『私』と『僕』の傷跡
白林透
第1話 ハッピーエンドにはまだ遠い
「つまらない」
病室のベッドに腰掛けながら緑のスリッパをぷらぷらと揺らす。
私の小言を聞く彼は今日もその台詞に困ったように笑って見せた。
「病院はつまらないとかじゃないと思うけど」
「つまらないものは、つまらないんだもん」
いつものやり取り。私は起こしていた体をそのまま横たえる。
固いスプリングの感触が背中と頭を打った。
天井は磨き抜かれたように白く、蛍光灯は今も疲れ知らずに白い光を私達に降らせている。
体を倒してしまったせいで彼の顔は見えないけれど、きっとまだ苦笑いを続けているに違いない。
「何もないっていいことだと思うけどな」
「そうね。でも退屈。退屈だと死んじゃう」
「好奇心は猫をも殺すけどね」
「そんな面白いことなんてないし」
「なら、安全でいいんじゃないか?」
「……もう」
上手く言いくるめられてしまったのが腹立たしくて、私は彼へと批難の視線を向ける。
「ほんと、シロ君は口ばっかりだね」
――そう、お友達。
まるで幽霊のように白い肌と細身な体。座っていると解らないけれど結構背が高い。
百七十センチぐらいあると聞いた覚えがある。
年齢は十七歳。シロ君は私より二つ年上なだけなのに、その表情はもっと年を取ってしまっているように見える。
シロ君はまだ苦笑いを続けている。まるで、それしかできないみたいに。
「口ばっかりって、お喋り以外することないじゃないだろ。来てくれって言ったのはアリスだし」
「そうだけど。……なんか違う!」
私は怒っているのにシロ君は笑う。
アリスは私のあだ名。
でも、シロ君は私のことをアリスと呼ぶ。
自分だけあだ名で呼ばれるのはずるいという理由で。
シロ君といると楽しいのに、最近は何故か笑えないでいる。
一人でから回っているのが嫌だ……。
そんなことを考えながら布団に顔をうずめる。顔に押し付けた布団からは、微かに消毒液の匂いがした。
「どうやら、アリスはお昼寝したいみたいだね。お邪魔な僕は帰ろうかな」
「ちょっと、それは無いでしょ!」
「冗談だって」
シロ君はそうやってまた笑う。でも私は知ってる。
彼が心から笑ってないって。
「……体の調子、今日も悪いの?」
「あれ、心配させた? 今日は比較的、気分はいいよ」
「本当?」
「うん。本当」
そう言ったシロ君の瞳を凝視する。私はシロ君の嘘なら見抜ける自信があった。
明確な理由は無いけど、解る気がしていた。
「……信じてあげる」
私は視線を天井に戻す。
次に言おうと思っていた言葉はもう忘れてしまっていた。
特に重要なことじゃないから、それでいいと思うけれど。
「そんなに退屈なら、本でも読んであげようか」
「いい。本は嫌い」
「どうして?」
「……いつでも読めるじゃない」
私は、シロ君との時間を大切にしたかった。
シロ君とこうやって話が出来るのは三日に一度ぐらいだから。
彼は定期的に検査をして時々面会謝絶になる。
それでも、それが明けると苦しそうな表情一つせずに私の
私も、二週間に一度は大きな検査がある。私はこんなに元気なのに、お医者さんは揃って私が珍しい病気だという。
だから、いろんな薬を試すんだと言う。
注射や飲み薬、点滴。最初はすごく嫌だったけれど、いつの間にか慣れてしまった。
それが済むとお父さんやお母さんと会える。
だから私は治療を我慢できた。
――でも、ずっと病院で生活しているシロ君はどうなんだろう?
◆◆◆
「じゃあ、何をすればいい?」
駄目だ。また卑屈な笑いが顔に張り付いてる。
それを見て悲しそうな表情をするアリスを見るのも、また苦痛だった。
気分がいいと言ったものの、正直そんなに良くはない。
内心、今にもアリスが『屋上に行きましょう?』と言い出すんじゃないかと恐れている。
担当の先生からも今日は出来るだけ安静にしているようにと言われた。
それでも彼女の病室まで足を運んだのは、やはり会いたかったからだ。
あるいは時間が死んだような自分の病室から逃げたかっただけなのだろうか?
アリスは茶色がかった長髪がぐちゃぐちゃになるのも構わずに、ベッドに横たわっている。病院のものではないピンクのパジャマに身を包み、大きなどんぐり眼が特徴的な女の子。
ただ、スリッパだけは病院の物を使っている。
本当は
自分の予想では、あまりに子供っぽすぎるから履かないのだと思う。
もし本当にお気に入りのスリッパなら、ずっと引き出しの奥に仕舞ったままにしない。
けれど、本人がそう言い張るのだから問い質す気は更々ない。
アリスは相変わらず暇そうに天井を見上げていた。何気ない仕草。
今の自分にはそれすらもうらやましく思える。そんな自由な彼女を見ていると心が和んだ。
これが普通……なのだと思いこもうとする。
痛みも感じず汗もかかない。大抵の人はそれだけ聞くと、自分を羨ましがる。でも、実際はそんな都合のいいものなんかじゃない。
痛みが解らないから怪我をしても気づかない。それは大きな枷となって僕の行動を縛る。
舌を噛み切りそうになり、口が血だらけになったのも一度や二度ではない。
最近は知らないうちに右手の中指を骨折していた。検診の三日前から動かしにくい、とは思っていたのだが、結局検診日まで折れているということに気付かなかった。
自分は運動も大きく制限される。汗をかけないのがそうとう問題らしく、体温を管理出来ないので激しい運動をしてはいけないらしい。
そんな制約を挙げていけばきりがない。
だから僕は……何処までも自由に見える彼女に惹かれているのかもしれない。
あるいは、別の何かが僕を縛っているのだろうか?
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