その3 マリアの光

 翌日、ルートはデュポン現代美術館へ向かった。今夜にでも忍び込みたかったからだ。怪盗シャノアールが大舞台を演じている後ろで、ルート達がこっそりと絵画を盗み出すほうが都合がよいからだ。


「ルート、もうリュパ市内にいるのか?」シーグラムの声が頭の中で響いた。ドラゴンは皆、念話テレパシーを使える。シーグラムとルートも、お互いが離れている時は、こうして連絡を取り合っているのだ。

「ああ、早速美術館に向かっているぜ。今夜にでも決行したいからな」

「今夜?それはちと性急ではないか?」ルートはシーグラムに、リュパを騒がす大泥棒について伝えた。

「なるほど、怪盗騒ぎか。確かに混乱に乗じて盗みを働くのはいい作戦だが、その分警備が厳重になるだろ?やはりやりにくいんじゃないか?」

「だけどな、盗みが起こった後ってのは、もっと警備が固くなる。それにシャノアールは盗んだ物を戻しに来る律儀者だ。警察もそれを狙っているからな。盗品が戻ってくる間は警備が解かれることはないだろうぜ」

「なるほどな。確かに、そんなに時間をかけすぎてしまうと、うまくいかないからな。分かった、私もすぐに動けるように街のすぐ近くで待機していよう」

「お前、そんな遠くにいたのか?人目につかないように気をつけろよ」

「今、市から十リーグほど離れた所にいる。リュパのすぐ近くには、いい隠れ家が見つからなくてな。だが、うまくやるさ。昼頃にでもまた連絡をくれ」

シーグラムは一旦交信を切った。ルートは、彼と話しをしている間に目的地へ着いていた。


 デュポン現代美術館は、市の中央区にある。建物の隣には国立音響研究所、二百メートルほど後方には国立芸術大学が聳えている。また、ここから一キロメートルほど東に行くと、国内最大の美術館ラヴール美術館に行き着く。この辺りは、この国を象徴する主要建築物が集まっているのだ。今日は日曜日ということもあり、美術館の周りは人で賑わっていたのだが、もう一つの理由でも人が多かったのだ。制服姿の警官達がしかつめらしい顔をして美術館の周りを取り囲んでいた。やはり、怪盗の予告状が来た以上は厳重な警備を敷いているらしい。


 その人々の間を通り抜けて、ルートは一人、入り口へと向かった。中へ入ると、そこは広い中央ホールになっていた。天井は吹き抜けとなっており、最上階である四階まで見上げることができた。左右には緩やかな階段が設置されてあり、二階以降へつながっている。この一階では、だだっ広い中央ホールとごく小さな展示部屋があるだけであったが、このホール自体も展示スペースとなっていたのだ。展示されているのは、主に彫刻品やインスタレーション作品だ。ルート達の標的である「マリアの光」は二階の特別展示室にあった。そこは常設とは違い、期間限定の作品を展示するスペースだ。


 そして、数々の芸術作品に似合わない巡査たちがここにもいた。やはり、どこもかしこも警官だらけだ。ここまで厳重に警備をするなら、美術館を閉館にするのが通常だろうが、ここの国では、芸術品を人に見てもらうことのほうが重要らしかった。


 ルートが二階へ上がると、やはりと言うべきか、人、人、人で溢れていた。彼としては、他の美術品になぞ興味は無いため、早く目的の絵を見つけたかったのだが、建物の構造を知る以上、館内をくまなく見ておかなければならなかった。しかし、この混雑では歩き回るのもうんざりだった。


 二階の展示室はどこも白壁で覆われ、それぞれの区画には広めのスペースが与えられていた。そのお陰で、人が多くても閉塞感を与えることは無かった。彼は展示物を眺めている人々の後ろから、ゆっくりと室内を観察しつつ進んだ。


 展示室には二つの出入り口があり、そのどちらからも出入りできる。一階の中央ホールにあったあの二つの階段がその出入り口につながっているのだ。ルートが入ったのは東階段からだった。そこからぐるっと西階段まで回るのが順路であり、また、その逆も然りだ。三階、四階の展示室も同じ構造だ。ちなみに屋上は、庭園が臨めるカフェスペースだ。

 エレベーターは建物の端に設置されている。入り口から入って、それぞれ東階段、西階段の登り口の奥の方に一台ずつだ。

 建物の構造自体は非常にシンプルだが、やはり、広さがそれを感じさせない作りになっている。二階の展示スペースは、全部で十二区画に分かれており、一つの区画につき七〜十ほどの展示物が並べられている。


 ルートは、ちょうど真ん中あたり、七区画目にきていた。ここには、今回の展示の目玉がある。それが「マリアの光」だ。ルートは人だかりの後ろから覗いている赤い色を見つけた。全貌を見るべく、人の列の間に割り込んで絵の前に行けるまで待った。


 その絵が彼の前に全体を現した時、彼はその圧倒的な吸引力に飲み込まれそうになった。276×611センチメートルのカンバスには、朱一色が塗りたくられていた。しかも、それらはムラの無い、一見すると赤い壁にしか見えない、見事なものだった。そして後ろの白い壁は、朱色との対比によって非常に眩しく見えると同時に、どこか優しげな朱を引き立たせてもいる。ルートは、変な絵だとバカにしていたことなど忘れ、その赤の世界にごく短い間ではあるが、引き込まれていた。この場を制圧するかのような力を持ちつつ、大きな温かい手による抱擁を受けているかのような安心感を得たのだった。この朱色は、そのような優しい光なのだろう。ルートは懐かしい気分を覚えながらも、その場をゆっくりと去った。


 あとは、怪盗シャノアールが狙っているという美術品をリサーチする必要があった。それは十一区画目にあった。十一区画と十二区画はほとんどつながっているようなものであり、ゆったりとした広いスペースがとられていた。その広い部屋の中心にまたもや人だかりができていた。今度は、一つの台座を何人もの人間で囲んでいるようだ。


 シャノアールが狙っているものというのは、ジョゼフ・コーネル作「ピアノ」という作品だ。このコーネルという人物は、「マリアの光」の作者であるニューマンと同じリメア連邦の出身だ。彼の代表的な作品の多くは、三十センチメートルほどの高さの箱の中に、雑誌や地図、絵本、楽譜などの切り抜き、またはレコードの切れ端であったり、女優のブロマイドなどをコラージュするというものであった。今回、シャノアールが狙っている「ピアノ」という作品は、箱の中に楽譜が切り貼りされ、そして小さなオルゴールが入っている、というものだ。一体何の曲が入っているのかは、芸術音痴のルートには分からないことだった。


 ともかく、彼が作品を見ようと首を伸ばしても、一向に姿は見えなかった。今話題の怪盗が今夜にも狙っている、ということもあって他の作品よりも大人気なのだ。警備に当たっている制服警官が客を捌こうとしているのだが、うまくいってないようだった。

 ルートは人を搔き分けて、なんとか作品が見える所まで行った。作品は、台座の上に単体で乗せられていた。箱の中のオルゴールはちゃんと鳴るらしいのだが、今は、それは止まっているらしかった。


 目的のものを一通り見終わった彼は、残りの三、四階、屋上もざっと見て回ってから美術館を後にした。シーグラムと今夜の作戦会議をしなければいけないため、さっさとこの場を後にすることにしたのだ

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