は追いかけてくる。

 私は、夢の中で必死に逃げた。光の中を必死に逃げた。それでも、夢の主は止まらなかった。それどころか、私よりもずっと速い速度で追いかけてくる。もうだめだ。私は絶望した。そして、皆の声が聞こえてきた。

「私、やっぱりおかしくなっちゃったみたい。」と私は大粒の汗を流しながら言った。

「深青、深青は深青のままだよ。」と夏乃はやさしく返す。

「もうこうなってるの!こうなった以上は、もうずっとこのままかもしれないの!」と私は夏乃を怒鳴りつけた。

「深青、どうしちゃったの!?」と凉果は私に駆け寄った。

「清水さん・・・??」と私を山石が見つめる。

「うぉー!!」と絶叫する。

 私は、どうすることも出来なかった。自分の中で様々な出来事が混乱を引き起こし、その混乱が私を支配してしまった。そして、その支配から私は逃げ出すことが出来なくなった。今、こうして友を傷つけている。しかし、それすらも気付けない、夢は気付くことすら許さなかった。私は二人に介抱され、家に帰った。そして、二人の願いで、自分の部屋に三人で集まることになったんだ。最初、普段は明るい凉果と夏乃が何も話せずにいる。

「深青、深青、二人に話してやりなさい。」と夢の主の声が聞こえる。

「だめ。今はそっとしておいて。」と心の中の私が夢を制そうとする。

 見えない二人の葛藤がしばらく続き、私は一人で部屋をのたうち回った。それを二人は静かに見つめていた。そして、なんとか落ち着いて来た頃、私に凉果がこんなことを問いかけてきた。

「あなたはだぁれ?」って。静かに、強く。

 私は正体不明の夢の主と戦い続けていた。凉果の声が何重にも重なって聞こえる。見えない巨人に取り憑かれた私は、その憑依された誰かの意思で口を開く。

「私も、誰かわからない。」と。

「じゃあ、深青じゃないってこと。」と夏乃は言う。

「少なくとも、君らの知っている深青じゃない。」と私は返した。

「深青は死んだ。」とそれに続けた。

 二人は動揺を隠さなかった。数日前まで、何も普段と変わらず行動していた友達、親友がまさかこんなことになるなんて。何者かに憑依され、普段とは全く違う表情で苦しんでいる。それを止めることさえもできない。目の前で、何が起こっているのかもわからず、ただ見ているだけ。凉果は涙を流した。

「誰かに取り憑かれている、そんな深青なんて。」と凉果は涙ながらに言った。

「はさみを、はさみを!!」と深青は叫び始めた。

「はさみ!?」と夏乃は驚きの表情で返した。

 私は夏乃がはさみを持っていることに気付いた。そして、取っ組み合いの末、それを奪い取った。奪い取ったはさみで、自分の髪をざくざくと切っていく。これまで、自分の拘りだった髪を、まるでごみを捨てるかのように、ざくざくと。凉果は身体を張って止めた。自分との取っ組み合いで傷ついた夏乃も、同じように止めた。それでも、私は止まらなかった。しばらく、三人の取っ組み合いが続いた。その時だった。

「深青、深青・・・。」と何処からか声が聞こえてくる。

 声とともに、部屋に駆け込んで来たのは、サイバー犯罪特殊対策部隊の三人だった。

「後は任せて。」とスージーは二人を安心させる。

「これ、特殊な解毒剤だから。」とジャンにハラルドが薬を渡した。

 それから、何時間が経ったのだろうか。私は母親の声で目を覚ました。他の皆も、そこにいた。目を覚ますと同時に、随分と頭が軽くなったことに気付いた。そして、鏡に向かってみると、あまりにも短くなった自分の髪に唖然とした。あんなに拘って伸ばしていたのに、伸ばし続けていたのに、まさか、まさか、自分の手で。自分の手でこんなことにするなんて。そして、大切な友をまた傷つけてしまうなんて。今思えば、友を邪魔者扱いにしてしまっていたのが、全ての始まりだったのかもしれない。自分を傷つけ、友を傷つけ、全てが終わった。友は泣いていた。凉果も、夏乃も、声を上げて泣いていた。スージーは優しい言葉で二人を慰める。後から聞いた話だけど、サイバー犯罪特殊対策部隊の三人は、正式にヒーローものでいう防衛隊のような組織に昇格した。超法規的に活動でき、あらゆる公的機関から無制限の支援を受けられる、全く新しい防衛機関。これから、何が起きようとしているのかはわからない。ただ、これまで仲良くしていた三人が遠くへ行ってしまうようで。若干、寂しくも感じた。ちなみに、私の救助が、彼らの最初の任務だったようだ。

「深青、おはよう。」と凉果は元気に言う。

「元気?」と夏乃が続く。

「昨日は本当にごめん。」と私は言う。

「気にしないで。」とそれを優しく二人が包んだ。

 いつもの道を自転車で進んでいると、普段は別の道を通っているはずの山石くんと、本田、大谷の三人が現れた。私のことを心配して、わざわざルートを変えたようで。短くなった髪を見て、山石くんは驚いていた。

「清水さん、失恋でもしたの?」と山石は聞く。

「えっ、ひみつ。」と私は笑顔で返す。

 みんなで笑った。凉果も、夏乃も、これまでと変わらず、いや、これまでよりもキラキラとした表情で笑っていた。まるで凉果の付属品のような皆からの扱いに嫌気が差していた時期もあったけれど、山石くんを始めとして、私を私として見てくれる人もちゃんといる。それだけで、十分な気がした。そして、ジャンたちのおかげで、私はもうあの変な夢を見なくなった。ジャンは詳細を教えてくれなかったけど、スージーによると、【見えない悪魔の実を食べただけ】らしいから、何も心配する必要はないみたい。私は、普段と同じように学校生活を送れることに喜びを感じた。そして、誰よりものびのびと今を生きている。退屈な授業も今は退屈じゃない。全ては心の持ちようなんだ。私は、今回のことで色んなことを学んだ。

「深青、いくよ。」と夏乃が叫ぶ。

「それっ!」と私がピンポン球を打ち返す。

 日常が愛しい。ずっと、このままでいたい。高三の夏、私は最も自分らしく生きているような気がする。まだ十七年しか生きていないけれど、もしかしたら、一生で今が一番自分らしくいられる季節なのかもしれない。そう思った。帰り道、また山石くんたちと一緒になった。

「おつかれ!」と山石が手を振る。

「ありがと。そっちこそ、おつかれ。」と私は返す。

 その時は気づかなかったけど、家に帰ってから、私の自転車の籠に三ツ矢サイダーが入れられていたことに気付いた。それを、ごくりと飲み干す。

「今年も夏か・・・。」

 思わず、そんな気持ちになった。結局、あれだけ勉強した小テストは悲惨な成績だったけど、今は前だけを向いて生きていけばいい。ようやく立ち上がった自分を、更に奮い立たせた。

「深青、深青、この前はごめん。でも、危機が迫ってることは本当なんだ・・・。」とあの声が聞こえる。

 「えいっ!」と私はそれを撥ね退けた。それ以降、夢の主の声は聞こえなくなった。でも、実は、あの人の言っていたことは正しかったのかもしれない。夢は、所詮夢だから。今日も、明日に備えて、夢を見る。輝かしい夜明けを、貪欲に。もっと、もっと、強くなるために。

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