その3 大森林

 午前七時頃。林の中には光が控えめに差し込んでいた。樹海の中も、明るいとはいえないまでも、進めないほどの暗さではなかった。


「どうだ?シーグ」ルートは、森の上空を飛んでいるシーグラムに呼びかけた。彼は、森の全景を探っていたのだ。その内に戻って来て、相棒に伝えた。

「森の木々は、あの山々の六合目くらいまで伸びている。森の出口までここから一直線に進んだとしても、十日ほどはかかりそうだ」

「まじか。何か手がかりになりそうなものは見つけられなかったか?」

「同じような景色が続いているだけだったよ。鳥や虫たちの群れがいれば、何か手がかりになったかもしれないが、それも無かったしな」

「じゃあ、歩きながら地道に行くか…」

「まぁ、迷った時は私が外まで飛んで人里へ戻れるから、その点は安心しろ」


 二人は小川を渡り、森へ足を踏み入れた。シーグラムは、その身を窮屈そうにしながらルートの隣をゆっくりと歩いた。彼は空から並走するのが一番だったが、木の葉の密度が濃すぎて地上がよく見えなくなってしまうため、歩くことにしたのだった。


 最初の百メートルほどは、人間が踏みならした道ができていたが、その内にそんなものはすぐになくなってしまった。獣道さえなく、所々地面がせりあがり、木々の大きな根が露わになっていた。林の木は背が高かったが、反対に、この森の木は太かった。それがまばらにあるものだから、まっすぐ歩くのを困難とさせた。また、生き物の影をあまり見なかった。地を這うミミズや蜘蛛の姿はよく見かけても、動物やその他の虫の姿はほとんど見かけず、森の中は冷たい静けさに覆われていたのだ。ルートたちの地を踏む音、枝を踏む音が、その静寂を破るだけだった。


「よっと」ルートは、大きな根をなんとか登り、その向こうの地面に降りた。

「かなり道の起伏が激しいが、方角は大丈夫か?」

「ああ、ちゃんとまっすぐ進んでいるよ」彼は手元のコンパスを見ながら言った。彼らは、先ほどの入り口からまっすぐ北西に進んでいる。ルートは、進路の目印となるように夜光塗料を持って来ており、今までそれを垂らしながら歩いてきたのだ。それを確認しても、まっすぐ進んできたことが分かる。


「まだ正午だってのに、だんだん暗くなってきたな。明かりつけるか」

「ああ。だが、休憩を取ってからにしよう」

「それもそうだな」

 二人は昼食にした。食料は一週間分ほどあるから、まだまだ大丈夫だ。それが終わると、ランタンに明かりを灯し、シーグラムの首にかけた。そうして二人は再び歩き始めた。

 森をひたすらまっすぐ、五日ほど歩き続けた。歩くのは昼間のみで、夜はその場から動かずに休んだ。だが、この真っ暗な森の中に五日間、い続けるというのは普通の人間には少々酷だった。


「ルート、一旦森の外へ出ないか?このままでは、お前が参ってしまうぞ」

「でもな、またここへ戻ってくるのは難しいだろ?だったらこのまま、」

「別に違う所を探索するのでもいいだろう。ここまで来て何も手がかりは得られなかったのだから」

「————、けどなぁ…」

「それに、食料も灯油もつきかけている。一度引き返そう」

「それもそうか…」二人は一旦、森の外へ出た。その際に、最後にいた地点の木の上に、余った夜光塗料をかけた。最後にいた地点がどこか分かるようにだ。



 二日後、二人は準備を万端にして、再び樹海の探索を始めた。前回、最後にいた辺りから再開した。前と同じように、ひたすらまっすぐ歩くだけだったのだが、次第に道に傾斜がついてきた。もう山に入った辺りなのだろう。しかし、いくら歩いても、小人村の手がかりは一向に無かった。


「やっぱり、山の上から探してった方がよかったかなぁ」ルートは座り込んで言った。シーグラムも、その場に座り込んだ。

「しかし、この辺りがちょうど森の真ん中あたりだ。今まで人に見つかっていないのだから、森の最深部に当たる、ここらへんの可能性の方が高いんじゃないか?」

「でも、こんな気味悪い樹海に住むなんてなぁ——」

「何千年も前は、もう少し風景が違ったんだろう。あの林の中の家だって、土中に埋もれていたんだからな」

「なぁ、なんで、あの辺りにはあの一軒しか無かったんだと思う?もう少し近くに家があってもいい気がするんだが」

「恐らく、村から外れた所に住んでいた変わり者がいた、というところかな。あるいは隠棲者だった、とか」

「なるほど。お前みたいな引きこもりがいてもおかしくないな」

「ひきこもりなんて言うのはやめろ。私は、世を憂えてだな、」

「だって五十年も穴ぐらに隠れ住んでたんじゃなぁ——」

「ずっとあの穴ぐらで寝ていたわけじゃない。あの山一帯が私の庭のようなものだったのだ」ルートの軽口に、シーグラムは少々憤慨していた。

「悪かったって。ほんの冗談だ。そんで、あそこにはもう戻らなくていいのか?」

「誰がもう戻らないと言った。この私の翼があれば、いつでも戻ってこられるさ」

「それじゃあさ、いっちょその翼で、もう一度この森の全景を見て来てくれよ。何か見えるかもしれないからさ」

「ならば、お前も行くか?一度離れてしまうと、はぐれてしまうかもしれないし、お前の目からも何か見えるかもしれない」


 シーグラムは前足でルートを抱き上げて上空に飛んだ。彼の背中の鱗は鮫肌のようになっているため、人間が触れたり乗ったりすると、その身を傷つけてしまう。だから、ルートは彼の背中には乗れないのだ。

「うわっ。こんなに広いのか」ルートは、森の全景を眺めて嘆息した。それはあたかも、緑の大地が広がっているかのように、木が地平線を作っていた。人里など全く見えないほどだった。山の方に目を移してみても、ひたすら木が密集しているのが見えるだけだった。だが、さすがに、山頂に行くにつれて、森は薄くなっていた。シーグラムが言っていたように、森と言えるのは山の六合目くらいまでだった。

「しばらく、ここにいてくれないか?私は、森の出口付近を見てくる」シーグラムは、木の上にルートを置いて山の方へ向かった。


 ルートは、シーグラムに置いて行かれた後、再び樹海の全景を見渡してみた。遠くに渡り鳥たちが見えるだけで、他に生き物の影は見えなかった。どこかに虫の群れができているということもなかった。彼は不思議に思っていた。いくら昼も夜もない森だとしても、これだけ生物の姿を見かけないというのは珍しかった。今まで見かけた動くものといえば、ミミズやトカゲ、それに蜘蛛くらいだ。何か生き物でもいれば、それがヒントになる可能性がある。しかし、この森には何も無かった。不気味なくらいに静かで、何かが獲物を待ち構えているかのような緊張感があった。

 彼がそんなことを考えながら辺りを見渡していた時、何かを目の端にとらえた気がした。その時、彼の体は一瞬の内に、森の暗闇へ引き摺り込まれた。

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