でんでん、ででんっ

藻麩

第1話 就職戦線に突入であります~ハヤト~

 リビングにポッカリと浮かんだ漆黒の空間。直径五十センチほどの球体。

「チハル?」

 あれっ

 おかしいな

 そこにいたはずのチハルの体が、半分欠けている。

「お兄ちゃん。助けて…」

 苦しそうな表情のチハル。必死に、手を伸ばしてきた。しかし、その指に触れた途端、チハルは漆黒の空間へと吸い込まれていったのだ。

 息絶えそうな悲鳴を残して…

 あぁ

 またしても、僕は、彼女を救えなかった。


 ハッ

 なんだ、夢か。ベッドの上にいる自分。酷く寝汗をかいている。もう何度目だろう。妹のチハルが消滅した時の記憶。あれから十年近く経ったというのに。忘れた頃になって、夢として蘇ってくる。

 あの黒い空間は、一体何であったのだろうか。その後、家に乗り込んできた、怪しげなスーツ姿の人達。色々と綿密に調べて帰っていったけど。その調査結果は、フィードバックされず仕舞い。行方不明のまま、処理されたチハル。結局、チハルの存在が、この世界からポッカリと欠落したまま、ただ時間だけが経過している。

 思い返してみれば

 あの時の経験が、僕の人生を決定づけたわけで。物理学の道を志したのも、決して無関係ではない。

 あっ

 いかんぞ!

 時計の時刻を見て、ベッドから飛び起きる。今日は面接の日であった。

「ハヤト君。君の頭では、修士で苦労するよ」

 そう単刀直入に言ってきた担当教授。仕方なく、大学で就職する事にしたわけだが。現在、就職活動で苦労していた。どちらへ向かうにせよ、人生は、前途多難であるのだ。既に季節は冬だというのに、内定企業はゼロ。もう絶望しかない。

 そんな折

 とある会社から、教授に連絡が来たのだ。是非とも、僕と面接したいという強い意向があるという。

「この世の中には、随分と物好きな会社があるものだね」という嫌味を、教授から拝受。とはいえ、この千載一遇のビッグチャンスを逃すわけにはいかない。

 ふぅ

 面接の五分前。なんとか間に合ったか。

 寂れた雑居ビルの一角に、その会社の事務所はあった。

「こんにちは。株式会社デンデンの坂田博です」

 採用担当のヒロシさん。ニコニコと笑顔で、僕を出迎えてくれた。八畳ほどの小さなオフィス。デスクは二つ。あとは、簡素な応接用のソファーがあるだけ。ヒロシさん以外の人はいない。面接はマンツーマン。しかも、いきなりの最終面接。

 うぅむ

 緊張してきたぞ。

 はじめに、ヒロシさんが会社の紹介資料を見せてくれる。

  でんでん、ででんっ

  株式会社デンデン

 いやはや

 実にシンプル。

 一枚のぺらぺらの紙に、それしか書かれていないとは。何をやっている会社なのか、まったく見当もつかない。会社のホームページも見つからなかったし。プンプンとする怪しい香り。この会社は、世に言う、ブラック企業なのかもしれない。

「いやぁ、ハヤトさん。あなたに声を掛けさせて貰ったのは、ハヤトさんのプロフィールシートにヤル気を嗅ぎつけたからでありまして」

 なぬっ

 ヤル気か。そうか。ヤル気を見せれば、良いわけだな。

「ありがとうございます。まさに、ヤル気のハヤトと、日頃から知人達からは言われておりまして。そのヤル気で、真冬に一人で海水浴に行ったり、繁忙期に一人で遊園地に行ったりしたものです」

「なるほど。それは、素晴らしいヤル気ですね。安心しました。実はですね、私共の会社は、色々なモノの穴埋めをしているんですよ。やっぱり、そういったことをするには、ヤル気が大事ですし。それに、ほらっ。ハヤトさんって、穴を埋める仕事、得意でしょ?」

 そうなのか?

 それは、初耳だ。しかし、何か答えなければ。

「そうですね。日頃から、穴があると、どうしても気になってしまう性格でして。ついつい埋めたくなってしまうんです。一昨日も、大きな欠伸をしていた友人の口に、コッペパンを押し込んでやりました」

「ほぉ。コッペパンですか。それは埋めるのにも一苦労ですね」

「はい。友人がバタバタと暴れるもので、完全に埋め込むのには随分と苦労しました」

「ふむふむ。コッペパンを埋め込む、と」

 ヒロシさんが、興味深そうにメモを取る。それが、何の役に立つのかは分からないが。何はともあれ、印象は悪くない。

「何か、弊社に対して質問はありますか?」

 モチロン

 聞きたい事は山ほどある。

「この会社は、具体的には、どのようなモノの穴埋めをされているんですか?」

「さぁ、分かりませんね。私、立ち会ったことがないので。ですが、色んな職種があると聞いていますよ」

「例えば、どんな職種があるのですか?」

「んー。把握しておりませんね。私は採用するだけなので」

 なぬっ

 そんな会社があるのか。職種の適性も判断しないとは。この会社は一体、どういった基準で人を採用しているのだろうか。

「それでは、この会社にはどれくらいの人がいるのでしょうか?」

「いやぁ、それも知りませんね。何人位いるのかなぁ。そんなこと、考えた事もなかったな」

「はぁ。では、勤務地はどこなんでしょうか?」

「うーん。どこなんでしょうかね。私、この場所以外で働いたことがないので、わかりません」

 おいおい

 この採用担当、大丈夫か?

 質問に何一つ答えられていないじゃないか。

「ところで、ハヤトさんは、次元について何かご存じで?」

 唐突に切り返してきた、ヒロシさん。

「次元? 何ですかそれは?」

「あっ、いえ。何でもありません。失礼しました。それでは、よろしいですかね」

 それで、面接は終了となった。何ともいえない手応え。後は、天命を待つのみ。しかし、あの採用担当に判断されるというのは、どうにも不安だ。彼は、何を基準に合否を出すのだろうか。唯一メモを取ったのは、コッペパンという言葉だけ。まぁ、終わったことだから、今更気にしても仕方がないが。

 翌週

 なんと、なんと!

 その株式会社デンデンから、採用内定通知が来たのである。

 いやあ

 良かった、良かった。これで、晴れて僕も、春から社会人だ。しかし、突然、海外に飛ばされたり、超激務だったら、どうしよう。

 とはいえ

 あんなに間の抜けたヒロシさんでも、何とかやっていけているのだ。心配するには及ばないだろう。

 はてさて

 そう考えてしまったのが、甘かったわけだ。

 これが、僕と株式会社デンデンとの出会いである。この人生、最大の転機であったことは述べるまでもない。

 まさか、あの黒き空間と再び対峙することになろうとは…

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