シーと赤い傘

ユッキー

第1話




6月も10日を過ぎて、雨模様の日々が続いています。

定禅寺通りの欅並木も雨に濡れて、緑がより一層濃く感じられます。


仙台の定禅寺通りは、5月に青葉まつり、8月に仙台七夕まつり、そして9月に定禅寺ストリートジャスフェスティバルが催されます。

12月に入れば、SENDAI光のページェントが始まり、欅並木が60万個のイルミネーションで彩られます。


定禅寺通りは仙台市民にとっては、憩いの場所であり、様々なイベントが催される舞台であり、杜の都仙台の象徴です。


私は、そんな定禅寺通りの欅並木の中を、シーと歩いてみたいと思っていました。

定禅寺通りの中央分離帯には遊歩道があり、犬を連れて散歩することもできるのです。



その日は、朝から霧雨が降っていました。

Googleで仙台の天気予報を確認すると、曇りのち雨で、それほど降水確率は高くありません。

私は、シーと定禅寺通りまで、散歩に行くことに決めました。



まだ霧雨は、降ったままでした。

定禅寺通りのスクランブル交差点から、中央分離帯の遊歩道に入り、西に向かってシーと歩き始めました。

46mの幅員、700m続く通りを、高さ20m以上の166本もの欅が上空を覆って、緑のトンネルを形作っています。


平日の午前中なので、私たちの他には誰もいません。

欅に覆われた遊歩道は、雨粒が遮られほとんど濡れることはありませんでした。

シーは遊歩道脇の置石に登ったり、匂いを嗅いだりしながら、しっぽを振って楽しそうです。

途中、遊歩道の中程にあるベンチに腰掛けて、缶コーヒーを飲みました。

シーにも携帯用のカップに、水を注いであげました。


以前、美沙とクリスマス前に、SENDAI光のページェントを、見に来たことを想い出しました。

あれからもう何年も経ってしまいました。

彼女は、さよならも言わずに消えてしまいました。


なにしてるかな?

幸せに暮らしているだろうか?



突然、この少し先の定禅寺通り沿いにあるせんだいメディアテークで、美沙と待ち合わせをしたことを想い出しました。

初めて2人で、東京へ遊びに行った日のことです。



その日も朝から、雨が降っていました。

メディアテークの正面玄関の前で、傘をさして待っていました。

まだ開館前の時刻でした。

しかし、約束の時間になっても、美沙は現れません。

すると、1匹の白い身体に茶色の模様のある仔犬が濡れたまま、歩いて来るのに気づきました。

正面玄関の前の広場を、横切って行きます。


ノラ犬?


仔犬は、メディアテークの東側の通路の方へと歩いて行きます。

私はなんだか気になって、後を追ってしまいました。

よく見ると首輪はしているようです。


逃げて来たのかな?


一旦、通路に出た仔犬は、すぐに十字路の交差点を左折し、メディアテークの裏側の敷地へと入って行きました。

すると、建物の裏口玄関の前に、一色の赤い傘をさした女の人が立っていました。

傘の下の顔は見えません。

仔犬は、その赤い傘の方へと進んで行きました。


女性は、傘をさしたまましゃがんで、仔犬に「おいで」のポーズを取りました。

仔犬は、急いで近づいて行きます。

そして、女性を見上げながら、しっぽを立ててさかんに振っていました。


あの人の犬なのかな?


仔犬は、彼女の膝に乗るように飛び跳ねたり、とても嬉しそうです。

やがて、彼女は赤い傘をさしたまま立ち上がり、裏口玄関前から、通路へと歩き始めました。

仔犬も、そのまま後を追って続きます。

通路に出ると、彼女は仔犬を確認するかのように一瞥し、仔犬も彼女の横に並んで歩いて行きました。


私は、十字路を右折する2人の姿が、見えなくなるまでずっと目で追っていました。


やっぱり

あの人の犬なのかな

顔はよく見えなかったけれど

まだ若い感じ



それから私は、せんだいメディアテークの正面玄関に戻って、再び美沙を待ちました。

もう時間はだいぶ過ぎていました。

東北新幹線の時間も迫っています。


遅いな

ヤバい


私は焦って、美沙に携帯から電話をかけてみました。

美沙は、すぐに出てくれました。


ゆっきーごめん

もう近くまで来てるから


せんだいメディアテークの正面玄関の前は、定禅寺通りです。

その定禅寺通りの西側から、赤い傘をさした女の人が歩いて来ました。


あれ?


彼女は、メディアテークの広場に入り、正面玄関前の私の方へと、向かって来ます。


美沙?


赤い傘が少し上を向いた瞬間、ようやく顔が見えました。

やはり苦笑いの美沙でした。


ゆっきー

ごめーん


時間ないよ

タクシーで駅まで行こう


定禅寺通りで、タクシーが通りかかるのを待ちました。

まだ朝なので、それほど交通量も多くありませんし、タクシーもなかなか姿を現してくれません。


美沙ちゃん

いま仔犬と散歩してなかった?


え?


赤い傘の人が、仔犬と散歩してたから

美沙ちゃんかと思った


あはは

まさか

そんな余裕あるわけない


ようやくタクシーが通りかかりました。

手を上げて、タクシーに乗り込みました。


美沙ちゃんと同じ赤い傘だったから

美沙ちゃんかと思った


あはは


何とか新幹線の時間に間に合いました。

初めて、2人で東京へと向かいました。



定禅寺通りと晩翠通りのスクランブル交差点を渡り、定禅寺通りの西の方まで来ました。

通り沿いには、せんだいメディアテークがあります。

あの日、美沙が赤い傘をさしていたことを、想い出しました。

雨に濡れた仔犬の姿も、浮かんで来ました。


遊歩道の中は、濃く茂った欅の葉に守られて、雨に濡れたりはしません。

シーは、さかんにしっぽを振って、うろうろ歩いています。


むかし読んだ大江健三郎の連作短編集「雨の木を聴く女たち」を想い出しました。


「雨の木」というのは、夜なかに驟雨があると、翌日は昼すぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるようだから。他の木はすぐ乾いてしまうのに、指の腹くらいの小さい葉をびっしりとつけているので、その葉に水滴をためこんでいられるのよ。頭がいい木でしょう


荒涼たる世界と人間の魂に水滴を注ぐ「雨の木」のイメージに重ねて、人間の救済を描き出した連作短編集。



上を見上げてみました。

しかし、もちろん「雨の木」のように水が滴り落ちることはありません。

濃く茂った欅の葉が、無言のままあるだけです。

しかし、その瞬間、一瞬だけ葉の隙間の1箇所が、光ったような気がしました。


まさか

まだ雨は降っているのに


たしかに、どんよりした暗い空に覆われています。

太陽が顔を見せることはあり得ません。


気のせいか


すると、いつの間にかシーは、お座りをして私を見つめていました。

いつもの大きな瞳で、見つめていました。


さあ

シー

もう帰ろう


まだ霧雨は止んでいません。

私たちは、欅の木の中から一歩踏み出して、霧雨の中を歩き始めました。










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シーと赤い傘 ユッキー @3211

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ