37.裏宇宙航法―15『深淵を覗く者―2』
悪夢……。
夢……。
そうなのかも知れない。
常識的に考えるなら、〈星〉はどれもが見かけ上の寸法にして、ほんの一ミリか二ミリあるかないかの微細な『点』なのだ。たとえ真実そうであったのだとしても、肉眼でそれが〈眼〉だと判別できよう筈がない。
なのにわかる。――わかってしまう。
闇黒のなかに瞬く〈星〉。――それら、今では無数としか言いようがないほど増殖した光の点群は、すべからく何者かの〈眼〉であるのだと。そして、不作法な侵入者たる自分を凝視しているのだと。
理性、論理ではなく、直観、感性によって、深雪はそう理解していた。
『怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になる事のないように気をつけなくてはならない。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ』
ふいに誰かから聞かされた警句が頭の中にリフレインする。
誰か……、誰……? 誰だったか……?
はるか昔のことだったようにも思うし、つい今しがた耳にしたようでもある。
気がつけば恐怖のためだろう――歯の根がカチカチ……音をたてていた。全身が手や足の先から氷のように冷たく硬くなっていく感じ。
脳貧血にも似た症状に、無意識のまま、深雪は意識をかすめたメッセージにしがみついていた。
――
たぶん、思い出そう、考えようとしたのがいけなかったのだ。
突如、何もかにもが明瞭になった。森羅万象がすべからく自明のものとなる。
まるで濃霧にまかれ、まったく視界がきかずにいたのがにわかに晴れ上がり、見る間に自分を取り巻く景色がクッキリ見えるようになった。――そんな感じ。
「あ、あ……あ……ッ?!」
深雪は両腕で頭を抱え苦鳴をもらした。
仮にその場にいたのが世界屈指の天才であっても、人間の頭脳程度では処理しきれない量の情報が、どッ! とばかりに入力されてきたからだ。
膨大としか言いようのない
「やめて! やめて! やめてぇッ!!」
恐怖にかられ、のたうちまわって絶叫をする。
今の深雪は、スーパーコンピューターに無理やり接続されたちっぽけな電卓のようなものだった。
ひとつ思考が閃くと同時に、どこからともなく無数の答が湧き出してきて溢れる。
問いとも言えぬ問い、疑問にさえ至らぬ疑問が脳裡をかすめるたびごとに、明確なことこの上ない答が強制的に押しつけられてくるのである。
なんとか心を揺らすまい、不要なことを考えまいとしても無駄なこと。――そう思うこと自体が〈問〉となり、〈答〉を招く
不安、焦慮、動揺……、そういった負の感情が恐慌状態を招き寄せ、冷静さを奪って、ネガティブな
空気を入れすぎた風船のように、今にも脳髄がパン! と弾けて破裂してしまいそう。
……深雪は知った。
自分が現在いるのは、大倭皇国連邦宇宙軍 逓察艦隊所属の二等巡洋艦〈あやせ〉の主計科室内――自分の座席であり、
かつ、それと同時に、光の速さを超えるため、
肉の現し身は
裏宇宙というのは、通常の宇宙の
いや、むしろ、神智学的宇宙観の重層構造に近いのか。
全精神領域中、人間が、その生涯において
そこは〈夜〉の領域。
深層意識の領域において陽光の下での論理が通用しないように、通常宇宙で適用される法則は、裏宇宙においては、まったくもって意味をなさない。
裏宇宙航法とは、機械の補助を得ることで、その深淵に潜り、光速限界を突破し、遙々と星の世界を渡る航行技術。――そうしたことを爆発的に拡大をとげた知覚、思考力により、深雪は強制的に理解
――何者にか?
裏宇宙にひそむモノ。
裏宇宙を満たすモノ。
闇黒の虚空にきらめく星々(?)を無数の〈眼〉として、深雪を凝視しているモノ。
――〈神〉に、である。
〈神〉……?
もちろん本当のところはわからない。だが、矮小な人間存在からすると、まさしく他に呼びようのない絶対者であることだけは間違いのない〈超・存在〉だ。
〈
〈それ〉は全能であった。
何故なら〈それ〉は、裏宇宙そのものに他ならなかったからだ。
……いや、そうではない。
裏宇宙だけではなく、通常の宇宙さえもが〈それ〉なのだ。
人間の深層意識が表層意識と不可分であるのと同じく、裏宇宙と通常宇宙もまた分かちがたくない混ざっているのだとするならば、すなわち〈宇宙〉そのものが〈それ〉であるのに他ならない。
つまり、
さまざまな神話や伝説で語られる始原の巨神。――その身体が、やがて〈世界〉へ変じたという創造神が、すなわち〈それ〉の正体。
およそ〈宇宙〉が内包している情報、可能性、時間、エネルギー……、その他ありとあらゆるモノが、つまりは〈それ〉ということ。
そのような完全無窮、全知全能な〈超・存在〉のことを〈神〉と呼びならわすより他に、およそ適当な言葉は、人間の語彙の内にはまったく存在しなかった。
が、まったく同時に、
〈
〈それ〉は無能であった。
全であり、孤であり、完全無欠であるがゆえ、まったき閉鎖系のうちに閉ざされてある。
自らが〈世界〉であるということは、自分と異なる〈他者〉が無いということ。
およそ知らない事など何も無く、できない事もまた無いとなれば、おのずと自らが達成すべき為すべき事は皆無であり、
すべてを知っていること、何もかにもが出来ること――全知全能であることが能動的な活動をおこす枷と化してしまう。
究極的に自己完結し、入力も出力も無い、内在的に自己を駆動する要素すら無いとなれば、〈世界〉=〈神〉とは、ただそこに在るだけのモノ。――石ころと何ら変わらない。
そういう結果となるからであった。
そんななかで人間は……、裏宇宙内部に侵入した人間――深雪は、そこにイレギュラーなかたちで組み込まれた、いわば
……深雪は知った。
裏宇宙航法が危険と言われているわけ、遷移直前に人間入力情報の九〇パーセントを占めるといわれる視覚を殺すわけ、〈連帯機〉なる奇妙な機械で乗員同士を繋ぐわけ、そして、自分が世話している
『怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になる事のないように気をつけなくてはならない。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ』
再び、裏宇宙へと遷移する直前に耳にした警句が蘇る。
深淵……。たしかにそうだった。
裏宇宙のなかで自分たちがそこを見まわしている時、裏宇宙――〈それ〉もまた、こちらを視ている。
〈
なにを視るのか?
決まっている。――〈わたし〉を、だ。
完全に満たされていながら、同時に真空よりも空虚な裏宇宙にあって、他に『視る』べき対象など無いのだから当然だった。〈
(問題は……)深雪は思った。
(問題は、その合わせ鏡が〈
深雪はゾッと身震いした。
〈それ〉が依拠する基盤。要するにそれは、〈造物主〉としてのそれなのだ。
なるほど、〈それ〉が己の〈身体〉を〈世界〉とする類の〈創造神〉であるとするならば、まさしく、〈人間〉にとっては唯一無二の〈造物主〉であるのに違いない。
が、
問題は、〈人間〉にとって〈それ〉は唯一神だが、〈それ〉にとっては〈人間〉は唯一の被造物ではない。他にも産み出し、創り上げたモノどもが、それこそ無限に存在する筈――それなのだった。
生命が誕生してより同一の根幹を有する〈人間〉種以外の知性体――
そこまでの差異はなくとも、自分たち〈人間〉世界の……、既知の世界に同じく住まいしている動物たち、
〈造物主〉たり〈創造神〉である空の
可視光と電磁波。――たとえば『視る』ために使用する周波数をすこし変えただけでも、得られる〈
ましてや、『視る』側の〈立場〉そのものが根本的に違ったならば、『視る』ことによって〈それ〉が得る知見は如何なるものになるのだろうか……?
『視る』こと、観察することは、つまり
相手を知る。自分のなかに概念として取り込む。自分をとりまく〈世界〉のなかに、相手はこういうものなのだと規定し固定化する。〈名前〉をつける。――そういう行為に他ならない。
そうした行為をちっぽけな人間存在がするのであれば、それは何ら問題は無い。
たとえ石ころにダイアモンドと名を付けようと、その行為によって〈現実〉が影響をうけるわけではない。人間にとって〈世界〉は自分の〈外〉にある。
が、
同様の行為を〈それ〉――〈神〉がする場合はどうか?
自分イコール〈世界〉という存在の場合はどうなのか?
神話やお
女神の水浴を偶然目にしてしまったばかりに畜生に
神話やお伽話の世界では、それこそ似たような話は枚挙にいとまがなく、ありふれてさえいる神罰、祟り、呪い――不幸たち……。
これらは超常のちからによって、あり得ざる変異を強要された者についての説話であるが、同様に観察者が観察対象をそう規定したからこそ、
ちっぽけな……単なる被造物にすぎない〈人間〉と異なり、まさしく〈宇宙〉そのものな〈神〉――〈それ〉に『観察』されて、お前はこういう〈存在〉なのだと、『規定』をされてしまったら……?
(人間じゃなくなっちゃう!)
そういう
〈
それが裏宇宙航法が抱える根本的な欠陥、問題点であり、光の速さを超越するため、代償として支払わざるを得ないその『洗礼』こそが、
もっとも『錯覚』を生じやすい視覚を入力源として排除せざるを得なくし、
彼我の『観察』行為から互いの気を逸らすため〈連帯機〉で乗員同士を繋いでおく。
大倭皇国連邦……、厳密に言えば、その宇宙軍が、裏宇宙航法を利用するため受忍しているリスクであり、採用している対処法――深雪が〈あやせ〉の艦内で見聞してきた現状なのに間違いなかった。
危険……。いや、それどころではない。
いくら対処法を講じ、手段を尽くしたところで、根本的に危険をクリアすることなど不可能なのだ。つまり、これから後も裏宇宙航法が使用されつづけていくのならば、いつしかこの世は人間ならざるモノたちで埋め尽くされてしまうこととなる。
(冗談じゃない!)
深雪は思った。
〈あやせ〉の中にたむろしていた人外漢たち。――あんなモノに自分がなるかも知れない……、〈神〉によって堕とされてしまうかも知れない……、そんな
女として――人間として絶対
身体を痛めて走れなくなるより辛い。
年齢を重ねてボケてしまうより酷い。
拒否したい。逃げだしたい。夢なら醒めたい。でも、どうすれば、この底なしの蟻地獄のような
現状、深雪は〈神〉と合体している。〈世界〉に自分の〈魂〉が溶け込んでいる。
だから、
気がつけば、どこかから切れ切れの風切り音にも似た音が深雪の鼓膜を震わせていた。
それが実は自分の悲鳴なのだと悟った瞬間、かろうじて保たれていた理性が瓦解する。
「いやぁーーーッ!!」「ヤぁあああーーーッ!!」「出して! ここから出してぇえええーーーッ!!」
闇雲に暴れ、わめき、泣き叫んだ。
恐怖と絶望に魂を握り潰されてしまったのだ。
狂う。――今にも狂ってしまう。そう思っていた。
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