53.〈砂痒〉星系外縁部―9『戦闘詳報』

「をいをい、マヂか」

 ふいに御宅曹長が呻き声をもらした。

〈あやせ〉主計科室内でのことである。

 ちいさな声であったが、意外にそれは遠くまで届き、はなれた場所にいる人間がピクリと身体をふるわせた。

 深雪である。

 いま、主計科室には御宅曹長ともう一人――深雪がそれぞれの席についていたのだ。

「ど、どうしたんですか?」

 深雪が問う。

 つい先刻、艦内に警報が鳴り響くのと同時に艦長からの第一種戦闘配置発令があったためか、表情がすこし強張っていた。

 御宅曹長の顔が、ほんのわずかにばつのわるそうなものになる。

 知らず自分がこぼした呟きを深雪がひろうとは思っていなかったのだ。

「んん~? あ~、まぁね、艦長が吐いたセリフの中で、ちょっと気になるところがあったのよ。そンだけ」

〈纏輪機〉を通してこちらを見つめてくる、部下であり、後輩でもある少女に向けて、意識的に肩の力を抜き、手をヒラヒラと振ってみせた。

 くれぐれも深刻な雰囲気にならないよう、普段の何割増しかでテキトーそうな態度をとろうと心がけているのがわかる。

 宇宙生活者スペースマンとしては、やっとお尻から卵の殻が取れたかなといったレベルに達した深雪だが、兵隊としては未だに戦闘処女である。

 もちろん、かく言う御宅曹長にも実戦の経験はない。

 しかし、そこは年季と階級でカバーして、新米の年少者を更なる不安に追い込まないよう見栄を張るくらいの気概はあった。

 が、

 自分の言葉に、いまひとつ深雪が納得した様子をみせなかったため、仕方なく続ける。

「艦長がさ、さっき砲雷長に非在場ナルフィールドを展張するって言ってたじゃん?――これからその中をくぐってくことになる機雷堰の中に不具合をきたしてるヤツがあるかもだから、その用心にって」

「は、はい」

「で、我らが主計長ボスには、艦内環境監視装置をつかって全乗員の心身健常度ストレスチェックをすぐに実行するよう指示を続けた」

「そうですね。でも、それは『変』なことなんですか?」

〈纏輪機〉画面のなかで一つ二つと指を立ててみせる御宅曹長に、深雪が首をかしげる。

 ナルフィールドは、裏宇宙航法――常軌機関を搭載している戦闘航宙艦がもちいる最も堅固なバリアー。より正確に言うなら、光の速さを超えるため、裏宇宙に跳び込む航宙船が周囲に張りめぐらせる常空間/裏宇宙間の圏界面――保護膜であり次元断層でもあるものを自艦防御に応用したものだった。

 裏宇宙に遷移するまでには至らない弱い『狂度レベル』で常軌機関を作動させ、自艦を常空間から切り離すことで、外部からの影響を一切シャットアウトするものだ。

 事実上、無敵の楯と言っても良いが、裏宇宙航法のいわば亜種であるから、当然、遷移の時と同様、乗員に(悪)影響をおよぼしてしまう。

 故に、その使用は交戦時――他に取り得る手段がない場合に限る、いわば最後の手段とされていて、可能な限り、その展張時には乗員心身の健常度合いを高く保っておく必要アリとされるものでもあった。

 御宅曹長はかぶりを振った。

「うんにゃ。それだけだったら、別に『変』じゃあないよ。アタシが気になったのはその次――副長と情務長にむかって艦長が、しばらくの間、って言ったこと。

「確かに現状、いろいろイレギュラーな要素は多いけど、でも、基本的に戦闘航宙艦の星系主権領域進入なんてのは面倒くささはあってもただのルーチン作業にすぎないんだわ。それをどうして、序列二位の指揮官と情報分析担当者が、ことさら見物してなきゃなんないの?」

 万が一の用心にしたって、そこまでする必要性も必然性も無いじゃない――そう指摘され、深雪は目をパチパチと瞬いた。

(確かに)

 そう思いつつ、主計科室に御宅曹長と二人で詰めていて、作業――戦闘詳報を作成するためチェックし続けていた艦橋内部でのやり取り、その一部始終をあらためて思い返してみる。

 戦闘詳報というのは、戦闘部隊が作戦行動や戦闘行為をおこなった後、その部隊が自分の所属している司令部に提出することとなる報告書のことだ。

 これによって司令部を構成する将官たちが現場の状況を知り、また、戦訓を得ることを目的としている。

 作成作業を担当するのは主計科で、これは兵科と異なり直接に戦闘行為に参加をしないためである。

 その役割は重要であるが、報告書の作成自体は大して難易度の高いものではない。

 戦闘詳報作成担当者は、主計科室にあって情報回線越しに艦橋内部の様子をモニターし、それによって知り得た有様の一部始終を自艦センサーや通信装置がとらえた関連情報とないまぜ、定型の書式に落とし込んでいく。――それだけだ。

 艦長をはじめのコマンドスタッフたちの話し言葉を書き起こしたり、参照データを適宜てきぎ組み込んでいったりは、機械の補助もあるため比較的かんたんと目されている作業なのだ――

 その作成に、深雪は、しかし、悪戦苦闘していて、進捗しんちょく具合は正直あまりかんばしくない。

 本来そのようなことは起こらないはず――もっと事務的に筆がすすんで良いはずなのに、である。

 深雪は、それを自分の能力ちから不足が原因と受けとめていて、だから、少なからずしょげているというのが現状だった。

 まぁ、もちろん、実際のところの阻害要因は、村雨艦長の奇天烈きてれつぶりに他ならなず、要するに、大倭皇国連邦宇宙軍、そこに属する戦闘航宙艦が数あるなかで、〈あやせ〉は例外中の例外――『ハズレ』であるのを不運にも深雪は引き当ててしまったというのが実情である。

 ちょっと考えただけでも村雨艦長の発言は、文章化が困難なのでなく、いっそ不可能なのだとわかる。もしストレートに書面になどしてしまったら、後からとんでもない紛糾が巻き起こるだろう。

 つまり、〈あやせ〉において外部に向けた公文書を作成する立場の人間に要求されるのは、事実上『翻訳』に等しい高難度の作文スキルに他ならなかったのである。

(うぅ~~ん……)

 深雪は頭が痛くなってきた。

 深雪は知らない。

 兵隊になったのも、戦闘航宙艦に乗り組むようになったのも、つい最近と言うより他ない直近だから、ふつうの宇宙軍艦艇のことなど知る由もない。

 だから、課業しごとをちゃんとこなせないのは自分が悪いと決めつけてしまった。

 戦闘詳報を作成するのに作家レベルの文才など不要という、単純にして明快な事実に思い至れなかった。

 不幸にも比較対象をもたなかったが為、開きなおることも出来ず、ただただ悶々とするしかなかったのである。

 とまれ、

 そうした村雨艦長の(問題)発言の中から、(えっと……、えぇ~~っと……)と、御宅曹長の問いに対する答を頭の中をグルグルにしながら探しまわって、深雪は言った。

「えっと……、難波副長、羽立情務長のお二人に、艦長は慰労目的でそうおっしゃった……とか?」

 が、

 やっとの思いで、そう答えたのに、

「却下」と、ただ一言で切り捨てられた。

「あははっ。ウチの艦長に限ってそれはナイナイ。『たまには上司を敬って、ゆっくり休ませたげようとか心配りをするのが今よ、今なの』なんてほざいてもいるし、艦長が何の見返りもナシに部下に甘い顔をするはずないわ。ましてや副長と情務長相手に――そうでしょ?」

「それは……、そう、ですね」

 バッサリだった。

「……曹長は、どうお考えなんですか?」

 考えあぐねて逆にそう訊いてみた。

 今もなお、現在進行形で積み上がっていく艦橋からの生のデータを前に、オーバーヒート気味の頭を冷まそうとするかのように二、三度ふった。

「わかンない♡」

 そんな深雪に御宅曹長は、ニパッとわらう。

「ただ、そうだねぇ。航宙船オタクの船務長に機雷の行動プログラムが最新版かどうか訊いたこととか、飛行長に遠心分離でプローブを放出するよう指示したこととかが気になるわねぇ。ウチの艦長にかぎって、ムダ弾は撃つけどハズレ弾はださないだろうし……、副長、情務長にこれからの成り行きを見物してろって言ったことをあわせて考えりゃ――」

 なにか企んでるのは間違いないと思うわよ。――なんとも形容に困る表情で、そう答えたのだった。

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