糸
自分だけ変なものが見えるという話は案外巷に溢れているらしい。霊感だなんだと言って、話題の種にするものなのだそうだ。
そうはいっても周りに直接打ち明けることはなかなか出来ないもの。変な子だと思われるのは嫌だった。
私はスマホのメモ帳に日記として残すことにした。いつかブログやSNSのネタにでもするつもりで。
「それ」が見えるようになったのは、数日前からだった。
その日は仕事納めの金曜日。起きた特別な出来事と言えば、事故のような現場に遭遇してしまったくらいだった。
遭遇したと言っても、通勤途中の電車内で見かけただけ。私から見て、向かい側に座っていた中年の痩せた男性が突然倒れたのだ。
座席について二駅ほど後で乗ってきた人だった。今から思うと、扉が開いて入って来たときから顔色は悪かった気がする。その男はずっとぶつぶつと呟いていた。
独り言喋りながら歩いてる人最近多いよね。ハンズフリーなのかそれ以外なのかも分からないから怖いわ。大体は目を合わせないようにしてるけど……。同僚の一人がそんなことを話していたことを思い出した。
真似させてもらうことにしよう。カバンからスマホを取り出した。
アプリを開くと数件の友達申請が届いていた。相手を吟味しながら許可ボタンを押す。次はファッション情報のサイト……。
あれ、うめき声が聞こえる。目の前にいるため、ついつい気になって時折視線を向けていた。
男は苦しそうにじたばたともがいている。
周りも異常な様子に気がついたらしい。誰かが非常ボタンを押した。車掌さんが慌てた様子でやってくる。
私は邪魔になっては悪いと思って、席を立ち、少し離れた位置へと移動した。騒ぎが大きくなると面倒そうで嫌だった。
男は次に到着した駅で抱えられて下ろされた。その後どうなったのだろう。
休日の間、私は家事や録画していたドラマを観る他は取り立てて用事もなかった。外へと出歩くこともなかった。
土日は実家で過ごしている。平日は忙しくて出来ない分、家事を一通りこなして、後は好きなことをしていた。
土曜日の朝、7時には朝食を作り終える。キッチンから出た私は、起きてきた両親と私の間に何かがあることに気付いた。
糸、のようなものだった。少し太くて毛糸くらいのサイズはあるような気がする。身体の中心同士を結んでいるようだった。驚きはしたけれど、不思議とすぐに見慣れてしまった。
こういうときは案外冷静でいられるものなのかな。家事をし終えてから、謎の糸について調べてみた。
いくつかのことがわかった。
その糸はゴムが伸び縮みするように、近付くと太くなって離れると細くなる。
よく見ると、私から両親に繋がる分以外にも何本か家の外へと続いている細い糸がある。
どうやらある一定の太さより細くなると目には見えない。
物に当たっても物理的には何も起きない。例えば、柱を二手に別れるように通り過ぎても、糸は柱に引っかかってその分伸びるだけ。しかもある程度伸びると柱をすり抜けて再び二人の間を真っ直ぐに結んでいる。
こんなことを確かめているうちに今週の休みはあっという間に終わってしまった。
今日はもう出勤しないといけない。
私は支度を終えて、実家を出た。
外には信じられない光景が広がっていた。
街を歩くと周りはそれはもうたくさんの糸、糸、糸。
一人一人から何本もの直線が出ている。その直線はすぐ隣の人と繋がっているだけのもあれば、どこまで続いているのか分からないのもあった。いくつも引っかかって絡み合っている。
それぞれの線が放射状に、クモの巣のように、広がっていた。
糸の数は人によって違うのだろうか。酷い人は糸が多すぎてハリネズミのようになり、姿も見えなくなる程だった。
そこまでいくと気持ち悪くて、とてもじゃない。人を直視なんてできない。このままだと街の真ん中で倒れてしまいそうだった。
ふと自分の身体を見ると、私から出ている糸と他人の絡まった糸が巻き付いていた。首元、胸、足、それはもう身体中に。何となく染み出てくる嫌悪感。視線を浴びているような、圧迫感。
駅へ着くと、つばめの巣のようになってしまったホームへ向かう。いつも乗っている乗車位置へと歩く。気分は優れないままだ。電車がちょうど来たところだった。
やめておいた方がいいとは思った。無意識の底にある警報の、ジリジリと鳴っているような気分。
それでも人混みに流されるように乗ってしまった。
電車のなかはさらに糸だらけだ。周りの乗客は皆スマホを眺めている。
あ、たった今目の前の女性から新たな糸が延びていった。周りを見渡すとスマホを持つ人達はさらにたくさんの糸。ああ、絡みついてくる……。
しかも皆の手が忙しく動く度に増えていく、また私の首元あたりに引っかかって……。
もう耐えられない……。どうしてこんなものが……。何で、何で、何で……。ああ、もう、首に巻きついた糸がきつくなって……。ほどいて。
身体が軋む。捻れる。痛い。たすけ
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