ショートショート集

土性武蔵

特別な仕事

 佐藤は部屋に入って厳重に鍵を締めた。分厚い壁に囲まれた中には落ち着いた色の家具が一揃えで置いてあった。部屋の真ん中には相変わらず無機質な造りのテーブルとイスが用意してある。

 ああ、ここに来ると嫌でも自分のやっていることを思い出してしまう。頭が痛くなってきた。彼はこれから行う仕事のことを考えないようにした。


 佐藤はエックス社に勤めている。普段は他の社員と変わらない。ただ違うのは、彼だけは週に1度、別の仕事をしているところである。給料が一回り高い分、特別な仕事を行っているのだ。

 社内では本人と最上層部の人間しか知らない。勿論内容は誰にも言ってはいけないことになっている。

 その業務は決められた日の夜に社内の奥の、さらに奥の方の部屋へと向かうことから始まる。まるでスパイ活動でもしているような、どうしようもない後ろめたさが彼の同僚なのだ。


 佐藤はイスに深く腰かけた。硬質な見た目に反して、なかなか座り心地がいい。長時間座っていなければならないため、身体に合わせて楽な姿勢を維持してくれるのだ。収まりのいい位置を見つけると、付属のリモコンで今の気分と体調を入力する。すると、テーブルには水の入ったコップと数個のカプセル状の薬が現れ、部屋には耳障りのいい音楽や環境音が流れ始めた。

 薬をいつも通り手際よく水で流し込む。即効性かつ特別なリラックス効果があり、おかげで頭痛はすぐに治まって少しずつ落ち着いてきた。しばらくすると、すっかり眠ってしまうように出来ていた。


 ぐっすり寝ている佐藤はとても楽しい夢をみていた。


 いつの間にか懐かしい実家のリビングにいる。見下ろしているような光景だったのに何も疑問に思わなかった。部屋の中心にはアルバムで観たことのある自分の後ろ姿があった。これは幼稚園に行っていたくらいの年齢のころくらいか。

 リビングを覆ってしまうくらいの大きな白い画用紙にたくさんの絵を描いていた。隣には若かりし頃の母親が満足そうに微笑んでいる。そういえば小さい頃は絵描きになるのが夢だったか。周りには紙だけではない。クレヨンも色鉛筆も何でもある。幼い彼は童心にかえって思い思いの絵を描いていた。毎週欠かさず観ていた特撮ヒーローと怪獣の戦闘シーン。ワクワクしながら妄想していた昆虫同士のバトル。園の運動会で活躍したときの勇姿。次々と生まれる作品を見ては、ああ、あんなものが好きだったなぁ、こんなことやっていたなぁと数々の思い出に懐かしんだ。今の彼はずっと天井近くで漂っていた。


 映画のカットが切り替わるように次の場面へと移る。これは実家の、自分の部屋か。またもや机から本棚にベッドまで見渡せる変なところにいたが、違和感はなかった。今度の佐藤は中学生か高校生だろう。

 テストが控えているのか机に向かって勉強している。そうだ、この時は夢に向かって一生懸命突き進んでいたはずだ。自分の作ったものによって他人に影響を与えるようになりたい。そんなことを考えていた気がする。多感で将来の不安や好きな子に対してもやもや悩んでいたあの頃の自分。でも安心して欲しい、君はちゃんと進むべき道へ行けるのだから。


 同じようにして、佐藤は自分の人生を振り返っていった。楽しかった思い出や人生のターニングポイントがショートムービーのように上手くまとまっている。各シーンは夢の中だからか、感傷に浸れるようにか、効果的に演出されていた。どれも今の彼を形作るにはふさわしいようなエピソードに思われる。素晴らしい出来映えだった。


 最後は入社してすぐの頃。働く意欲に溢れた、キラキラと目を輝かせる彼の姿があった。これまで同様、ふわふわと浮かんでいる現在の彼は当時の自分に共感していく。それはもう今すぐ仕事に戻りたいくらいに。


 後味のいい目覚めだった。佐藤はちゃんと地に足をつけて、気持ちよくイスにもたれかかっている。目の前のテーブルには、眠りにつくときには無かった時計がセットされており、横には普段彼の使っている洗面用品、着替え。この業務明けはいつもこの部屋から出社する。時間にはまだ余裕があった。のんびりと身支度をしながら、彼はつい先程までみていた夢の中身を反芻していた。


 佐藤はいつも社内では激務をこなし、トップクラスの成績を残している。広告代理店というシビアな環境にも関わらず、彼は自身のアイデア力とデザイン、何よりも熱い熱意によって勝ち抜いていた。しかし、近寄りがたいようなギラギラした雰囲気はない。彼には常に夢を追い求める純粋さがあると言って、上司から部下まで誰もが尊敬と信頼とを抱いていた。エックス社には彼ほど仕事と自分の夢をマッチさせて、充実した働き方をしている人間はいない。そんな彼を見て働く意欲の湧かない社員がいるだろうか……。

 今やどの会社でも優秀な社員に目をかけて、特別な仕事をさせるようになった。どこもおおっぴらにはしていない、優秀で秘密を守る人間にしか頼まれないものだ。彼らは夢を叶えて生きている姿によって、皆の憧れとなり、働く心の支えとなり、生きる希望となる。そんな人間が集団内に一人いるだけで能率はいくらでも上がるのだ。最近では上層部によって徹底した体調管理とメンタルケアが行われるようにまでなっている。

 夢ややりがいだけでは生きていけない世の中になった。神様ではないが、誰かが救ってやらなければならない。その生け贄になったとでも思わなければやってられない。佐藤は今日も元気に出社する。

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