俺を挑発する眼
水田歩
第1話
妻と知り合った頃、俺は既にAV男優としてそこそこ売れていた。
彼女は撮影のアシスタントとして入ってきた。
若くて女でAVの現場に居たら『テスト』だの言いくるめられて剥かれた挙句、キャメラで撮られてしまうものだ。そこで『素人隠し撮り企画』が一本出来上がる。
しかし、彼女は毅然として言った。
『私は撮る側なので脱ぐつもりはありません』
どんなに誘っても、彼女はうんとは言わなかった。やがてスタッフたちも彼女を撮ることを諦めた。
卑猥な遣り取りが飛び交う現場で、彼女はただこき使われていた。
AVの現場は入れ替わりが激しい。
スタッフは少なからず、映像の世界に携わりたい。しかし、厳しい現実にうちのめされる。ある者は失意のうちにキャメラを棄て、ある者はなげやりにAVに染まっていく。
彼女はひたすらにキャメラを回していた。その透明な目線に迷いもブレもなかった。女優たちは少なからず俺を情欲の瞳で見るものだが、彼女は俺をただ撮るべき対象として扱った。
彼女が下っ端からAD、助監督と立場を変えるにつれて、徐々に言葉を交わすようになっていた。
バーで二人でグラスを傾ける。お互いに自分の話はしない。好きな映画、ミュージシャン。感銘を受けた小説。
「小説を読むたびに”ああ、映像化したいなあ”って思うようになって」
訊けば学生の頃からショートフィルムで賞をかすめることもあったという。
『恋愛の果ての官能を撮りたいんです』
そのためにAVの世界に身を置いているという。
『わたしは女性ですから。愛して愛されている人との官能を撮りたいし観たいんです』
折れたことのない勁さ。穢れたことのない無邪気さで言ってのけた。
ふ。
俺は口の端を挙げて見せた。
女のほうが欲に貪欲であさましいのを、何も知らないのか。
「お手並み拝見といこうか」
するとがばっと俺の方を見た。
「ほんとに? わたしの映画に主演してくださるんですか!」
おいおい。いつの間に出演交渉されてたんだよ。
「いいけど、お前。出演料払えるのか? 俺は最高の汁男優だぞ。予算いくらだよ」
「……100万」
ぼそぼそと言った。
「話にならないな」
餓鬼のたわごとかよ。けれど、こいつの映像を探して見た時、不覚にも身動きできなかったのだ。イケる。コイツの世界観は、世界を征服する。酔っていたのだろうか。俺も気が大きくなっていた。
「わかった。出演してやる」
「え」
俺をまじまじと見てきた。俺はさらっと伝えた。
「出演料は、お前の一生だ」
「は……?」
「俺の妻として、お前の一生を寄越せ」
変だな、俺。
金を貰ってなくても、こいつを抱きたい。俺の腕の中から一生出したくない。
そんな風に想うのは、こいつが初めてだった。
口説き落として、婚姻届けになんとかサインをさせた。
彼女は、映画製作の途に踏み出す事になった。無名の監督でステイタス無しで金を出そうという酔興なスポンサーはいない。彼女は俺を伴って、ある篤志家の許へ援助を乞いに行った。
計画書を提示して、熱心に篤志家に説明する。
俺は、女のねちっこい瞳が気になっていた。
「よろしいわよ」
篤志家の唇がようやく開いた。
「本当ですか!」
彼女の瞳がぱっと輝く。
すると女はねろりと分厚い舌で唇を舐めた。
「条件はあたくしの主演する映画を、今ここで撮って頂戴。彼を相手役にしてね」
女がにたりと笑う。
「え」
彼女は固まった。
……そういう魂胆だろうと思った。
俺とハメてる処を映像化して、オナニーに利用したいんだろう。そして、俺を味わいたいと。
俺と彼女は一緒に棲み始めたところだった。お互いの肌が恋しく、まだ馴染んでもいない時期だった。
そんな夫を、他の女に貸し出す。
彼女が嫌悪感と嫉妬を募らせているのが一目でわかった。
――ここがお前の根性の見せ所だぞ。
「どうしますか、監督。俺はいつでもヤれますけど」
俺はジャケットに手をかけながら、彼女を見た。
「わ……わたしは」
”夫を男娼がわりにするつもりはない”と言い出すつもりなのだろうか。
だから、お前は甘いっていうんだよ。
独占欲は嬉しいが、それはお前の求めているものとは違うだろう?
彼女が縋るように俺を見た。俺も彼女を見つめる。
やがて彼女は決然として言った。
「撮らせて頂きます」
そして、てきぱきと女と俺に指示を与えてきた。
作品への情熱と、そして他の女に俺を与えることの嫉妬。彼女の理知的な瞳が昏く燃えていた。
「ねえ、早くう~」
女が欲情を隠しもしない声で催促してきた。
「ではTAKE1行きます」
彼女は俺をまっすぐに観た。その眼は『彼女を輝かせてみろ』と挑発していた。
やってやろうじゃねえの。
……数十分後、篤志家の女が悲鳴をあげた。
「あたくしは素人なの! 彼とセックスしている処を、撮るだけでいいのよ!」
えげつないことを平気で叫んできた。
「クオリティを下げる訳にはまいりません。ではTAKE32スタート!」
彼女が冷静に言い、キャメラを構える。俺が女に手を出そうとする。
「まって! お金は出してあげるわよ、もう沢山!」
女は悲鳴をあげて、小切手を書いて寄越した。
車の中で、俺達は無言だった。
ハンドルを握っている彼女の肩を抱こうと手を伸ばした。
「触らないで!」
泣くのを堪えている声。彼女の嫉妬に歪んだ横顔が可愛いと思った。
足早に俺から逃げようとする彼女を抱き上げて、夫婦の部屋に連れ込んだ。ベッドの上に落とすと、のしかかった。
「あの女に触った手で、わたしに触れないでッ」
顔を見られまいとして隠してしまう彼女が愛おしい。
「お前がAVを撮る限り、俺を主演男優に使う限り。これが俺達の日常だ」
彼女の耳に囁きながら、服を脱がしていく。
「いやあっ」
彼女はが激しく抵抗する。俺の与える愛撫に少しずつ陥落していく。こぼれ落ちた悔し涙に見惚れる。
「俺はギャラの為に、これからも女を抱く」
カチャカチャと自分のベルトを緩めた。
彼女の耳を食みながら囁いた。
「愛してる」
お前の心を得る為なら。お前を抱く為なら、なんでもしてやる。
「お前は唯一、ノーギャラで抱きたい女なんだよ」
俺を挑発する眼 水田歩 @MizutaAyumu
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